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2015年2月17日火曜日

ロマントピアの安易な経営統合には反対

今日の地元紙2紙とも、ロマントピアの経営危機問題を解決するために岩木振興公社との経営統合の方向で協議と報じられています。
公社側からロマントピアに3000万円程度の出資を行って当面存続を図り、将来的な経営統合を進めていくということで一番妥当な解決策のように見えますが、私からすれば安易な手だてで将来展望が感じられないだけに、改めて論じておきたいと思います。

ロマントピアは旧相馬村が100%、岩木振興公社は旧岩木町が100%出捐(一般でいうところの出資)した第三セクターで、ロマントピアは白鳥座・満天ハウスといった宿泊施設や天文台、公社は国民宿舎いわき荘に百沢スキー場、最近ではロマントピアスキー場も指定管理をしています。
すべてが公共の建物施設であり、それを100%自治体出資の事業体が経営しているのですから、市が経営しているのと同義であるわけですが、ロマントピアが赤字で公社が黒字となっているのには単体としての経営力以前に市がどこまで会計的な責任を負っているかの違いが大きな違いを生んでいます。
公社が指定管理している百沢スキー場は、コース整備やリフト建設などの負担が重くのしかかり、スキー場のためだけに存在している岩木観光特別会計は合併以降6億円以上のカラ財源で回し続けており、市でもこの4年間で解決に向けた対策を取らないままで流れてきていますが、そこから指定管理料ばかりでなくリフト券などの売上も入っている公社で黒字があるのであれば一部であっても特別会計に繰り入れることがあってもよさそうですが、そういう形を取ったことはありません。
これに対してロマントピアは、今期から支配人が替わって積極的な方針に切り替わったのが功を奏して単年度黒字が見こまれる状況に改善しており、市で公社が出資するという3000万円を拠出すれば経営危機を脱して健全化への道に進んでいくことも可能なだけに、市がどこに支出をしてどういう方向に岩木・相馬の観光を向けていくのか、一旦猶予できる状況を作った上で根本的な方針を検討すべきだと思うのです。
とりわけ、同じ中津軽郡であった西目屋村がスノーリゾートとしての白神山地のPRを世界に向けてはじめたところで、岩木・相馬が後手に回るような応急措置で急場をしのぐようなことではさらに後れを取ってしまうだけに、こういう場面でこそ葛西市政のモットーであるスピード感をみせてほしいものですし、合併10年でのマイナンバーなどでお茶を濁している場合ではないと思います。

ぜひ、皆さんにも関心を持っていただき、岩木・相馬の観光や振興をどうすべきか、思いをめぐらせていただきたいと思います。

2014年12月12日金曜日

ロマントピアの危機は逆転の発想で

今回の一般質問で一番大きく報道されたのは、旧第八師団長官舎スタバ問題ではなく、相馬地区の観光の拠点・ロマントピアの経営危機でした。
これがちょうど初日に質問が重なったこと、市民ゴルフ場に続く第三セクターの経営危機問題ということで注目が集まるのも無理はないのですが、これにも我が昴町会の「プレアデスのまち」構想と同じく相馬村時代の粗粗な計画が今になって影響を及ぼしていると思います。

星と森のロマントピアは、1970年代の桜井スキー場からはじまり、村制100周年に竹下内閣のふるさと創生事業を活用して天文台を建設し、その周辺に満天ハウスと名づけたコテージ、森林科学館にはジュピターと命名し、そして1995年に農村研修施設補助金を活用して中核となる白鳥座を建設して整備が完了しましたので、もう20年になります。
私が高校生だった頃は周りから「相馬村ってどこ?」と言われて悔しい思いをしていたのから、津軽一円ではロマントピアに行ったことがない人の方が少ないくらい利用してもらったことによって村としての知名度も上がり、これに飛馬ブランドで他よりもおいしく高いりんごを生産販売しているという自信とが相まって、合併直前のアンケートで一番反対だったのが20代だったように、いい村だというプライドを持たせる原動力になった、非常に大事な施設です。
ただ、回廊式で中庭がポッカリと空いた設計は動線が悪くランニングコストがかかり、周りにとってつけたようなスカイサイクルやゴーカートは稼働率が低く、さらには温泉が湧いたことの方が僥倖だったのですが案の定トラブル続きで修理の連続という、カネのかかる体質は村時代からのことでしたが、さすがに年数がたって魅力が薄れ、ここ数年は完全に守りの経営だったのに原油高の追い討ちでは、一般財団法人として存続させていくのが難しくなるのは仕方のないことだと思います。

これを打開してもらわないと困りますが、以前から話題に上っている「いわき壮」などを経営している岩木公社と統合するという案には、私は反対です。
それは、現在ロマントピアスキー場も振興公社で指定管理していますが、直営で村民中心の臨時職員で運営していた時代よりも対応が悪いという評判が多く、何といっても百沢スキー場の赤字解消につながる対策をまったく打ち出せずに経過していることからすれば、岩木・相馬の観光施設がそろって討ち死にという予測になってもおかしくありません。
これらの施設を一体で管理運営し岩木・相馬の観光を盛り上げる必要もメリットもあると思いますが、それであれば思いきって民間に指定管理を委ねるとか、岩木山観光協会や商工会を中心に新会社を設立するといった新たなスタートを切る道を、この際検討すべきだと思います。

この問題は、簡単に結論が出ることではないと思いますので、皆さんにも関心を持っていただきたいと思います。

2014年11月25日火曜日

「津軽百年食堂」条例を制定しよう

先日、旧弘前偕行社修理工事見学会から田代平越えに向かう際に城東から黒石へと向かったのですが、トヨタカローラ城東展の向かいにとんかつのチェーン店がオープンに向けて準備しているのを発見しました。
城東店は我が家のディーラーだけに足を運ぶ機会も多いのですが、今までは何かわからない形で工事していたので気づかずにいたのだと思いますが、何と弘前ではとんかつの名店として知られる喜多八さんの至近距離に店を構えるとはいい度胸です。
商売ごとだけに、誰がどこに進出するのも自由なのかも知れませんが、建築確認申請が上がってきた時点で建築指導課では何とも思わずに建物としての基準を満たしているからと通してしまっているのだとすれば、あまりに無頓着すぎると思ってしまいます。

ところで、その偕行社は近年では映画「津軽百年食堂」で弘前駅として使われていましたが、モデルとなった三忠食堂だけでなく津軽には10軒を超える百年前後続いている食堂があることも、観光資源の一つとなっています。
一方では、最近閉店となった大和家さんばかりでなく、福住・新よし・中三といった割烹が相次いで店をたたんでいますし、津軽の食文化を守る上でも長らく商売を続けてこられたお店が続けやすい環境をつくるのは、市としての責任にかかることでもありますし、市民としても納得してもらえるのではないでしょうか。

そこで提案したいのは、「津軽百年食堂」条例です。
市内である一定の年数、たとえば50年以上の飲食店がある場合には、一定の距離以内には同じ系統のチェーン店が進出するのを市として規制するというものです。
それ以外の場所であれば進出はかまいませんし、該当するお店が自らの判断で商売をやめるのもまた自由ですが、むやみに競争の波風を立てるというのは弘前らしさを失わせる要因にもなりかねませんので、このくらいの規制をかけることがあってもいいのではないでしょうか。
お気づきの方があると思いますが、これを思い立ったのは師団長官舎スタバ問題で近隣の喫茶室に与える影響を考えていたところに、今度は食べ親しんできたとんかつ屋さんのそばにチェーン店という展開だったので、さすがにこういうあり方はいかがなものかと思ったからです。

競争もさせず補助金づけですべてを守れとは思いませんが、今まであるものが続けていける環境づくりをするのは、これから弘前を維持していく上で必要なことだと思っています。

2014年11月21日金曜日

健さんのためにも官舎を守ろう


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戦後を代表する名優・高倉健さんが亡くなられて、自分のこづかいで映画館に行くようになって最初の頃に観た「野生の証明」、代表作の「幸せの黄色いハンカチ」、そして当時の青森県民は全員観たとまでいわれる「八甲田山」の3本を立て続けに見直して、日本の男を演じきった姿に感動を新たにし、涙に暮れているところです。
とりわけ、「八甲田山」は健さんや北大路欣也さんの名演ばかりでなく、冬の八甲田山の厳しさを撮りきった場面と津軽の春夏秋の美しさが対比される映像だけでも感動を与える、真の名作であることを確認できました。

ご存じとは思いますが、「八甲田山」は日露戦争直前の1902年に当時弘前に本部が置かれていた第八師団の青森5連隊と弘前31連隊が競うように冬期の八甲田山踏破をめざした雪中行軍を行い、少数精鋭で臨んだ31連隊は弘前から十和田湖から八甲田に回る長行軍を成功させたのに対し、210人の大部隊で臨んだ5連隊は猛吹雪と指揮系統の乱れが重なり199名の犠牲者を出すという明暗の分かれた事件を映画化したものです。
ここで描かれている第八師団の師団長官舎や社交場であった弘前偕行社などの建物が現存しており、それが撮影でも使われていただけに、北海道ほどではなくても健さんゆかりの撮影地として観光に活用できるチャンスが訪れたというのに、その当時とは似ても似つかないスタバにしようというのはいかがなものかと改めて思います。
スタバ問題では市民の賛否が分かれているというより、判断をするにも情報が少なく説明を足りないままに拙速に進めているのが現実なのですから、来年は宮沢賢治第八師団来訪90年という節目の年でもありますので、来年いっぱいは現状のままで軍都・弘前を伝えるために保存しておいて、その間に市民にもわかる納得できる形に収まるように話し合うべきです。
今回久しぶりに見直して思い出したのは、第八師団では追悼のために弔い行軍を実施していたそうで、第1回全日本スキー選手権に出場したという祖父がスキーを履いてしんがりで落伍者を助ける役をしたという自慢の思い出を語ってくれたことでしたが、それだけ地元ならではの思い出をお持ちの方もあることでしょうし、戦後70年で振り返っておくためにも、来年は大事に慎重に臨むべきだと思うのです。

その思いを理解してもらうためにも、そして健さんを偲んでもらうためにも、ぜひ「八甲田山」観てください。

2014年8月16日土曜日

軍都・弘前を知るツアーを

桜とりんごの街であり、学都ととも呼ばれる弘前ですが、戦前の第八師団本部が置かれた軍都としての歴史は薄れてしまっています。
昨日の敗戦に日にちなんで「かく語りき」では石原完爾と宮沢賢治のことを書きましたが、弘前・津軽における宮沢賢治の足跡を知ることは軍都・弘前の歴史をたどることにもなります。

宮沢賢治は弘前の連隊に所属していた弟を訪ねて何度か来弘し、そのうち一度は岩木山麓にあった山田野演習場にまで足を伸ばして再会を喜んだ記録があり、その時代の敞舎が残っているのを5月のツアーで知ることができました。

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戦後には中学校として使われ、現在では農家の倉庫として残っているのですが、先日知人から市内の民有地に同時代の建物が残っているらしいという情報もいただいていますし、市役所には師団長官舎、厚生学院には旧偕行社という保存状態のよい建築物もあります。
これだけでなく、市内には弘前公園内や弘前大学近隣に師団所有地だったところが数多くあり、現存する建物と跡地をめぐるだけでも立派にツアーが成立すると思います。
ちょうど、来年が宮沢賢治来弘90年の記念の年になるそうで、有志で何か企画するとは聞いていますが、これに足跡をたどるツアーが組みこまれるといいのではないかと思っています。
当然、これは宮沢賢治を通じて軍都としての弘前の歴史を知るルートでもありますので、観光だけでなく市内の小中学生に戦争と平和を考えてもらうヒントを与えることもできると思います。

軍都でありながら空襲を免れたからこそできる平和教育と観光、これは弘前にしかできないことだけに、ぜひ実現したいと思います。

2014年7月9日水曜日

藻谷浩介さんに学ぶ人口減少戦略

昨夜、青森市ワラッセで『デフレの正体』『里山資本主義』の藻谷浩介さんの講演があり、足を伸ばしました。
主催は青森市商工会議所青年部(YEG)、隠れた主題は言うまでもなく青森市庁舎移転問題でしたが、そのことの是非は部外者が語るべきことではありませんし、講演そのものも人口減少や日本の貿易収支からみた青森市というよりも地方都市の生き残り戦略にほとんどの時間を費やしていましたので、そこから弘前市として考えるべきことをお知らせしたいと思います。

藻谷さんは、推計が甘いとされている厚生労働省・人口問題研究所のデータを用いて、2020年には青森市では2.8万人の人口が減り、そのペースが続けば40年後には15歳未満の子どもがいなくなり、60年後には64歳までの就労人口がゼロになるという衝撃の数字を示しましたが、これは仙台でも東京でも期間の長短はあっても同様の流れの中にあり、65歳以上の高齢者や75歳以上の後期高齢者人口の急増を考えると大都市の方が問題が深刻だと喝破しました。
この若年者と高齢者の減少率を横軸・縦軸に取って点描すると未来の深刻度や現在の対策が功を奏しているかどうかがわかるのだそうで、人口4000人の長野県下條村や秋田県大潟村が日本の優等生なのだそうです。
これを世界に広げると、人口が増加している地域ではそれに対応して仕事を振り分けることができるはずがなく、中国韓国などのアジア諸国では日本以上のスピードで高齢化が進むことなどを考えると、人口減少そのものを問題視するより他よりも恵まれていると考えるべきだとの指摘は、目から鱗の話でした。
また、石油の使用量が2000年前後と変わっていないのに価格が3倍以上になっていることを考えれば、資源エネルギーに頼らない生活に切り替えていくことが一番大切であり、人口減少とあわせて考えると青森市が進めてきたコンパクトシティの発想が理にかなっているのだそうです。
その上で、貿易収支で資源以外で赤字を作っているのはフランスのワインやイタリアのパスタといった農産物なのだそうで、青森市は観光で訪ねた人に最高の食材でおもてなしをして、それを全国さらには世界中からお取り寄せしてもらう戦略が必要だし、それができる可能性が十分あるのに市民にその自信や意気ごみがないのが問題だとズバリ指摘していました。

ひるがえって弘前市にあてはめてみると、若年者と高齢者のクロスでいえば旧三市のうち一番状況がいいことにはなっているものの、下條村などのような若年者の減少に歯止めをかける対策はまだまだという位置づけですし、それだけに経営計画で人口減少を最優先に掲げて取り組む意義は大きいと思います。
そのためには、藻谷さんがイタリア戦略と名づけた観光から食材販売拡大という方法は、弘前市には青森市以上のアドバンテージがあると思いますので、ドリプラで水木たける君がプレゼンしたように津軽のりんご園地を日本のシャンパーニュにするくらいの気概で取り組むのを、個人や有志にとどめず市全体として推進していく必要があります。
それにつながるものとして、最近の農家によるシードルづくりには注目すべきだと思います。りんご公園にできたkimoriや先日の大会で最優秀となった田村シードルなど目立った取り組みも出てきましたし、これを商工観光部門でも後押しして、鍛冶町の店には必ずシードルが置いてあるとか、ねぷたまつりには生ビールではなくサーバーでシードルが出されるといった工夫ができれば可能性も広がると思うのです。

そのヒントを得ただけでも聴いた甲斐がありましたが、弘前市をテーマに語ってもらう機会があればなおありがたいと思います。藻谷さん、よろしくお願いします。