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2015年4月2日木曜日

自主防災会の連絡組織を

先日の地元紙の記事によると、八戸市で自主防災会の連絡組織である「自主防災会連絡協議会」が設立され、加入した81の防災会で人口の8割以上をカバーする形なのだそうです。
これにひきかえ、弘前市では約300の町会がありますが、そのうち自主防災会を組織しているのは100にも満たない状況ですし、ましてや連絡組織を立ち上げようというような機運はまったくありませんが、相馬地区では2年前に全16町会で会が組織されています。
今回は、自主防災会のあり方を考えてみたいと思います。

相馬地区では、3年前にろうそくまつりの沢田、峰越林道で秋田県までつながっている藍内の最措く部にある最奥部の2町会で結成され、翌年には残り14町会でも組織化が進められましたが、当時の構想では全16町会をつないでの連絡協議会をつくることをもくろんでいただけに、八戸市に先を越されたのは残念でした。
これは、当時の種沢相馬総合支所長の構想で、村出身だけあって本当に機能するための規模としては町会レベルではなく中学校区単位での連携が’必要と考えてのことでしたが、全町会で結成されたものの当の支所長が退職となったことで、構想は棚ざらしになって今日に至ります。
結成時には備品購入のための補助金が支給されることも結成を早くした理由の一つですが、実際には自家発電機以外は緊急よりも日常の町会活動で活用できるものを買いこんだようなものでしたし、集会所の避難訓練は行っても自主防災会が動くような訓練も行われておらず、開店休業といわれても仕方のない状況です。
これは、いざとなったら消防団が活動するから大丈夫という思いがあるからだとは思うのですが、消火や救助では先頭に立ってもらうにしても要援護者は誰々であって現在の避難状況はどうなのかを把握して消防団に動いてもらうのが自主防災会のめざす姿ですし、さらには消防が分団単位で動くことを考えれば、自主防災会も町会単位でなく分団が管轄する数町会で連絡組織を結成するのが必要です。

ところで、八戸市の81防災会が8割以上のエリアをカバーしているというのも、人口規模とカバー率からすれば分団規模で組織されているように推察されますので、相馬地区でも全町会で連絡協議会というよりも分団単位で4協議会を立ち上げた上で全市的な組織化を検討すべきだと思います。
八戸市に先を越されたのであれば、そこから早く学んでより機能する体制をつくる努力が市には求められていますし、それを尻を叩いてでも進めるのが議員の役割です。

2015年2月26日木曜日

使えないハザードマップづくり

昨日、農村整備課から案内のあった「ため池ハザードマップ」打ち合わせ会議で相馬やすらぎ館に足を運びました。
相馬地区内のことなのだと思っていたのですが、入っていみると見覚えのない顔ぶれが集まっていて、後で確認してみると市内全域から町会長クラスが招集されており、会場の都合なのでしょうがわざわざ遠くまでご足労いただいて申し訳ない気がしました。

それはさておき、マップ作成の受託先である土地改良協会(土地改良区の外郭団体でしょうね)からの説明があり、このマップは200年に一度の3日間で250ミリの降水があるという規模で発生する恐れのあるため池の決壊を予測したもので、その際にどのような場所にどの経路で避難すればいいかを地元町会の皆さんからヒアリングするするための会議だということでした。ちなみに、市内にため池は約100ヶ所あるのだそうで、そのほとんどが江戸時代の整備で防災対策が施されていないのだそうです。
素案となるマップを見てみると、一昨年の台風18号の際の浸水・冠水域より狭い想定になっていたので質問してみると、今回はため池決壊のためのハザードマップであり、台風の際に生じるのは内水面での浸水というものでそれぞれの地形や水路の幅などで左右されるもので、今回のマップづくりとは関係がないということでした。
そうは言っても、短時間で40ミリの降水量で町内一帯が冠水した実体験から、町会と市営安田団地の集会所は避難場所から外してほしいこと、また坂市町会長とともに坂市町会集会所だけでなく水害の場合は隣の紙漉沢にある相馬中学校も道路が寸断されるために避難所に適さないので、集会所と農協施設のある「紙漉の里」の方がよいことなどを担当者に伝えると、想定外の提言に目を丸くしての対応となりました。

今回はため池という農業にかかわるものを対象にしているとはいえ、防災安全課が一緒していないため、現実に避難場所から学校や集会所を外したり、これまで指定されていない施設を指定する形にしていいものなのかどうか不透明なままに作業を進めることになって、非常に歯がゆい思いでした。
担当者からは、岩木川のハザードマップがあるのは知ってますかと言われましたので確かめてみると、ちょうど上岩木橋から下流域での作成であって相馬地区は抜け落ちていて使えませんし、200年に一度のことにこんな労力をかける意味があるのかも疑問に思います。
行政的にはアリバイづくりのためにやらざるを得ない仕事なのだろうと思いますが、最初に話になった内水面での浸水ハザードマップ作成といった十年単位で発生するようなものへの対策を部課を超えて取り組んだり、とってつけたように載せてある緊急連絡体制が機能するよう日常の準備を進めるといった、実効ある作業に昇華させる努力をしてほしいものです。

これにしても、対象エリアの町会長だからわかった事業内容であり、今の議員という立場では見えもしないものだけに、改めて全事業の仕分けの必要を痛感します。

2015年1月17日土曜日

大震災に弘前は何ができるか

1995年1月17日の阪神・淡路大震災から20年がたちました。6,000名を超える犠牲者の方々に改めてご冥福をお祈りいたします。
東日本大震災や市としての防災について何度か述べてきましたが、この日にあわせて支援する側としての備えのことを論じてみたいと思います。

阪神大震災の際、私は介護福祉士を養成する専門学校の教員でしたが、福祉施設や行事に学生をボランティアとして送り出す立場であったものの震災にボランティアという発想もなく、学内での募金の取りまとめをするので終わってしまいました。
5月に京都でのスクーリングの際に尼ヶ崎の先進的な施設見学とあわせて神戸まで足を伸ばしましたが、神戸に向かって進んでいくほどにブルーシートが屋根がわりにかけられている数が増えていき、神戸のど真ん中が崩れ去っているのを見て愕然としたのを覚えています。
続く2004年の中越地震の際は、勉強させていただいていた施設が長岡市にあり、孤立した山古志村と同じ状況になる可能性のある集落を村内に抱えているだけに人ごととは思えず、直後に職員を派遣しましたが、自分で足を運ぶことはなく終わりました。
これは個人的な振り返りですが、当時の相馬村でも弘前市でも震災支援で動いたということはなかったと思います。

そして2011年の東日本大震災では、当初は動きが悪かったものの市と弘大と市社協が協働してボランティアを集める体制が4月にはできあがり、弘前方式とまで賞賛された野田村への集中的な支援を8月まで行い、現在でも月1回ペースでの交流を続けていることで、村の皆さんから感謝されています。
これがきっかけとなって、弘大にはボランティアセンターが設置されてイベントや雪かきにも出動していますし、市のボランティア支援センターでも台風18号などで市民が市民を助ける活動を展開しています。

阪神大震災から20年、東日本大震災からもうすぐ4年となりますが、こうしてみると市としての支援力は格段に高まったといえますが、取り組むべきことが二つあると思います。
一つは、防災マイスターまでの日数をかけないまでもボランティアとして活動するための基本を身につけられる養成講座を一人でも多くの市民に受講してもらう体制づくりです。弘大では公開講座を開催していますが、より幅広く伝わるような機会を市としてつくっていくべきだと思います。
もう一つは、東日本大震災では野田村に行った対口支援を、次に起こるであろう首都圏や南海大地震に備えて、広域支援連携する自治体を決めておくことです。関東には群馬県太田市という姉妹都市がありますが、内陸に位置しているだけに沿岸部ほどの被害にはならないと思いますので、新たに考えることになります。
私見では、奥羽越列藩同盟から脱して新政府側に寝返った津軽藩救援のために最後の藩主・承昭公の実家である熊本藩兵を乗せたハーマン号が遭難した千葉県勝浦市で慰霊や引き揚げの取り組みがあるそうですので、これをご縁に交流と広域支援の連携を進めるのがよいと思っています。

この4年、震災支援に取り組んできた者として、弘前市としてできることには積極的に意見していくつもりです。

2015年1月15日木曜日

本物の緊急時情報案内人を養成しよう


IMG_2127-2015-01-16-09-00.JPG県主催の緊急時情報案内人育成講座に、自主防災会を持つ町会の代表として参加しました。
新聞などでの告知の前に、市の防災安全課を通じて案内がきていたのですが、参加者は約20名と定員の半分にも達せず、中にはYouTubeを知らないという人もいるくらいの年齢層の高さでした。
さらに、講師3人とも旧知のメンバーでしたが、内容としては情報案内人を育成するというより緊急時情報とは何かをわかりやすく説明するレベルでしたので、4年前よりも行政やメディアの情報発信力は上がっているものの、県が緊急時情報力強化推進方針で掲げた5つのレベルのうち4・5にあたる「自ら情報を発信する」「情報でみんなを支える」を大震災直後に取り組んだ立場としては拍子抜けの講座でした。

先日、防災マイスターのことにふれたばかりですが、この人たちこそ最低限このレベルの情報力を持っていないといけませんし、県が基礎レベルの内容であるなら市で実際に機能するレベルの応用講座を開催するくらいの気概が必要だと思います。
先ほどふれたように、「自ら情報を発信する」ツールとしてTwitterが取り上げられていましたが、文面で公式リツイートといわれてもわからないでしょうから、事前にアカウントを取得しておいてもらって、その場でリツイートしてみるといった作業を組み入れて体験してもらうとか、実名登録でリアルな人間関係がメインとなっているFacebookでの情報拡散の方法を提案するといった、大震災から4年間での進化をふまえた内容を身につけてもらうべきだと思います。
また、こういったリテラシーを持っている若い世代は多いのですが、それを災害時にパブリックに生かしてもらうために、市のFacebookページで講座を案内したり、Facebookユーザーでの新年会に出向いて参加を呼びかけるといったことも行って、旧世代ではおぼつかないことを若い世代に担ってもらう工夫も必要です。

災害で直接の被害を受ける一次被害、その影響で生活に必要なものが手に入りにくくなるといった二次被害、さらに必要なものがどこにあるのかわからずに困る三次被害、一番多くの人が振り回されるのが情報不足による被害なのですから、多くの人に基礎的な情報力を身につけてもらうとともに、リーダーたる人材には機能できるレベルで情報案内人となる仕組みを整えていくべきだと思います。

2015年1月11日日曜日

防災マイスターより、近助の精神を

地元紙の1面トップで、市が養成している防災マイスターが100人を超えたことが報じられていました。
非常に喜ばしいことですが、約3ヶ月間にわたって毎週土曜日を講習にあてる都合がつかずに受講できずにいる私からすれば、3年間である程度の人数を確保できたのであれば、来年度からは期間を長くしても夕方からの講習日程として参加できる範囲を広げる工夫があってもよいのではと負け惜しみしたくなります。
その記事の中でもふれていましたが、こういう人たちをリーダーとして自主防災組織の結成や地域コミュニティの再生に生かしたいというねらいは理解できるものの、自主防災組織の結成率はまだまだ低いのが現実ですし、また防災マイスターが所属している町会で自主防災組織があるのかどうかといったマッチングの状況も定かではありません。
相馬地区では、支所の後押しもあって全16町会すべてで自主防災組織を結成していますが、防災マイスターを持った人材はいないはずですし、結成時の補助金で機材はそろえたものの休眠状態なのが現実で、一昨年9月の台風18号の際にはまったく機能しなかったどころか、機材のある集会所周辺の道路が冠水して避難所にもならないことをはじめて知るようなていたらくでしたので、名ばかりの組織や資格では意味がないと思っています。

それでも何とかなっているのは、一定の訓練を受けた消防団があるからで、台風18号でもきちんと活動してくれたおかげで助かりましたが、大震災のように町全体が壊滅してしまうような状況では、リーダー的な存在だけではどうにもならなくなってしまいます。
実際の大震災などの調査では、被災して助かった人の8割は近所の人たちに救助されたのだそうで、漠然とした共助ではなく隣近所同士で助けるという近所の精神を提言する専門家もあります。
その意味では、防災マイスターといったリーダー養成よりも、町会単位での防災講座開催などで一人でも多くの人に近所の精神を根づかせていく取り組みが必要だと思いますし、マイスターを養成するのであればそういう講座を開催する力量を身につけるところまでやるのであれば意義があると思います。

1977年の寺沢川水害以来、人的被害のない弘前市ですが、岩木山噴火という懸念もないわけではありませんし、防災に対してどういう姿勢で体制をつくっていくのか、しっかり考えていくべきです。

2014年10月2日木曜日

岩木山噴火に備える

先月27日に発生した御嶽山の噴火は、戦後最悪の被害であるのは間違いないばかりか、連絡が取れていない人を見積もると死者が100人を超えるのではないかという未曾有の事態となりそうです。
ところで、全国に47ある活火山のうち4つも青森県に存在しているのですが、岩木山・八甲田山・恐山は思いつくとしても、もう一つの活火山であり今では湖としか思っていない十和田山が915年に起こした大噴火は火山灰が東北一帯をおおうほどの有史最大の規模であったことを青森県民でも知っている人は少ないように、噴火による災害は台風や地震・津波に比べて意識してこなかったと言えると思います。
この機会に、今年刊行された『岩木山を科学する』をもとに岩木山噴火の歴史に学び、今後の対応や備えるべきことを考えておきたいと思います。

今では火山活動など無縁に思える岩木山ですが、一番近いところでは1863年に「出火」と書き記された小規模な水蒸気爆発が中腹で起きたことがわかっているとおり、れっきとした活火山です。
これに備えるために、青森県では2002年に岩木山火山ハザードマップを作成公表していますが、私もこの件で調べてみるまで存在すら知らなかっただけに、多くの市民県民の皆さんも知らずにいたのではないかと思います。
これによれば、御嶽山と同じ水蒸気爆発は数百年に一度の確率で起きるとされており、火口から半径13kmといえば岩木・相馬地区をスッポリとおおうエリアに1mmの火山灰が降り、これが数千年に一度のマグマ噴火の場合はほぼ同じ範囲に1cmの火山灰になるほどの被害があるというのです。
岩木山は山頂近くまで車やリフトで近づきやすいだけに、火口付近での人的被害は御嶽山以上に考えられることですから、逃げこめるシェルターの設置なども検討しなければなりません。
また、広範なエリアでの降灰は、農業ばかりでなく観光や交通などにも長期的な影響があるでしょうし、直接の被害以上の対策を考えておかなくてはならなくなると想定しておくべきでしょう。

これが杞憂に終わればよいのですが、前回の噴火までは「死火山」(今では、この語が死語となっているそうです)と思われていた御嶽山でもこれほどの災害となるのですから、明治以前には何度か「出火」してきた岩木山は用心するにこしたことはありませんし、これに備えてこそ防災と言えると思います。
東日本大震災のように至近距離で起きたことでもなく、直接の救助や支援にあたれる事態でもないだけに、岩木山が噴火した場合に何をすべきか学ばせていただくのが、御嶽山での犠牲に私たちが報いることだと思います。

2014年8月21日木曜日

意味のある防災訓練を

今日は弘前市総合防災訓練の日でして、運動公園周辺で大がかりな訓練が行われていることと思います。
町会長にも案内はあるのですが、シナリオどおりに進行する訓練では効果がないと指摘してきた身ですので、参加することはない分、緊急対応のことでの経験をまとめて提言につなげたいと思います。

緊急対応のことで一番勉強になったのは、2008年12月に東北電力からいただいたレクチャーでした。
これは、もともと市が停電の際に適切な対応が取れていないことを指摘したのが東北電力弘前支所の幹部の方の目に止まり、電力を預かる立場としての対応やそのための訓練について教えていただき、なかなか入れてはもらえない司令室まで見学させていただくことになったのです。
東北6県に新潟県を加えた7県にまたがる東北電力は、中越地震・中越沖地震の経験もあり、全体レベルの訓練では全域からかけつけた車を弘前運動公園であればどこにどの順番で並ぶのかが明確に決められているといった準備が周到にされているだけでなく、支所レベルでは毎月予告なしに災害発生の一報を流して、そこから可能な方法で連絡を入れた上で交通手段を考えて集合するという訓練を行っていることなどを聞き、感服したことがあります。
それだけの準備ができているからこそ、東日本大震災の際でも停電で機能がマヒした市役所そして近隣にある支所の機能を回復させることを最優先に取り組んでくださったおかげで翌12日の朝には白銀町一帯だけが回復したので、その際に市役所に飛びこんだ私もTwitterで最新の停電や給油の情報を市民向けに発信することができたのです。

ところで、そのレクチャーを受けて一般質問でも市役所の緊急対応について問いただしたのですが、まったく緊迫感のない悠長な回答にあきれたままほうっておいたところに大震災に見舞われてみると、案の定緊急対策本部の最前線に立つ役割の企画課(現在であれば防災安全課)は停電回復後も機能不全のままであり、広報広聴課にも緊急情報を発信する機能がまったく欠けていました。
それが、翌月7日深夜に発生した最大の余震によって8日夕方まで再び停電となった際には、深夜の時間帯にほとんどの幹部職員が顔をそろえ、企画課長はテキパキと指示を伝え、教育委員会では小中学校への連絡について迅速に動いているのを現場で見届けることができ、やはり経験することが最大の学びとなるのを実感しました。
それだけの経験と野田村支援などで学んだものは多かったはずなのに、相貌訓練はいまだに予定調和の世界にとどまっているだけに、ついつい厳しく指摘したくなるのです。

私から提言するとすれば、東北電力ほどの頻度は無理でも年に一回は市役所をあげての抜き打ち緊急対応訓練を行うこと、同じく開庁時間に来庁している市民を巻きこんでの避難訓練を行うこと、さらに5年に一回は1週間以内の実施だけを予告した抜き打ち総合防災訓練を行うこと、こういった実践形式での訓練を組みこむことです。
あわせて、抜き打ちの訓練や現実に起きた際の対応が可能になる緊急連絡網を、市役所だけでなく町会や学校・団体・企業などでも構築することを推進すべきだと思います。
この夏は、各地で思いがけない被害が発生し、そのたびに痛ましい犠牲者が亡くなられているだけに、備えの時点で真剣でなければならないと思うのです。

2014年7月5日土曜日

弘前でも、ぼうさい探検隊を

昨夜、野田村での支援活動で知己をいただいている大阪大学の渥美公秀先生が弘大ボランティアセンター主催の市民ボランティア講座の講師としていらっしゃいましたが、テーマが「KOBE、東日本大震災、そして」と銘打たれていまして、最後のところで防災についての活動にふれてくださいました。
渥美先生は、阪神大震災の経験から日本災害救援ネットワーク(NVNAD)というNPOの理事長としても活動されていますが、その一つとして「わが街再発見ぼうさい探検隊」という小学生によるマップづくりに取り組んでいて、このアイデアが損保協会や朝日新聞などの後援で全国2000件もの応募のある大会を10回も続けているのだそうです。
プログラムを確認してみますと、子どもたちの応募がメインですが、そのためのリーダー養成講座やシルバー「ぼうさい探検隊」というものもありますし、渥美先生のお話でも子どもたちに動いてもらうために一番準備でかかわるのがお母さんたちだそうで、防災は市民の義務ですと押しつけるより、こんなプログラムに応募すると子どもたちが大臣から表彰されるかもという誘い水の方が防災にかかわってもらう契機になるというのは、目から鱗の話でした。

ところで、野田村と弘前市との支援のご縁を作ってくださり、弘大とも「チーム北リアス」という形で連携してくださっている渥美先生のもう一つの取り組みを、私ばかりでなく弘大ボランティアセンターの方でも知らずにいたようです。
ちょうど、弘前市では昨年度から都市計画マスタープラン策定のために地域別懇談会を開催しており、昨年度は一中学区と相馬中学区だったので私もワークショップに参加していましたが、これに「ぼうさい探検隊」の活動をリンクさせて子どもたちに事前にマップを作ってもらい、それをたたき台に大人たちも地域を見直してみるというやり方もできると思います。
さらに、弘大ボランティアセンターの学生に探検隊リーダー養成講座を受講させて、実際のマップづくりにかかわってもらうようにすれば、野田村の活動が月1回になり市内のイベント要員の役割しかなくなってきているボランティアセンターにとっても有意義な活動を加えることができます。
何より、その元締めである渥美先生がかかわってくれるのは間違いないわけですし、被災地支援を通じて弘前市が得られるものとしては防災につながることが一番ですから、これに取り組まなくていいはずがありません。

わが昴町会でも、まちづくり1%システムを活用して取り組んでもいいのですが、これはやはり全市でやるべきことだと思いますので、検討できる町会や子ども会、さらにはPTAがあれば、ぜひお勧めしたいと思います。