地元紙既報のとおり、市役所前の旧第八師団長官舎にスターバックスが入り、来年4月の桜まつり開幕前に開店することが正式に決まりました。
これまで私論を述べたように、文化財としての価値を減じることになること、とりわけ高倉健さんが亡くなられて映画「八甲田山」ゆかりの建物として改めて注目を集めることになる矢先に、議会での議論も経ない形で協定というのは、拙速どころか暴走としかいいようがないやり口です。
外部の力を借りての誘客と歴史的建造物や珈琲文化を守ることのどちらを優先すべきかということもありますが、これほどの問題を市民にきちんとした説明もせず、あまつさえ議会でも具体の議論を避ける形であっという間に進めてしまうというのは、市民ゴルフ場問題や我が昴町会の融雪溝問題でも対話に臨まずに済ませてしまった葛西市長の政治姿勢の悪弊の最たるものと言わざるを得ません。
全員に百点満点の満足となる説明はできないにしても、異論はあってもここまでていねいに説明するのであればという納得を与えることを「対話と創造」というモットーに掲げていたはずだけに、この変質は見過ごすわけにはいきません。
12月議会でどのような議論となるのか注視したいと思いますが、私が不満に思ったほどには現職諸侯が問題を感じているとは思えないだけに、やはり自ら議場に戻って問いただすしかないと思っています。
この件に納得いかない方、議論や情報公開のあり方に問題を感じる方、ぜひともお力を貸してください。
2014年11月28日金曜日
2014年11月22日土曜日
これが旧弘前偕行社だ!
偕行社とは、師団本部が置かれた各地に建設された社交場で、弘前偕行社は1907年に竣工していますので、実際は雪中行軍遭難事件の際にはまだなかったということになります。
今回の見学会にあわせて同じ第八師団の建築物である師団長官舎の移設資料パネルも展示していましたが、規模を縮小しながら2度の移設をしているのであれば、この偕行社と一体で保存し軍都弘前を見学できるようにすることを考えるべきだと、改めて思いました。
この地こそ5連隊199名の命を奪った場所であり、下っていった道は今でこそ県道が通っていますが当時は道亡き雪原を31連隊が上ってきたルートだと思うと感慨深いものがありますし、城ヶ倉大橋開通のおかげで第八師団の足跡をめぐるツアーコース設定もできると確信しました。
戦争についての見方は人それぞれですが、それを頭の中だけではなく実際に見ながら考えることができるものを大事にしていくのは、立場を超えて了解していただけると思いますし、私自身は軍都弘前の保存活用の先頭に立ちたいと思います。
2014年11月21日金曜日
健さんのためにも官舎を守ろう
とりわけ、「八甲田山」は健さんや北大路欣也さんの名演ばかりでなく、冬の八甲田山の厳しさを撮りきった場面と津軽の春夏秋の美しさが対比される映像だけでも感動を与える、真の名作であることを確認できました。
ご存じとは思いますが、「八甲田山」は日露戦争直前の1902年に当時弘前に本部が置かれていた第八師団の青森5連隊と弘前31連隊が競うように冬期の八甲田山踏破をめざした雪中行軍を行い、少数精鋭で臨んだ31連隊は弘前から十和田湖から八甲田に回る長行軍を成功させたのに対し、210人の大部隊で臨んだ5連隊は猛吹雪と指揮系統の乱れが重なり199名の犠牲者を出すという明暗の分かれた事件を映画化したものです。
ここで描かれている第八師団の師団長官舎や社交場であった弘前偕行社などの建物が現存しており、それが撮影でも使われていただけに、北海道ほどではなくても健さんゆかりの撮影地として観光に活用できるチャンスが訪れたというのに、その当時とは似ても似つかないスタバにしようというのはいかがなものかと改めて思います。
スタバ問題では市民の賛否が分かれているというより、判断をするにも情報が少なく説明を足りないままに拙速に進めているのが現実なのですから、来年は宮沢賢治第八師団来訪90年という節目の年でもありますので、来年いっぱいは現状のままで軍都・弘前を伝えるために保存しておいて、その間に市民にもわかる納得できる形に収まるように話し合うべきです。
今回久しぶりに見直して思い出したのは、第八師団では追悼のために弔い行軍を実施していたそうで、第1回全日本スキー選手権に出場したという祖父がスキーを履いてしんがりで落伍者を助ける役をしたという自慢の思い出を語ってくれたことでしたが、それだけ地元ならではの思い出をお持ちの方もあることでしょうし、戦後70年で振り返っておくためにも、来年は大事に慎重に臨むべきだと思うのです。
その思いを理解してもらうためにも、そして健さんを偲んでもらうためにも、ぜひ「八甲田山」観てください。
2014年10月24日金曜日
これが旧第八師団長官舎だ!
官舎は一昨年敷地の奥から移築されて、市役所とは駐車場進入路をはさんで並ぶ位置にあり、新聞社の先には喫茶室もある市民会館、藤田記念庭園がすぐあります。
平家建156㎡のこぢんまりとした建物ですが、1958年に市役所新築の際に約2/3が取り壊されていて、現在残っているのは公務で使った部分ということになります。
玄関には2段のポーチ、中にも上がりかまちがあり、部屋ごとに敷居がある古い様式で、約24畳の会議室・各8畳の執務室・控え室と奥の8畳二間の和室をつなぐ廊下も狭いながらも、これは動線の確保やバリアフリー化のために改変するわけにはいかないところでしょうから、使い勝手にしろ広さにしろ不十分だと改めて思いました。
この写真は執務室から撮りましたが、カーテンが見えている会議室の奥にはもうすぐ立体駐車場が完成し、もう一方の窓からは市役所と、建物に囲まれた景色しか見えないロケーションでもあり、今会議テーブルが並べられているように、ゆったりとした雰囲気で行う会議・ワークショップなどで活用する方が合っていると思います。
同じく第八師団の遺構である旧弘前偕行社には、弘前厚生学院の特別講義で何度かおじゃましましたが、両方とも軍のものとはいえ公務そして社交のための建物であり、用途によれば現状のままでも使えるものをわざわざ台無しにする意義はありません。
ところで、この建物は市の「趣のある建物」そして国登録有形文化財に指定されているわけですが、先日来の情報交換で紹介された神戸北野物語館も同じ指定を受けており、現在はスターバックスが入っています。
それなら官舎でもスタバをという話になりそうですが、この異人館はもともと朝のTV小説「風見鶏」のモデルになったパン職人が所有していた建物で、もともと1階はカフェとして使っていたのを阪神大震災で全壊認定を受けたのをきっかけに神戸市が所有することになって再建したところにスタバが2009年から入ったわけですので、指定後に大きな変更を加えたわけではないという経緯があります。
そして、何といっても弘前は津軽藩士殉難の歴史を今に伝えて珈琲の街を標榜してきたのですから、市が所有する文化財それも市役所敷地内というど真ん中に舶来のカフェを導入するというのは、市内でコツコツとやってきた珈琲店の皆様に無礼千万なやり方だと思います。
スタバが民間企業として進出してくるのは大いに歓迎すべきことですが、市が引きこむというのは道理に合わないと思いますし、珈琲の街としてのステータスを失うことの方が長期的には市にとってマイナスだと思います。
これ以外にも、公募から候補選定までの経過が不透明であること、市民にも議会にも説明がないままで動いて決めようとしていることなど、行政手続きや説明責任の面からも納得がいかないことが多いだけに、湯布院の例にならって断固反対で動こうと思います。
皆さんにも、このような建物の現状や珈琲の街という文化を理解していただいた上で、また意見をいただきたいと思いますし、これからのアクションにも注目していただきたいと思います。
平家建156㎡のこぢんまりとした建物ですが、1958年に市役所新築の際に約2/3が取り壊されていて、現在残っているのは公務で使った部分ということになります。
同じく第八師団の遺構である旧弘前偕行社には、弘前厚生学院の特別講義で何度かおじゃましましたが、両方とも軍のものとはいえ公務そして社交のための建物であり、用途によれば現状のままでも使えるものをわざわざ台無しにする意義はありません。
ところで、この建物は市の「趣のある建物」そして国登録有形文化財に指定されているわけですが、先日来の情報交換で紹介された神戸北野物語館も同じ指定を受けており、現在はスターバックスが入っています。
それなら官舎でもスタバをという話になりそうですが、この異人館はもともと朝のTV小説「風見鶏」のモデルになったパン職人が所有していた建物で、もともと1階はカフェとして使っていたのを阪神大震災で全壊認定を受けたのをきっかけに神戸市が所有することになって再建したところにスタバが2009年から入ったわけですので、指定後に大きな変更を加えたわけではないという経緯があります。
そして、何といっても弘前は津軽藩士殉難の歴史を今に伝えて珈琲の街を標榜してきたのですから、市が所有する文化財それも市役所敷地内というど真ん中に舶来のカフェを導入するというのは、市内でコツコツとやってきた珈琲店の皆様に無礼千万なやり方だと思います。
スタバが民間企業として進出してくるのは大いに歓迎すべきことですが、市が引きこむというのは道理に合わないと思いますし、珈琲の街としてのステータスを失うことの方が長期的には市にとってマイナスだと思います。
これ以外にも、公募から候補選定までの経過が不透明であること、市民にも議会にも説明がないままで動いて決めようとしていることなど、行政手続きや説明責任の面からも納得がいかないことが多いだけに、湯布院の例にならって断固反対で動こうと思います。
皆さんにも、このような建物の現状や珈琲の街という文化を理解していただいた上で、また意見をいただきたいと思いますし、これからのアクションにも注目していただきたいと思います。
2014年10月21日火曜日
師団長官舎にスタバ、反対!
師団長官舎は偕行社と並ぶ軍都・弘前の歴史を伝える建造物で、市長公邸として市役所敷地内の奥まったところにあったものを、保存活用のために道路沿いまで移築してきたものですが、これが何の建物であるかはあまり知られていないように思います。
これから軍都・弘前の歴史を振り返ったり観光資源として活用する上でも、中に入ってみたらスタバというのではおかしなことになりますし、まかり間違ってこれに緑色の看板がかけられたりするのでは景観の点でも大問題だと思います。
報道によれば、9月からの公募に応じたのがスタバだけだったということですが、観光館にシェ・アンジェ、藤田庭園に大正浪漫喫茶室、そして市民会館には改装したばかりの喫茶室batonと、市内でも良質な珈琲を楽しめる店が並んでいるところに市内の業者が出ていこうという気をおこすはずもないですし、それをしないのが同業者のよしみだと思いますので、そもそもカフェを作るという発想そのものが間違っていると思います。
この事業は、新設されたひろさき魅力プロデュース室の所管のようですが、電通から里帰りした盛和春先輩にはこのあたりの事情が飲みこめていないのだろうと思いますし、文化財の価値とともに珈琲の街・弘前の文化についても思いをめぐらしていただきたいものです。
この件は議会でも議論がされていないと言ってもいいことですので、多くの市民に知ってもらった上で意見交換し、場合によってはスタバ反対の請願陳情まで考えたいと思います。
まずは、コメントの形で賛否両論お聞かせください。
2014年8月16日土曜日
軍都・弘前を知るツアーを
桜とりんごの街であり、学都ととも呼ばれる弘前ですが、戦前の第八師団本部が置かれた軍都としての歴史は薄れてしまっています。
昨日の敗戦に日にちなんで「かく語りき」では石原完爾と宮沢賢治のことを書きましたが、弘前・津軽における宮沢賢治の足跡を知ることは軍都・弘前の歴史をたどることにもなります。
宮沢賢治は弘前の連隊に所属していた弟を訪ねて何度か来弘し、そのうち一度は岩木山麓にあった山田野演習場にまで足を伸ばして再会を喜んだ記録があり、その時代の敞舎が残っているのを5月のツアーで知ることができました。

戦後には中学校として使われ、現在では農家の倉庫として残っているのですが、先日知人から市内の民有地に同時代の建物が残っているらしいという情報もいただいていますし、市役所には師団長官舎、厚生学院には旧偕行社という保存状態のよい建築物もあります。
これだけでなく、市内には弘前公園内や弘前大学近隣に師団所有地だったところが数多くあり、現存する建物と跡地をめぐるだけでも立派にツアーが成立すると思います。
ちょうど、来年が宮沢賢治来弘90年の記念の年になるそうで、有志で何か企画するとは聞いていますが、これに足跡をたどるツアーが組みこまれるといいのではないかと思っています。
当然、これは宮沢賢治を通じて軍都としての弘前の歴史を知るルートでもありますので、観光だけでなく市内の小中学生に戦争と平和を考えてもらうヒントを与えることもできると思います。
軍都でありながら空襲を免れたからこそできる平和教育と観光、これは弘前にしかできないことだけに、ぜひ実現したいと思います。
昨日の敗戦に日にちなんで「かく語りき」では石原完爾と宮沢賢治のことを書きましたが、弘前・津軽における宮沢賢治の足跡を知ることは軍都・弘前の歴史をたどることにもなります。
宮沢賢治は弘前の連隊に所属していた弟を訪ねて何度か来弘し、そのうち一度は岩木山麓にあった山田野演習場にまで足を伸ばして再会を喜んだ記録があり、その時代の敞舎が残っているのを5月のツアーで知ることができました。
戦後には中学校として使われ、現在では農家の倉庫として残っているのですが、先日知人から市内の民有地に同時代の建物が残っているらしいという情報もいただいていますし、市役所には師団長官舎、厚生学院には旧偕行社という保存状態のよい建築物もあります。
これだけでなく、市内には弘前公園内や弘前大学近隣に師団所有地だったところが数多くあり、現存する建物と跡地をめぐるだけでも立派にツアーが成立すると思います。
ちょうど、来年が宮沢賢治来弘90年の記念の年になるそうで、有志で何か企画するとは聞いていますが、これに足跡をたどるツアーが組みこまれるといいのではないかと思っています。
当然、これは宮沢賢治を通じて軍都としての弘前の歴史を知るルートでもありますので、観光だけでなく市内の小中学生に戦争と平和を考えてもらうヒントを与えることもできると思います。
軍都でありながら空襲を免れたからこそできる平和教育と観光、これは弘前にしかできないことだけに、ぜひ実現したいと思います。
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