9/20に発足した「弘前縄文の会」に、ようやく参加することができました。
以前から大森勝山遺跡をはじめとする市内の縄文文化に関心を寄せてきた者として、会発足の翌日に記事を目にしたところで会長である今井二三夫さんと顔を合わせる機会があり、その場で入会を申し入れ、先月の見学ツアーには参加できなかったものの、今回の座学と忘年会はぜひともと思っていたのでした。
40名弱で設立した会は、すでに90名を超える会員となり、当日も60名以上の参加で和気あいあいとした熱気にあふれていまして、今井さんが講師を務めた縄文土器の基礎知識の座学で耳を傾け、その後の忘年会ではゲームや歓談に興じて楽しい交流の場となりました。
今井さんは、市職員として教育委員会をはじめとして各部局で活躍し、市立病院事務局長で退職した後は観光コンベンション協会専務理事として先日まで務めてこられた市を代表する行政マンの一人でしたが、大学時代の専攻が考古学だったそうで、公職を退いたところで一番思い入れのある縄文文化や文化財保護のための活動を次々と立ち上げています。
とりわけ、世界文化遺産登録をめざしている北海道・北東北の縄文文化遺跡群のうち、県内では青森市の三内丸山遺跡、国宝指定された土偶が出土した八戸市の是川遺跡が有名ですが、三内は遺跡応援隊がガイド活動に偏重してしまっていて、是川でも4年間で一度も勉強会を開催できていないことから、弘前縄文の会としては座学や体験実習、見学を通じて学んでいく会をめざしていきたいということでして、これは非常によい取り組みでさすが今井さんと感服しているところです。
参加者の多くは50代以上の女性の方で、「こういう勉強についていけるかしら」という不安の声も聞こえていましたが、それに対して「まずは参加して、活動を応援すればいいんだから」と励ます方もいて、こういった形で素人の市民が縄文文化に接する機会ができて、世界文化遺産登録に向けた盛り上がりをつくっていく原動力になるというのは、官民協働での活動になっていく土台となりますので望ましいことです。
再起の暁には、世界文化遺産登録そして縄文・砂沢文化の意義を学ぶ教育の実現に力を尽くしたいと思いますが、それはさておいても一会員として縄文の会の活動にかかわっていくつもりです。
2014年12月8日月曜日
2014年8月10日日曜日
大森勝山じょうもん祭りに行こう
本来であれば修故創新塾その一の報告が先なのですが、ちょうどこの二日間で大森勝山じょうもん祭りが開催されていますので、そのPRのために大森勝山遺跡のことをまとめておきたいと思います。
大学では日本史それも古代史を専攻し、研究者への道は社会人生活を経験してからと先送りした私でしたので、市議時代に一番しつこく質問したのは、当時縄文晩期では最大級の環状列石=ストーンサークルが発見され国史跡そして世界文化遺産への登録をめざすことになった大森勝山遺跡についてでした。
環状列石が発掘されて特別公開された際には、当然だと思って見学に足を運んだところ対応にあたっていた当時の教育部長や文化財保護課長に市議がわざわざ来るとはと驚かれてしまったように、江戸時代以降の文化財ならまだしも有史以前の遺跡に関心を持つ議員は稀有の存在でしたし、さらにそのことを一般質問ばかりでなく予算決算特別委員会で半年ごとに史跡指定や世界文化遺産登録への進捗状況を確認されるとはあり得ないことだっただけに、課員も質問に備えつつ自分たちの仕事を披瀝できることに張り合いを感じていたと聞かせていただいたこともあり、北海道・北東北の縄文遺跡群の一つとして世界文化遺産候補になったことは私にとってもうれしいことでした。
それから4年、暫定リストには加えてもらったものの国内での推薦でも先送りされて、なかなか本登録に至るのは険しい状況ですが、それだけに地元での盛り上がりは大切ですし、弘前市にとっては唯一無二の世界文化遺産となりうる史跡なのですから、もっと市民に知ってもらう取り組みが必要なだけに、短い時間でもと思って足を運んだのです。

現地には遺跡を見渡せる櫓が建てられ、出土した列席の位置がわかるように再現されています。また、市職員ばかりでなく発掘にかかわっている市民や地元町会の方々もボランティアで手伝っていました。
この遺跡の大事なところは、環状列石という祭祀にかかわる遺構があるばかりでなく、ここから大石神社から岩木山の三つの峰の一つである赤倉山頂へと一直線に結ぶラインには原初岩木山信仰にとっての重要なラインがあると思われるのですが、そこに縄文早期から平安時代までの住居跡が出てくるように非常に長い期間にわたって人が住んでいたというのは、縄文時代の津軽の人々にとっては北から南の方向に見える岩木山の姿が正面だと言えるのもかも知れません。
それが本当かどうか確かめるためにも、今日は大森勝山遺跡に出かけましょう!
大学では日本史それも古代史を専攻し、研究者への道は社会人生活を経験してからと先送りした私でしたので、市議時代に一番しつこく質問したのは、当時縄文晩期では最大級の環状列石=ストーンサークルが発見され国史跡そして世界文化遺産への登録をめざすことになった大森勝山遺跡についてでした。
環状列石が発掘されて特別公開された際には、当然だと思って見学に足を運んだところ対応にあたっていた当時の教育部長や文化財保護課長に市議がわざわざ来るとはと驚かれてしまったように、江戸時代以降の文化財ならまだしも有史以前の遺跡に関心を持つ議員は稀有の存在でしたし、さらにそのことを一般質問ばかりでなく予算決算特別委員会で半年ごとに史跡指定や世界文化遺産登録への進捗状況を確認されるとはあり得ないことだっただけに、課員も質問に備えつつ自分たちの仕事を披瀝できることに張り合いを感じていたと聞かせていただいたこともあり、北海道・北東北の縄文遺跡群の一つとして世界文化遺産候補になったことは私にとってもうれしいことでした。
それから4年、暫定リストには加えてもらったものの国内での推薦でも先送りされて、なかなか本登録に至るのは険しい状況ですが、それだけに地元での盛り上がりは大切ですし、弘前市にとっては唯一無二の世界文化遺産となりうる史跡なのですから、もっと市民に知ってもらう取り組みが必要なだけに、短い時間でもと思って足を運んだのです。
現地には遺跡を見渡せる櫓が建てられ、出土した列席の位置がわかるように再現されています。また、市職員ばかりでなく発掘にかかわっている市民や地元町会の方々もボランティアで手伝っていました。
この遺跡の大事なところは、環状列石という祭祀にかかわる遺構があるばかりでなく、ここから大石神社から岩木山の三つの峰の一つである赤倉山頂へと一直線に結ぶラインには原初岩木山信仰にとっての重要なラインがあると思われるのですが、そこに縄文早期から平安時代までの住居跡が出てくるように非常に長い期間にわたって人が住んでいたというのは、縄文時代の津軽の人々にとっては北から南の方向に見える岩木山の姿が正面だと言えるのもかも知れません。
それが本当かどうか確かめるためにも、今日は大森勝山遺跡に出かけましょう!
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