2015年4月30日木曜日
市民の皆様に、あどはだり
今回の弘前市議選は、定数が34から28と8議席減ったところに36人が立候補するという「激戦」と言われたわりには投票率は最低を更新し、47.88%と半分以上の有権者が投票に行かず、現職以外では元職2名が返り咲き新人2名は党や支持基盤を引き継いだ形ですので、ほとんど変わりばえのしない顔ぶれとなりました。
これは、投票しなかった人はもとより議会には期待していない関心がないということですし、投票の結果も議会は変わらなくてよいということですから、市民のほとんどは議会が変わることで市政が変わることを望んでいないと見るのが妥当なところだと思います。
その意味では、議会で時間を取られるくらいなら、震災支援や町会活動、陸上クラブなどなど、まちづくりにかかわる活動をもっとやりなさいという審判を下されたのだと思えば、この結果をいいように解釈して受けとめることもできます。
ところで、私自身は議会を変える必要は重々承知していますが、それは市政に議会がどのように貢献できるかの手段でしかなく、それをうたい文句にして選挙に臨む失敗を前回しているだけに、今回は議会改革に取り組むのは自分だけでもできることにとどめておきましたし、演説で訴えることもしませんでした。
実際に町会長という立場で市政に向き合ってみると、市民の不満の9割は町会長として動くことで解決できたり道筋をつけることができることだと思えますし、地元から議員を出して何とかしてもらおうという発想そのものが意味を失っていると思います。
それに対して、全事業を仕分けして翌年度の予算に反映させる仕組みづくりといった、市政内部に踏みこむことは議員でなければできない仕事ですし、そのための議会改革こそ進めなければならないのですが、これを市民の皆様に理解してもらうのは大変なことだけに、そのためにはどういった取り組みをすればいいのか、今回もミニミニ集会をやろうと思っても実現できなかったことからしても、議員の仕事内容に関心を持ってもらう難しさを痛感します。
そこでつくづく思うのは、「信頼」ということです。
選挙公報を見ていただければわかりますが、新人はさておき現職諸侯で公報に掲げたことを前期4年間できちんと質問したり活動できている人は、どれくらいいるでしょうか?中には、損得ではなく善悪で行動するといいながら、やらないと広言した選挙カーでの連呼を臆面もなく繰り返し、当選という得のためには悪としていたことも平気でする人までいるのですから、言葉もありません。
それでも、投票した多くの人は、政策や主張とは関係なく、「○○から頼まれたから」「地元なので頼りになると思うから」という理由で名前を書いたのだと思いますし、それが当落を結果を生むのが選挙というシステムなのですから、何とかしなければとは思いますが受け入れなければならない現実です。
これに対して、支援してくださった方や選挙前後の反応からすると、私の場合は活動に接したりネットでの主張を理解してくださった上で私を信じて投票してくださったと多くの顔や名前が浮かぶほど、賴ではなく信のレベルでの支持をいただいたと、つくづく感謝しています。
ただ、それがパーソナルなところにとどまっていたのは私の影響力の足りないところであり、そうなのであればもっと多くの人に信じてもらえるよう動いていなければならなかったのに足りなかったのを、最大の反省点と受けとめています。
信といえば、『論語』に「政治とは食を足らし兵を足らし民に信じてもらうことであり、このうち最も大事なことは信であって、これなくしては政治とは言えない」という文章の最後に、「民無信不立(民、信なくば立たず)」とあります。
地方政治には兵の心配はありませんが、食を言い換えれば損得ということであり、信とは政治家が持つべき信義となりますから、選挙の損得よりも信義を重んじ、そして信をいただいた私のやり方は間違っていなかったと今でも思っています。
それにもかかわらず、当選につなげられなかった戦術の誤りを受けとめて、まずは修身斉家のために自ら仕事をするところからやり直しますが、それができた暁に市民の皆様からぜひとも市政を変えてほしいと推し立ててもらえるよう、これからの一日一日を大事に生きていきたいと思います。
本当に、皆さんのご支援ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします。
2015年4月27日月曜日
完敗して雌伏
最初の市議選が1,668票、前回は1,092票、そして今回は905票と、投票率が下がる以上に自分の得票は減り続けていまして、前回は施設や実家との騒動があったとはいえ事情を知らない人は投票してくれたのでしょうが、今回は施設の経営者でもなく落選しても親とも仲直りもしないような者に投票する所以はないと見透かした人が多かったのが、何といっても響いたと思います。
それは見こんだ上で、この4年間の活動で新たに得たご縁やネットでの情報発信に共鳴する人たちに期待し、選挙期間中は自転車での遊説が届くことを願っていたのですが、自分なりの得票予測どころか当選ラインと読んでいたところにも遠く及ばなかったのが現実でした。
これは、地盤を失ったのに、それを補うだけのものを築けなかった私の責任ですが、それを一人でやりきろうとしたところに難しさがあり、他候補が地盤となる地域や団体・政党を持ち、自分の仕事をさておいても動いてくれる参謀がいるのを凌ぐことができなかったということです。
これまで綴ってきたように、市政にある数々の問題点が見えていて、それをただしていく目標があるのであれば、何はともあれ当選に近づく方法なら何でもありというのが政治家らしいやり方なのでしょうが、自分の活動を知ってもらい何に取り組もうとしているのか理解してもらえるようなアプローチをした上で支援してほしいと思っている私には、ただ票を集めればいいというやり方を採るわけにはいきませんでした。
ちょうど昨日の大河ドラマ「花燃ゆ」では、我が師と仰ぐ吉田松陰の最後が描かれていましたが、松陰も自分の信念を貫いて老中を諫めようとしたと言わなくてもいいことを言ったことで遠島が死罪になったとされていて、みすみす命を落とすことになる発言をしなければよいものをと思った方も多いことでしょう。
しかし、命よりも信念を重んじる松陰からすれば曲げるわけにはいかないからこその発言であり、この日にこの場面が流れたのは、おまえも信念を貫いて死ねと伝えてくれたように、今にして思っています。
そもそも前回当選していれば、この選挙には出ないつもりでしたので、50歳にして引退するつもりだったのが、2回の落選という形で突きつけられたのだと思うこともできますし、選挙のやり方もできない者が政治にかかわることが間違っているのだと烙印を押された気もします。
何といっても、この4年間も震災支援や町会などの仕事はしても生活していくだけの報酬を得ていたわけでなく、さらに続けるのは家族に対して無責任が過ぎます。一旦は政治にかかわる活動に明け暮れるより、仕事に就いて生活を立て直し、妻や子どもたちを安心させるのが先決だと思います。
もう一つ、昴の皆さんには役割をいただいたことを感謝したのに、選挙に出るのは自分の思いを優先させたものでしたので、「出たい人より出したい人」という原則から外れた行動だったのも、反省しなければなりません。
今回の結果は市民から議会には必要のない人間と評価されたわけですから、生活を立て直したところで是非とも出馬してほしいという働きかけがない限り、再び自ら立つことはすべきでないと思っています。
それでも、おわびに回った先で「次こそ、がんばって」と声をかけていただいたのに一筋の光明を覚えましたし、今回の顔ぶれで市政や議会が変わるとは思えないだけに、これで政治の舞台から去ると断言することはしないでおきますし、したくはありません。
この4年間は、出なくてもいいところまで顔を出してましたが、このたびはひとまず完全に雌伏して、来るのかどうか見えないその日を待ちたいと思います。
本当に徒然なるままに乱れた思いを綴りましたが、私の活動に関心を持ち支援してくださった皆さんに、心からの感謝をお伝えして、このBlogを閉じたいと思います。
2015年4月25日土曜日
昴で伝えたかったこと
藍内→桐の木沢→相馬→前相馬→水木在家×2→五所×2→黒滝→安田団地→湯口→下湯口×2→悪戸×2→常盤坂×3→茂森新町×4→休憩
樹木×4→旭ヶ丘→清富町→稔町→西が丘→富士見町×3→寒沢町×2→紙漉町×2→川端町→銅屋町→富田×2→上土手角→松森町角→昼食
表町→大町×2→ヒロロ角→ローソン角→ヨーカドー角→植田町→東和徳→俵元→松ヶ枝×2→和泉→堅田→休憩
青山→宮園団地→青山→宮園×2→田町×2→祢宜町→城北→仲町→春日町→栄町×3→浜の町×4→休憩
藤代×4→駒越→熊嶋→高屋→一町田×2→賀田→五代→坂市→紙漉沢→五所→黒滝→湯口→昴=89
本日は途中途中で友人知人に会う回数も多く、それが次へ向かうカンフル剤になったのもありますし、たくさんのメッセージやコメントが励みになって完走できた7日間だったと思います。本当にありがとうございます。
旧岩木町を回るところまでは通常の演説で、岩木バイパス一町田地区でのものが今回一番力が入った出来だったと思いますが、相馬村に戻ってからは7日間の感謝とこれからの相馬これからの弘前を託せる政治家は誰なのか考えてほしいと、最後のお願いをしました。
そして、最終演説となった昴集会所前では、集まってくださった町会の方々を前に、演説というよりお礼のあいさつをさせていただきました。
今回の選挙では、ポスター張りの主力だったばかりでなく、二日目以降の出発地点への送り役を代わり代わり務めてくれたことへの感謝も伝えましたが、何といっても3年前に町会長に選任してくださったのは、私にとっては初めて頼まれて役割を果たす経験であり、これが人生の転機になったことを伝えました。
町会へのご恩返しも、皆さんへのお礼も、すべては当選するところからはじまります。
皆さん、何とぞよろしくお願いします。
2015年4月24日金曜日
市役所で伝えたかったこと
高岡→弥生→宮舘→折笠→富栄→細越→愛宕×2→八幡→賀田→鼻和→小島→三森→独狐→休憩
石渡→元薬師堂→土堂→横町→近名→イオンタウン→城西×2→鷹匠町×2→市役所→昼食
新寺町→桔梗野→旭ヶ丘×2→緑ヶ丘×2→清水→大原×2→桜ヶ丘×8→原ヶ平→千年→休憩
泉野→門外×4→堀越×3→門外→大清水角→小比内×2→佐藤長角→城東中央→休憩
高田×2→田園→早稲田×4→福村→福田→境関→神田=68
ところで、遊説の内容は、少しずつ変わっているとはいえ大筋では4年間の活動と立候補への思い、救急と介護への問題提起、それに自転車遊説と決意表明という3本立てなのは同じなのですが、本日の午前中最後の市役所だけはまったく違う内容を語ってきました。
それは、決意表明のチラシに書いたように、落選して一市民という立場でかかわったことで見えるようになった市職員の勤勉な働きぶりのことで、議員という立場では決して見えなかったもので、それを知るためにこの4年間はあったという感謝の思い、そしてその上で市政をよくするためにもう一度議員という立場でかかわるようになりたいという決意を伝えたかったからでした。
職員からすれば、よけいなおせっかいかも知れませんが、面と向かって言えることではないだけに、マイクを持ったこの機会だからこそ伝えておきたかったことですし、桜まつりが本開幕して選挙カーを止めての演説はできない状況の中、自転車で拡声器の私だからこそできる芸当ですので、ご寛恕いただきたいと思います。
何はともあれ、選挙活動できるのも明日1日、最終日は初日の沢田地区と並ぶ相馬の最奥地区・藍内からスタートし、最終街頭演説をホームタウン昴の集会所前で行う予定です。
それ以外は、市内を遊撃するつもりですので、演説を聞いてみたい方はぜひ気軽にお知らせください。
2015年4月23日木曜日
もう一押しの5日目
笹舘→三和→小友→中畑→種市→種市角→新和角→青女子×2→大川×2→三世寺→中崎→町田角→町田→藤内町→八代町→船水→休憩
岩賀→清野袋→津賀野角→百田角→百田→津賀野→大久保→大久保ニュータウン×2→撫牛子×2→宮川→堅田角→昼食
青山×5→向外瀬→宮園×5→宮川→休憩
堅田バイパス→野田角→野田→和徳角→和徳→萱町→中土手町→冨田大通り→南富田×3→枡形→休憩
ベニーマート→松原×5→広野×3→松原×5→中野×2→富士見台→山崎×2→城南×4→舘野=77
距離ばかりでなく、すでに回ったエリアを抜けて未済の地区に回っていくので間延びしてしまうこともありましたが、昨日から比べると、もう一押しほしかった感じです。
それでも、すでに期日前投票を終えた方から「行ってきたよ」と声をかけてもらえることもあり、トータルでももう一押しのところだと心して、残り二日間駆けめぐりたいと思います。
2015年4月22日水曜日
助っ人パワーで、80ヶ所!
ルートや場所選択のミスも何度かあったのですが、それにもかかわらず80ヶ所というパーソナルベストが達成できたのは、彼の笑顔の励ましのおかげだと感謝しています。
ちなみに、こちらが昨日のルートと街頭演説の場所です。
座頭石一の渡×2→大和沢→アップル角→狼森→原ヶ平→千年×4→清水森→小栗山→松木平×2→大沢×3→石川×4→乳井×2→薬師堂→川合→新里→福田子→昼食
高田→豊田→高田×2→外崎×3→城東×4→城東角→小比内→豊田×2→小比内×3→休憩
小比内→川先×2→城東→東高校駅前→ユニバース前→南大町×2→取上角→品川町×2→大富町→北園→富野町→御幸町×2→品川町→休憩
取上×2→清原→大清水×4→休憩
泉野×3→安原×3→清原→北園→中野角→三岳町→ユニバース前→西弘
私ばかりでなく、彼のおかげで話を聞いてくださる方もあり、周りの支援があっての選挙だと感じさせる出会いもあり、本当に満足の4日目となりました。
5日目は、板柳より遠い笹舘からスタート、新和・三省地区を通って市内を駆け回ります。
2015年4月21日火曜日
回数は伸びず、出会いは重なる
十腰内→十面沢→大森→貝沢→貝沢角→堂ヶ沢→鬼沢→住吉→天崎→高杉→佐藤長前→前坂→独狐×2→休憩
石渡×4→浜の町×4→浜団→外瀬×2→藤野→昼食
城北大橋→向外瀬×3→城北×3→栄町×4→春日町×2→仲町→休憩
城北×3→田茂木町→田町→北横町×2→山王町×2→笹森町→在府町→南塘町×2→北新寺町→茂森新町×3→休憩
樹木×3→桔梗野団地→桜林町×2→銅屋町→紙漉町×2→富士見町×3→西が丘→寒沢町×2→桔梗野×4→樹木角=75
これは、気温が上がるに従って水分補給の回数が増えたり、夕方あたりには他候補の選挙カーに行く手をさえぎられて待ったり場所を変えたりせざるを得なかったタイムロスも響いたと思いますが、天気がよかった分通りがかる人にあいさつする回数も多く、時には相馬出身だと知って御所温泉のことを話しに来てくださる方まであって、その分滞留時間が延びたことが要因でもありました。
何人もの方が出てきてまで聴き入ってくださったうれしい出会いもありましたし、懐かしい福祉の先輩との再会や見かけて車中から手を振ってくださった恩師に新人候補2人との遭遇まで、今日は出会いが重なった一日でした。
何はともあれ、足腰もへばらずのどもつぶれず、至って元気に遊説を続けていますので、より多くの人に出会い思いが届くように、4日目は座頭石からスタートです。
2015年4月20日月曜日
雨の中、何とか70ヶ所
8:00:枯木平→嶽温泉→百沢→三本柳→坂本→高野→休憩
吉川→桜庭→平山→大久保→如来瀬→鳥井野→兼平→五代→馬子橋→川添→宮地→四季彩館前→賀田→一町田→昼食
熊嶋→熊嶋角→向駒越→駒越角→藤代×3→田中→浜の町×3→富士見橋→紺屋町→袋町→新町×3→駒越→城西×3→休憩
県営住宅→城西×3→南城西×2→休憩
茂森→茂森角→山観→茂森新町×3→茂森団地→樹木×2→童子森→樹木角→若葉×2→南高角→自由ヶ丘×2→金属団地→青樹町×2→大開×2→小沢→帰宅
ほとんど住宅地の中での街頭演説でしたが、雨にもかかわらず窓を開けたり出てきてくださる方までいて、納得の二日目を終えることができました。
明日3日目は、十腰内赤らスタートです。
2015年4月19日日曜日
初日は54ヶ所
11:00:沢田→大助→相馬→藤沢→坂市→紙漉沢→五所→黒滝→昴→湯口→林檎の森→鳥井野→龍ノ口→真土→茜町→城西→茂森→覚仙町→本町→昼食
東長町→北横町→田茂木町→田町→八幡町→サンデー角→宮川→堅田→さくら団地→マルエス団地→城東北→さくら野横→味喜屋前→末広→境関→福田→福村→第五城東→早稲田→高田サークルK前→学習センター角→城東中央→休憩
稲田→サンクス角→和徳ローソン角→代官町角→上土手町角→銀座街角→モーモー角→富士見町→桔梗野→樹木→常盤坂→悪戸→下湯口→帰宅:19:30=54ヶ所
スタート時間が遅くなったのは、届出順がくじ引きで決まってからの書類確認に想定外の時間がかかり、おあげで26番目となった私はとばっちりを食った形です。
事前審査があったにもかかわらず、改めて書類の不備が指摘されたり、締切のはずの公報原稿に写真が足りなかったりというドタバタな状況で、これは本人や書類作成者ではないクビ運の疎さを買われて託されたような運動員をよこす陣営にも問題がありますし、3人の職員が確認役をしている後ろに書類受け渡し役の女性職員を突っ立たせておくくらいなら確認役を増員してほしかったと感じさせた選管事務局の段取りの悪さもありました。
先日、開票事務でほめたばかりなのですが、告示受付事務にはまだまだ改善の余地がありますし、一方ではその場で不備が見つかった場合には一旦確認順の最後に回ってもらうくらいのペナルティがあっても当然だと思いました。
何といっても、届出を受理してもらって選挙の七つ道具を受け取らない限り、候補者も選挙カーも動けないわけで、少しでも早く現場に出て市民に訴えるのを遅らせるのは、市民が選挙に関心を持つ機会を奪うのと同義ですので、これには厳しくあたるべきだと思います。
何はともあれ、あっという間に一日が終わりました。明日は岩木山嶽温泉の奥・枯木平からスタートです。
これが遊説行程だ!
19(日):届け出→出陣式→沢田:必勝祈願・第一声→大助→相馬→藤沢→坂市→紙漉沢→五所→黒滝→昴→湯口:林檎の森→龍ノ口→真土→城西イオンタウン→市内:中心部
20(月):枯木平→嶽温泉→百沢→東目屋→大久保→如来瀬→鳥井野→兼平→五代→宮地→賀田→熊嶋→駒越→藤代→亀甲町→栄町→城北→和徳町→弘前駅前→市内:城東方面
21(火):十腰内→十面沢→大森→貝沢→鬼沢→高杉→独狐→石渡→浜の町→紺屋町→新町→市役所前→市内:朝陽・桔梗野・清水方面
22(水):座頭石→大和沢→狼森→千年→清水森→小栗山→松木平→大沢→石川→乳井→新里→福村→高田→小比内→川先→松森町→取上→門外→安原→清原→松原→城南→文京町→西弘
23(木):笹館→三和→小友→種市→青女子→三世寺→中崎→町田→藤野→向外瀬→津賀野→大久保→撫牛子→境関→高崎→神田→青山→宮園→堅田→市内
24(金):高照神社⇒弥生→中別所→蒔苗→高屋→元薬師堂→石渡→浜の町→藤代→駒越→城西→茂森町→市内
25(土):藍内→桐の木沢→相馬→山田→前相馬→水木在家→五所→安田→湯口→下湯口→悪戸→常盤坂→茂森新町→樹木→桔梗野→新寺町→市内→昴集会所:最終街頭→事務所
これを基本としながら、天候にあわせて変更したり重点的に回りたいエリアになるべく入るようにしたり、さらには皆さんからの声にも応えながら、今回は個人演説会も組みませんので目標の500回を超えるよう、ニューマシーンで駆けめぐりたいと思います。
見かけましたら、激励の声援よろしくお願いします。
2015年4月18日土曜日
選挙戦で訴えること
自転車での市内一円遊説で訴えることをお知らせしておきたいと思います。
まず第一に、この4年間で市民の皆さんとさまざまな活動をさせていただき、そこで得たご縁をこれからも大事にし、その中で受けとめた皆さんの思いや気がかりを市政にフィードバックすることです。
振り返ってみれば170回も足を運んだ岩手県野田村への支援に一緒していただいた一芸を持つ津軽衆の皆さん、町会長という立場をいただいてより深まった地元・昴町会のみなさん、子どものおかげで出会い親交を深めた中央高校PTAの皆さん、代替わりするたびに増殖して元気度がアップしていく陸上クラブの子どもたちと保護者とのご縁、こんな立場になっても見捨てずに叱咤激励してくださる方々、そして議員時代では考えられないほど同じ目線でやりとりや仕事ができるようになった市職員の皆さん、本当に落選したからこそ気づき、また得ることができたご縁こそ本物だと思ってがんばることができますし、だからこそ皆さんから聞く思いを、再び議場に戻って形あるものへとつなげていくのが私の使命だと思っています。
もう一つは、具体的に取り上げて改善を求めていく施策分野として、1年以内の救急輪番の再構築と3年以内の適正な介護サービスと市民に納得してもらえる介護保険料引き上げのための説明責任を果たすことを、市民の皆さんに説いて回るつもりです。
もちろん一般質問では毎回登壇し、その時取り上げるべきテーマ2つと皆さんが取り上げて欲しいと思っている問題から2つという形で組み立てるつもりですので、市政全般にわたる質問とするのが基本ですが、何と言っても危機的状況にある2つの分野、それも自分のバックボーンをほったらかして置くわけにはいきません。
救急の問題には、先日提言したように至急専任職員を配置して打開の手だてを大胆に実行することを求めていきますし、介護の問題では3年後には今期3年のサービス状況にかかわらず大幅なアップが避けられない保険料の仕組みを早いうちに市民に説明するとともに、上がっても納得してもらえる介護の質実現のためにこそケアプランチェック要員を機能させるようにすることを提言します。
前回の際は、自らが施設経営者という立場でしたので、どうしても突っこんだ議論を避けてしまいましたが、今は市民サイドの立場ですので、市職員とも議場だけでなく膝を交えた話し合いをして、変えていく道筋をつけたいと思います。
何と言っても、自転車に拡声器での遊説は小回りが効いて回数を重ねることができるメリットもありますが、裏を返せば狭い範囲にしか届かないハンデを抱えているわけですので、短い時間でより多くの場所で声を届ける必要があります。
それだけ内容はコンパクトにしなければなりませんが、今回の私の立場からはすれば、この二つを徹底的に訴えていくのが何よりだと思っています。
本日再度の更新で遊説ルートを公表するつもりですが、この日はここにいるので回ってほしいというご要望は大歓迎ですので、夕方までにメッセージくださるとうれしいです。
2015年4月15日水曜日
隆司さん、残念です
旧弘前市時代から6期のベテランで、近年体調を崩したとは聞いてはいたものの、3月定例会でも独特の声高な口調で質問していただけに思ってもみませんでしたが、この機会に隆司さんから学んだことや議員としてのあり方を記しておきます。
隆司さんとは、当選直後は支持した議長候補も違うほど離れた立場でしたが、私が最初の会派から離脱せざるを得なくなって二人会派を結成したことで議会運営委員会に所属することになってからやりとりする回数が増え、視察研修で一緒に回った際に腹を割って語る機会もあり、任期最後の頃には親しく指導してもらうことも多くなりました。
一般質問では、市職員出身らしく幅広い分野での質問をたたみかけていたのを思い出しますが、今季は副議長ということで登壇の機会がない分を予算決算特別委員会での質問で大所高所からの質問をぶつける形で補うほど、問い質すことに全力をかけていた姿からは、学ぶものがたくさんありました。
何といっても思い出すのは、東日本大震災の翌日に私は市民向けに情報発信するために停電がいち早く復旧した市役所に朝から詰めていましたが、運転免許のない隆司さんは歩いて登庁し、近助の高齢者が情報がなくて不安がっているので確認に来たことを教えてくれましたが、それだけ市民のために動くからこそ5期連続でトップ当選を果たしてきたのだと得心したものです。
前回は町田藤一郎・工藤栄弥両氏が引退し、それが議場にピリピリとした緊張感を失わせることにつながっていると感じていましたが、今回は隆司さんがいなくなるとなると何かあった際には叱りつけるような存在が絶滅するようなもので、世代交代がもてはやされる中ではあっても、重鎮と呼ばれるベテランがしっかりいてこそバランスが保たれるのだと思っています。
何だかすっかり引退を惜しむような書きぶりになってしまいましたが、今回は出馬を見送っても一休みということですので、次の次の選挙を経て「お帰りなさい」と言える立場になれるよう、隆司さんの分までがんばらなければと思っています。
2015年4月14日火曜日
自転車で遊説するということ
年頭のマニフェストでも自転車で回る約束をしましたが、改めて選挙カーを使わず自転車で遊説することへの思いを伝えておきたいと思います。
そもそも、選挙カーでの連呼は選挙にプラスになるでしょうか?
自分自身の選挙では極力抑えめに使っていましたが、市長選や総選挙さらには代議士の新春遊説で回った際に自分でマイクを持っていると、手を振ってくれる人がいると返礼したり手を振り返したりしているうちに気持ちが高揚してきて力が入る経験をしてきただけに、当事者関係者としての自己満足になるのは重々承知しています。
ただ、政策を訴えながら回るのは法で制限されているだけに、それが支持や理解につながるのか怪しいものですし、すでに支持を決めている人やこういう方法を好まない人からすれば単なる騒音に過ぎないことを、元代議士で今は一市民である山内康一さんが自省をこめて記しています。
それからすれば、本人は自転車で選挙カーが随行するスタイルは、騒音ばかりでなく交通の妨げを倍増させるやり方だけに、より害悪としか思えません。
これだけなら、選挙におけるプラスマイナスを候補者が判断して自己責任でやる/やらないを決めればいいことですが、選挙カーのレンタル料やガソリン代さらにはウグイス嬢の人件費まで公費つまり税金でまかなわれることなっており、せめて自転車や別動している時間分を差し引いて公費負担請求できればよいのですが、積算が一日単位になっているだけに、当然のように使った側は満額請求しています。
本来は、タクシー借り上げが認められているように移動のための交通費と選挙用拡声器は別立てなのですが、そこに移動中の連呼を認めていることによって、ウグイス嬢が必要になり本人は別の交通手段で支援者回りをするという今のスタイルがまかり通ってしまうわけですから、一番有効なのは連呼を禁止することだと思います。
そして、4年前の東日本大震災後の状況をふまえて、ムダなガソリンを使わない税金は少しでも復興に回してほしいという思いで自転車での遊説を決めた私は、その後誰よりも震災支援に取り組んできた経験と自負があるだけに、今なお復興への道遠しの現実を考えれば、今回はのうのうと選挙カーで遊説しようとは思えないのです。
ただ、さすがに寄る年波には勝てず、前回の6段変速のシティサイクルから24段変速のクロスバイクにグレードアップして体力の衰えをカバーしたいと思いますし、選挙後にはこのマシーンでサイクルツーリズムの活動にも参加したいと思っています。(カゴつきなのが、選挙仕様です)
2015年4月13日月曜日
歴史を語れる職員は市にとって必要です
開会前に控え室に顔を出すと、先に今井さんが津軽統一から大正時代の石垣修理までお話しになるというので、昨秋の出前講座に続いて同期にプレッシャーをかけるのも嫌がらせでもありますし、前半終了のところで中座しました。
今井さんのお話は相変わらず面白く興味を引くことばかりで、
- 近年の研究によって、藩祖・為信公は久慈城主・治義の妾腹の子・久慈十郎として生まれ、種里城の大浦為則を頼って逃れて後を継ぐ形になったのが1973年以降の定説である
- 津軽では為信公は石川城責めからはじまって戦を続けて津軽を統一したと信じられているが、南部側では戦はしないで裏切って乗っ取ったと正反対の説が信じられている
- 最初の居城・大浦城は現在の津軽中学校であるが、付近の直売所・四季彩館からは堀跡や元の長勝寺の墓石などが見える
- 発掘整備が続いている堀越城の大手門は、従来考えられていた岩木山側ではなく平賀側にあったことがわかってきた
- 焼失した天守閣を再建する際に、幕府には櫓の新築と偽り、検視役の役人には行きと帰りで天守様の側を見せないようにした
- 明治時代に石垣修理した堀江佐吉率いる堀江組は、当時700人の社員がいる東北随一のゼネコンだった
実は、今井さんは学生時代に地震でズレが生じた天守閣や五重塔を調査したことがあり、その時点でも石垣のふくらみは見つかっていたのだそうで、その時の学びや経験が在職中にも現在までも生きているのですから、まさに弘前市の歴史の生き字引のような存在です。
その後輩にあたる宮川慎一郎さんも、3月で定年のところを再任用で残っていただいていますし、このような学者以上の存在が連なっているのは、弘前市の歴史教育ひいては観光にまで大きなプラスになっていると思うのですが、その後を継いでいけるような職員はいるのか気がかりです。
ちなみに、石垣のプロとして昨年度は20回前後の講演の機会があったという石川ですが、さあ本番というところで異動となってしまい、せっかくの経験が水泡に帰した感じですし、こんな人事をしていては歴史を語れる職員は育つはずもないと残念に思います。
歴史ある文化観光都市として弘前市が光っていくためにも、歴史力のある職員を育てていくのは大事なことだと思いますので、ゼネラリストではなくスペシャリストを育てる職員のキャリアパスも考えるべきテーマです。
県議選投開票に市選管の努力を感じる
定数6に対して9人が立候補した弘前市区でしたが、最高齢の候補以外の8人とはご縁のある方ばかりですので、うれしくもあり残念でもある結果でしたが、当選されたからには県全体を見すえながら津軽弘前のためにもなる政策実現にむけて働いていただきたいと思います。
それにしても、全体としては自民と共産で1議席プラスマイナスしただけの結果で、原発再稼働やTPP・農協改革といった地元に大きくかかわる問題が差し迫っているのに、勢力も変わらず投票率も伸びないという政治への不信感に最大の危機感を覚えます。
ところで、今回の投票率は51.08%と史上最低を更新してしまいましたが、弘前市区においては激戦の構図とヒロロや弘大への期日前投票所設置が功を奏して、50.23%と前回をわずかながらも上回る結果となりました。
冷静に見れば、県平均を下回っているのだからほめられたものではないのも事実ですが、手だてを打たなかった青森市・八戸市を上回っていますので、これはやった甲斐があったと認めるべきだと思います。
もう一つは、開票速報を見ていての感想ですので正確とは言えませんが、3市の中で弘前市だけが開票が進んでいって他2市はまったく動かないという展開だったのからすると、開票事務の効率化も成果を上げてきているように思います。
選挙管理委員会にとっては、投票率の向上と開票事務のスピードアップというのは市民レベルでも目に見える事業成果だけに、まだまだ改善の余地はあるにしても、一定の評価できるのは指摘してきた者としてもうれしいことです。
ただし、何と言っても選挙そして政治に関心を持ってもらう一番の特効薬は候補者が政策を堂々と掲げ、それを一人でも多くの市民県民に伝えていく行動や主張なのですから、市議会選挙が投票率50%割れという不名誉なことにならないよう、私もこの2週間できる限り動いていきたいと思います。
2015年4月10日金曜日
今こそ救急問題に専任職員を
別の記事では葛西市長も危機感を募らせているということですが、この問題こそスピード感を持って大胆な手を打つべきことだけに、今こそ救急問題にエース級職員を専任させることを提言します。
何を唐突にと思われる提言だと思いますが、これには先例がありまして、全国的に医療崩壊が叫ばれた2010年前後に岩手県遠野市では市内に産科医不在という事態になり、この問題に対応するために2000年の介護保険制度導入、その後はケーブルTV設立と、いくつもの難題に取り組んできた職員を専任で配置し、それが市立での助産院設立とモバイル遠隔健診の組み合わせによる「ねっと・ゆりかご」という形になり、総務省からも先進事例として紹介されるほどの成果を上げています。
この方とは、1998年1月に八戸市で開催された地域福祉シンポジウムで同じシンポジストという立場だったことで知己をいただき、そのご縁で何度も遠野市の福祉の取り組みを施設職員や家族会と一緒に見学に行ったり、家族旅行でジンギスカンをごちそうになるほどのご縁になっていますが、元々は教育委員会で最後は遠野のサッカーのために役に立ちたいと願うスーパー公務員から教えていただいたことは数えきれません。
他にも、滋賀県大津市から厚生労働省に出向して2006年の地域包括支援センター設置にかかわった方も、市職員という枠を飛びこえて県内外の自治体の支援に飛び回っていますし、もっと有名な方では小樽市から飛び出して全国を公演して回っている木村俊昭さんと、スーパー公務員は思った以上に存在しています。
話を元に戻しますと、弘前市の救急問題は上半期のうちに対策を打ち出して下半期には実現に向けてシステム変更や人選をするといった具体的なアクションに入らないと、来年度には外科輪番が崩壊することになってしまいますから、それこそ一気に打開できるアイデアを打ち出して実行できる人材に専任させる必要があります。
それができるのは、先に紹介したスーパー公務員になれるようなエース級職員だと思いますし、これが成功できればそう呼ばれるのがふさわしい存在になりますが、弘前市の場合はそれに近い力量の人材はいるにしても健康福祉畑を経験していないのが心もとない気がします。
それでも、時ここに至っては最後のチャンスにかけるしかありませんので、今月中にはこれに準じた人事発令をしてほしいと思いますし、その動きがないなら6月定例会の一般質問で一番最初にぶつけたいと思っています。
この問題は、葛西市長が医療法下に真剣に向き合う気持ちがあるのかどうか、そして市職員を本当に信頼して育成しようと思っているのかの試金石です。
私は、市職員の底力に賭けたいと思っています。
2015年4月8日水曜日
介護保険料据え置きのしわ寄せは市民に
一つは、障がいを持ちながら生活している方からで、これまで24枚支給されていた無料タクシーチケットが今年度は12枚にされ来年度には制度が廃止になるというのです。
その方は介護保険の第2号被保険者として要介護認定されているため、市からは介護タクシーの利用ができるのだからという理屈の通らない説明をされているのだそうですが、それを利用するには基本としてあらかじめ介護サービス計画に盛られて予定どおりに利用する形となり、急な用件ができて利用するというのは台数や開業時間の問題で対応してもらえるのが困難ですし、予定が遅れて帰宅する際などのためにタクシーチケットを伝家の宝刀のごとく使ってきたのが、これからはどんどん大変になっていくし、外出の自由がなくなってしまうと嘆いていました。
このことだけでも問題なのですが、こういう福祉サービスを実施するための財源が地域福祉基金であり、今回の介護保険料据え置きのためという想定外の流用されたのが縮小廃止の要因となっているとしたら、多くの市民を一時的に安堵させるために障がいを持つ人たちに大きな迷惑をかけることになっているわけです。
最大多数の幸福を求めるのが政治の使命ではありますが、そのために弱者をいじめるようなやり方ではおかしいと思います。
もう一つは、この地域福祉基金による据え置きという違法行為が県でも問題とされているのだそうで、場合によっては国レベルでの指導が行われて据え置きそのものを撤回して本来算定されている6603円にせざるを得なくなる可能性すら出てくるという話です。
3年後の大幅アップよりは、前期3年間の利用状況をふまえた痛みを市民全体で受けとめるべきだとする私の立場からすれば、適切な指導改善が早く行われるべきだと思うのですが、実際にこういう事態となれば全国で初の汚名となりますし、自らの軽はずみな約束を強行させた葛西市長の責任はもちろん、法的に問題があるのを食い止められない法務監や健康福祉部長・介護福祉課長などの行政スタッフ、そしてまったくまともな質疑もせずに承認の議決をした市議会には大きな責任があるはずです。
このまま進めば3年後に大幅アップ、据え置き撤回となれば汚名ばかりでなく一から徴収をやり直すという行政的な大混乱も生じるという、まさに進むも地獄引くも地獄という状況だというのを、市民の皆さんには心していただきたいと思います。
何といっても、この問題をしっかり議論できる議員の不在が招いたことだと思いますので、何としても復帰しなければとの思いを改めて強くしています。
2015年4月5日日曜日
ヒロロに投票に行こう
市民活動保険も重要ですが、県議選への関心を呼び起こすのも政治に関わる者の責任ですので、先に投票所のことをお知らせします。
これは、12月定例会ではけんもほろろだった選挙管理委員会が、同月に行われた総選挙で全国最下位の青森県の中でも低い投票率であったことに危機感を覚え、3月定例会で弘大とともに設置を約束したもので、来年の参議院議員選挙ではという悠長な答弁をいい意味で豹変させたのは、このBlogで主張した立場としてもうれしかったものです。
実際に3Fヒロロスクウェアに設置された投票所に行ってみると、先に数名の方が待っておられ、私が呼ばれた後からも次々と来場者があり、来たついでに投票しておこうという呼び水になっているようで、何よりでした。
弘大の場合は、在学していても住民票は出身地に置いたままという場合もあるでしょうし、近隣の市民が気軽に足を運べるか実績を見ないとわかりませんが、商業施設については太鼓判を押せる状況ですので、地理的に考えれば城東のさくら野・城西のイオンタウンでも実施するのは検討すべきだと感じました。
ところで、その県議選弘前市区は、無投票が県下でも5選挙区、全国では21%もの無投票率という中で、6人の定員に9人が立候補する激戦区だけに、前回より投票率が上がるとは思いますが、行政ができるのは投票しやすい環境を作り投票を呼びかけるところまでです。
そこで投票するかどうか、誰に投票するかは皆さんに委ねられた大事な権利ですが、政治に意思表示する貴重な機会ですので、個人的なご縁ではなくどんな政策を前面に出しているのか、政党の主張と候補者の政策に食い違いはないかといった人物よりも政策本位の選択をしていただきたいと思っていますし、私もその基準で名前を書いてきました。
ぜひ、ヒロロに行く際でも、12日の投票日に地元の投票所でもいいですから、必ず投票に行きましょう。
2015年4月4日土曜日
派遣社員にこそ婚活サポート
ところで、この農業委員会による婚活事業は別の名称・内容で私の在職した2007年以前からあり、何度か質問した記憶ではカップル誕生から結婚に至った事例もあると答弁されていたので、今回は縁結び事業としての第1号と受けとめています。
その際には、農業者以外にも婚活を支援する考えはないかとつけ加えて質していましたが、近年では縁結び事業以外に弘前めぐりあいサポーター出愛(であい)創出事業・若者魅力アップセミナー事業・ひろさき男子お弘芽(おひろめ)会事業・恋人の聖地プロジェクト推進事業と、5つもの事業が展開されるようになったのは隔日の館があります。
ただし、出愛創出事業の実際をFacebookへの投稿で見る限り、講師も受講者もJCやYEGメンバーが多く、どちらかというと余裕のある立場の人間がかかわっているように思いますし、農業者についても嫁不足の現実は身近に知ってはいるものの、20代の農業後継者は腹をすえてがんばろうという魅力と家の後を継ぐという経済的な保障があることで結婚している率が高いように思えるだけに、本当に婚活そして生活支援を必要としている若者が対象となっていないと思うのです。
それは、工場に勤務する派遣社員や工事現場で働く非正規雇用である若者です。
市内の工場の中にはiPhoneのパーツを組み立てているところもあると聞くほど業績好調な業種もあり、交替の時間帯に通りかかると勤務している人数の多さに圧倒されることがありますが、その多くは派遣という立場だけに、いつ雇い止めの日が来るかも知れない不安定な立場で、正社員とは比較にならない賃金で生活しています。
それでも物価が安く自宅で生活している分には食うには困らないにしても、労働の不規則さと将来の見通しが立たないことで結婚して家庭を持つという未来図を描くのが困難な状況にあるのは、若手経営者はもちろん農業者と比べても大変ですし、前2者が行政や商工会議所・農協など関係団体との関係が強いのに対してほとんどバックアップしてくれるものがない立場でもあります。
それだけに、婚活以前に正規就業へのサポートからはじめる必要があるほど息の長い支援が必要ですし、そのためには縦割り行政の枠を超えた取り組みとしなければなりませんので、それこそ子育て支援課と同じように若者支援課を設置してトータルでサポートするくらいの思い切った対策を打つべきだと思います。
実際のところ、私自身も派遣で働く若者の声を聴く機会がありませんので、もしご自身でも家族としての立場でもお話しくださる方がいましたら、ぜひご一報いただきたいと思います。
2015年4月2日木曜日
自主防災会の連絡組織を
これにひきかえ、弘前市では約300の町会がありますが、そのうち自主防災会を組織しているのは100にも満たない状況ですし、ましてや連絡組織を立ち上げようというような機運はまったくありませんが、相馬地区では2年前に全16町会で会が組織されています。
今回は、自主防災会のあり方を考えてみたいと思います。
相馬地区では、3年前にろうそくまつりの沢田、峰越林道で秋田県までつながっている藍内の最措く部にある最奥部の2町会で結成され、翌年には残り14町会でも組織化が進められましたが、当時の構想では全16町会をつないでの連絡協議会をつくることをもくろんでいただけに、八戸市に先を越されたのは残念でした。
これは、当時の種沢相馬総合支所長の構想で、村出身だけあって本当に機能するための規模としては町会レベルではなく中学校区単位での連携が’必要と考えてのことでしたが、全町会で結成されたものの当の支所長が退職となったことで、構想は棚ざらしになって今日に至ります。
結成時には備品購入のための補助金が支給されることも結成を早くした理由の一つですが、実際には自家発電機以外は緊急よりも日常の町会活動で活用できるものを買いこんだようなものでしたし、集会所の避難訓練は行っても自主防災会が動くような訓練も行われておらず、開店休業といわれても仕方のない状況です。
これは、いざとなったら消防団が活動するから大丈夫という思いがあるからだとは思うのですが、消火や救助では先頭に立ってもらうにしても要援護者は誰々であって現在の避難状況はどうなのかを把握して消防団に動いてもらうのが自主防災会のめざす姿ですし、さらには消防が分団単位で動くことを考えれば、自主防災会も町会単位でなく分団が管轄する数町会で連絡組織を結成するのが必要です。
ところで、八戸市の81防災会が8割以上のエリアをカバーしているというのも、人口規模とカバー率からすれば分団規模で組織されているように推察されますので、相馬地区でも全町会で連絡協議会というよりも分団単位で4協議会を立ち上げた上で全市的な組織化を検討すべきだと思います。
八戸市に先を越されたのであれば、そこから早く学んでより機能する体制をつくる努力が市には求められていますし、それを尻を叩いてでも進めるのが議員の役割です。
2015年4月1日水曜日
エイプリルフールのマニフェスト
とはいえ、このまま張りつめ続けるのでは身が持ちませんし、本日はエイプリルフールにつき、大風呂敷なマニフェストを発表したいと思います。
それは、ロマントピアスキー場にモーグル専用コースをつくり、ワールドカップなどの国際大会の誘致とナショナルチームの拠点となる合宿施設を建設することです。
これまで、相馬中スキー部はアルペン3人複合1人ノルディック1人の計5人の五輪選手を輩出しましたが、1998長野五輪の石岡拓也から20年近くも途絶えているどころか、スキー部員すらいないのが実情ですし、スキーの相馬の看板を下ろさざるを得ない状況です。
これは、ナイター練習が毎日できない劣悪な環境、金がかかるという半分当たっている噂によるスキー離れ、さらには全日本レベルになっても層の厚い欧米勢には太刀打ちできない実力の差といった要因が組み合わさって、スキー人口の激減を招いているのですが、それならばまだまだ層が厚いわけではないフリースタイルの種目で世界にチャレンジするという方向転換は検討すべきことだと思うのです。
スノーボードまで切り替えてもいいのですが、その昔相馬のわらはんどはスキーの前にはプラスチックでできたミニスキーをはいて頂上から直滑降したり、けやぐと競争したり、細かいターンをしながらコブを見つけてはジャンプしたりして遊ぶところから雪とスピードに親しみ、そこで目を引いたのがスキーに誘われるというじだいがあっただけに、決まったコースでタイムを競うアルペン以上にモーグルやスキークロスに向いたDNAを持っているのです。
もっと夢を広げると、ここにトレセン用の合宿施設を整備すれば、夏のラグビー合宿に活用できる距離でもありますし、五輪合宿候補地に名乗りを上げている運動公園までも30分はかからないのですから、スキーにとどまらない効果も見こめます。
こんな時季外れの話を持ち出したのは、スノーリゾートとしての津軽を世界に向けて発信している方と午後に語らってインスパイアされたこともあったからですが、シーズンがはじまる前ではなく終わったばかりの今だからこそ考えておかなければならないことがあるのは嘘どこらか必要なことだと思っています。
それに、政治は生活に根ざしたものでなければなりませんが、一方では市民に夢を見せるものであるべきですから、この夢想がまっとうなマニフェストになるよう考えていきたいと思います。
2015年3月31日火曜日
医療崩壊に先手を打とう
これでただちに救急が機能しなくなると言うことではありませんが、この数年は考えることもなくなった医療崩壊について先手を打っておかなければ、気がつけば手遅れともなりかねません。
振り返ってみれば、8年前の市議選の頃には医療崩壊が声高に叫ばれ、私も重要課題の一つとして問題提起しましたし、当選後には議員全員に呼びかけての救急医療勉強会を3回開催し医師会でも講師派遣や会場提供などで積極的に協力してくださり、弘大では卒業生でもあるこの分野のオピニオンリーダーである本田宏先生の講演会を開催するほど、当時は市政サイドも医療側も危機感を共有していました。
3年後の市長選までには弘大附属病院に高度救命救急センターが整備されることになったので、救急という難題は争点とはなりませんでしたし、その後は県と連動しての健康寿命アップによる短命県返上の方向に力点が置かれてきましたので、救急の問題は忘れられてきたのです。
この間も、弘大医学部への地元からの推薦枠が広がったものの市立病院など津軽の病院への研修医希望が伸びないというほころびは見えていたのですから、より早い段階での対応が必要であったというのは後の祭りな話ですし、この点は反省しなければなりません。
一方、5年前にまとめた「市政を変えるマニフェスト」では、医療に関して健康福祉戦略会議を設置し、その後医師会から特別職を招へいして戦略室をおくことで、行政と医療の連携を密にし津軽一円の医療体制をリードすることを提唱しています。
これは、葛西市政での「医都ひろさき円卓会議」という形で協議の場ができて反映されたばかりでなく、医療ではないものの民間からの登用がはじまり未来戦略センターでは医療や介護の問題にも踏みこむとしていますので、マニフェストのおいしいところを持っていかれている気もしますが、今回の救急輪番離脱の事態に直面してみますと、医療の特別職がいて先手を打ってくれていればと思ってしまいます。
これだけが解決策とは思いませんし、何よりもスピード感を持って対策を打ち市民に安心感をもたらす必要がある問題ですので、こういう時にこそ緊急で円卓会議を開催して医療サイドからのアイデアを受けとめてこそ、設置の意義があるというものです。
これはきっと、市議選後の焦点となる問題ですので、市民の皆さんにも関心を持っていただきたいと思いますし、私も関係者の一人として積極的に動いていきたいと思います。
2015年3月30日月曜日
メールサービス次々と終了
これより早く除雪通知メールも安心・安全・生活情報メールも終了の案内がありましたので、私からすれば連動の工夫をしてでも続けてほしかったメールサービスが全滅することになってしまいました。残念です。
除雪と生活情報は違うシステムでのメールサービスになるのだそうですが、市メルマガに関してはFacebookやTwitterでの情報発信があると誘導していましたが、自分で見にいかなければ確認できず、その上ドンドン他の情報と一緒に流されていってしまうプル型では気づかずに終わることも多いですし、プッシュ型であるRSSでも一定期間たてば情報は消えていくだけに、テキストで永久に保管できるメールでの情報提供が行政としての情報発信に最適だと思うのですが、いくらやっても発行目標に届かない現状に仕分けされたのだと推察します。
FacebookなどのSNSや先日紹介したi広報紙というアプリといった最先端への適応は必要なことではありますが、枯れたサービスでも達成しようとする成果に見合うのであれば淡々と使うべきですし、今回の終了は少し前がかりになりすぎている感じがしますし、何よりなぜ発行目標に到達しなかったのかの反省がなされなければ、やめる意味すら見失ってしまうことになります。
私としては、一日分の最新情報のRSSをまとめた情報のみのメールサービスでも行ってほしいと思いますし、何といっても編集後記という形であっても個人の思いが見える情報発信はメルマガだけでしたので、Twitterでのつぶやきが無機質な最新情報だけでなく中の人の不用意な発言も時折あるようなやり方にチャレンジしてほしいと思っています。
その意味では、葛西市長が公式な所信表明などだけでなく、市長Blogやメルマガで自らの思いや新規施策の説明を語ることからはじめないと、職員が思いを発露させるのは僭越という気持ちのままでしょうし、市民にも思いや真意が伝わりませんので、このことは提案したいと思います。
2015年3月29日日曜日
総会で立会演説会
相馬地区には16の町会があり、今年は第5日曜があったために4日に分散する形となり、21日3町会・22日4町会28日1町会、今日は8町会で総会が行われ、相馬出身の現職2名と私とであいさつ回りをしましたが、それぞれの地元町会には遠慮してもらう暗黙の了解とある町会からは全員よく知っているからわざわざのあいさつ不要という申し渡しがあり、実際には12町会であいさつさせてもらいました。
私としては、せっかくの機会であり同じ町会長として先方との連絡調整にあたった責任もあり回れるところすべてに足を運びましたが、現職は他の用事を優先させて欠席することもありましたが、ある程度支持がはっきりしている地元よりも他での働きかけが大事だという思いもあってのことと推察されます。
開会前もしくは閉会後の懇親会に移るところで時間をいただく形ですので、長々と自分の思いや約束を語るわけにはいきませんが、それでも現職の二人でも是々非々で臨んだことを強調するのと定数削減を実現させたと主張するように、議会での役割や立場の違いがはっきりわかるだけに、短い時間であっても立会演説会の意味合いがああります。
私の場合は、まずは4年前の落選のおわびをし、一市民としての4年間や町会長としての立場から見える市政の問題を何とかしたいという思いで議場に戻りたいことを主軸にしながら、それぞれの町会とのかかわりにつながる話題を織りまぜる形で話しましたが、こうして語っているうちにどこに力点を置くべきかが見えてきますし、あいさつの機会が現職に比べて少ない立場だけに、一種のリハビリにもなっています。
ちなみに発言順は長幼の序を守っていましたので、現職二人がジェントルに3人全員の当選や投票率アップを訴えた後で一番非力な私にぜひともご支援をと締めくくる形でした。
何はともあれ、あいさつ回りに明け暮れているうちに投票日まで1ヶ月を切りましたので、もっともっと動いていかなくてはなりませんし、それにしても盛り上がりを感じられない低調さを打開していかなくてはなりません。
2015年3月28日土曜日
マイスターは指定管理者
今回の講師は、LCで一緒した三浦造園の三浦利吏さんで、先日すぐれた技術者として弘前マイスターに認定されたばかりでしたので、旧知の仲間が自分の仕事である日本庭園と市の文化財である瑞楽園についてどんな話をするのか楽しみでした。
少し遅れての参加となりましたが、日本庭園の流れから津軽の庭園の歴史、庭園の造作物の見方、それをふまえての瑞楽園庭園の特色を気どらない雰囲気で語ってくれ、つくばいと手水鉢の違いでは「こういう詳しいことは造園業者でも知らないことが多いので質問しないでください」とオフレコ話を盛りこむなど、楽しく勉強になりました。
さすがマイスターと思いながら資料に目を通していると、この庭園の指定管理者は三浦造園となっており、後ほど聴くと昨年から受託しているのだそうで、この講演会も指定管理者としての自主事業の一環なのだそうです。
それでもなかなか来園者が増えなくて市から尻を叩かれることが多く、新年度には佐藤ツリばっちゃの津軽昔こ村の皆さんによる昔話や渋谷伯龍さんの津軽弁講座なども企画しているのだそうで、両方とも野田村支援でお世話になった私としては庭園のすばらしさを見るためにも何度も足を運ぶことになりそうです。
それにしても、市が認める人材が市の文化財を管理し、そこで新たな取り組みをはじめるというのは、指定管理のあり方としてもいい事例ですし、もっと拡げていくべき方法だと思いますし、それだけの人材がいるのも弘前市の強みです。
早春の陽ざしばかりでなく、明るい気持ちになるひとときでした。
2015年3月27日金曜日
アプリで広報ひろさきが読める
「i広報紙」というのがそれで、市のだけでなく函館市や宮古市など数十の登録自治体の広報紙も一緒に購読することができますので、他市の情報を得たり広報紙のできを比較することもできます。
また、記事を選択してスクラップブックに保存できたり、主要な電話番号がわかる「くらしの電話帳」という昨日もあって便利ですが、広報紙そのものを写真データかしたものなので、記事内の電話番号から発信したりURLジャンプできないのが唯一の弱点です。
何といっても、町会長として毎号配布している広報が届いてもいないうちにiPhoneで購読できるというのは、うれしいような今後の配布作業が徒労のような複雑な気分ですが、まずは皆さんにもお試しいただきたいと思います。
それにしても、広報そのものは県下の広報紙コンクールで最優秀を今年も受賞しましたし、市のサイトも3月にリニューアルされ、最新のデバイスやアプリにも素早く対応していくなど、情報発信の分野ではめざましい進展が目につきます。
また、市役所やヒロロ、弘前公園など公共の場にWi-Fiが用意される箇所も増え続けており、在職時に無線LANの整備を要望してもけんもほろろだったことやTwitterアカウント取得にも壮大な手間がかかったことがウソのようです。
ただ、「いいね!」が県下一といわれるFacebookページを持っていても、情報発信はしてもSNS本来の機能である双方向のやりとりというのはされていませんし、NHKのTwitterアカウントなどで中の人の思いが見え隠れするのが話題になるようなこともおきませんし、生身のやりとりがないのは広報であっても広聴の部分が欠けているように思います。
この部分では、広報があってこその広聴になるわけですが、広聴広報課ばかりでなく各課の課長補佐以上であれば自らの発言に責任を持ちながら市民からの質問に答えたり取り組んでいる事業に対する思いを発露するような取り組みが次の段階として検討してほしいと思います。
ちょうど、部長級である佐々木公誠さんが人材育成課から広聴広報課に異動となったところですので、期待したいと思います。
2015年3月26日木曜日
予約型乗合タクシー拡充の前に考えるべきこと
この予約型乗合タクシーの問題点は先日指摘したとおりですが、フォローアップというにはお粗末なまま本格的に展開していくことに懸念を感じます。
紙上では、昨年2月からの実証実験でバス運行当時とほぼ変わらない利用者があり、一方で赤字幅が6.3万円から3.4万円へと大きく減じることができたのが最大の成果のように報じていますが、利用したいと思っても利用できない時刻表のままだったり携帯型予約機の実験までしても当日の流れで帰りの便の変更が気がかりで結局タクシーで帰ってきてしまうといった利用者の声よりも、とにかく赤字を何とかしたいというのが見え透いてしまう記事でした。
この事業によって、弘南バスの赤字縮小ばかりでなく、乗合型タクシーを請け負ったタクシー協会には補助金が入るというプラスがありますが、それを補てんするのが市の財政なのですから、結局は市民にツケが回ってくるやり方です。
これを仮に市内全域の赤字路線で展開するとなれば、現在の一社対応ではとても不可能な話ですし、通学通勤のために便数が必要となる朝夕にタクシー会社が全力をあげて対応すれば今度はタクシーを利用したい本来のお客様や観光客への師匠も考えられるだけに、新年度策定を予定している地域公共交通再編実施計画でしっかりとしたニーズ調査や影響を分析した上で、一ヶ所ずつ実施路線を増やしていくくらいの慎重さが求められる問題だと思うのです。
路線ごとの成否という問題もありますが、コミュニティバスの成功事例では総じて地域の協力ばかりでなく地域が主体となって活路を見いだす動きを見せているのに対し、相馬での実証実験は市と業者とで話を決めて地元に押しつける形ではじまり、その後も中間報告もなければ住民から意見要望を聴くという場ももうけないままで、バス問題を地域の自分ゴトとしてかかわってもらおうという姿勢がまるでありません。
最初の実験台ですらこんな状況では、全面展開ともなれば有無を言わさず切り替えていくのは必定でしょうから、赤字路線の郊外部では軒並みバスを奪われて場当たり的な乗合タクシー導入となり、早晩全面的には展開できない仕組みだと明らかになって、利用者の少ないところから切り捨てられていくという暗い未来図が予想できます。
こんな赤字幅圧縮でも手柄として、県から出向している浅利都市計画課長は相馬に足を運ぶこともなく都市環境部長へと昇進するのですから、何とも虚しい気がしますし、本当に地域における公共交通問題を自分ゴトとして考えてくれる職員が市民と一緒に取り組むという体制にはなり得ない現状に怒りすら感じます。
先日も警告しましたが、今度は本当にあなたの地域のバス路線がターゲットです。同じ立場となる皆さんと手を携えて対抗していきたいと思っています。
2015年3月25日水曜日
野田村を姉妹都市に
支援にかかわってきた者としての思いは別のBlogでお知らせしたとおりですが、支援から交流へと言われながらも、現実には交流の絆は細くなっていく一方で、昨日も一番最初のご縁をつないでくださった方から、「忘れないでください」と言われたのが耳に残っています。
震災から何を学ぶかについては先日述べたとおりですが、せっかくのご縁を生かし続けていくために、野田村を新たに姉妹都市とすることを提言します。
現在、弘前市には群馬県太田市・北海道斜里町の二つが姉妹都市で、太田市は江戸時代の弘前藩の飛び地があったこと、斜里町は北方警護の藩士が殉難したのを手厚く祀ってきてくれたことを所以としています。
ちなみに、旧岩木町では北海道美瑛町・ミルウォーキー市が姉妹都市であり、旧相馬村にはありませんでしたが、旧岩木町の分は継承されず、旧弘前市のものだけが続いている形です。
今年は3市町村が合併して10年ですが、この間で一番ご縁が深まったばかりでなく弘前市の名を高らしめてくれた最大のパートナーが野田村であるのは論を待たないところです。
この節目の年に、そのパートナーとのご縁を今後とも大切にしていくと内外に宣言するのに姉妹都市というのはうってつけのものですし、弘前市は大震災を忘れないと誓うことにもなります。
これが実現すれば、桜まつりや食と産業まつりなどで野田村の産品を販売してもらったり、ねぷたまつりへの招待が再開するといった働きかけもしやすくなりますし、そのことで商工関係者もイベントだけでなくビジネスの面でも目を向けてくれるきっかけになるはずです。
また、海を持たない弘前市が海のある野田村から恩恵を受けたり、雪のほとんど降らない野田村の子どもたちをスキーに招待するという相補的な交流も考えられますし、逆に実際は野田村は海のエリアより山間部での生活圏が広いだけに、地形的にも人口的にも同規模となる相馬地区との地域間交流を進めるといったアクションがいくつでも起こせます。
規模が釣り合わないというのであれば、野田村だけでなくお隣久慈市は津軽家の出自の地という説がある旧縁あるところですので、北三陸2自治体との縁組で注目を集めるのも考え方だと思います。
この姉妹都市での交流継続はぜひとも実現させたいと思いますし、そのことを必ずや主張提言したいと思っています。
2015年3月23日月曜日
選挙管理委員会に期待する
明日の新聞で人数や新旧の内訳はわかるでしょうから、今回は説明会の質疑応答で気になったことを記しておきます。
まず、選挙公報の原稿について畑山市議が提起したことですが、提出された原稿をそのまま写真製版するのであればデータでの提出の方が手間がかからないので今回は無理でも次回に向けて検討してほしいということでしたが、これは言われてみればそのとおりですので、ぜひ実現してほしいと思います。
そして一番やりとりが続いたのは、ネット選挙に関することで、届け出の際にWebサイトを記入とあるが記入したものだけ利用できるのかFacebookやTwitterも記入しておかなくてはならないのかという最初にありました。
続いて、一般ユーザーがシェアやRTするのはどうなのかという質問があったのですが、選管事務局ではそこまで検討していなかったようでしどろもどろに禁止されていると答えましたが、候補者側でコントロールできるものではないだけに、出席者の間でも禁止だ解禁だとやりとりがはじまり、さらにはうちの陣営には無縁だという発言があったりで、ざわついてしまいました。
この件に関しては、ネット選挙解禁以前にもサイトを更新しツイートしてもおとがめはありませんでしたし、一般ユーザーが勝手に拡散させるのであれば、そこまで目を光らせることは不可能ですから、禁止とはいっても実際にはやり放題だと思いますが、陣営で拡散を画策するのであれば悪質なだけに摘発の対象となることもあり得ると思います。
それにしても、解禁後に市長選挙がありましたので、ネット選挙に関する想定問答はできているものと思っていましたが、そこで何も突きつけられなかったせいか、まったくの準備不足が露呈してしまっただけに、選挙管理委員会は大丈夫なのか心配になりました。
それでも、12月には来年の参議院議員選挙では実現させたいと悠長な話をしていたヒロロ・弘大での期日前投票を、低投票率打開のために今回の統一地方選まで繰り上げた実績もあるだけに、選挙への関心を高めるネット活用の弾力的運用も積極的に進めてほしいと思います。
何はともあれ、今の選挙管理委員長は相馬村出身の成田満さんですし、ぜひとも当選証書をいただけるよう、がんばりたいと思います。
2015年3月22日日曜日
進む経営計画と消えた庁内FAのはざまで
この二つのことは何の関連もないように見えますが、ともに評価にかかわることだけに一緒に論じてみたいと思います。
経営計画は、これまでの基本構想や基本計画部分だけでなく実施計画や事業目標まで全体が議決事項となっているため、その改訂には議会での承認が必要となります。
今回は、「改訂基本方針」によると、市長マニフェストの推進/アクションプランの 4 年間の総括に基づく改訂/経営計画において新たな取組を検討することとしたもので事業化すべきもの/スクラップ等による事業の重点化、集約化に伴うもの/地方創生に係る取組/オール弘前体制の推進に係る取組の6つの枠組みからの見直しで、市議会では全員による経営計画特別委員会を組織して審議したため、報告が省略されたのと概要については市のサイトでも公開されていませんので、内容については確認することができません。
それでも、PDCAサイクルに沿って年度ごとの見直しがきちんと動いていることは評価できますし、その中で個別事業の評価も行われているものと受けとめておきたいと思います。
これに対して、一時期話題となった庁内FAですが、新年度には実施のはずが年度初めの異動では行われていないようですし、年度途中で実施するのは混乱を招くだけですので、このまま行われないと思って間違いないはずです。
その問題点は先に指摘したとおりですが、プロ野球のFAでは年数ばかりでなく出場試合数という実績が伴っている選手にしか行使できない制度であるように、市職員においては個人の人事評価で一定の基準を上回る評価を得ていることが前提となるはずですが、そこまでの人事評価制度を市では確立できていないことが、何といっても実現をはばんでいると思います。
先ほど事業の評価は行われているものとしましたが、事業をチームで実行している中で個人個人の評価とどう連動させていくのか、FAできるだけの実績を上げた職員には達成度の低い事業を抱えている部署をFA先に限定するといったルールづくりを行わない限り、実施できるものではないはずです。
その意味で、経営計画と庁内FAは連動していくべきものですし、そこでしっかりした事業実施と評価が行われるよう、組織の改編も総合計画と同じく4年に一度とすべきだと思います。
何といっても、人事評価制度の構築なくして納得のいく人事異動は行えないのですし、そのことが職員が安心してやる気を持って仕事に向き合える環境づくりにもつながるだけに、これからも注視していきたいと思います。
2015年3月21日土曜日
納得のいかない人事内示
何といっても部に昇格した庁内シンクタンク「ひろさき未来戦略研究センター」のトップに誰をすえるのかが注目だったのですが、山本昇氏がそのまま経営戦略部長兼務の形でスライドし、なおかつ県庁を退職して市職員になるのがわざわざ囲み記事になったので、納得がいかないというより呆れてしまいました。
前にも庁内シンクタンクの位置づけを論じたとおり、私はシンクタンクのトップには生え抜きの職員を置くべきだと思っていますし、部に昇格したからにはなおさらのことだと思うのですが、葛西市長はあくまでも市職員を信用したり育成しようという気はさらさらないようです。
その証拠に、今年度出向してきたばかりの浅利都市計画課長をあっという間に都市環境部長へと昇進させており、さらにはインバウンド対策と称して市内の観光事業者である「JTSみちのく」の小笠原潤氏を部長格で登用しているため、部長職の人数が定められている職員体制からすれば、市職員が部長となる枠が2つも奪われており、これでは自分たちはがんばっても報われないという気持ちが強くなる一方なのではないでしょうか。
そもそも、山本氏は県で課長級でもなかったはずですし、そのキャリアや一般質問での答弁内容から判断しても市の課長であっても大抜擢というレベルだと私は評価していますし、その評価以前に県から出向した職員が市職員となる場合の要件を定めておかなければ、市長のえこひいきがまかり通ってしまうだけに問題だと思うのです。
このことは、人事における透明性にかかわることだけに、山本氏一人にとどまらないことですので、再起の際には必ず問いただしたいと思います。
もう一つは、市の重要政策を抱えている部署にこれまで担当したことのない職員が唐突に回されていると思える異動が散見されることです。
具体的にあげて申し訳ないのですが、一人は議会事務局や人事課長といった内部での事務方が多く、あまり外とのかかわりのある部署を回っていないように思う桜庭市民文化スポーツ部長で、協働のまちづくり基本条例施行に際してトップにふさわしいのか気がかりですし、もう一人は商工中心で介護保険には無縁であった高校同期が介護福祉課課長補佐となったことで、介護保険料据え置きという緊急避難を行って今後3年間で状況を好転させなければならないのに素人が担当するのでは、本気で何とかしようとしているとは思えないからです。
職員や関係者であれば、ミスマッチにさらに目が点になっていることもあるように思いますし、健康福祉分野や商工系といった大枠の中でのゼネラリストならまだしも、市政の端から端まで渡り歩くようなキャリアパスは時代に適応できないと思いますし、せめて課長以上は経験のある分野に限って担当するようなルールが必要だと思います。
葛西市長は、人事や組織改編にもスピード感を重視しているのかも知れませんが、こういうひずんだ状況を見ていますとスピードよりもオープンであることを大事にしてほしいと思います。
2015年3月20日金曜日
ゴルフ場よりウソが問題です
特別清算補助金に関しては市民による行政訴訟が行われており、昨年8月からのNPOリベロ津軽による指定管理で順調に利用者が増えていることで、もはや議会で争うべきものはないという判断なのでしょうが、ゴルフ場問題市民ネットワークの代表幹事としてかかわって知り得た情報と市議への再起をめざす立場からすると、今こそ議会が市と対峙する必要があると思うだけに、歯がゆくて仕方がありません。
市はこれまで市民ゴルフ場に関しては、社会体育施設としての必要性は主張しながらも、出資している以外に経営責任はなく、役員となっている市幹部職員は個人として加わっているという答弁や記者会見を一昨年まで続けてきました。
それが6月定例会では、管理棟などが第三者の手に落ちる懸念があるとして破産ではなく特別清算でなければならないと強弁し、その特別清算を成立させるために債権者に対して5%の配当を実現させる必要があるとして862万円の特別清算補助金を支出するのを強行したわけです。
この際、6/13付で議員に対しても前例のない資料配付だと自ら認める文書を出すほどドタバタしていたように見せていたのですが、2日前の6/11には市民文化スポーツ部内で部長までの押印のある稟議が回っており、そこには添付した試算表や特別清算スキーム図といった綿密に内部で検討されたのが明白にわかる資料があり、5%という設定も市が行っていることが明らかです。
このことは、WF社の経営破綻とゴルフ場存続を一手に市が引き受けて、市が主導して解決にあたったことを物語っていますが、ネットワークによる監査請求の際には白日の下にさらされているこの資料をもとに、市が方針転換したのか、はたまた以前から主導していたのを隠し続けていたのか問いただした議員はいませんでした。
それが、今回の行政訴訟では市が主導していたと自ら答弁書に記していまして、それからすれば市は市民や議会に対してウソをつき続けていたと白状したわけですので、これほどの議会軽視はあり得ないのにもかかわらず、今定例会で指摘追及しようとする動きは皆無だったのです。
振り返れば、第3セクター評価点検委員会からは廃止を申し渡されていたゴルフ場を、WF社鳴海康安社長が葛西市長の後援会長である所以をもって社会体育施設としての必要性を私的懇談会に答申させて存続を図った際には、まだ方針転換のアリバイづくりがあり、説明責任は果たそうという姿勢があったと百歩譲って認めてもよいのですが、今回に関しては説明もないままに裁判においては公益性を主張するために自らウソをついていたと白状するのは、卑怯としかいいようがありません。
裁判そのものは補助金支出の公益性を争うことになりますが、市民や議会にウソをつくことこそ公益性を失墜させることだと思うだけに、このことが問題とならない議会にも失望してしまうのです。
ゴルフ場そのものが市民にとって必要なのかという議論もしていくつもりですが、市民に対するウソという根本にかかわる問題は、必ずや追及していくつもりです。
2015年3月19日木曜日
合併と人口減少問題
その総会の事業報告で、東目屋地区団との協議というのがあったので懇親会の席で教えてもらったのですが、現在は第5方面団といっても相馬村消防団がそのまま移行した形だったのを、4月から東目屋地区団を第3方面団から分離して第5方面団に加えることになったのだそうです。
先日の東目屋地区の酒蔵・白神酒造の火事の際にも相馬地区団も出動したように地理的にも近く、たった4分団で方面団を組織しているのもどうかと岩木地区の第4方面団との統合という案も出ていたそうですので、東目屋4分団とあわせて2地区団8分団体制で存続できるというのは、また合併で失うものが出るよりよっぽど助かる話だと受けとめました。
相馬から見ればありがたい話ですが、一方の東目屋からすれば相馬の下になるのかという半ば悔しい思いをしているのではないでしょうか。
昭和の大合併の際に、中津軽郡16村のうち岩木村・大浦村・駒越村(この3村が合併して岩木町)・相馬村・西目屋村の5村は弘前市との合併に加わらなかったのですが、この5村の真ん中に位置していた東目屋村は合併して長らく弘前市には飛び地が存在していたのです。
合併後は出張所・交流センターが置かれたものの、それ以外に目立った取り組みがあったとは聞こえませんし、消防団の件ばかりでなく西目屋中と東目屋中の統合の件でも地区の意志より市の意向で動かされてしまう形ですので、当時の合併で得たものは「弘前市民である」というプライドだけだったように思います。
相馬村より少し小さい規模の東目屋地区ですが、もし仮に昭和の大合併に加わらずにいれば、流れからして東目屋総合支所が置かれて個別の地域計画が策定されたはずですし、人口動態からすれば過疎計画や特別豪雪地帯の適用も受けることができたはずですから、60年前の決断は正しかったのか無念に思う人もあることでしょうし、今回の合併では岩木・相馬との格差ばかりかとばっちりまで受けているとすら感じているのではないでしょうか。
定例会でも常盤野・十腰内・十面沢の3へき地保育所が閉園と決まったように、国としての人口減少や一極集中ばかりでなく、市でも周辺地域と中心部で同じ状況がすでにはじまっていて、その中で地域を維持していくためにどの施設を残しどのような施策を展開していくかは、合併時の旧村単位で考えているわけにはいかないことだけに、今回の東目屋の件は自分ゴトとしてとらえておくべき問題です。
それだけに、相馬にいつまでも総合支所があるという保証はありませんし、市全体のバランスを考えるべき市議という立場から冷徹な判断を受け入れなければならないこともあるでしょう。
いつかは東目屋と同じ位置づけになると覚悟を決めて、その前にできるだけ行政頼みではなく地域力で自立していく努力をするのが、相馬の住民としてのあり方だと思っています。
2015年3月18日水曜日
最後の傍聴記
最終日には、各委員会での審議および議決について委員長から報告があり、それを改めて本会議の場で全員による議決が行われるとともに、追加案件がある場合にはそのまま審議採決が行われますので、その中でお知らせしておくべき議決についてお知らせします。
予算案・介護保険条例
新年度予算案のうち、一般会計・国保特別会計・介護保険特別会計の3つについては委員会(といっても全員参加ですが)で反対があったため、改めて議決が行われ共産党のみ反対という形でした。国保に関しては、2010年に国保料改定以来ずっと共産党が反対するという恒例の流れでしたが、一般会計についてはゴルフ場の指定管理料が含まれているにもかかわらず修正案提出や反対に回る議員もないという近年にない形で、介護保険についても問題だらけの介護保険料据え置きで取りつくろっている予算案であるのに反対が出ないというのは、審議の意味のない追認としか思えません。
私が議決に加わっているのであれば、一般会計と介護保険特別会計には反対です。
シンクタンク
1月に課の扱いで設立した庁内シンクタンク=ひろさき未来戦略研究センターですが、事務分掌の条例改正を行い、部として正副センター長に研究員18名という組織として4月から本格稼働することになりました。このこと自体は即座に反対すべきものではないと思いますが、そこまでの組織とするのであれば今後は外部コンサルタントに丸投げするようなマネをせず、自ら考えるやり方で臨んでほしいと思います。
協働によるまちづくり基本条例
自治体の憲法という位置づけさえされる自治基本条例の弘前市版ですが、この大事な条例が全員での議論ではなく厚生常任委員会に付託されたことに扱いのぞんざいさを感じますが、その委員会では全会一致で可決されたのが、本会議では畑山市議から「異議あり」の発言があり、たった一人反対に回りました。これまでの姿勢からすれば想定内の行動ですが、本気で反対するのであれば事前に反対討論の申し入れをし自らの所感を明らかにしてもらわないと、市民にはなぜ反対なのか見えないだけに残念でした。
議会基本条例
議員提案の案件は最終日の最後の最後に追加されるのですが、今後の議会のルールを定めた条例が議員全員での提案ということで、趣旨説明も質疑も討論も何もなく内容がまるでわからないまま成立してしまいました。市民に対して議会としての姿勢を示すつもりがあるのであれば、質疑はともかく全文朗読によって趣旨を伝えるべきだと思うのですが、それもしないところにたった半年の付け焼き刃で仕立て上げた模倣品でしかない正体が見えてしまった感があります。
今日も勇退する先輩議員から「帰ってきても過激なのは慎め」と遺言されたところですが、私の考える議会改革にはまったく役に立たないものと思っていますので、それこそ提案者に加わらず反対討論によって自らの思いを市民に伝えたかったくらいです。
いずれにしても、傍聴席にいては何もできない悔しさを最後まで感じてきましたので、これが最後の傍聴となるよう、がんばりたいと思います。
2015年3月17日火曜日
歴史とまちづくりをつなぐ
今回は、県内の縄文遺跡と大森勝山遺跡について学ぶ基調講座と県内主要遺跡からの報告、そして午後からは遺跡の活用をワークショップ形式で自由に考えるという流れでしたので、最後まで参加できなかったのが本当に残念でしたが、この形は歴史を学ぶこととそれを生かしてまちづくりを考えるという一石二鳥の取り組みだけに、もっと広がっていくべきだと思います。
これまでの形であれば、歴史を学ぶ講座であれば年配の方々が多く、まちづくりとなるとJCや大学生といった若い顔ぶれと分かれているのが、今回は双方が参加する場となったことで、若い世代が縄文遺跡の価値を理解するとともに、年配の方々がワークショップというなじみのないスタイルでの意見の出し合いを経験することになり、ともに刺激のある時間だったことでしょう。
これまでも、相馬の長慶天皇伝説や三和地区の砂沢遺跡、はたまた船沢地区出身の前田光世といった地区と結びついた歴史テーマについてふれてきましたが、石川城や和徳城といった南部氏支配時代の歴史を持つ地区、大浦城や堀越城といった津軽氏による津軽統一の拠点、さらには各地に点在する神社仏閣などを学んだ上で活用を考える取り組みを、もっと自由な形で進めていくことが広がれば、保存一辺倒でも現在の課題のみに縛られるのでもない形でのまちづくりができるのではないかと思います。
実は14日の午後にはヒロロで都市計画課が主管する「まち育てミーティング」も行われたのですが、昨年度の実施地区であった経験からすると、地区で行われたワークショップには歴史を掘り返す視点も持っているだけに、フォーラムとミーティングが別々に開催されるのではなく、主管課や団体が別であっても同じ方向性を持つものをリンクさせたり一緒に考える場をつくっていく連携や工夫が必要だと思います。
これは縦割り行政の中では難しいことのように思われますが、取り組まれていないだけに形ができた場合の起爆力は大きいでしょうから、歴史とまちづくりばかりでなく都市計画や景観でも組み合わせて一緒に考えていくことを提言していきたいと思います。
2015年3月16日月曜日
教育にエアポケットがあっていいのか
今年度から前期後期制をやめて一発勝負となったばかりか、岩木高校の閉課程や弘前高校の1クラス減などもあり、市内の普通高校が進学校ばかりになってしまうという厳しい状況で、同級生でも涙をのんだ結果になった子もいて、何とも無情な仕組みだと思わずにはいられません。
この件に関しては、保護者としての怒りや在職時に無力だったことへの反省をこめて「かく語りき」に記しましたし、以前にも市立高校設置を提言したこともありましたが、改めて高校教育というエアポケットについて考えてみたいと思います。
現在の教育の仕組みでは、小中は県採用の教職員であっても市立ということで市教育委員会の管理下に置かれていますし、大学は国立私立の別はあっても大学コンソーシアムなどで学生の活動を支援する形が構築されてきていますが、高校に関してはそこまでの関係がないままで、市の教育とは一番離れたところにあるように思います。
確かに高校の場合は、市内に収まるどころか津軽南地域を超えて西北五地域までカバーするだけに市教育委員会で管理するというわけにはいかないのが現状でしょうが、消防が統合して広域なエリアをカバーする事務組合となっているのと同じことが教育でできないということはないはずです。
とりわけ少子化が進む中で小中そして高校再編が今後も検討されていくことになるにあたっても、地域の中での教育をどうしていくかを考えるにしても、小中と高校を一体的に成り立たせていく必要もあるでしょうから、今の教育委員会のあり方も見直すべきだと思います。
その意味では、自治体の首長が教育に関与する方向性よりも、より広域な地域教育を大所高所から進めていくことのできる教育のリーダーに任せていく形の方がいいと思いますし、県内で最も政策的判断ができる柏谷さんが教育長を務める横浜町が真っ先にコミュニティスクールを導入するという現実を見ても、どちらがよいのか判断材料になるはずです。
コミュニティスクールが中学校区単位で実現し、地域の拠点としての位置づけが強まっていけば、合併で求心力を失いつつある旧役場=支所よりも頼りになることでしょうし、勝手知ったる地域のことを学区単位で解決していく取り組みが広がれば、議会は市全体のことだけに集中して議論する場に変質せざるを得なくなりますし、地域ばかりでなく姿勢に与える影響も大きいものになるはずです。
それだけに、高校だけは県教育委員会という形を変えていく意義はあると思いますし、これを市の立場から県に物申していく必要を改めて感じています。
2015年3月15日日曜日
登録有形文化財と前川建築
戦後の、それも現役の市役所として使用されている建物が指定されるのは、やはり前川建築の価値の高さだと思いますし、このこと自体は素直に喜びたいと思います。
このことで登録有形文化財という指定の価値も同時に理解できるわけですが、ご存じのとおり市役所と並んでいる旧第八師団長官舎は先んじて指定を受けています。
これが4月のスターバックス開業に向けて改修が進められているわけですが、一方の市役所は立体駐車場に続いて防災棟の増築工事が進んでいるところで、当面は市役所として機能させていく方向ですし、今回の指定をふまえると以前提言したような博物館として活用することも見送るしかないと思っています。
このように、同じ指定を受けている対象建築物であれば同じ取り扱いをすべきものだと思うのですが、市の場合は一方は指定を受けている価値を減じさせる改修・開業を臆面もなく進め、もう一方は指定を受ける前であれば検討できることもあったはずなのに市役所として使い続ける方針で進めてしまうという、矛盾した対応であることが問題だと思うのです。
とはいえ、すでに不可逆的な改修や決定が進められているものを論じても詮ないことですから、市所有の前川建築で古い方の市民会館や市立病院について、この機会にこれらも同様の指定を受けることを前提に維持活用を考えておくべきだと思います。
先年改修が行われたばかりの市民会館は当面使い続けていく形になるでしょうし、使用しないことになれば史跡としての弘前公園内に位置しているために取り壊さなければならないことになりますので、これは使用継続を前提に改修を続けていくべきだと思います。
もう一つの市立病院は、病院以外には転用できる建物ではないものの、津軽地域の中核病院としての機能を果たすには郊外への移転が必要となるはずですし、一方では旧一大小学校跡地と一体での再活用を図るべき位置にありますので、文化財指定を受ける前に解体を含めた検討をすべきだと思います。
市では、施設機能の集約と効率化のためにファシリティマネジメントを進めているところですが、文化財としての価値もふまえて取り組まなくてはならない難しさがあり、その焦点は市立病院ということになると思います。
市庁舎の文化財指定から話が飛んでしまったように思うかも知れませんが、こういう機会に考えておくべき問題があると思っています。
2015年3月12日木曜日
健康づくりサポーター押しつけに怒り
先日行われた町会連合会保健衛生委員研修会での説明にも引っかかるものがありましたが、役割としては町会から選出の保健衛生委員とほとんど変わらないものの、働きかける対象が町会未加入の市民まで拡げるための制度創設に重心が置かれているようでしたので、町会未加入者のために町会が新たに役職を市に推薦するのはお門違いな話なので、未加入者が多い地域で活動してもらえる人材を市が直接募集すべきだと反対をぶっておきました。
連合町会理事会に出席している地区連合会長によると、昨秋からすでに4回ほど理事会に上がっているそうですが、保健衛生委員との役割の重複といったことで異論を唱える理事も少なくなく、理事会として了承するところまで至っていないのだそうで、それでこそ自主独立の町会連合会の面目躍如と大いに共感したところです。
とはいえ、町会に市民自治の根幹があることを理解していない議会では何の問題もなく3月定例会での予算案の一部として可決されるでしょうし、それを受けて町会長宛に個別に推薦についての文書が発送されれば、事情を理解していない町会長であれば唯々諾々と推薦することでしょうから、すでに後の祭りという状況です。
そもそも、弘前市の自治基本条例である「弘前市協働によるまちづくり基本条例」でも、町会は市を構成する主体の一つとして位置づけられているはずですが、こういう扱いを受けると、市からすれば町会は何でも言うことを聞く下請け機関、町会長はパシリだとでも思っているのでしょう。
正統な位置づけと役割分担ができているのであれば、自分たちの町会に加入していない人たちのために新たな役づけをして苦労を押しつけるということはあり得ないことですし、代わりに動く組織がないので何とかというのであれば、協力した町会には何らかのインセンティブがあってもおかしくないと思うのですが、サポーター個人は無報酬、町会にも交付金加算があるはずもないのですから、バカにした話です。
今は町会長として怒ってますが、市議という立場からでもおかしいものはおかしいと言うつもりですし、この4年間で見えてきた市民自治での矛盾を解決するためにも、市政の場に戻らなければならないと思っています。
2015年3月11日水曜日
野田村から見る東日本大震災
死者・行方不明者に震災関連死を加えれば2万名を超える方々の尊い命を奪い、豊かな自然あるふれる東北の海岸の街並みを根こそぎにし、そして福島第一原発の事故によって帰るめどの立たない生活を強いている震災は、まだまだ終わるものではありません。
国立劇場の追悼式で、安倍総理は復興を加速させると大見得を切りましたが、天皇陛下は国民の苦労を励ますお言葉に終始され、そこにこそ被災者の心に寄りそう姿を感じたのは、私だけではないと思います。
私は時ならぬ猛吹雪で東北道が通行止めとなったので、青森市・八戸市回りで野田村での「東日本大震災津波 岩手県・野田村合同追悼式」に5時間かけてたどりつきました。
県との合同追悼式というのは、各被災地を持ち回りで行っているもののようで、達増知事や県議会議員諸侯ばかりでなく、小泉進次郎復興政務官や小沢一郎代議士の姿もあり、さらには来賓ではなく一般参列者の中に二年連続のさかなクンのいつものコスチュームもありました。
その来賓による献花の際に、自治体の最初に案内に弘前市長・葛西憲之の呼名がありました。震災直後から今までの支援を一番してくれた自治体への感謝を形に表していることに、参列した市民の立場で誇らしく思いました。
ひるがえって、当の弘前市では野田村からの感謝の思いはどれだけ伝わっているでしょうか?はたまた、市役所や支所ばかりでなく防災無線の届く範囲には14:46を期してサイレンを鳴らし黙祷を捧げるというアクションはあったのでしょうか?
実際に被災したり周りの人の中に犠牲者がいる立場である野田村の皆さんは、いつも心優しく私たちを迎えてくれますが、その笑顔の陰には悲しみと思うように進まない復興へのいらだちがあることを、折にふれて教えていただく機会があります。
そこまでの関係を築くのは一朝一夕にはいきませんが、せめてこの日この時間だけは震災の記憶を振り返り防災の思いを新たにする時として大事にしていくべきだと思います。
追悼式の後に行われたシンポジウムの基調講演に立たれた内藤廣・東大名誉教授が最後にお話になったのは、「人心は劣化する、そのために記憶を100年後に受け渡す工夫と努力が必要だ」ということでしたが、4年ですら風化しつつあると感じるだけに、非常に重い言葉として受けとめました。
被災しなかった弘前市だからこそ、震災を忘れない努力が必要だと改めて思います。
2015年3月10日火曜日
通告調から予算審議を仕分ける
今回、通告されているのは16名118項目で、9月の決算でも17名151項目でしたので、新年度で新規事業がいくつも並んでいるにもかかわらず、人数も項目も減少しているのが見て取れますし、さらにはそのうち重複している項目が10近くありますので、似通ったものに引きつけられていて、34人で構成されている視点の広がりが感じられません。
ちなみに、通告されていないものから私なら質問したいと思う項目が57も残っており、その中にはシティプロモーションサミットやハッカソンといった初めて取り組む事業も含まれていまして、なぜ誰も関心も示さないのか不思議です。
ところで、傍聴した午前中には何本かの補正予算が上程され、何ともエンジンがかからないような低調な質疑が続き、藤田隆司市議からは5W1Hでテキパキと答弁するようにとまで指摘されるような冗長な答弁が続いて、あろうことか補正予算すら終わらないまま昼食休憩に入ってしまいましたが、これには国の補正予算に連動して本来は来年度当初予算に計上されるべき地方創生などの内容が今年度の補正予算として並んでいることも影響しています。
これは逆に考えると、通告に縛られない補正予算のところで来年度のことを質問するチャンスなのですから、それだけ突っこんだ論戦をしてほしかったのですが、資料を読みこむ目を引きつけるようなやりとりではなかったのが何とも残念です。
また、通告される項目の少なさに質問時間制限が影響しているのは明らかですが、もう一つ出てきているのは事前通告をせずに通告者からの質問が終わったところで聞き出せていない項目を取り上げて通告外の質問をするというやり口です。
これは以前からの慣例で、通告していない款であれば通告外の質問をしてよいが通告した款ではそれ以外の質問ができないという縛りを30分の制限時間のために有効に使おうという考えからでしょうが、一部分しか傍聴できなず通告調に目を通して確認するしかない市民からすれば、通告していない議員は質問しないものという判断になるでしょうから、そのやり口でいいのか考えてほしいものだと思います。
質問時間制限そのものは悪法でしかありませんが、それを定めた立場なのですから、抜け道をさがすことより、正々堂々30分を使い切って、この議員にもっと質問をしてほしいと市民に思わせて改善の声を上げさせるくらいの論戦を見せるべきだと思います。
いろいろと注文をつけましたが、実際にどのような質疑となるのか、関心を持った市民の皆さんが明日から一人でも傍聴に足を運んでくだされば何よりです。
2015年3月9日月曜日
国政問題への向き合い方
国政の問題に関心があるのであれば国政選挙に打って出ればよいこと、というのが基本的な姿勢ですが、市政においても向き合う場面が生じることですし、改選後に会派を組むといった場合にも政治姿勢で共通項があるというのが基本的に必要なことですので、この機会に明らかにしておこうと思います。
原発・核燃サイクル問題
安倍政権は、早期の再稼働に突き進もうとしていますが、震災支援を通じて何度もおじゃました福島県の現実を知る立場として、再稼働など以ての外ですし、このまま稼働させることなく廃炉に向けて舵を切るのが政治の責任だと思っています。当然のことながら、青森県には六ヶ所核燃サイクルも東通・大間原発も必要ありません。
TPP・農協問題
交渉が難航しているように見えるTPPですが、対米従属しかできない安倍政権は最終的に農家や日本の産業よりも政権維持のために法外な条件でも呑んでしまうことでしょう。地元では反対のふりをしている国会議員が最終的にどんな態度を取るのかを注視していく必要があります。また、農協に改革の必要があるとは思いますが、今回の改革では農業がよくなる性質のものは含まれておらず、政権の言うとおりに動かすための解体を狙っただけのものですので、今回に関しては反対です。
集団的自衛権
不戦を掲げる日本国憲法を拡大解釈して自衛隊が生み出されているのに、さらにあり得ないような事態を想定して解釈改憲に走る集団的自衛権など、認めるわけにはいきません。憲法改正
9条に関しては改正すべきでないと思いますが、基本的人権や地方自治に関する分野では現代社会に合わせた改正が必要になっていると思います。この他にも、3年ごとに制度がゆがめられてマンモスの牙のようになってしまっている介護保険制度への私見はこれまでもふれてきましたし、地域おこし協力隊のように国の制度がそのまま地方に下りてくるものには賛否を示してきたつもりです。
ここから理解していただけると思いますが、主要政策において自民党とは正反対の立場ですし、それゆえに地元県議はご縁のある方々ばかりでも支持するわけにはいかないと心に決めています。
ただ、地方議員はこういった国政問題にしっかりとした意見を持つのは必要だとしても、やはり市として取り組むべき問題を優先すべきですし、そのことで評価を受ける存在であるべきだと思っています。
2015年3月8日日曜日
はるか夢球場は25億円で済まない
野球ファンからすれば安いものと思うかも知れませんが、そのファンの一人であっても政治にかかわる立場としては非常に問題を感じます。
地元紙も、総事業費25億円でも市の負担は4.2億円と書くほど、葛西市長の補助金マジックにかかっていますが、何度も取り上げているとおり、国から交付金や補助金で有利な財源確保ができるというのは、国民としては借金を増やすことに加担しているという視点でとらえなおすべきですし、国としても地方からの声に大盤振る舞いしてはいけない危険水域で自分たちはすでにおぼれているという立場で判断してもらいたいものだと思っています。
さらに考えなければならないのは、球場を改修するところまでは補助金をあてにできるかも知れないにしても、その後の維持費については市にのしかかってくるわけですから、それにはどれだけの支出が見こまれるのか、そのランニングコストをカバーできるだけの入場者や使用料を見こめるのかといった綿密な中長期計画を検討しているかどうかは論じられている様子が見えないところに大きな不安を感じます。
岩木山総合運動公園にある天然芝のサッカーグラウンドで聞いたことですが、良質な芝を維持するためには一回の使用料を上回る維持費がかかっているのだそうで、球場を改修したにもかかわらず満員にできるような試合やイベントは何度もなく赤字だけがふくらんでいくのでは、市の財政には大きな足かせになってしまいます。
政治には、真面目で前例踏襲の行政マンにはない夢を語り実現させるという役割があるのは重々承知していますし、私としても次につながる提言をしたいと思って日々考えていますが、国そのものの借金はふくらみ続けているのにそれをあてにしての事業は慎むべきだと思いますし、まずは市民にとって優先すべき生活問題の解決から取り組んで、自主財源でも取りかかれる余裕が生まれた時にはじめて動くべき事業だと、今回の公式戦や球場改修については受けとめています。
我が師である北川正恭先生は、政治が利益を分配する:時代から不利益を配分する役割に変わってきたと喝破されていましたが、私も目先の夢を見せることより、将来の不利益を最小限にするためにあえて嫌われる物言いをしていく政治家であろうと心しています。
2015年3月7日土曜日
予約型乗合タクシーという隠れ蓑
ろうそくまつりと例大祭で二日間沢田地区で過ごし、住民や実行委員、例大祭参列者とたくさん話すことができたのも自分の糧になりましたが、気になったのは昨年2月から運行されている予約型乗合タクシーが沢田地区ではたったの一人も利用者がないということでした。
このシステムは、それまで補助金ばかりでなく地域住民の負担金も入れて存続してきた相馬地区内のバス路線を、総合支所のある五所地区で終点とし、以奥の11地区にはバスに接続する形で予約型乗合タクシーで玄関前まで送迎するというものですが、一度は失敗した実証実験を反省することもなく、地区住民を巻きこんで自分ゴトとして考えたり取り組んでもらうという働きかけもないままに進められたことですので、はじめる前から私は反対でした。
通院のたびに利用している叔母も不便で仕方ないとこぼすので案の定とは思っていましたが、沢田地区の場合はなぜか朝の早い時間に2便、弘前行きの最終便は14:00台という不便極まりない時刻設定のために使い物にならないのがハッキリしているので、事前登録する人すらいないということでした。
他の該当地区からの参列者からも、バスも来ないという地域のマイナスイメージや土地評価額への影響などを考えたことはあるのだろうかという疑問も聞きましたが、路線廃止そのものの成否以外にもさまざまな問題を評価してみないといけないのを痛感しました。
すでに乗合タクシー導入から一年が経過したわけですし、遅くとも来年度早々には相馬地区住民に対して、目標をクリアできているのか、どういった課題が見えて地区や住民にお願いしたいことは何なのかといったの経過説明を行って当然だと思うのですが、今のところそのような動きはまったく見えません。
また、これが実証実験だというのであって成功しているとの判断なのであれば、最低でも新年度には同様の過疎路線のどこかでも実験開始することになっているはずですが、これもまた動きが見えませんし、逆に失敗しているのであれば本来の路線を復活させてほしいものですが、これに関しては一度廃止したものを復活させることができる形で取り組んでいるのか、それともやはり乗合タクシーを隠れ蓑にしテの路線廃止でしかないのか、疑念は深まるばかりです。
こういう不安を感じさせる進め方だからこそ、私ばかりでなく「なぜ相馬を狙い撃ちにするのか」という思いにとらわれてしまいますし、納得のいく説明を町会長としてでも政治にかかわる立場からでも求めていきたいと思います。
皆さんにも、自分の地域にバスが走らなくなる未来を思い描いて、それがいいことなのかどうか考えていただきたいと思います。
2015年3月6日金曜日
ろうそくまつりと人口減少
実際は、2日に風邪でダウンし3日は中央高校卒業式・祝賀会で合間を縫って無理やりの更新でしたので、5日ぶりというのが正しいところで、思い切り間隔があいてしまったことを、まずはおわびいたします。
その中で、今日の例大祭で宮司さんが非常に熱い思いで『地方消滅』への危機感をお話しになったのが印象に残りましたので、ろうそくまつりの報告とあわせてお知らせしたいと思います。
旧暦一月十五日の満月の日にろうそくを岩谷堂のなかに立て並べて、翌日にろうの流れで氏子総代が吉凶を占うのが450年以上続いている沢田ろうそくまつりですが、現在では10世帯となっている沢田町会(当然ながら市内最小の町会です)だけでは、まつりどころか例大祭も難しくなっているため、近年は市からの補助金を村内有志を中心とした実行委員会が受託する形で運営し、観光コンベンション協会や岩木山商工会などの協力と小雨ながらも路面に雪がない時期の開催だったこともあって、史上最多2500人の来場者でにぎわいました。
宮司さんは、その人出の多さへの感謝でも五穀豊穣を祈念するのでもなく、何とかこのまつりが続いてくれますようにと願わずにいられなかったのだそうで、当地の神明宮だけでなく市内約800ヶ所の神社を守っていくだけの人口とエネルギーが維持できるのかということに危機感を覚えるのだそうで、そこで『地方消滅』を引き合いに下あいさつとなったのだそうです。
それを受けての直会でしたので、村内の神社の状況やお母さん方に義務的にのしかかっている地蔵様や産土講などの民俗信仰の継承が厳しくなってきている現実も話題に上りました。
確かに、人口減少の流れの中ですべての集落が維持できるわけもなく、そこでの振興や風習も受け継がれてはいかないのが現実なのでしょうが、以前お伝えしたように「自治体破れて山河あり」の視点に立てば、自治体としての弘前市の存立は不透明ですし、存立してもまつりの補助金はいつまで続くかわかりませんが、この限界集落をもり立てて維持していかなくては旧相馬村そのものが地域として成り立たなくなるという危機感を共有している実行委員会のメンバーにとってのフルサトでもあるだけに、沢田集落もろうそくまつりも規模は変わっても継承されていくはずです。
これと同じように、他の集落や町会でも外部からの力を引きこむだけの求心力を、まずは町内で結集するところからはじめて、その上で外に向かって発信していくアクションを起こしていくことができるようになれば、沢田以外の集落も生きのびていくことができるのだと思います。
その意味でも、イベントとしての盛会やまつりの神秘的な記憶ということではなく、まつりを維持するところから地域を守る異なった経緯で知られるようになることを願わずにはいられません。
2015年3月3日火曜日
市民感覚とかけ離れた一般質問
今期4年の最後の定例会一般質問ですが、残り3日は予定が入ってしまっているので、午前中だけでもと傍聴してきました。
今回は19名が登壇することになっており、議場でのやり取りより通告内容に目をこらしていたようなものですが、吉野緑地やプロ野球公式戦といったポピュラーなテーマは何人も取り上げているものの、市民生活に一番大きな影響を及ぼす介護保険については、石田久議員以外いませんでした。
これがなぜ問題なのかといえば、次期からの介護保険料を定める条例は厚生常任委員会に付託されるため、市民には見えないうちに採決が行われ、これが本会議では質疑が行われない形で報告の上議会としての採決が行われるので、最終的には会派の多寡で左右されてしまいます。
一方、介護保険料がアップするのは介護保険特別会計にも反映されますので、こちらで突っ込んだ議論があればいいのですが、一般会計でズルズルと議論を重ねてから付け足しのように特別会計に臨むのが通例ですので、傍聴しても肩透かしになるのが通例ですし、一般質問で取り上げた議員は改めての質問を遠慮してもらう慣例があり、突っ込みたい議員には制約がかかかる形になっています。
それだけに、市民に見える形で議論を重ねて問題のありかを明らかにするべきだと思うのですが、どうもそういう形にはなっていないようです。
ぜひ、市民の皆さんにも傍聴していただいて、本当に市民生活に大事なことが議論されているか見届けていただきたいと思います。
2015年3月1日日曜日
吉野緑地活用と街割り
吉井倉庫は、日本初のシードル醸造所という歴史を持ち、近年では弘前市出身の美術家・奈良美智さんの作品展で何度か使われていますが、市が考えている文化交流施設という用途ばかりでなく、中心商店街・土手町に近く、さらにてこ入れが必要な弘南鉄道大鰐線の中央弘前駅の再開発ともからんでくるだけに、しっかりとした計画が必要だと思います。
この問題を考える上で、弘前の街割りの歴史は大きな意味があると思います。
たとえば、土手町といえば買い物をする街、鍛冶町なら飲食街、白銀町といえば行政機能というように、町ごとに機能が分かれているのが弘前の都市機能の特色で、八戸市の中心街でブティックの隣に居酒屋があるのを見て驚いたことがあります。
だからといって永続的なものではなく、以前の遊郭街は今では跡形もありませんし、東北有数の飲食街として知られる鍛冶町も、その名のとおり鍛冶屋が集まっていた街が戦後には特許を生み出すほどの農工具会社が立ち並ぶ街へと変わり、それがいつの間にかご覧のとおりの状況へとなっているのですから、街の持つエネルギーは計り知れないものがあります。
吉野緑地の周辺は、街割りが入りくんでいるところで、洋風建築の文化財である昇天教会が近くにあり、道路の並びには病院や市内最大の保育所であるみどり保育園があって静寂や安全が必要でもあり、中央弘前駅から橋を渡れば鍛冶町ですし、その駅舎を先日の鉄道BIG4は昭和のロケ地のようと絶賛していたとおり、単に新しくすればいいのかという問題もあります。
これに土手町との回遊や弘前駅との交通連携を考えたり、車利用の場合の駐車場問題までおさえた上で、文化交流施設の機能を持たせていくように進めていかなければならないのですが、そこには弘前では街の役割が分かれているという市民感覚を大事にしていく方向性が土台にあるべきです。
吉野緑地周辺のコンサルティングは、前回の議会で在京の団体に業務委託されたことですが、弘前の街割りの歴史をふまえた上で外からの提言を大胆に盛りこんで、新た恣意まちづくりが進むようになればと思っています。
2015年2月28日土曜日
市民の動きでも、間違っていたら反対します
とりわけ何度か論じているとおり、介護保険料は上げざるを得ないのを据え置くだけでも失政と断じているだけに、引き下げるなどとんでもない暴論にしか思えません。
会の要望としては、①介護保険料の1000円引き下げ、②通院介助の待ち時間を給付対象とする、③要支援1・2を介護サービスとして継続など10項目をあげているそうですが、このうち②③は国が定めていることですので、市として対応もしくは検討できるのは①のみということになります。
今回の据え置きですら財源として手をつけるべきではない地域福祉基金を充てているのに、さらに1000円も下げるというのにどこから財源を持ってくるのかのあてもない単なる要求など意味がありませんし、出身母体や関係する政党からすれば行政の情報や仕組みに詳しいはずですから、なおさらちぐはぐさを感じてしまいます。
これは、普通の市民からの要望であっても、市民ゴルフ場のようにとにかくやめるべきというシンプルなものであれば別ですが、財源を伴うものであれば専門家に相談した上である程度の実現可能性を担保したものであるべきだと思います。
介護保険料の件では、先日詳しい人ととことん論じる機会がありましたが、その方も据え置きでは次期2018年度の値上げ幅が恐ろしいことになるのを危惧していましたが、基本原則としてサービス量が増えれば介護保険料は上がるわけですし、特別養護老人ホームのような施設系は抑えていても最近また在宅サービスが増える情報が次々と入ってきていますので、次期は今回の据え置き分を勘案すれば7500円から8000円まで近づく可能性があると予言しておきます。
一方では、議員たる者そこで相談を持ちかけられるくらいの力量を保持していなければならないと思いますが、今回は非常に近い市議団があるはずなのにアドバイスも忠告もしていないようで、相変わらず言いっ放しの主張しかしないのかと残念に思います。
議員であるならば、すべての分野とはいかなくても自分のホームグラウンドに関しては専門家と対等に議論できるだけの知見を持っているべきですし、その意味では市民派を隠れ蓑に取り柄がないというのでは失格で、しっかりプロとして市政に向き合う必要がありますので、専業で活動できるような政務活動費などの条件整備も市民の皆さんにも理解していただきたいと思います。
先日のスタバ問題でも、「あれに異を唱えるとは」と苦言をいただきましたが、市民からの動きでも間違っていれば指摘して、直らなければ反対する姿勢は貫いていくつもりです。
2015年2月27日金曜日
合併10年目に思う
ここで弘前市・岩木町そして相馬村による合併を振り返り、10年目の新弘前市に必要なことを考えたいと思います。
弘前市を中核とした合併は、当初津軽広域連合を組織していた14市町村による30万都市=中核市をめざして動き出しましたが、法定協議会ができる時点で板柳町と浪岡町が外れて12市町村となり、これは在任特例を適用すれば201名という全国最大の議会となる冗長さや構成する自治体の財政問題が明らかになり合併効果が見こめないことなどから難航し、2005年7月に法定協は解散となったのでした。
ここで、岩木町・西目屋村・相馬村の中津軽郡3町村は当時の金沢隆市長から合併を呼びかけられたのですが、昭和の大合併以降3つで仲よくやってきた自然気候も産業構造も似通っている同士で先行合併して将来の広域合併に備えるべきだと考える者とこの機会に弘前市との合併に向ききりべきだという立場とに分かれましたが、西目屋と相馬は3町村合併を議決し岩木町の結論を待ったのですが、きちんと合併するか否かを核にした上で合併の相手先を選ぶ手順で臨めばよかったものを、あろうことか単刀直入に3町村合併の可否を採決したことで8名の3町村派を期せずして連合する形になった7名の弘前市合併派と2名の合併反対派の9名が上回る形になり、中津軽郡合併は幻に終わったのでした。
当時は、総務省から単独では財政的に立ちゆかなくなると信じこまされていたこともあり、世界自然遺産・白神山地と津軽ダムという財源を持っていた西目屋村は住民投票を経て単独の道を選んだものの、岩木町・相馬村はやむなく弘前市との合併を呑むことになりました。この経緯と苦渋の選択を、旧市民の皆さんにも覚えておいていただきたいと思います。
私は、2003年の村議選に際し、まだ話題にも上らず機運もなかった合併問題を前面に出して、相馬村が取り組んできたむらづくりを津軽に波及させるべきだと信じて「相馬のために広域合併」を打ち出したのですが、合併論議の中で広域合併への矛盾を感じ、視察した福島県矢祭町・長野県小布施町などの合併しない側にシンパシーを感じ、そして次代を担う20代の若者たちが一番合併反対だったのを代弁するために、最後はただ一人合併反対に回ることになりました。
合併に反対した者が在任特例で残るわけにはいかないと9年前の最後の日をもって議員辞職したのですが、初代市長となった前市長が合併時の約束を踏みにじる相馬ふれあいセンター建設を反古にしようとする姿勢に出たことを許すわけにいかずに2007年の市議選に挑むことになっただけに、新市建設計画での合併戦略プロジェクトをはじめとする均衡ある発展がきちんと進んでいるかどうかには誰よりも注視してきた自負があります。
市議である以上、市政全般とすべてのエリアに目を向けるのは当然のことですが、地元に利益誘導するということではなく、合併で誕生した経緯をふまえながら単独であれば実現可能なことや維持していくべきことを考えていくのが、合併を意義あるものにすることになると信じています。
それだけに、合併10年目の今年、市議として合併を振り返りながら前に進めていく立場に戻らなければと強く思っています。
2015年2月26日木曜日
使えないハザードマップづくり
相馬地区内のことなのだと思っていたのですが、入っていみると見覚えのない顔ぶれが集まっていて、後で確認してみると市内全域から町会長クラスが招集されており、会場の都合なのでしょうがわざわざ遠くまでご足労いただいて申し訳ない気がしました。
それはさておき、マップ作成の受託先である土地改良協会(土地改良区の外郭団体でしょうね)からの説明があり、このマップは200年に一度の3日間で250ミリの降水があるという規模で発生する恐れのあるため池の決壊を予測したもので、その際にどのような場所にどの経路で避難すればいいかを地元町会の皆さんからヒアリングするするための会議だということでした。ちなみに、市内にため池は約100ヶ所あるのだそうで、そのほとんどが江戸時代の整備で防災対策が施されていないのだそうです。
素案となるマップを見てみると、一昨年の台風18号の際の浸水・冠水域より狭い想定になっていたので質問してみると、今回はため池決壊のためのハザードマップであり、台風の際に生じるのは内水面での浸水というものでそれぞれの地形や水路の幅などで左右されるもので、今回のマップづくりとは関係がないということでした。
そうは言っても、短時間で40ミリの降水量で町内一帯が冠水した実体験から、町会と市営安田団地の集会所は避難場所から外してほしいこと、また坂市町会長とともに坂市町会集会所だけでなく水害の場合は隣の紙漉沢にある相馬中学校も道路が寸断されるために避難所に適さないので、集会所と農協施設のある「紙漉の里」の方がよいことなどを担当者に伝えると、想定外の提言に目を丸くしての対応となりました。
今回はため池という農業にかかわるものを対象にしているとはいえ、防災安全課が一緒していないため、現実に避難場所から学校や集会所を外したり、これまで指定されていない施設を指定する形にしていいものなのかどうか不透明なままに作業を進めることになって、非常に歯がゆい思いでした。
担当者からは、岩木川のハザードマップがあるのは知ってますかと言われましたので確かめてみると、ちょうど上岩木橋から下流域での作成であって相馬地区は抜け落ちていて使えませんし、200年に一度のことにこんな労力をかける意味があるのかも疑問に思います。
行政的にはアリバイづくりのためにやらざるを得ない仕事なのだろうと思いますが、最初に話になった内水面での浸水ハザードマップ作成といった十年単位で発生するようなものへの対策を部課を超えて取り組んだり、とってつけたように載せてある緊急連絡体制が機能するよう日常の準備を進めるといった、実効ある作業に昇華させる努力をしてほしいものです。
これにしても、対象エリアの町会長だからわかった事業内容であり、今の議員という立場では見えもしないものだけに、改めて全事業の仕分けの必要を痛感します。
2015年2月25日水曜日
桜守本来の生かし方
小林さんの後継者を育てること、制服コンテストのような取り組みで注目を集めることも大事ですが、やはり寿命60年といわれるソメイヨシノを倍の長さまで生かし続ける技による全国の桜どころへの支援こそ、弘前の名を高らしめるものだと思います。
ただ、昨年6月に小林さんとお話しした際には、報じられていた野田村の桜並木歩への支援についても具体化していないように聞こえましたので、まずは後継者育成というところにウェイトがあるように感じました。
ところで、唐突に桜守のことを取り上げたのは、選挙看板の件に対して市民が植えて守ってきた桜並木も看板で景観を損ねていると教えてくださる方から、その桜並木を写した動画を紹介していただいたからです。
この桜並木は千葉県八街(やちまた)市にあるのですが、延々と続く長さといい田園風景とマッチした景観といいすばらしいものですが、市民の方々の管理は続いているとはいえ1950年代の植樹ということで枝が高々と上に伸びている様子や樹勢からしても、本格的な手入れをしなければ今後も維持していくのは大変になってくるだろうと、聞きかじりの桜の知識しかない私にも思えるくらいでしたので、これに桜守の支援ができればよいのにと思ったところです。
野田村や八街市ばかりでなく、桜の名所を維持していくのに困っているところは全国数多くあるでしょうし、弘前方式での支援や技術伝授を希望するところを募って、数年ごとに巡回指導することができれば、それこそ格好のシティプロモーションにもなるでしょうし、その桜守による日本一の桜を見にいこうという機運を高めるのにもつながるはずです。
ちなみに、弘前の桜が桜まつりの人数だけではなく日本一すばらしい桜であることは、弘前市出身のジャーナリスト丸谷馨さんの日本一の桜(講談社現代新書) に詳しく書かれていますので、特に地元の皆さんが観光客に魅力を伝えるためにも一読をお勧めします。
再起の暁には、全国からの要望を桜守チームにつなぐ役も果たしたいものだと思っていますので、全国からの情報もお待ちしております。
2015年2月24日火曜日
地域おこし協力隊の対極としてのフルサト
普段は東京に暮らす二人が、生まれ故郷ではない熊野というフルサトに通い暮らしをするようになり、そのために必要な準備やそのことで得られることなどを、その行動力と同じくらいの軽さで書きまとめた内容ですが、二地域居住のよさばかりでなくこれからの日本社会に必要なことまでサラリと切りこんでいて、非常に勉強になりました。
フルサトの軽いながらも自己責任での取り組みを知ってみると、何度か取り上げてきた地域おこし協力隊が対極にあると痛感しますので、またしても論じておきたいと思います。
世界文化遺産として知られる熊野ですが、無縁の二人が何もないところに飛びこんだのではなく、フルサトづくりの先駆けとして共育学舎をはじめた三枝孝之さんという方がいて、そこで行われた懸賞論文に応募した若者たちが現地で新たな取り組みをはじめるという土台があり、非常に活性化しているのがわかりました。
そこに二人が飛びこんで空き家を借り、仲間を呼びこんでさらに輪を広げていくというアクションが語られているのですが、「熊野の土になる」という堅い覚悟で住みつくというのではなく、あくまでも今は熊野をフルサトとして住んでみるという姿勢が、自分でできる範囲のかかわり方を保ちながらも、だからこそ自分の責任ですべて取り組んでいくというところに、行政からの募集があって月給が支給されるから移住するという地域おこし協力隊とは決定的な違いがあります。
来月中には、相馬地区への隊員が決定すると思いますが、本当に相馬村や弘前が好きでかかわりたいと思っているなら、このフルサトの二人のようにいきなり住みつかなくてもよいのでまずは遊びに来てみて、なじそうかとか仲間ができそうかどうか確かめたりといったことを自腹でやってみるべきで、これを国が推進拡大しようとし自治体が補助金を当てにして安易に乗っかる仕組みはやはりおかしいと思います。
こういうことを言いたくなるのは、長崎県で任期切れとなる隊員の方の振り返りをみても付け焼き刃で取り組むべき活動ではないことがわかりますし、秋田県では住民が契約延長を望まなかったことで1年で打ち切りにされる人まで出てきており、光の面ばかりでなく陰の部分が見えるようになってきているからで、こういう状況を受けて失敗する若者が続出しそうな件という論考も目につくようになってきたからです。
その論考も、例によって木下斉君からの情報だったのですが、この件について、
そもそも「地域おこし協力隊」なのに外の人間に地域をおこさらようとしている時点で、まぁ疑問を抱いた方がいいですよね。すぐにヨソモノ・ワカモノ・バカモノとか言い出すけど、ヨソモノとワカモノに物事押し付けて、自分はバカモノとは言われたくない人たちばかりだからね。と喝破しているとおり、その地域をおこす必要があると思うなら、まず自分たちが取り組むべきだというのは当然のことですし、相馬村の場合はその気の人間がいるというのにわざわざヨソモノ頼みをする必要はないと思うのです。
この議論の土台にもなっていますので、皆さんにも『フルサトをつくる』をぜひ一読していただきたいと思います。
2015年2月23日月曜日
コミュニティ・スクールで先を越される
堅い説明でわかりにくいのですが、青森県初のコミュニティ・スクール実現ということでして、セブンイレブンが出店していない空白区であることより、これが実現していない数少ない教育後進県という大問題だっただけに、まずは大学の先輩である柏谷教育長の英断に敬意を表しますが、前期の私だけでなく今期も菊池勲市議や佐藤哲市議が何度か取り上げてきたテーマだけに、何年たっても動きもしなかった弘前市教育委員会の怠慢に改めてガッカリしているところです。
コミュニティ・スクール(以下、CSと略)は、学校の運営に地域住民がかかわり、基本方針をともに策定したり地域活動に協力するばかりでなく、教育委員会に対して教員人事に希望を申し入れることもできるといったことが記事でも紹介されていましたが、もう一つ大事なのは専任のコーディネーターを置くことで学校と地域をつないで動かしていくエンジンができることでして、記事でも紹介されていた大館市城西小ではより安定した身分保障のために学校支援地域本部制度とあわせて導入して成果を上げているのは以前見分させていただいて、その重要さを知ったところです。
ちょうど数日前には、文部科学省が廃止された小規模校でも再開する道筋を示したとの記事があったように、地域の中核としての学校のポジションは再評価されてきており、これは小中再編をもくろんでいる市教委にも再考を免れないことだと思います。
その記事でも、ただ存続させるのではなく通学区の規制を緩和して広域に受け入れる体制づくりなどの条件があり、それだけ地域が協力理解していかなければ実現できないハードルも課せられているだけに、それこそCSの父である金子郁容先生が著書『コミュニティ・スクール構想』で紹介されていた徳島県美波町・伊座利小中の漁村留学のような取り組みが必要ですが、この学校がCS実践校であることはさらに大きな意味を持ってくると思います。
もうすぐ坊主が中学を卒業しますので、義務教育とのご縁も終わりとなるところですが、学校の小規模化と地域の人口減少という波を乗り越えていくには、規模縮小を余儀なくされる相馬総合支所頼みではなく地域の人間が学校を拠点として地域を守っていく方向でなければならないと思いますし、他の農村エリアでも同じことです。
これだけ、市として真剣にCS導入を考えてほしいと思うだけに、それを主張できる場に戻る必要を感じています。
2015年2月22日日曜日
珈琲の歴史と未来を学ぶ
ちなみに、先生と呼ばせていただいているのは約500人のバリスタを生み出している弘前コーヒースクール代表ということもありますが、私にとっては初めてお会いしたのが城東学園調理科の非常勤講師であり同窓会会長であった所以からです。
まずは米国でのコーヒーの波について、20世紀初頭に最初のブームであるファーストウェーブがあり、それが1960年代には安くて苦いコーヒーを薄くして出すアメリカンがはびこり、その反動でエスプレッソマシーンでマニュアル化した製法で提供するセカンドウェーブの代表・スターバックスコーヒーが1971年に登場、日本に上陸してからも20年以上たっているのだそうで、その意味では青森県の周回遅れぶりがわかります。
ただし、果実=フルーツといって過言ではないコーヒー本来のうまみをエスプレッソマシーンでは引き出せるものではなく、米国で焙煎して世界に搬送されるシステムのため日数がたつと劣化してしまう欠点があり、それに対して焙煎工場をショップに隣接して腕の立つバリスタを配して好みの豆を好みの淹れ方で提供するというサードウェーブが現れましたが、それには日本の喫茶店からの影響が大きいのだそうですが、その代表格であるブルーボトルが2月に開業したところで4月にスタバ開店というのは何とも皮肉です。
一方、日本では1888年に最初の可否茶館が開業してはじまった喫茶店ですが、先生が珈琲を志した頃の弘前市ではかくは宮川か入五商店でしか豆が買えず、しかも腐っているようなシロモノしかなかったのだそうで、そこから自前の工場での焙煎をはじめたり、産地の農園との直接契約、一方ではコーヒースクールでのバリスタ養成と、まさにサードウェーブそのものの歩みをしてきたということは、弘前の珈琲文化は歴史があるとともに最先端でもあるわけです。
ただ、日本では17万軒から7万軒を切るようになった喫茶店ですが、弘前市では650軒が115軒まで減っているのだそうで、それにコンビニコーヒーが年間16億杯も飲用される時代になって、家族経営の喫茶店では集まって対策を話し合おうという時間すら取れず、スタバ以前に事業継続が厳しくなっているのが実情だということでした、
それでも、総務省の調査では県庁所在地では青森市がダントツの消費量なのだそうですが、販売実績からして弘前市の方が1.5倍の売上があるそうで、歴史だけでなくコーヒーそのものの愛好からしても弘前の珈琲には可能性があると信じて、時代に合わせた取り組みをしていくつもりだとの力強いまとめでホッとしました。
少人数ので濃い2時間でしたので、オフレコでしか話せない内容も飛び出すほど盛り上がり、私のことや市議選の状況などはサラッと流して終わる形になりましたが、今回も歴史を学んだ上で現在を分析し未来を考える必要を強く感じましたので、これからもテーマを選んで続けていきたいと思います。
2015年2月21日土曜日
岩木山豪雪まつりにラグビーを思う
すでに昼下がりで、一晩仕込んだ焼き鳥が売りきれるほどの人出もすでに去った後でしたが、見知った顔ぶれの出店からお昼をいただき、快情のもとで地元の皆さんと楽しく歓談しました。
その中で、当地で以前は明治大学・神戸製鋼といったラグビーの名門チームが合宿を張っていたことが話題となりましたので、今回はラグビーのことを取り上げたいと思います。
今は昔、大学ラグビーといえば早明戦が国立競技場を満員にしていた頃、北嶋忠治監督のもと快足ウィング吉田義人が主将を務めていた前後のメイジ最強の時代に、夏合宿はこのセンターで行われるようになり、それにつられて社会人最強の神戸製鋼なども合宿するようになり、わがワセダが合宿する長野県真田町(現上田市)の菅平と並ぶラグビー合宿のメッカとなったのでした。
菅平のある真田町には、施設見学で二度訪問したことがありますが、真田幸村で知られる真田氏発祥の地で当時の人口は12000人で、岩木町とは人口規模も津軽氏興隆の礎の地である歴史も重なるだけに、ラグビーでも共通項ができて比べるほど似た町同士だだったのですが、嶽でのラグビー合宿はいつしかなくなってしまい、さらにはともに合併して町が消えただけに、菅平との交流ははじまることもなく終わってしまいました。
新弘前市になってからラグビーが話題になることもなくなっていますが、2020年東京五輪の前年2019年にはラグビーW杯が日本で開催されます。
市では五輪合宿候補地に名乗りを上げていますが、岩木山総合運動公園を合宿地として検討するのであれば、前年のラグビーでも使っていただけるような整備とアピールをするべきだと思いますし、当時の合宿経験者がラグビー界で重要なポジションにいる可能性は高いのですから、(狸の皮算用ですが)五輪合宿地よりもトントン拍子に決まるはずです。
逆にW杯合宿地と決まれば、五輪合宿地としてもアドバンテージを得ることにつながるでしょうから、まず取り組むべきなのはラグビーだと思いますし、これであればJリーグをめざすブランデューやジュニア世代の代表選手を輩出するまでになったリベロの活動にも活用できると思いますので、プロ野球公式戦実現のためのはるか夢球場改修よりも波及効果があると思います。
今日の嶽からの岩木山を見ると、この山を見上げた選手たちが日本代表としてW杯で戦うのを夢見たくなります。
2015年2月20日金曜日
朋あり、遠方より看板撤去の応援
それは、埼玉県和光市の松本武洋市長で、
和光市では景観行政団体として、景観条例をつくり、建物の色規制などを行っています。景観については市民からのご意見も多いのです。しかし、色とりどりの政治看板やポスターがまちの美観を損ねているため、「まずは隗より…」ということで率先して看板をやめることにしたのです。とのことで、まさに私と同じ思いで市長自ら率先しての行動、さすがです。
松本さんとは、市議村議時代からメルマガ議員仲間として交流させていただいていますが、特筆すべきはこれまでAmazonでも5冊の著作が販売されていて、特に会計については随一の専門家です。
ところが、その専門性をひけらかすこともなく、まさに市民派として市民とともに活動しているのがBlogからも伝わりますし、一度行政視察後に会食させていただいた際にも実際の姿勢の様子を率直に伝える役割として友人である市民数人も招いてくれたり、採決では反対に回ることもある市議も共通の知人として声をかけてくれたりと、本当にオープンでフランクな人物です。
行政視察の案件は、議会改革と職員の人事評価でしたが、景観についても前向きに取り組んでいるのをこういう形で知り、副都心線開通でさらに便利になったベッドタウンが落ちついたたたずまいだったのを今さら思い出しているところです。
ひるがえって我が弘前市は、文化観光都市を標榜しながら、景観に配慮しているものとしては弘前公園周辺の自動販売機が茶色になっているくらいのもので、ほとんど何の規制もないと言っても過言ではありません。
日本を代表する観光都市・京都では、マクドナルドやコンビニの看板の色まで規制しているのが知られていますが、その京都らしい風情を備えた「小京都」と呼ばれる自治体で結成されている全国京都会議に弘前市は加盟しているのだそうですから、それならば名乗るだけでなくこういうことこそ真似していくべきだと思いますし、景観にかかわる条例を提案/議決する立場にある市長・市議こそ率先して選挙用看板を外すべきだと思うのです。
私は、約束どおり看板を立てませんが、私でない候補を支援する方にもこのことを頭の片隅に置いていただき、自分の応援する候補に「看板、いらないんじゃないの?」とつぶやいていただきたいと思います。
2015年2月19日木曜日
今さら膨張型予算でいいのか
葛西市長の補助金や交付税算入などで有利な財源があれば積極的に活用するという方針に沿っての予算であることを、地元紙も見出しに「有利な財源活用」とつけているわけですが、改めてこの姿勢でよいのか考えてみたいと思います。
年頭の地方創生の件でも述べたように、国・県の補助金に頼る事業はもらったはいいけれどもワンサイクルで効果が続かないという、成果の面でも問題がありますが、それ以前に市の財政に影響はなくても国の懐を痛めるやり方だけに、国民として国の借金を増やす手法をよしとしていいのかという立場から考えるべきだと私は思います。
また、今回の予算では赤煉瓦の吉井倉庫を取得して文化交流施設に活用していくという目玉もあるようですが、民間が動いて成功している紫波町オガールとは正反対の方向ですし、何でもかんでも市がかかわっていくという方針では市が肥大化していく一方であるとともに、お役所的な堅さや舵取りの遅れを招くことも考えられるだけに、個別の案件でも検討すべき問題も見えています。
一方、予算が傍聴し続けているのとは反比例して、市の人口は減り続けていて、2/1現在で177,945人となっています。
それだけ、負担できる人数も受益することになる人数も少なくなっていることを考えれば、予算そのものも縮小させていくべきだと思いますが、石垣修理というやらなければならない事業はさておき、市役所増築や岩木庁舎改修といったハコモノ建設が多いというのでは、時代に逆行しているといわざるを得ません。
この人口減少は、新総合計画である「弘前市経営計画」の最大のテーマとされていますが、今年度は成果が上がらなかったというのが数字に出ているのですから、これを打開するために斬新な視点による事業に転換することこそ求められているはずですが、そういう目玉事業は見受けられないようですし、先日お知らせしたように笹森町子育て支援センターの廃止を代替できる事業は苦渋の選択ながらも打ち出されないなど、人口減少対策の最大の手だてであるはずの子育て施策では後退している感すらあるのが気がかりです。
順調に進んでいるように見える葛西市政ですが、見方を変えれば問題が散見されるだけに、明日からの定例会には市民の皆さんに関心を持っていただきたいと思います。
2015年2月18日水曜日
健幸づくりサポーターに異議あり
それは、来年度からの健幸づくりサポーターの創設についての案内で、3月の予算承認を受けて4月から募集して6月に協議会設立というタイムスケジュールだというのですが、そこで問題となるのは町会から2名の推薦を原則として選任するということです。
この選任方法に関しては推進課の責任ということではありませんが、またしても市からすれば無役の立場にある町会長にかかってくる問題でもあるので、ちょうど顔を合わせた町会連合会・大谷事務局長に「またですか!」と文句を言っておきました。
以前も論じたとおり、市から町会に対しては基本額+世帯数×700円の交付金がありますが、そのトップとして市から依頼された業務にもかけずり回っている町会長は、行政連絡員といった市の特別職としての地位を与えられているわけではありません。
旧弘前市での町会連合会は、鳴海修先生の存在もあって自主独立の気風があったようですが、連合会の運営も市からの補助金に頼り事務局も市役所内に置かれているように、今では市の下請け機関と言われても仕方のない状況だけに、そういう位置づけだとハッキリさせるべきだと思うのですが、市内の連合会長は気位だけは高く、岩木・相馬との制度統合の際に押し切って無役のまま変わらずにきています。
この件は、毎年の総会で問題提起しているのですが一向に話し合われていないこととあわせて、皆さんにも我がこととして連合町会そして町会長の存在について考えていただきたいと思います。
また、町会には保健衛生委員という役職がすでに存在し、高齢者の独居世帯などを見守りする「ほのぼの協力員」という役割もある仲で、屋上屋を重ねるように健康づくりサポーターを置くというのも何だかなあと思ってしまいます。
藤田課長の説明でも、保健衛生委員の方が兼務でもかまいませんということでしたが、それならば最初から兼務してもらう形にし、もう一人は「ほのぼの」の中から一人選任するといった流れにしてでも、むやみに町会内に役割を増やすようなことはしてほしくないと思う町会の方が多いと思います。
健幸づくり自体に異を唱えるものではありませんが、それをどのような形で進めていくのか、その際に町会の機能や役割に無理強いするようなことはあってならないというのが、私の立場です。
保健衛生委員研修会で自死を学ぶ
講師は、NPO全国自死遺族総合支援センター<グリーフ・サポート・リンク> の事務局長・南部節子さんで、ご自身も10年前にご主人を亡くされた自死遺族の一人です。
遺族は言えない/周りは聞けないことで気まずくなってしまうのを変えていくためにかつどうにかかわってきたのだそうで、ご自身も最初は自死であることを隠していたのだそうですが、子どもに怒られてこのままでは2度殺してしまうことになると思ったのがきっかけだったそうです。
南部さんが未遂で済んだ人から聞き取りした経験によると、自死した人は確固たる意思のもとに動いているのではなく、追い詰められて正常な判断ができなくなってもうろうとした中で突き動かされてしまっているのだそうで、気がついたら屋上にたっていたとかホームに引きこまれそうになっていたのを周りの人が引き留めてくれて我に返ったという人もあるのだそうで、心の心臓発作のようなものだとのことでした。
ご主人も10年間うつ病だったのを南部さんには隠していたのだそうで、単身赴任ということもありその悩みに寄りそうことができなかったことを悔いていましたが、正面から向き合うのがいいのか強く言うことで衝動を引き起こしてしまうリスクを考えるべきなのかは、非常に難しいところだと感じました。
それでも、遺族や関係者が発言行動していくことで正しい理解と防止につなげたいという思いで活動していて、まちづくりこそ自死を減らすというところに、町会連合会でお話を聴く意義があったのだと得心しました。
自死・自殺という問題は、全国でも発生率が上位にある青森県そして弘前市にとってはしっかり向き合わなければならない問題ですが、これまで真正面からの研修会というのはあるようでなかったことだけに、健康づくり推進課でよくぞ組みこんでくれたと思っています。
実は以前、NHK「クローズアップ現代」で津軽地方の農業経営者の自殺が多いことを取り上げた際に取材に協力したことがあるのですが、それだけの問題をはらんでいながら具体的な対策がなく、私自身も問題が問題でもあり、そして周りにある話だけに、どうしたものか思っていたことだけに、これが市としてのアクションの第一歩となってくれたら何よりです。
一方、南部さんのNPOが中心になって遺族同士が話し合う場を作っている「分かち合い」という取り組みはまだ弘前市にはないようですし、五所川原市では「ほほえみの会」というNPOが精力的に活動しているのからしても、民間での動きも遅れているのが実情ですので、この問題に詳しい人かかわりのある人たちが動きやすくなる支援ができればと思っています。
ぜひ皆さんにも、自死・自殺問題を一緒に考えていただきたいと思います。
2015年2月17日火曜日
ロマントピアの安易な経営統合には反対
公社側からロマントピアに3000万円程度の出資を行って当面存続を図り、将来的な経営統合を進めていくということで一番妥当な解決策のように見えますが、私からすれば安易な手だてで将来展望が感じられないだけに、改めて論じておきたいと思います。
ロマントピアは旧相馬村が100%、岩木振興公社は旧岩木町が100%出捐(一般でいうところの出資)した第三セクターで、ロマントピアは白鳥座・満天ハウスといった宿泊施設や天文台、公社は国民宿舎いわき荘に百沢スキー場、最近ではロマントピアスキー場も指定管理をしています。
すべてが公共の建物施設であり、それを100%自治体出資の事業体が経営しているのですから、市が経営しているのと同義であるわけですが、ロマントピアが赤字で公社が黒字となっているのには単体としての経営力以前に市がどこまで会計的な責任を負っているかの違いが大きな違いを生んでいます。
公社が指定管理している百沢スキー場は、コース整備やリフト建設などの負担が重くのしかかり、スキー場のためだけに存在している岩木観光特別会計は合併以降6億円以上のカラ財源で回し続けており、市でもこの4年間で解決に向けた対策を取らないままで流れてきていますが、そこから指定管理料ばかりでなくリフト券などの売上も入っている公社で黒字があるのであれば一部であっても特別会計に繰り入れることがあってもよさそうですが、そういう形を取ったことはありません。
これに対してロマントピアは、今期から支配人が替わって積極的な方針に切り替わったのが功を奏して単年度黒字が見こまれる状況に改善しており、市で公社が出資するという3000万円を拠出すれば経営危機を脱して健全化への道に進んでいくことも可能なだけに、市がどこに支出をしてどういう方向に岩木・相馬の観光を向けていくのか、一旦猶予できる状況を作った上で根本的な方針を検討すべきだと思うのです。
とりわけ、同じ中津軽郡であった西目屋村がスノーリゾートとしての白神山地のPRを世界に向けてはじめたところで、岩木・相馬が後手に回るような応急措置で急場をしのぐようなことではさらに後れを取ってしまうだけに、こういう場面でこそ葛西市政のモットーであるスピード感をみせてほしいものですし、合併10年でのマイナンバーなどでお茶を濁している場合ではないと思います。
ぜひ、皆さんにも関心を持っていただき、岩木・相馬の観光や振興をどうすべきか、思いをめぐらせていただきたいと思います。
2015年2月16日月曜日
大鰐線を応援しよう
数年前から存続が危ぶまれるようになっていましたが、先日も沿線町会などで結成されている「大鰐線の存続を求める弘前市民の会」が12,000人を超える書名を会社宛に提出したのに対し、社長からは当面存続という安堵の回答とあわせて前年対比8.2%32,000人もの乗客減という厳しい現実も報じられています。
その内訳としては、定期客が24,000人近く減っているのだそうで、署名とは裏腹に沿線住民や通学の生徒学生の利用がさらに減っているということになり、イベントでの盛り上げでは焼け石に水で、中央弘前駅周辺の再開発まで持ちこたえられないのかも知れません。
弘前市にはJR奥羽線と弘南鉄道黒石線に大鰐線の3本の電車が走っていますが、沿線の駅ごとに商店街や住宅地があって生活と密着している感が一番強い路線であり、大学時代に都電で通った経験のある私からすると何とも親近感のわく電車だけに何とかならないものかと思ってしまいます。
以前、市では森市長をお招きして富山市の新型路面電車=LRTによるまちづくりを学ぶ「ひろさき交通フォーラム」を開催したことがありましたが、これは以前からの市電を新型にするばかりでなく、駅の数を増やし周辺への移住促進政策を打ち出して沿線の活性化と連動させて大きな成功を収めたことがわかりましたが、先日も富山大学の学生が沿線マップや運行アプリを開発したりイルミネーション車両を運行したりして盛り上げに協力しているのがTV番組で特集されていたように、まさに官民あげての取り組みが功を奏しているのを改めて知りました。
それからすると、大鰐線の場合は行政として対策を講じるにしても富山市ほどの大胆さがなく、弘大に公共交通のサークルがあるものの行政と連携して元気に動き回る形にはなっていないのが実情ですし、沿線町会でも赤字バス路線のように利用の有無にかかわらず全世帯で負担金という身銭を切って守る覚悟があるのかどうかも見えません。
ここで無い物ねだりをしても解決にはなりませんので、まずは魅力を再認識してもらう絶好の機会がありますので、ぜひ皆さんにも今週金曜日19:00RAB「笑神様は突然に…」の名物コーナー・鉄道BIG4が乗車する場面があるそうですので、外から見える大鰐線の魅力を確かめて、やはり地元が推さなければという思いを共有してもらえたらと思っています。
私も、何ができるか見えてはいませんが、何かしたいと思っています。
2015年2月15日日曜日
春なのに雪問題
昨晩中に何故か家の前に吹き溜まった雪を片付けでおいた。朝、御丁寧に除雪車が底まで引っぺがした雪で万里の長城を建設、匈奴宜しく馬の通り道を苦心惨憺開削して会社へ行った。開削の名残りは近所迷惑なので昼、ダイエットも兼ねて消雪溝へ放り込んだ。全く流れず涙に暮れた。なぜこんな事になるのか考えて見た。機械除雪量>>人間排雪量基本的な設計が狂っていると思った。消雪溝(あるだけマシである)が人力投入を前提としている限り、市民は機械除雪を補完するものとして雪捨てを強制される。若ければ良いが、お年寄りにしたら雪壁と戦うことは一種の拷問であろう。除雪は本来住民の為のものであるはずだが、除雪の為の除雪になっていないか?結果は人口減に拍車がかかることになるだろう。がりがり氷壁作成だけに税金を投入するのを止めて、消雪ないし排雪の仕掛けを作る方に回してはどうなのだろう。1ブロック1ブロックずつ極楽町内に改造して行ったらどうであろうか?先に「すばるインパルス」の話をしましたのは、融雪溝が整備されている昴町会でも、50~70代までのやる気のあるお父さんチームが日々励まし合いフォローしあって作業しているからできていることで、町会内でも車1台通るのがやっとという状況のところもあります。
それからすれば、やはり市民のやる気あってこその雪片づけということになりそうですが、そこに融雪溝があり町会長である私に時間延長などの権限があるのが土台にあるからこそできていることで、やる気以前にインフラということでは友人の言葉は私の思いでもあります。
今日も市内まで娘を送ってきた際に違うルートで回ってきましたが、雪かきに追われる市民と雪の量に追いついていないのが見えてしまう消雪溝の状況がそこかしこで目に入ってくるだけに、スマートシティなどといったかっこつけた取り組みよりも、1町会ずつ亀の歩みでもいいので実際に機能する雪対策を講じていくべきだと、改めて思います。
置き雪とともに消えていってしまう補正予算を毎年積み上げるよりも、一旦構築すれば長年使える消融雪システムこそ必要だと思いませんか?
2015年2月13日金曜日
介護保険料、もう一つの問題
今回の表明では、据え置きのために地域福祉基金から7億円を繰り入れること、現在取り組んでいるケアプランチェックなどによる利用適正化が功を奏さなければ3年後には大幅アップになるということでしたが、これは先に指摘したとおりの問題であり、改めて失政のそしりを逃れられないやり方だと思います。
これを繰り返し批判するのではなく、ケアプランチェックという手法の問題を介護支援専門員養成研修指導者という立場から論じたいと思います。
市では、サービス利用の適正化のためにケアプランチェックに取り組んで一定の成果が上がっているとし、来年度はさらに人員を増やして対応させる考えのようです。
これは、事業者が利用者を自分たちのサービスに囲いこむことを抑制するのが最大の目的ですが、これを抑えこむにはケアプランというレベルではなく有料老人ホームや付随するサービスそのものを増やさせないのが一番効果がありますし、それは市が覚悟を決めればできることなのは、何度もお知らせしたとおりです。
その意味でも、限定的な効果しか上がらない手法で職員に苦労させ事業者にも面白くない思いをさせるのはやめるべきなのですが、もっと大きいのはケアプランを立てる意義をまったく理解していないやり方が問題だからです。
私が養成研修で介護支援専門員の卵の皆さんに指導したり、施設で実践してもらったことに、利用者の状況に応じてケアしなければならない内容を計画に盛りこむのは当然のことながら、その方の残された力を生かしてできることを増やしていったり、これだけは実現したいと思っていることを年に一つでもかなえるような前向きなケアプランに取り組むことでした。
実際に、書道を好んだ方に施設のロゴに使用するからとお願いしたところ勇躍して立派な文字を書き上げてくれたり、90歳を超えて車イス生活となりながら東京にいる娘の病気が心配だからという方が上京するのを実現させたことなどで、どれだけ生き生きとしたかを実体験してきた立場からすれば、重箱の隅をつついて前向きなケアプランに取り組む気持ちや時間を削ってしまうようなチェックなど、認められるはずがありません。
こういう問題をはらんでいる手法を拡大しようとしていることや、自分たちが検討してきた介護保険事業計画を踏みにじるような据え置き表明に対して、介護にかかわる業界や団体から反論があってもいいはずですが、それが見られないのも残念なところです。
皆さんにも、財政的なことばかりでなく、ケアプランそのものに悪影響を与える方向に向いている市の介護保険制度に危機感を感じていただきたいと思います。
2015年2月12日木曜日
里山ツーリズムの可能性
たびすけの西谷雷佐代表が自身がスピーカーでもあるコーディネーター、コバヤシライスの小林淳一さん・弘前里山ツーリズムの田中幸樹代表・弘大の藤崎浩幸先生の3人がパネリストでのパネルディスカッションでしたが、4人とも日常の暮らしぶりにふれるツーリズムの魅力と可能性を語り、田中さんと藤崎先生は実際のツーリズムの受け入れ状況を伝えてくれました。
とりわけ雷佐は、雪かき検定やりんごツーリズムに県外からも参加者があることを紹介し、津軽の人間にとっては当たり前で大したこととは思わないことでも、喜んだり驚いてもらえることがたくさんあることの気づきを生かすことがツーリズムの盛り上がりにつながると、さすが路地裏探偵らしい見方で話を展開していて、刮目させてくれました。
当日のプログラムは、第1部で剪定や餅つきなどの体験ツアー、パネルの後にはワークショップと地元の総菜が盛りだくさんの交流会だったのですが、休日の家族サービスで中座することになったのは残念でしたが、地元での活動への協力ばかりでなく野田村との交流でも雷佐や田中さんにはお世話になりたいこともありますので、これからも注目していきたいと思います。
ところで、里山といえば藻谷浩介さんの『里山資本主義』ですが、今回はツーリズムがメインでしたので、サタ小山の活性化や藻谷さんが紹介したような里山ならではの産業おこしのような話題にはなりませんでしたが、この点では藤崎先生が里山には都会の力が必要とふれていたように、交流人口を増やす中からアイデアを持ってきてくれる人材とのマッチングにからんだヒントをお持ちのようでしたし、私からしてもこのテーマで考えたり動いたりしていかなくてはならないと思っているところです。
里山ということであれば、先日論じたメイドイン津軽の津軽塗などは漆の栽培から加工工場までできる環境があると思いますし、それこそ探せばさまざまなチャンスが転がっていると思いますし、それに気づくヒントをツーリズムで訪れた人たちからいただくことが第一歩になれば何よりです。
ぜひ、皆さんにも里山の可能性を考えていただきたいと思います。
2015年2月11日水曜日
まだ議員に人徳を求めますか?
大人げないと言われても仕方のない仕儀ですが、ご存じの方もあるとおり以前勤めていたというより経営していた長慶会騒動で親子の縁を切って以来かかわらないようにしているからですし、長男ながら100年経ったところでの建て替えは何の相談もなく行われてしまいました。
騒動に関しては、私の方が深手でしたが喧嘩両成敗で父も理事長の地位を失い、しがみついていた母も昨秋事務長から退き、長慶苑には妻が残るのみで三上家の個人商店に戻る気配もなく、県から選任された對馬理事長以下の理事会が運営にあたっています。
この件は、すでにどちらにも非がある形で終わったことであり、あの当時に見過ごしておきさえすれば当選できたかも知れないものを、自分から動いて招いた落選という結果を4年間受けとめてきた立場としては、今さらわびを入れる筋合いのことではありませんし、以前叔母のところで出くわした際に仲を取り持とうとした姉に向かって捨て文句を残していったこともありましたので、謝ってどうにかなる問題ではないのも事実です。
ただ、私のことを気にかけてくださる方々の中にも、親子関係の修復が最優先だとか、それさえできれば大丈夫なんだからと言ってくださる場合が多く、そのたびに言葉を濁して作り笑いで過ごしてきました。
それは、喧嘩両成敗とはいえ親の側には不正を超える業務上横領という犯罪行為があり、厳しくなる経営環境で人材を生かしながら世代交替を進めなければならないという私の主張の方が正しいと今でも思っているからであり、当選するために心を曲げるような人間が市民のために主義主張を貫き続けられるわけがないと思うからこそ、損であっても親不孝のレッテルをはがずに今回も臨んでいるのです。
その意味では、徳のない生き方で得もない選択なのですが、首長というトップに立つ求心力を求められる立場ではなく議員という市政の監視役を果たさなければならない側に必要なのは、人徳以上に頑固者と呆れられても筋を通していく姿勢だと思っていますので、これを曲げるわけにはいかないと思うのです。
それは人徳もあり筋を通す一徹さも兼ね備えていれば文句なしかも知れませんが、そんな聖人君子がおいそれと存在するわけもなく、筋を通す議員がいてほしい、せめて一人いてもいいじゃないと思っていただける人たちからの支持で当選させていただければ本望だと思っていますし、それがかなえば心底感謝することで少しは徳のある人間に成長できるかも知れません。
ぜひ、ご縁のある皆さん、また私に関心を持ってくださる皆さんには、今のこの思いを受けとめていただければ幸いです。
2015年2月10日火曜日
ふるさと納税ブームへの懸念
番組では、必ず得できる制度としてふるさと納税を取り上げ、自分のふるさとでなくてもよいこと・寄附金であること・プレゼントがつきものであることを紹介して、年間300万円の寄附を200自治体に振り分けている人からは「(控除額の)2000円でもらえるお取り寄せギフト」というコメントまで引き出していました。
この人は、300万円まで寄附できるほどの高額所得者であることも紹介されていましたが、そのプレゼントだけで食費もかからないとまで言うほどの産品が毎日のように届くのだそうで、今話題のピケティの論ではありませんが、所得のある人ほど得ができる仕組みであることまで見えてきます。
一方で、ふるさと納税を受け取る側として13億円という桁外れの寄附を受けている長崎県平戸市が紹介されていましたが、プレゼンとのために地元産品が大量に購入されるため、地元業者がうれしい悲鳴を上げる姿もあって、これだけ見ると首都圏でふるさと納税に回される側の自治体だけが損しているものの、それをねらった仕組みなので遠慮せずに活用しましょうという内容でした。
MCであるマツコ・デラックスも、出身地にふるさと納税しようかなあとコメントしていましたが、これでさらにブームが広がってしまえば抱えている問題が拡大してしまうだけに気がかりです。
ふるさと納税を行う側としては、そのことで自治体に寄附金が入り自分はプレゼントを受けられる一挙両得の制度と思っているでしょうが、控除額を引いた分が収まるとしてもその見返りに届くプレゼント購入に回っているのであれば、本来の自治体を応援するという形にはなりませんので、何のための仕組みなのかということになります。
また、財源が寄附金かどうかはさておき、プレゼンとのために産品を自治体が買い上げるというのは、仮にそれが地元を代表する名産物であっても売上の保証をする=地元業者を補助金づけにするのと同じことで、何度も指摘している補助金行政を知らぬ間に拡散させてしまうことになりますし、この制度が変わった際には業者への打撃も避けられないと思います。
こういった問題が見えないままに、人気番組やサイトでふるさと納税がカジュアルに広まってしまうことへの懸念を、皆さんにも理解していただきたいと思います。
弘前市の石垣普請応援コースは、石垣への刻銘というインセンティブだけだと思いますが、他の4コースでもプレゼンとなしでも集まる寄附を最大限活用させてもらう形で、額にとらわれない方針で取り組むべきだと思います。
2015年2月9日月曜日
鳥取市議会に学ぶ議会改革
鳥取市議会および鳥取市では、2010年度から「議員質問への対応状況」というページをサイト内にもうけて、一般質問に対する市の対応状況が一目でわかるようにしています。
ずいぶん前から取り組んでいたにもかかわらず不明でしたので恥じ入っているところですが、それぞれの質問一問ごとに対応済み/対応中/検討中といった区分で示されており、これは議員からしても自分の質問でどういう動きになっているのか見えますし、市の側でも受けた質問に真摯に取り組んでいるかを議員だけでなく市民にも理解してもらうことになる取り組みで、あったらいいなと思っていたことをすでに実現させていたものだけに感心しているところです。
これであれば、質問をすれば市が動くというのが形になっていますので、「あれをやった、これもやった」という本当かどうかわからない議員の手柄話は通用しなくなりますし、表でこれだけ対応しているとなれば裏で口利きするやり方もやりづらくなるでしょうから、議員が市民のために質問して提言するという本来の仕事に集中できる(もしくはせざるを得ない)ことになります。
ところで、これほど先進的な取り組みをしている鳥取市議会ですが、今流行りの議会基本条例は昨年6月の議会改革検討委員会の諮問においても、19ある長期的課題の下から3番目という扱いで、それより先に具体的な改革を積み重ねていこうという姿勢で進んできて今後もその方針で進めていくのだというのが伝わってきます。
弘前市議会では、この半年弱の議論で素案がまとまった議会基本条例に対するパブリックコメントや法務指導監による法令とのすりあわせに入っており、3月定例会で制定される流れとなっていますが、本当の意味で市民のための議会となるための具体的な内容が盛られているとはいえないのが、鳥取市議会と比べると如実にわかります。
その意味では、4月の選挙を経てからの実際の取り組みが本当の改革になっていかなければなりませんし、そこでは鳥取市での市と議会がタッグを組んでの情報公開のように、議会ばかりでなく市にも変わってもらう働きかけが必要だと思っています。
市民の皆さんとは肩を並べて活動していきたいと思いますが、こと議会改革については議会の先頭に立ちたいと思います。
2015年2月8日日曜日
ふるさと納税の次に考えるべきこと
それによると、対象となったのは1,042名ということですから、単純に掛け算しても1,000万円を超える額になっていますので、昨年度の313万円からは少なくとも3倍以上になったのは間違いありません。
これでも制度を見直した意義はあると言えますが、上には上があって近いところではお隣大館市では今年度1億円を超えたということですので、まだまだ工夫が必要だとも思えます。
ところで、ふるさと納税の趣旨は出身者や弘前市を愛してくださる外部の方からの寄附を呼びこむことあるはずですが、この寄附者の中には市民も含まれているそうで、これは特定の事業を指定して納税するのと同じことになります。その問題点は前述したとおりですが、今のところ市で検討したことも議会で取り上げられたこともありません。
これに対して、埼玉県鶴ヶ島市ではTOWNTIPという市民向けSNSと連動して、登録している市民活動団体の活動に市民がポイントで応援した分が金額に換算されて寄附される仕組みを6年以上前から導入しており、私も在職中に視察して感嘆したことがあります。
SNSとの連動はさておき、鶴ヶ島市の市民活動を市政の事業に置き換えて、12月の年末調整の時期にあわせて市が単独で事業化しているものを列挙した書類を市民税納税額1万円以上の市民に対して送付し、このうちどれかを指定して寄附扱いにするかどうかを選択してもらうことにすれば、市民にとって自分が希望する事業が寄附によって実現できたとなれば市政に対する関心も高まると思います。
また、その額の多寡が市民がどんな事業に力を入れてほしいかのバロメーターであり評価ということにもなりますので、それをふまえて事業の継続・拡充もしくは廃止を検討していく形になれば、市民主権でのPDCAサイクル実現ということにもなりますので、葛西市政の根幹となるシステムまで昇華できるものだと思います。
ふるさと納税はブーム化していますが、それに乗って競争するより、その仕組みを市民に振り向けるベクトルの方が、弘前市の存在価値を高めることになると思いますので、必ずや提言していくつもりです。
2015年2月7日土曜日
弘前珈琲の原点と未来を考える
サードウェーブとは、Wikipediaにまだ登録されていないほど定義が定まったワードではありませんが、歴史的には19世紀後半のアメリカンコーヒーがファーストウェーブ、シアトル発のスターバックス・タリーズなどがセカンドウェーブであり、特色としては産地からのダイレクトトレードによるシングルオリジン(単一種)の生豆を店舗でローストし、さまざまな方法で抽出できる腕の立つバリスタがいる店で出されるコーヒー、ということになります。
ところで、ブルーボトルのCEOがTVインタビューに答えて、このスタイルの原点は日本の喫茶店にあると言っていたように、ある意味ではコーヒーのおいしさを追求する上では日本の珈琲文化は侮れない地位を有しているのを改めて知りました。
その中心地の一つでもあり、珈琲法要の故事からすれば発祥の地と言ってもよい弘前ですが、成田専蔵珈琲店では海外に直接契約している農園があり、それを自社工場で焙煎して厳しい品質管理の下で販売提供しているわけですから、これは原点であるとともにサードウェーブと重なるスタイルであるのがわかりますし、専蔵先生から「スタバは古い、これからはサードウェーブ」と言われても何のことやらわからなかったのが、ようやく腑に落ちたところです。
スタバの件では、民間資本とのつきあい方で問題提起をしましたが、市では地元の珈琲館傾斜との協議をするとし体ましたが全然動きがないそうで、周回遅れのスタイルが弘前の珈琲文化とも相容れずに北京・故宮から撤退したような始末にならなければよいがと、心配したくなってきました。
それはさておき、以前開催したカフェトークも修故創新塾も開店休業になっていますので、この機会においしい珈琲をいただきながら、弘前の珈琲文化とサードウェーブという新時代を受けての未来予測を成田専蔵先生に学ぶ、修故創新カフェトークを行うことにしました。
下記のとおり開催しますので、ぜひ学び語らいましょう。
- 日時:2/21(土)10:00~
- 場所:城東・成田専蔵珈琲店
- 会費:無料/各自珈琲を注文していただきます
市民にとっての雪灯籠まつり
実は、市民とはいえ元々は相馬村民だけに雪灯籠をつくるのにかかわったこともなければ、子どもたちが学校や子ども会の活動でつくりに来たこともなかったので、まつり期間前の弘前公園で作業をする貴重な機会となりました。
この時期でも、公園には中国系のツアー客が回ってきて雪だるまを喜んで見入ったり、イベントの準備で来た佐藤ぶん太、と出くわしたりと、来てみなければわからない出会いもありますし、これだけの準備が必要なのだと気づくことにもなりました。
考えてみれば、春の桜まつりと秋の菊と紅葉まつりに市民がかかわる場面はほとんどなく、夏のねぷたは自分たちで作って出陣するにしても、ねぷた小屋は各地に散らばっているのでそれぞれの活動ぶりは見えない形だけに、冬の雪灯籠づくりだけは市民や各団体が同じ場所で作業する稀有のイベントだというのを初めて実感しました。
桜会議の皆さんも「この天気だと崩れるかも知れないから、来てみないと」と話していたように、自分たちが手をかけた雪灯籠や雪人形があることで足を運ぶ気にもなりますし、その意味では四大まつりとして一くくりに考えるのではなく、市民参加型で行う最大のイベントと位置づけて考える方がよいのではと思えてきました。
それからすると、私のように作ったことのない市民の方が大多数だと思いますし、子どもの頃の記憶と比べても雪灯籠の数が減っているように思いますので、より多くの市民が参加協働する働きかけをしていくべきだと思います。
何はともあれ、まずは見ないとはじまりませんので、今日から11日までの間にぜひ弘前公園に足を運びましょう。
2015年2月6日金曜日
子育て支援課長に刮目
いただいた情報というのは、笹森町にある子育て支援センターが今年度で閉鎖となるが、同時に閉鎖となる和徳幼稚園に移転する形で継続できないものかということでした。ヒロロが開業し3Fにヒロロスクウェアが開設されて子育て支援センターも組みこまれているのですが、こういうところにはしわ寄せがきます。
急なアポに対しても段取りよく予定を調整してくれて午後に時間を取っていただいたのですが、後藤課長の要領を得た説明で三つのことがよくわかり、(女性向けの言葉ではありませんが)刮目してしまいました。
一つ目は、5歳児検診を開始したところ知的障がい・発達障害や境界域にある子どもが多いことがわかったので、閉鎖後は2Fで開業している知的障がい児通園施設を1Fまで広げてもらい、軽度の身体障がいまで対応するように準備を進めているのだそうです。
二つ目は、子育て支援センターの機能に関しては、新年度から市内の保育所のうち21ヶ所が認定こども園に切り替わるのだそうで、その条件として子育て支援事業を実施することが入っているので、相談窓口としては格段に増えるのだそうです。
最後に和徳幼稚園の跡地利用については、課としても検討してみたものの、文部省からの補助金で建てられている関係であと3年は別用途に切り替えると補助金返還することになるのと、建物の老朽化で床の張り替えをする必要があり、さらに立て替えるにしても売却するにしても地下に埋設されている下水管の処理も発生するということで、これから公共施設をどのように集約活用していくかというファシリティ・マネジメントの観点からは、活用を図るわけにいかない状況であるとのことでした。
また、情報をくださった人が相談よりもセンターでの活動を主眼に置いているのであれば、自分の町会の集会所→公民館であれば無料で借りることも可能であるし、日程が合えば近隣の児童センター・児童館なら午前中の空き時間に使ってもらうこともできるので、そういった方法も考えてみてくださいと伝言までお願いされました。
こうして足を運んでみると、該当年齢の子どもがいないという言い訳はさておいて子育て環境の変化についていけてないのを痛感しましたし、子育て問題のようで障がいやファシリティ=施設管理のことまでかかわってくるように、多面的に問題を理解する必要がありますし、そのことをしっかり市民に伝えていく役割の重大さもわかりました。
これで納得してもらえるかは別にしても、久々に実のある説明を聴くことができて何よりでした。
2015年2月5日木曜日
「自分ゴト」としての862万円
ムダな公費支出であり葛西市長の政治姿勢が問われる問題にもかかわらず、こういう結果にとどまっているのは、多くの市民にとっては自分に関係のない「他人ゴト」にしか思えないからでしょうし、どうしたら政治に関心を持ってもらえるかという大問題を改めて突きつけられた気持ちです。
ただし、その総会の中でヒントをいただいたので、気を取り直して皆さんにも「自分ゴト」と思ってもらえるよう、お伝えしたいと思います。
総会に参加した方々からの意見には岩木川の水質への悪影響、ゴルフというスポーツが多くの市民のためのものであるのか、今の指定管理者はどんな会社なのか、などなどゴルフ場にかかわる問題は多岐にわたるのに、行政訴訟で争っているのは862万3千円の特別清算補助金の支出を差し止めることの一点だというのも、「他人ゴト」に思えてしまう一因だと思います。
それをいいことに、市が裁判所に提出した答弁書では、市の会計規模からすれば過大な支出ではないとまで言い逃れているのですが、今回の意見交換の中でそれが3歳児まで無料となっている医療費を就学時まで拡充するのに必要な額だという話が出ていたように、自分の身の回りで何とかしてほしいことを実現できるとわかれば、それならそちらに回してほしいと、「自分ゴト」に思えるのだと気づかされました。
その意味では、さまざまな問題が見えてきているにもかかわらずふるさと納税が広まっているのは、石垣修理といった自分の望む自治体の応援や事業推進に寄附が回るのがハッキリしているだけに「自分ゴト」と思えるからでしょうし、この補助金862万円をあなたが希望する事業に回しますので提案してくださいということになれば、それこそ真剣に考える人も多いのではないかと思います。
ゴルフ場問題を市政の大問題として追及することも当然必要ですが、そうやって支出するだけの余裕があるのであれば何に使うべきかを考えるという見方をすれば関心を持ってもらったり、問題の核心まで伝えることにつなげることも可能になるという発想も大事ですし、その上で支出すべきか使わずに次に回すかを判断するという流れへと進めていくのがよいと思うのです。
さて、皆さんなら862万円を何に使ってほしいですか?
スタバ問題で改めて気になること
今の時点で止めることもかないませんが、市民の皆さんに改めて考えていただきたい情報を二つお知らせしたいと思います。
一つは、スターバックスでアルコール提供がはじまるということです。
これはカナダでの話題のように伝えられていますが、この件に詳しい知人からの情報によると、スタバは投資家筋から新たな取り組みを求められており、もしかすると師団長官舎への出店もその一環かも知れないということでしたが、もしかすると市役所前の文化財からほろ酔いの客が出てくるようなことになりかねませんし、今の立体駐車場の状況からすると事故を誘発する懸念も生じてきます。
もう一つは、スタバのような強力な民間資本に対して市からのコントロールが効くのかどうかということです。
スタバが進出した公共施設としては、佐賀県武雄市立図書館が有名ですが、ここは当時の樋渡市長が主導してTSUTAYAが指定管理を受託したことで注目され、弘前市議会でも視察に訪れているようです。
功罪伴う指定管理だというのは、利用者数の急増や視察見学の増加の一方で、江戸時代の蘭学史料を放り出しているといった収蔵庫としての機能を損ねているという批判などから伝わってきますが、一番の問題は図書の貸出にT-POINTカードを用いることで公共のための個人情報が民間企業に流れる懸念があることです。
これに対して、私がいるから大丈夫とタンカを切っていた樋渡市長が1月の佐賀県知事選に打って出てしまい、市長からすれば総務省の後輩でもある30代の秘書室長が後継する形となりましたが、良し悪しは抜きにしてもカリスマ的な樋渡市長であれば対等に交渉できていたことでも、能吏であっても押しが強いわけではない市長に代われば、どこまで民間の圧力や暴走を止められるか心配になるのが当たり前だと思います。
弘前市の場合も、葛西市長はリーダーシップを持って次から次へと新規事業に取り組み、その一環としてスタバ出店や今関勝さんの採用という民間資本との連携を進めているのだと思いますが、実務をつめていく職員がそれについていけるのか心配ですし、次の市長がこれと反対の姿勢に立てば180度ひっくり返す必要に迫られることも出てきますから、より慎重な取り組みと市民も趣旨に納得して応援してもらえるだけの説明責任を果たすべきだと思うのですが、どうもそういう風には見えません。
民間の立場に立てば、ダイエーが旧ジョッパルから撤退したように、経営環境が変われば進退は自由というのが当然でしょうし、ましてや師団長官舎は文化財であるだけに手を入れてしまえば元に戻らないわけですから、その場の思いつきで進められては困ることばかりだと思うのです。
民間の力を生かすことはこれからますます必要になってくると思いますが、それだけに市としてどのようにかかわるのかしっかりと固めてからではないと危ういだけに、心してかかるべきだと思っています。
2015年2月4日水曜日
春に立つ思い
季節は変わりましたが、このBlogで自らの思いや提言、市政への向き合い方をつらつらと表明してきたものの、ここ数日で読了した本田哲也・池田紀行両氏の著作にふれて、自分への支持拡大ばかりでなく選挙への関心を呼び起こすにはどうしたらよいのか考えさせられました。
本田さんの『[新版]戦略PR』には、「カジュアル世論」と名づけられた空気をつくることが戦略PRであるとされていて、これは広告やマーケティングが賢い=疑い深い消費者に通用しなくなってきたからこそ重要になってきたことが、2008年のハイボール復活などを例に引きながら紹介されています。
これを選挙に置き換えて考えると、政治にかかわる人間が選挙に行きましょうとか自分を支持してくださいと真っすぐに主張しても、有権者からすればその候補者が当選しても何か変わるとは思えないという空気が変わらない限り投票に行こうとか応援しようと思えないということになりますし、弘前市や青森県の低投票率はまさにこの空気の表れということになります。
その本田さんと、ソーシャルメディアマーケティングの第一人者として知られている池田さんが、それぞれの立場を補完しながら社会的な影響力を発動させるためのエッセンスをまとめたのが『ソーシャルインフルエンス』です。
その中には、物事が自分に関係のある「自分ゴト」と思ってもらえるように働きかける難しさが語られていますが、これは無関心だったり関係のないことと無視している「他人ゴト」と思っている人に広告を打っても関心を引かないのと同じく、選挙に関心のない市民に私はこんなに真剣に市政に取り組むつもりですと訴えても届かないのは道理ということです。
さらに、ソーシャルメディアにおいて口コミで広がらないというのは、「自分ゴト」から「仲間ゴト」「世の中ゴト」へと波及していかないということになりますが、ニュースの中でシェアやリツイートされるのは芸能が上位で政治・国際が下位なのだそうで、その意味でも政治のことで関心を持ってもらっても広げてもらうのは至難の業ということがわかります。
それだけに、今私が考えなくてはならないのは、毎日Blogを更新して幅広い分野の中でどれかは関心を持ってもらえるという当てずっぽうなやり方でなく、市民の皆さんがこのことを何とかしてほしいと思っていることは何か把握し、それに対してどんな姿勢で向き合うのか理解してもらうことを今一度考えていこうと思っています。
そんなことより、一人でも多くの人にあいさつ回りをして顔を売ってこいという声が聞こえそうですが、自分が市議になれればよいというのではなく、弘前市の政治を変えたいと思っているからには、根本から変える動きをしなければならないと思うだけに、この難題に取り組みたいと思うのです。
これが立春にあたっての、私の思いです。
2015年2月3日火曜日
今冬最後の雪対策私論
昨日の降雪で弘前市の積雪量は114cmとなり、青森市を30cm上回っているのだそうですが、近年では驚くことでもなくなるほど、大雪に見舞われ続けています。
それでも、この1週間は雪の日が少なく、各所で屋根の雪下ろしや排雪に励む姿を見かけましたが、気になるのは娘を送る際に桜ヶ丘団地から自衛隊に抜ける道路にある川にかかる橋から投雪するために軽トラックが並んでいるのを見かけることです。
岩木川と堀越どちらの雪捨て場でも距離があり、家の分の量なら大した迷惑にもならないという気持ちで近隣の人がやっていることだとは思いますが、河川に雪を捨ててはならないのは決まっていることであり、守ってもらわなくてはなりません。
守ってもらうためには、もう少し雪捨て場を増やして分散させる必要があると思いますが、場所を確保するとなると各方面に広い公共用地があるわけではありませんので、増やすとなると私有地を提供してくださる方と契約する必要に迫られることも考えられ、それがさらなる支出につながるだけに二の足を踏んでいるのだろうと推察します。
そこで考えなくてはならないのは、雪捨て場の有料化です。
実は、昨年3月に策定された「雪対策総合プラン」でも検討課題として明記されており、有料化に関する懇談会を設けるとされているだけでなく、雪捨て場に関していくつか提言があり、融雪機能を付設したスマートパーク、都市公園や学校の校庭を雪捨て場として活用、さらには民間雪捨て場に対する固定資産税減免といったことも上がっていますが、今のところ動きは見られないように思います。
農地や公園・校庭に関しては、箇所数を増やすのには手っ取り早いかも知れませんが、春先には消雪して本来の使用に向けられる必要があるだけに実際には効果的ではなくなる可能性もありますので、スマートパークや札幌市のような融雪機能のある雪捨て場というのは設置費用がかかるだけに、おいそれとは着手できないだろうと思います。
これらのことを考えあわせて、現実的対応として排泄量を抑制していくには有料化というのが一番妥当なところだと思います。
個人や事業所からの排雪に関してのみ有料とし、それを新たな雪捨て場確保や融雪設備設置のための財源に充てるとすれば、利用する市民にも納得してもらえると思いますし、このような動きが雪対策を我がこととして市民に考えてもらう契機にすることにもつながります。
雪の問題には、皆さん苦労しているだけに思いがあるでしょうから、ぜひご意見をお聞かせいただきたいと思います。
2015年2月2日月曜日
長谷川成一館長と語らう
財団がメインで伝えたかったのはESD:Education for Sustainable Development=持続可能な開発のための教育を新年度から展開することでしたが、市立博物館・長谷川成一館長の基調講演「江戸時代の人は、天気不正の原因をいかに考えたか?」が終わったところで席を立つ人が少なからずいたのを見ると、どちらを目的に参加していたのかわかる気がします。
講演の内容は、江戸時代の弘前藩で天気不正=異常気象をどのようにとらえていたのか、それと岩木山信仰がどのようにつながるのかということでしたが、関心の高い参加者が多かったせいで質問が次々と上がり、それに対して先生がていねいに学者としての本分を守りながら回答されていたのが印象に残りました。
私も財団の事務を所管しているエコリパの会員ですので、終わってからの交流会にも加わったのですが、ちょうど先生と対面の席でしたので、この機会とばかりに質問をぶつけてみました。
先生は秋田県本荘(現在の由利本荘市)生まれで弘大で学んで以来弘前市に在住されているのだそうで、弘大を退官して昨年4月から博物館の館長に就任されています。
就任当初は職員が引っ込み思案でギャラリートークをしたいという申し入れを断ることまであって驚いたそうで、まずは自分が積極的にやってみせようということで自らギャラリートークを行ったところ、入口のロビーからあふれるほどの聴衆が集まり、安全面を考慮して100名限定とすることにしたものの、3日もあれば埋まってしまい電話がつながらないという苦情をもらう形になって、うれしい悩みを抱えているとのことでした。
動くことで人が集まるのを目の当たりにしてからは職員も前向きに企画を考えるようになり、非常にいい形で運営できているということで、これは外部の人材がもたらしたプラスの効果が出た好例だと思います。
歴史のことでいえば、初代為信公と2代目信枚公の間に長子である信建がいて、関ヶ原の戦いの際には西軍で大坂城を守る立場であるほどの存在だったので本当の2代目はこちらで信枚公は3代目ではないかと質問したところ、藩主とは幕府が定めるものなので津軽家12代というのは変わらない、ただし惣領と認められているので津軽家としては後を継いだということもできると、文献史学者の立場からご教示いただきましたが、その信建がイエズス会の史料に名を残しているのが発見されたそうで、4月のギャラリートークのテーマにされるそうです。
長谷川館長とお話ししてみると、外部人材の登用の効果というのがわかりますが、他の方々だと外で講演したというのを聞いたこともなく、中での仕事ぶりはさておいて、それが外に伝わっていかないのはもったいないことだと思いました。
ESDには、ひろさき魅力プロデュース室の盛和春室長も参画しているのですが、今回は交流会参加の予定が都合がつかなくなったのだそうで、スタバ問題の真相を聞けずに残念というか、見当違いの批判をするなと先輩からのお叱りを受けずにホッとしたというところでしたが、この件でも室長が市民に向き合って語ってくだされば疑念を抱かれずにすることもあると思っています。
最近、葛西市政批判を繰り返していますが、いいところは認めるの表れと受けとめてくださるとうれしいです。
2015年1月31日土曜日
ゴルフ場ネットワーク総会のご案内
住民監査請求から行政訴訟へと舞台を移したゴルフ場問題ですが、さる23日に第1回口頭弁論が行われ、市から答弁書が提出されましたので、それに対する反論を検討するとともに、2015年度総会の打ち合わせが議題でした。
その答弁書によれば、市民ゴルフ場には公益性があること、特別生産によらなければ管理棟などを取得できなくなる可能性があったことを主張しているのですが、その中で見えてくるものがありましたので、お知らせします。
一つは、公益性を論じる中で、市民ゴルフ場は都市公園であり社会体育施設の位置づけを有するとしていることです。
これは、社会体育施設であると言いつのってきたのからすれば、本来の位置づけを事実として認めた形になりますが、そうであるならば当時で言えば商工観光部・公園緑地課の所管するところであり、教育委員会・保健体育課ではなくなりますし、実際に1992年の市内部の協議についての復命書には保健体育課の所管とするのであれば正規の手続きが必要との保体課係長の書きこみがあり、それがなされないまま1994年の教育年報には社会体育施設として掲載するという形になっており、その後も都市公園審議会においても社会教育審議会においても位置づけについて検討された形跡はありませんので、自ら墓穴を掘る主張だと思います。
第一、公益性がある社会体育施設というのであれば、市民体育館のように練習のために借りることも当然ですが、スコアカードに「ここは練習場ではありません」と明記するのはおかしいことですし、一部の人間を優遇する預り金=会員権をもうける場所が公の施設と言えるはずがありませんし、今回はその預り金という債務に対する特別生産補助金を、繰り返し債務は会社の責任で市は負担しないと言ってきたのをひっくり返したことの是非が問われているのです。
もう一つ、答弁書の中に「市主導で」という文言があります。
これまで、ゴルフ場の問題はWF社の責任であり、役員として名を連ねている市幹部は個人として就任しているとして、市の責任はないことを何度も答弁してきたはずですが、裁判で被告となってみれば自分たちが主導していたことを表明したことになります。
実際は、さまざまな申し入れがWF社からあったにせよ、どういう解決方法を採るかは市が検討を重ねた上で動いてきたのは昨年6月の特別清算に関する内部協議資料でも明らかですので語るに落ちた感はありますが、それでは議会での質疑や市長記者会見を通じて市と市長は市民に嘘をつき続けてきたと認めたことに他なりません。
このことは3月議会でも当然問題になってくるでしょうし、市民に嘘をつくという背任行為で進められてきたものを公益といえるのかという点にも降りかかってくると思います。
これ以外にも、突っこみどころ満載の答弁書の内容を詳しく説明し、今後の活動について意見交換する総会がありますので、関心のある市民の皆さんにぜひ出席していただきたいと思います。
- 日時:2015年2月5日(木)18:00~
- 場所:弘前調剤薬局 2F会議室