前回でBlogを閉じるとしましたが、どうしても市民の皆様に市政のこと議員という存在について、そして今の思いでお伝えしておきたいことがあふれてしまい、あどはだり(もう一回)の投稿です。
今回の弘前市議選は、定数が34から28と8議席減ったところに36人が立候補するという「激戦」と言われたわりには投票率は最低を更新し、47.88%と半分以上の有権者が投票に行かず、現職以外では元職2名が返り咲き新人2名は党や支持基盤を引き継いだ形ですので、ほとんど変わりばえのしない顔ぶれとなりました。
これは、投票しなかった人はもとより議会には期待していない関心がないということですし、投票の結果も議会は変わらなくてよいということですから、市民のほとんどは議会が変わることで市政が変わることを望んでいないと見るのが妥当なところだと思います。
その意味では、議会で時間を取られるくらいなら、震災支援や町会活動、陸上クラブなどなど、まちづくりにかかわる活動をもっとやりなさいという審判を下されたのだと思えば、この結果をいいように解釈して受けとめることもできます。
ところで、私自身は議会を変える必要は重々承知していますが、それは市政に議会がどのように貢献できるかの手段でしかなく、それをうたい文句にして選挙に臨む失敗を前回しているだけに、今回は議会改革に取り組むのは自分だけでもできることにとどめておきましたし、演説で訴えることもしませんでした。
実際に町会長という立場で市政に向き合ってみると、市民の不満の9割は町会長として動くことで解決できたり道筋をつけることができることだと思えますし、地元から議員を出して何とかしてもらおうという発想そのものが意味を失っていると思います。
それに対して、全事業を仕分けして翌年度の予算に反映させる仕組みづくりといった、市政内部に踏みこむことは議員でなければできない仕事ですし、そのための議会改革こそ進めなければならないのですが、これを市民の皆様に理解してもらうのは大変なことだけに、そのためにはどういった取り組みをすればいいのか、今回もミニミニ集会をやろうと思っても実現できなかったことからしても、議員の仕事内容に関心を持ってもらう難しさを痛感します。
そこでつくづく思うのは、「信頼」ということです。
選挙公報を見ていただければわかりますが、新人はさておき現職諸侯で公報に掲げたことを前期4年間できちんと質問したり活動できている人は、どれくらいいるでしょうか?中には、損得ではなく善悪で行動するといいながら、やらないと広言した選挙カーでの連呼を臆面もなく繰り返し、当選という得のためには悪としていたことも平気でする人までいるのですから、言葉もありません。
それでも、投票した多くの人は、政策や主張とは関係なく、「○○から頼まれたから」「地元なので頼りになると思うから」という理由で名前を書いたのだと思いますし、それが当落を結果を生むのが選挙というシステムなのですから、何とかしなければとは思いますが受け入れなければならない現実です。
これに対して、支援してくださった方や選挙前後の反応からすると、私の場合は活動に接したりネットでの主張を理解してくださった上で私を信じて投票してくださったと多くの顔や名前が浮かぶほど、賴ではなく信のレベルでの支持をいただいたと、つくづく感謝しています。
ただ、それがパーソナルなところにとどまっていたのは私の影響力の足りないところであり、そうなのであればもっと多くの人に信じてもらえるよう動いていなければならなかったのに足りなかったのを、最大の反省点と受けとめています。
信といえば、『論語』に「政治とは食を足らし兵を足らし民に信じてもらうことであり、このうち最も大事なことは信であって、これなくしては政治とは言えない」という文章の最後に、「民無信不立(民、信なくば立たず)」とあります。
地方政治には兵の心配はありませんが、食を言い換えれば損得ということであり、信とは政治家が持つべき信義となりますから、選挙の損得よりも信義を重んじ、そして信をいただいた私のやり方は間違っていなかったと今でも思っています。
それにもかかわらず、当選につなげられなかった戦術の誤りを受けとめて、まずは修身斉家のために自ら仕事をするところからやり直しますが、それができた暁に市民の皆様からぜひとも市政を変えてほしいと推し立ててもらえるよう、これからの一日一日を大事に生きていきたいと思います。
本当に、皆さんのご支援ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします。
0 件のコメント:
コメントを投稿