今日は、町会の老人クラブ「月曜会」の新年互礼会ということで、町会長としてお招きいただきました。
いつもは会長さんや町会の役員を務めてこられた方々のそばの席なのですが、今日はあまり話してこなかった方たちと同じテーブルになり、これまでは聞いたことのなかった話をいろいろと教えていただきましたが、さすがに昭和一ケタ前後だけあって共通の話題が空襲のことになりました。
一人は隣の藤崎町で生まれ育ったのだそうですが、ずいぶん離れているように思える青森市への大空襲の際には北野空が真っ赤になっていたのを覚えていることを話し、もう一人は生まれ故郷が三重県伊勢市なのですが、弘前市と同じく空襲を免れたのかと思ったら、天皇家の祖先を祀る伊勢神宮のある町だけに何度も空襲を受けたのだそうです。
そういう話題が続いていた際に、別のテーブルから「今年は昭和でいえば何年だっけ?」という問いに「90年だよ」と答えるのが聞こえて、昭和という年号で数えると今年が戦後70年であるのを強く意識できるのに対して、1945年に戦争が終わって20世紀から21世紀に進んでいるのも、1988年に昭和が終わって平成になったのも、どこかで戦後に区切りをつけて次の戦前に進んでいるような時代の空気をつくっている気がしました。
国で動いている集団的自衛権や特定秘密保護法にどう向き合うかは国民として大事なことですが、空襲も受けず食糧にも困らずに済んだ戦時下の弘前市であっても、いやそうだったからこそ、出征させられて命を落とした家族を持つ家庭、他地で空襲や被爆した体験を持つ方、満蒙の地に未来をかけた一家、さまざまな経験が市民の中にもつながっているはずですから、この節目の年に戦争体験を掘り起こして、平和と不戦を誓うのが市としてできることすべきことだと思います。
日本そのものが戦場となることはないかも知れませんが、次の世代に死没した日本人より十数倍も多い犠牲者を出してアジアを傷つけた罪を次代に伝え、今も世界で続いている戦争やテロがどんなに悲惨なものなのかを直接体験してきた人たちの声として受け継ぐことが、最高の平和教育となるはずですし、次の昭和100年=2025年ともなれば伝えられる人間が少なくなってしまうだけに、今年こそ今こそやるべきことだと思うのです。
このことは、市が動かなくても私個人として取り組まなくてはならないことだと思っています。
2015年1月19日月曜日
2014年8月15日金曜日
防災サイレンで不戦を祈ろう
議員のキャリアパスやプール問題と、角度や考え方は違えど同じ問題に反応するのが横浜市議の伊藤ひろたか君ですが、郷里では広島の原爆投下時間にあわせてサイレンが鳴る話を披瀝していたのが気になったので、9日の長崎原爆忌に防災無線のある地元で待っていたのですが、思っていたとおり鳴らずに終わりました。
今日の正午には、高校野球の中継中に試合が中断されてサイレンとともに黙祷を捧げる姿を見た方や戦没者追悼式典をご覧になっていた方はともに黙祷されたことと思いますが、そうでもない限り敗戦の日を意識せずにスゴしてしまった人の方が多いのではないでしょうか。
市では先年、平和都市宣言を議決して記念碑を建立しましたが、具体的な平和教育に取り組んだということも聞いたことがありませんし、師団本部が置かれた軍都でありながら文化財保護のために空襲を免れたこともあり、元々戦争体験を語り継ぐ機運も薄いように感じています。
戦後69年を迎え、戦争を記憶している方々は後期高齢者となってしまった今こそ戦争の悲惨さを語り継ぐ取り組みは喫緊の問題だと思いますが、まずは戦争があったことを忘れないために、広島・長崎の原爆投下時間そして敗戦の日の正午に、防災無線のある岩木・相馬地区だけでも防災無線によるサイレンを鳴らすようにしてはどうかと思います。
岩木地区では正午に津軽三味線の音色が流れますが、敗戦の日だけはサイレンが鳴れば一定の世代には気づいてもらえますし、その意味を知らない子どもたちから問われた大人が教えることもできるはずです。
原子力を暴力に用いれば瞬時にたくさんの人を殺すことができること、8/15は日本が戦争を起こした過ちを認めアジアの人たちを殺すのをやめた日であること、この最低限の事実だけでも忘れないようにする最小限のアクションだけでも続けていくべきだと思います。
来年からは、不戦を祈るサイレンが鳴るようにしたいものです。
今日の正午には、高校野球の中継中に試合が中断されてサイレンとともに黙祷を捧げる姿を見た方や戦没者追悼式典をご覧になっていた方はともに黙祷されたことと思いますが、そうでもない限り敗戦の日を意識せずにスゴしてしまった人の方が多いのではないでしょうか。
市では先年、平和都市宣言を議決して記念碑を建立しましたが、具体的な平和教育に取り組んだということも聞いたことがありませんし、師団本部が置かれた軍都でありながら文化財保護のために空襲を免れたこともあり、元々戦争体験を語り継ぐ機運も薄いように感じています。
戦後69年を迎え、戦争を記憶している方々は後期高齢者となってしまった今こそ戦争の悲惨さを語り継ぐ取り組みは喫緊の問題だと思いますが、まずは戦争があったことを忘れないために、広島・長崎の原爆投下時間そして敗戦の日の正午に、防災無線のある岩木・相馬地区だけでも防災無線によるサイレンを鳴らすようにしてはどうかと思います。
岩木地区では正午に津軽三味線の音色が流れますが、敗戦の日だけはサイレンが鳴れば一定の世代には気づいてもらえますし、その意味を知らない子どもたちから問われた大人が教えることもできるはずです。
原子力を暴力に用いれば瞬時にたくさんの人を殺すことができること、8/15は日本が戦争を起こした過ちを認めアジアの人たちを殺すのをやめた日であること、この最低限の事実だけでも忘れないようにする最小限のアクションだけでも続けていくべきだと思います。
来年からは、不戦を祈るサイレンが鳴るようにしたいものです。
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