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2015年3月16日月曜日

教育にエアポケットがあっていいのか

今日は県立高校の合格発表があり、坊主も何とか拾っていただいてホッとしたところです。
今年度から前期後期制をやめて一発勝負となったばかりか、岩木高校の閉課程や弘前高校の1クラス減などもあり、市内の普通高校が進学校ばかりになってしまうという厳しい状況で、同級生でも涙をのんだ結果になった子もいて、何とも無情な仕組みだと思わずにはいられません。
この件に関しては、保護者としての怒りや在職時に無力だったことへの反省をこめて「かく語りき」に記しましたし、以前にも市立高校設置を提言したこともありましたが、改めて高校教育というエアポケットについて考えてみたいと思います。

現在の教育の仕組みでは、小中は県採用の教職員であっても市立ということで市教育委員会の管理下に置かれていますし、大学は国立私立の別はあっても大学コンソーシアムなどで学生の活動を支援する形が構築されてきていますが、高校に関してはそこまでの関係がないままで、市の教育とは一番離れたところにあるように思います。
確かに高校の場合は、市内に収まるどころか津軽南地域を超えて西北五地域までカバーするだけに市教育委員会で管理するというわけにはいかないのが現状でしょうが、消防が統合して広域なエリアをカバーする事務組合となっているのと同じことが教育でできないということはないはずです。
とりわけ少子化が進む中で小中そして高校再編が今後も検討されていくことになるにあたっても、地域の中での教育をどうしていくかを考えるにしても、小中と高校を一体的に成り立たせていく必要もあるでしょうから、今の教育委員会のあり方も見直すべきだと思います。
その意味では、自治体の首長が教育に関与する方向性よりも、より広域な地域教育を大所高所から進めていくことのできる教育のリーダーに任せていく形の方がいいと思いますし、県内で最も政策的判断ができる柏谷さんが教育長を務める横浜町が真っ先にコミュニティスクールを導入するという現実を見ても、どちらがよいのか判断材料になるはずです。
コミュニティスクールが中学校区単位で実現し、地域の拠点としての位置づけが強まっていけば、合併で求心力を失いつつある旧役場=支所よりも頼りになることでしょうし、勝手知ったる地域のことを学区単位で解決していく取り組みが広がれば、議会は市全体のことだけに集中して議論する場に変質せざるを得なくなりますし、地域ばかりでなく姿勢に与える影響も大きいものになるはずです。

それだけに、高校だけは県教育委員会という形を変えていく意義はあると思いますし、これを市の立場から県に物申していく必要を改めて感じています。

2015年2月23日月曜日

コミュニティ・スクールで先を越される

今朝の東奥日報1面に、横浜町で学校運営協議会制度導入と大きく報じられていました。
堅い説明でわかりにくいのですが、青森県初のコミュニティ・スクール実現ということでして、セブンイレブンが出店していない空白区であることより、これが実現していない数少ない教育後進県という大問題だっただけに、まずは大学の先輩である柏谷教育長の英断に敬意を表しますが、前期の私だけでなく今期も菊池勲市議や佐藤哲市議が何度か取り上げてきたテーマだけに、何年たっても動きもしなかった弘前市教育委員会の怠慢に改めてガッカリしているところです。
コミュニティ・スクール(以下、CSと略)は、学校の運営に地域住民がかかわり、基本方針をともに策定したり地域活動に協力するばかりでなく、教育委員会に対して教員人事に希望を申し入れることもできるといったことが記事でも紹介されていましたが、もう一つ大事なのは専任のコーディネーターを置くことで学校と地域をつないで動かしていくエンジンができることでして、記事でも紹介されていた大館市城西小ではより安定した身分保障のために学校支援地域本部制度とあわせて導入して成果を上げているのは以前見分させていただいて、その重要さを知ったところです。

ちょうど数日前には、文部科学省が廃止された小規模校でも再開する道筋を示したとの記事があったように、地域の中核としての学校のポジションは再評価されてきており、これは小中再編をもくろんでいる市教委にも再考を免れないことだと思います。
その記事でも、ただ存続させるのではなく通学区の規制を緩和して広域に受け入れる体制づくりなどの条件があり、それだけ地域が協力理解していかなければ実現できないハードルも課せられているだけに、それこそCSの父である金子郁容先生が著書『コミュニティ・スクール構想』で紹介されていた徳島県美波町・伊座利小中の漁村留学のような取り組みが必要ですが、この学校がCS実践校であることはさらに大きな意味を持ってくると思います。
もうすぐ坊主が中学を卒業しますので、義務教育とのご縁も終わりとなるところですが、学校の小規模化と地域の人口減少という波を乗り越えていくには、規模縮小を余儀なくされる相馬総合支所頼みではなく地域の人間が学校を拠点として地域を守っていく方向でなければならないと思いますし、他の農村エリアでも同じことです。

これだけ、市として真剣にCS導入を考えてほしいと思うだけに、それを主張できる場に戻る必要を感じています。

2015年1月23日金曜日

長慶天皇伝説を知っていますか

最近、立て続けに森茂暁さんの『闇の歴史 後南朝』『南朝全史』を読了しました。
そこで知りたかったのは相馬に数々の伝説と地名を残している南朝3代目となる長慶天皇のことでしたが、『後南朝』では時代が違うので仕方ないとしても『南朝全史』でもサラリと流されてしまい、吉野から逃れて全国を潜幸されたことにはまったくふれられていませんで、南朝に踏みこんだ歴史書でもこの扱いかと憤慨しているところです。

長慶天皇は、建武の新政を成し遂げた後醍醐天皇の孫にあたりますが、父である後村上天皇、弟であり南北朝合一を果たした後亀山天皇のはざまに埋もれて、明治時代まで在位に論争があり、1926年(大正15年)に至ってようやく98代天皇として認められた方です。
長慶天皇が歴史から消されそうになったのは、南朝の存立に固執して合一には反対の立場だったからのようで、今でこそ正統と認められている南朝ですが、当時でいえば政権を担っていた足利幕府と敵対する立場でしたので、和睦に応じなかった敗者中の敗者の事績が伝わらないのは歴史の必然ですし、合一のじゃまとなったことで譲位を迫られ吉野から追われるように津軽浪岡にあった北畠氏を頼り相馬に落ちつくことになったのだと推察されます。
全国各地に潜幸伝説があり崩御されたという謂われのある地も20ヶ所を超えるのだそうですが、相馬の場合は御所を置いたということで御所(後に畏れ多いと五所に改める)という地名があり、吉野紙で知られる和紙の漉き方を天皇自ら伝えられたというので紙漉沢、同行した水木という武将が館を築いたので水木在家(「在家」というのは関西に見られる地名)といった地名伝承があり、紙漉沢には御陵墓参考地とされてきた墓所があり、天皇を祀る上皇宮もあります。
これだけの痕跡が残っているからには、天皇自らおこしになったと考えたいですし、少なくとも皇子クラスの人物が拠点としたのは間違いのないことだと思いますが、観光コンベンション協会刊行の『ひろさき読解本』では船沢地区の宮舘・折笠などの地名も長慶天皇伝説にかかわるものとされており、中世津軽の歴史を考える上でも無視できないものだと思っています。

以前、津軽家と石田三成の関係についてふれましたが、これもまた中央の歴史からすれば取るに足らないエピソードの一つにしか過ぎないだけに、津軽にとって大事な歴史の節目というのであれば、地元でこそ語り継いだりしっかりと論考していく必要があると思います。
また、津軽には李氏朝鮮に蝦夷千島国王と名乗って使いを出したのが確認される中世十三湊の豪族・安東氏という中央の歴史とはリンクしない動きもあったのですから、万世一系の日本とは違う歴史の流れがあったのを知ることで、相対的多角的に歴史を考えるヒントを津軽弘前の子どもたちには気づいてほしいと思います。
子どもたちにしても、南北朝や天下統一を歴史用語として暗記するのより、その時津軽では何があったのかを知る方が興味がわくと思いますし、それが身近なところに地名や伝説として残っているのを調べるといったことを総合学習に取り入れるといった工夫をしてほしいものです。

ついつい、歴史となると熱く語ってしまいますが、それだけ歴史を知り歴史を学ぶことを大事に思っているのだとご理解いただければ幸いです。

2015年1月21日水曜日

武道に真剣に取り組もう

昨日一番驚いたのは、青森市出身の柔道家であり五輪連覇を果たした斉藤仁さんが54歳の若さで亡くなったというニュースでした。
ちょうど昨夜の通夜で、相馬には珍しく柔道でならした清野一栄市議と隣り合ったので話を振ってみましたら、10歳下で中3の斉藤少年に稽古をつけたことがあったそうでして、とても投げられなかったと当時から断然の実力だったと懐かしがるとともに、金メダルの際には県下でも柔道をするチビッコが増えて目標とする選手が登場する効果の絶大さを語っていましたが、私たちの時期には柔道部もあった相馬中でも廃部になって久しいように、柔道人口も減り続けています。

それにもかかわらず、復古主義の安倍政権の思惑で武道の必修化が進められ、相馬中では一度は取り壊した柔道場を再建する工事が行われただけに、つくったからには活用しなければならないので、武道に真剣に取り組む必要があると思います。
実は、武道のことは古武術への関心からいつか論じようと思っていたのですが、そのきっかけをつくってくださった加川康之さんも昨秋急逝されたのに重ねてのできごとだけに、このお二人の無念を思っても、何とかしたいものです。
私としては、弘前の歴史に根ざした古武術を学ぶことが第一だと思うのですが、今は復興に向けて歩み出したところだけに長い目で取り組んでいくこととして、短期もしくは中期的には柔道ということになります。
ただ、一栄さんが言うとおり大学のカリキュラムで付け焼き刃に習った程度で授業で教えるというのでは先生も大変でしょうし、子どもたちにも本物の柔道のすごさや礼に始まり礼に終わるという武道の基本にふれることにならないのでは、本当の意味での学びにはならないと思います。
そこで、学校単位でPTAのお父さんや地域のおじさんの中で柔道経験者をピックアップし、授業の際に指導してもらうようにお願いするとともに、逆に当時のスパルタ式の体育会系体質がしみこんだ方々に今スポーツや体育教育に求められているものを理解してもらう事前講習などを行えば、子どもたちにも大人にも実になる機会となると思います。

こういうことを考えても、教育に地域がかかわることでできることがありますし、そのことで変えていけるものがあると思っています。

2014年12月28日日曜日

子ども議会で次世代は育つのか

雪下ろしに年賀状作成で家から離れない生活が続いているだけに新聞記事頼みの更新となっていますが、今回は先日行われた子ども議会から考えたことをお知らせします。

記事によれば、小学校から12校26名と中学生38名の参加で意見交換や子ども憲章宣言などを行ったそうでして、このこと自体は意義があると思いますが、目的としていることで成果につながるのかが疑問です。
一つは子どもたちに市政や議会にふれてもらう機会をつくることで成人となってからの政治的な関心を持ってもらうことにつなげる意図があるのですが、小学校でいえば全校どころか1/3にもならない参加では子ども議会があったことすら伝わらないでしょうし、そもそも代表だけしか参加できないやり方では関心を呼ぶことにはつながらないと思います。
それ以前に、学校での児童会・生徒会活動で議論を尽くすことや選挙を体験することこそ議会制民主主義への関心を持つ最大のチャンスだと思うのですが、私が知っている限りでは小学校では選挙ではない形で児童会委員長を選びますし、中学校は小規模化の影響もあって数年連続で無投票で生徒会長が選ばれるという、自分たちで選ぶという体験ができない状況にあります。
中学校の例は大規模校では違うのかも知れませんが、小学校の件は何となく徒競走で全員一緒にゴールさせるといった競争を避ける風潮が影響しているのでは、教育的にも問題があると思っています。
私の場合も、小中学校での活動に加えて、高校時代に執行部と中央委員会というまさに自治体そのものといえる舞台で熱く議論を交わしたのが今の原点になっていると思うだけに、学校そのものでの経験について真剣に考えていかなくてはならないと思うのです。

もう一つは、こういう機会ではじめて学校の代表同士が接するのではなく、学期ごとに集合して生徒会・児童会や学校行事などでの情報交換をし、それを持ち帰って学校をよくする活動につなげていくのが、一番の体験となると思うのですが、4年経ってもそういう発展性が見えないのが残念です。
実際のところは、中学生ともなれば広域での交友関係が善悪は抜きにして成立しているのに、学校という本体そのものがつながりを持たないでいるのは、教育現場が時代に追いついていかないのを象徴しているように思いますので、より多い交流の場を持つべきだと思います。

ところで、皆さんの周りの小中学校の生徒会・児童会活動はどういう状況ですか?ぜひ、教えていただきたいと思います。

2014年12月17日水曜日

コミュニティスクール、夢のまた夢

今定例会の一般質問でもう一つ気になっていたのは、コミュニティスクールのことでした。
佐藤哲市議が、2年前にはコミュニティスクール実現に向けて進めていくと答弁していたが一向に進展が見られないのを教育長はどう思っているのかと問いただしたところ、佐々木教育長は全中学校区で健全育成協議会を設立して地域とのかかわりを深めるようにしていると歯切れの悪い答弁に終わりました。
佐々木教育長は、教職在任中に二中・裾野中で小中と地域合同の協議会を立ち上げたばかりでなく、一中では市内唯一の地域支援本部でモデル指定を受けるだけの実績をお持ちだっただけに納得がいかなかったのですが、相馬中学区での健全育成協議会発足会を控えていましたので、これまで論評を控えていました。
昨夜、その発足会が開催されましたので、その様子と合わせて報告したいと思います。

健全育成協議会は総勢77名、半分が小中のPTA役員で地域からは町会長・民生児童委員・交通安全委員会・子ども会育成会・保護司などが名前を連ねていて、当日は約半数が出席しました。
事務局である中学校教頭から設立の趣旨が説明され、各団体からの自己紹介や情報交換が行われたのですが、交通安全や少年犯罪のことなどが話題となり、学校が地域のために何ができるのかという方向ばかりで、地域が学校のために何ができるか、さらには地域が中心となって学校を中核とした地域づくりに取り組むといった形にはなりませんでした。
今後、総会や年2回の定例会、ラベンダー植栽といった活動をしていくことになりますが、PTA会長からはもちろん校長会を通じて協議会の意義を理解しているはずの校長からも、これが小中教育改革の入り口でその先にコミュニティスクールがあるということなど、全くふれられずに終わりました。
唯一、中央公民館相馬館の神館長が、小中教育改革に取り組んでいる教育委員会学校改革室のオブザーバー参加を提言してくれましたが、小中再編ばかりでなくコミュニティスクール導入の鍵を握っている担当者がかかわって説明からはじめてもらわないと一歩も進まないでしょうから、蜘蛛の糸一本つながった思いで帰宅しました。

今回感じたのは、仮に教育長に意欲があったとしても現場の校長が意向を軽んじれば改革は止まってしまいますし、PTAや地域の人たちにコミュニティスクールの意義を理解してもらわなければならないだけに、形にするには気が遠くなる時間と働きかけが必要だということです。
佐藤さん以外にもこの問題を取り上げた市議はいるのですが、こうしてみると議会や行政内部では課題と思っていても市民にはさっぱり伝わってもなく理解などされていない問題は山ほどあることを、改めて痛感しました。
地元の件はPTA役員として校長に問いただしたり方向を変える流れに持っていく働きかけをするしかありませんが、市民の皆さんにコミュニティスクールの意義を理解してもらうには政治家として場を作っていく必要があると思っています。

ところで、皆さんはコミュニティスクールって、知っていますか?そして、必要だと思いますか?

2014年11月2日日曜日

弘前市に市立高校を

昨年度は縁あって弘前中央高校全日制のPTA会長を務めさせていただきましたが、その中で感動を覚えたのは卒業式での定時制の生徒の答辞でした。
さまざまな事情があって定時制を選択し、そこでどのような体験をして立ち直ったのかをあふれる思いで語る姿は、順風満帆で高校卒業を迎えた全日制の生徒たちの心にも響くものでしただけに、今年度での閉課程は定時制だけでなく中央高校全体さらには津軽の高校教育のあり方にも大きな影響があると思います。
もう一つ、岩木高校が今年度から募集停止となるばかりか、弘前高校でも7クラスから6クラスに減じられるという唐突な決定が公表され、葛西市長も怒りをあらわにしたと報じられていました。
これらの流れを見ていますと、弘前市や津軽で求めている高校教育と県が考えているものとの間には大きな開きがあり、このままでは私立高校が4校あることを楯にして公立教育が壊滅させられてしまう気さえしてくるだけに、市が呼びかけて津軽としての高校教育を提言さらには実現させていく必要があると思います。

一つは、市立での定時制もしくは単位制高校を設立することです。
津軽には、単位制高校の尾上総合高校があり、これが三部制の定時制高校に再編されることになっていますが、以前見学させていただいてわかったのは、通常の進学ができなかった生徒たちの大事な受け皿であり、2008年という就職難の時期にあっても地元の商工会と連携してほぼ100%の就職を実現させていたほどの努力が無に帰してしまう懸念があることです。
さらに、尾上地区の田園地帯に位置しているだけに、夜間の定時制となると通学に非常な困難が生じてしまうことも指摘されており、この地元感覚のない再編は早晩間違っていたという結論になることでしょう。
それだけに、市としては定時制もしくは単位制で柔軟な受け入れのできる高校を、周辺市町村との協力で設立することを検討すべきだと思います。中央高校定時制の復活でもかまいませんし、富山県高岡市の駅前にある県立志貴野高校の存在を考えると、ヒロロを思いきって高校として活用するという手もあります。

もう一つは、市として中高一貫校を設立することです。
市内には弘大附属中に中高一貫教育の聖愛中もあるだけに位置づけが難しいところですが、来年3月の受験では120人分の普通科の枠がなくなり残った3校がすべて進学校という状況を考えると、受験ではない形の選抜で6年間で伸び伸びと勉強できるような位置づけの学校をつくることは、全体のバランスからも意味を持つと思います。
確かに財政難の状況に加えて少子化が進む中では時代に逆行する考えかも知れませんが、このくらいの提言を県にぶつけていかなければ危機感が伝わらないでしょうし、弘前実業は市立弘前商業、岩木高校は町立津軽高校だった歴史を振り返れば、県で足りないものは市で取り組む気概が必要だと思うのです。

現在、市では小中教育改革の意見交換会を地区ごとに開催していますが、この機会に高校教育も含めて皆さんにも考えていただきたいと思います。

2014年10月22日水曜日

統一した情報公開を

昨日はすっかり師団長舎スタバ問題に隠れてしまってましたが、もう一方の地元紙・陸奥新報には小中一貫教育実施の方針という、これまた寝耳に水の記事が載っていました。
これは、石川中学校区で実施された「弘前市立小・中学校の教育改革に関する基本方針」の策定に係る地域意見交換会でのことだそうで、会終了後の取材で石川中・船沢中・東目屋中そして相馬中学区で時期未定ながら実施を検討するという発言が教育委員会からあったのだそうです。
先日の意見交換会の際には、これからの教育課題として提示はされたものの相馬で実施を考えているということは一つも出ていなかったので驚いていたのですが、これは中学校からしても同じだったそうで、校長が教育委員会に確認の電話をしたことを昨夕のPTA運営委員会で報告していました。
結論としては、検討課題ではあるのは間違いないが具体的に4学区に絞って検討しているというようなことはないと回答されたのだそうで、フライングな発言ということにされたようですが、4学区は小中1校ずつで9年間同じ顔ぶれで学ぶ実態がある以上、具体化する場合もこのうちのどこかからということになると見ていいでしょう。
個人的には、コミュニティスクールもしくは学校地域支援本部制度を導入しての小中一貫教育は願ってもない話ですので、ぜひ具体化してほしいと思っています。

ただ、ここで考えなくてはならないのは、師団長舎スタバ問題に関しては情報を漏らさず隠密裏に進めていて、一方小中教育改革では決まっていない(としている)ものを不用意に広めてしまうという、情報公開のあり方の落差です。
どんな事情があるにせよ、手順が異なるというのは避けるべきだと思いますし、小中一貫教育に関しては具体化したいというのであれば一番最初の意見交換会から明らかにすべきでしたし、スタバ問題に関しては公募する前に市民と活用について話し合う機会があってしかるべきことですし、候補先としてスタバが浮上した今の時点でも遅くはないので経緯の説明かたがた話し合ってほしいというのが、私の思いです。
師団長舎問題は、スタバ導入には「ひろさき魅力プロデュース」室、入札など契約問題は財産管理課、市指定の「趣のある建物」としては都市計画課、そして国の登録有形文化財としては文化財保護課と、さまざまな部局がかかわっている問題であり、それぞれの立場からの問題提起を市民も聞いた上でないと判断つきかねることだと思いますし、市民の間でも賛否が分かれることでしょうから、自分が呼びかけての話し合いの場を持ちたいと思っています。

いずれにしても、情報公開がしっかり行われない限りは市民には理解ができないばかりでなく、市政に対するあらぬ疑念すら呼び起こしかねないことにつながってしまいますので、きちんとしてほしいと思います。

2014年10月13日月曜日

津軽の歴史を日本史とつなぐ

幼少のみぎりには毎回欠かさずだった大河ドラマを、昨年の「八重の桜」から再び見るようになった勢いで今年の「軍師官兵衛」も見ていますが、ちょうど小田原征伐から朝鮮出兵そして関ヶ原の戦いと豊臣秀吉の天下統一から徳川幕府へと進んでいく時代に舞台が移ってきて、ドラマそのもののクライマックスでもあり日本の歴史にとっても一大転換点であるだけに目が離せないところです。
そればかりでなく、この時期は津軽氏がはじめて中央の歴史に登場してくるということからして津軽にとっても重要なところなのですが、このことを知っている人は津軽にどれだけいるのでしょうか?
今回は、津軽の歴史と教育のことを考えてみたいと思います。

お門違いなところから話をはじめますが、今回の「官兵衛」でも例によって石田三成は秀吉をダークサイドに引きこんでいく悪役として描かれていますが、大河ドラマでこの時代に接した一番の最初が城山三郎原作「黄金の日々」でして、そこでは主人公・呂宋助左衛門の友人であり堺奉行として交易にも千利休にも理解のある「治部殿(じぶどの)」として活躍していた第一印象が強いだけに、どうも違和感を感じてしまいます。
それは、津軽の歴史にとっては石田三成は欠くことのできない存在だからというひいき目があるからでして、公式に認められている関係でいえば、藩祖・為信公の長子・信建の烏帽子親を務めた事実があるばかりでなく、元服後に大坂城に小姓として務めた信建は関ヶ原の戦いでは三成方の西軍に加わったばかりでなく、敗北して落ちのびることになった三成の子を津軽にかくまい、次子は杉山源吾と名乗り源吾の子は津軽藩の家老を務め、次女・辰姫は二代藩主・信枚公の側室・大館御前として後継ぎ・信義公を生んだとされています。
ちなみに、信枚公の正室は徳川家康の養女・満天姫ですので、関ヶ原では勝った家康も津軽の血筋争いでは三成に敗れたという衝撃の事実があるばかりでなく、秀吉の小田原征伐に南部氏よりもいち早く参陣したおかげで所領安堵してもらったご恩を忘れず、源吾が伝えたという秀吉座像を幕府滅亡まで弘前城北の郭に建神として秘匿して祀っていたほど、津軽家にとっては秀吉そして三成との関係は深かったのです。この座像が今は為信公の墓所である革秀寺に安置されているといえば、どれだけ大切なものかご理解いただけると思います。

これらの事実は、一般的には理解が乏しいにしても津軽の歴史としては定説のように扱われており、それが『津軽太平記』といった小説や漫画歴史書『卍の城物語』などで広まってもいますが、杉山源吾の末裔である佐賀郁朗氏の労作である『石田三成と津軽の末裔』によれば、この事実は現在でも中央の史学界では俗説扱いであり、津軽側の記録や伝承ではなく他地にある資料で実証するのに非常に苦労したことがわかりますが、同じく末裔である白取亨氏の著作ともども定説を覆すところには至っていないようです。
逆に、新書という手に入りやすい形で出版されている滝沢弘康氏の『豊臣家臣団の内幕』では、惣無事令が出された後の下克上であり相手方の南部氏には秀吉の盟友・前田利家がついていただけに、為信公の小田原参陣には三成の取次があったからこそ成功したことをわざわざ特筆するほど全国史的にも稀有のことと紹介していますが、津軽では為信公の行動力や近衛家とのご縁という視点では語られても、この場面で三成との関係についてふれているものはないように思います。
こうした津軽の認識と中央とのギャップがそのままでは、津軽の歴史を子どもたちに伝えようという声を上げるのもはばかられますので、ここはこの分野の専門課であり民間登用で博物館館長となられた長谷川成一先生に事実の精査と史学界への働きかけをしていただきたいと思います。

蛇足ですが、わが相馬地区には鎌倉幕府の残党が最後の戦をした持寄城跡、南北朝合一にあがなって逃れてきた長慶天皇伝説があるように、中央の歴史の最後が津軽につながるものがあり、この三成とのご縁もそれに連なるものと思えますが、そこには地理的に最果ての地であるばかりでなく、どこか権力に従わない気質があるからこそ呼びよせてくるものがあるように、私は自分の性格に我田引水しながら思ってしまいます。
そこまで極端でなくとも、津軽には津軽の歴史があることを、学校教育においても生涯学習の場においても伝えていくのは必要で大事なことだと思います。

2014年10月8日水曜日

意見交換会で言いたい放題

昨年に続いて2回目となる、「弘前市立小・中学校の教育改革に関する基本方針」の策定に係る地域意見交換会の案内が町会長宛にもありましたので、昨年に引き続き参加しました。
これは、2009年に策定された基本方針には「規模適正化」という冠がついていたように小中再編を目的に仕立ていたのを、少子化がさらに進行する時機にあわせて子どもたちのために必要な教育のあり方を中学校区で意見交換をした上で来年度までに考えていくのが目的ですが、昨年度が16学区で165人の参加しかなく今年度改めて開催することになったのです。
会には工藤教育推進監と学校関係の3課長に事務局まで頭数をそろえていたのに対して、地元からは7人(うち2名は小中校長)という申し訳ない参集状況で、統合といったリアルな課題を突きつけられない限り教育を語り合う場に参加もしないのでは、教育に注文をつける権利すらないと言わざるを得ません。
それだけに、参加したからには思っていたことをぶつけておこうと思い、約1時間の意見交換の半分くらいは言いたい放題に語らせていただきましたので、その内容をここで明らかにして皆さんにも考えていただこうと思います。

最初に話題になったのが中学校の部活のことで、野球部の保護者から現在は相馬中・西目屋中で合同チームを作っているのが来年度の東目屋中・西目屋中の統合でどうなるのかという質問があったのを受けて、小学校よりも人数が少なくなる中学校では部活の数が少なくなるばかりでなく、顧問となる先生も専門ではないことが普通になっているだけに、小学校のスポ少のように地域クラブ単位での活動に切り替えるべきだと提案しました。
これに対しては、先に行われた地区でスポ少の勝利至上主義の弊害という問題も出されていることを紹介しながら、部活を通じた教育と希望する活動に参加できる環境づくりのバランスを取りながら考えていきたいとのことでした。
学校の規模・学区の問題では、市としては再編には消極的だというのを前提に、中学校の小規模化が進めば専門科目の先生から教えてもらうのが難しくなるだけに、担任以外の先生は市全体でプールする形にして巡回やITを使っての遠隔授業にあたるような、思い切った対策を検討してほしいと伝えました。
これは、現在の県の仕組みでも複数校兼任は可能なのだそうですし、ITの活用はさらに進んでいくことなので、こういった合わせ技での大胆な改革が求められてくると思います。
さらに、これが実現して一校あたりの専任教員数が減少する可能性が出てくれば、小中一貫教育や地域との連携を深めるためにもコミュニティスクールや学校地域支援本部制度を導入して、コーディネーターが学校運営にかかわったり、多様化する学習障がいや子どもへのアプローチだけでは解決できない問題への対応のためにスクール・ソーシャルワーカーを配置するといった人材活用もお願いしておきました。
他にも、佐藤前教育長が推進したインクルーシブ教育を捨て去らないことや、郷土を愛する教育の中では武道必修化にからめて前田光世を知ってもらうことも述べましたので、これからの小中教育にかかわる提言は言い尽くした感じです。

この中で、皆さんにも考えていただきたい、また意見を聞かせていただきたいのは、
  • 中学校部活動の地域クラブ化
  • 専門科目の先生から学べるよう巡回教員などの工夫
  • 学校運営にコーディネーター配置
の3点です。それぞれの立場で抱えている課題も受けとめ方も違うと思いますので、より多くの声を聴かせていただきたいとお思います。
どのような教育を行うかは市にとっても百年の大計ですので、私も真剣に考えていくつもりです。

2014年8月7日木曜日

雨の日だからこそ、プール問題

5日から降り続いている雨は今日もやまず、ねぷた死亡事故の涙雨のように思えてなりませんが、雨で中止になっているのは夏休みのプール開放だろうと思います。
「だろう」と書いたのは、地元・相馬小学校では2007年からプールが使えなくなっているためなのですが、この1校1プールに変化が見られているという報道が朝日新聞にありました。
雨の日だからこそ、プール問題を考えたいと思います。

相馬小の場合はロマントピア、岩木地区の2小の場合は海洋センターを授業や夏休みの割引利用の形をとっていて、授業でも当地の指導員ではなく教員による指導のようですから、朝日新聞で報じているような民間委託ということではなく、拠点プールを作らずに民間施設で代用するというものです。
ただし、2007年時点の説明では、今後も老朽化が進んでいけば数校で1プールという形にしていかなくてはならないということでしたが、実際にそういう形になったところがないだけに、岩木・相馬ではだまし討ちにされたという思いが強くあります。
ただ、3月で弥生小が船沢小に統合され、次には修斉小が裾野小に統合されますから、夏休みとはいえ遠距離を子どもたちだけで通わせるわけにはいかないでしょうから、バスの運行などの対応が必要でしょうし、統合が進んだり拠点プールが現実のものとなっていけば、ますます検討すべきことが増えていくと思います。

ところで、朝日新聞の記事は我が友・伊藤大貴さんの紹介で知ったのですが、私がプール問題を取り上げるのは水泳ができるかどうか以前に水に親しみ友だちと遊ぶ場としてプールは必須の施設だと思うからです。
もう40年も昔のことですが、五所小学校時代の夏の楽しみはプールで泳ぐことではなく、村の奥で子どもにとっては未知の領域である旧相馬小学校エリアに踏みこんで、沢田・藍内という再奥部の地区でエメラルド色に輝く川の堰堤や淵で泳いだり魚を捕ることでした。つまり、プールは川という本番に備える基礎訓練と遊びの場だったのです。
運動神経がなく泳ぎが苦手だった私でしたが、何とか一緒に遊びたい一心でついて回って、一度はおぼれて蘇生法で飲んだ水をピューッと吹いた記憶もありますが、それでも川に行くのをやめることはなく気をつけて遊ぶようになったのは、こういう経験でたくましく生きる大切さを学んだと言えると思っています。
それから、時代は下って川遊び禁止が学校から言い渡されると守るようなまじめな子どもばかりになって寂しく思っていたのですが、それでも水に親しむ場としてのプールがあることでよしとしていただけに、最低限の泳力を身につけるとか授業で使える拠点プールがあればよいという発想には納得がいきません。
学校とりわけ小学校は、先生によって教えられることより、友だち同士でグラウンドをかけずり回ったりプールで水をかけ合ったりしている中で身につくことの方が大きいと思うだけに、財政で機能を失っていくことを避ける工夫をするのが政治の仕事だと思います。

皆さんのところのプールはどうなっていますか?統合が進んでも、地域でプールを守っていく取り組みをはじめませんか?

2014年7月11日金曜日

いつになったら雨もり直す?

全国各地に甚大な被害をもたらした台風8号は、弘前市では大きな被害を出すことはなく通過していきました。
それでも万が一のことを考えて相馬小学校では低学年を早めに下校させたそうで、陸上クラブに行きましたら子どもたちの姿はなく、体育館には代わりに雨もり対策のバケツが何個も置かれていました。

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小学校体育館の雨もりは、もう10年近くになっていると記憶していますし、現在も継続している相馬地区過疎計画でも補修がうたわれているのにもかかわらず、まったく手がつけられずにいます。
小学校に関していえば、合併直後にプールの改修費が出せないとされて2007年度から岩木小・常盤野小つまり岩木・相馬地区では夏休みに自由に泳ぎ遊ぶ環境が失われたままになっていますし、グラウンドもカーブからバックストレートは雑草が生い茂ってしまい最後のストレートも侵食されつつある状況で、はっきり言って寂れていく一方です。

これが問題だと思うのは、議会での質疑を思い出しても校舎の老朽化を訴える声はあっても、市では立てた改築計画や耐震補修の順番に沿う流れでしか動かないため、同じ議員が同じことを繰り返しぶつける形になっているからです。
相馬小の場合は、議会以外にも毎年の相馬地区過疎計画懇談会で地区住民やPTAからの要望が出されているにもかかわらず動かないのですから、頭が硬いというかPDCAサイクルに祖って優先順位を見直すということがされていないとしかいいようがありません。
それ以上に、小学生がいつまでたっても、先生たちにお願いしても、困っていても、学校を直してもらえないという絶望感を感じて、校舎を大事にしようという気持ちや大人への信頼感を持たなくなることが心配ですし、まさに教育委員会の未必の故意によって子どもたちの健全な成長が阻害されると言っても過言ではありません。

皆さんの周りの小学校中学校で、雨もりや壊れたままの施設はありませんか?多くの声を集めて、教育委員会を動かしたいと思います。

2014年5月21日水曜日

教育長3代への感謝と期待

地元紙の報道によると、昨日の予算特別委員会と並行して教育委員会が開催され、先日新任された佐々木健さんが教育長、九戸真樹さんが教育委員長に選任されたそうです。
前任の佐藤紘昭教育長の任期が19日まででしたので、空白の一日を生んだ形になったのですが、この機会にご縁をいただいた3代の教育長について記しておきたいと思います。

実は19日の朝、4年の任期が本日最終日ということで、僭越ながら佐藤教育長に電話で4年間の感謝を伝えました。
佐藤教育長は北海道出身、弘前大学から教員の道に進み特別支援教育では全国でも高名な実績を残し青森高校校長で退任、葛西市長初当選とともに教育長に招へいされた方です。
人事提案の質疑の際に、私は弘前市と縁の少ない人物を教育長として迎える意義を葛西市長に質したことを覚えていますが、その後の議会での答弁や教育基本計画の内容などからしても本当に立派な教育者であることがわかり、不遜な質問をしたおわびもしなければと思っていたのです。
その件については、佐藤教育長にも耳に入っていたそうで、「だからこそ、4年間弘前らしい教育をめざして努めてまいりました」と言われましたので、まさに汗顔の至りでしたが、そんなことも自分の糧にできる方こそ真の教育者だと改めて尊敬の念を覚えました。
これからも、弘前市を外からの視線で見守り導いていただきたいと思います。

このお別れのあいさつには、その前任の石岡徹教育長との思い出があったからといういわくもあります。
石岡徹教育長は、市内の中学校に長く勤め弘前二中の校長で退職の後、前市長時代の教育長として就任され市長交代も重なったため1期4年で退かれたのです。
前市長から忌み嫌われていた私でしたので、石岡教育長としては遠ざけておきたいのが本音だったかも知れませんが、そういう態度はおくびも出さず、いつも真摯に向き合ってくださいました。
それは、中体連の地区大会を土日開催にできないかという私の一番最初の6月一般質問を受けて、来年度からは移行しますというのを12月に表明し、質疑を終えて顔を合わせた際に「あの質問が決め手になった」と言ってくださったことに現れていましたので、私も前市長派の教育長だと色眼鏡をかけて見ることもなく、後に妻の恩師の一人であることを知って、さらに親しみを感じながら接していました。
葛西市長当選後の5月に入ったところでちょうど伝統的建造物に関する全国大会が弘前市で開催され、市議の中では唯一見学ツアーに参加していた私も懇親会に参加する栄に浴したので、その席で石岡教育長に再任のことをうかがったら、「もともと1期で退くつもりだった」と晴れ晴れとおっしゃったので、その席が3年間のご縁に直接お礼を述べる場となったのです。

では佐々木新教育長ですが、前任のお二方に勝るとも劣らない教育者で、以前からこの人が教育長ならばと思っていた方だっただけに、今回の就任は我が意を得たりと思わずにはいられません。
佐々木教育長は葛西市長の母校でもある弘前一中の校長で退職された方ですが、ちょうど所属していたライオンズクラブの奉仕活動でかかわる学校でしたので、何度かあいさつを交わす機会がありました。
その頃、地域が学校運営にかかわるコミュニティスクールや地域支援本部に関心を持っていたので大館市・城西小学校を見学したことがありましたが、じつはその際にとって返して市内で唯一地域支援本部に取り組んでいた一中に足を運んでいたのです。
そこで佐々木校長にお話をうかがうと、市から指定されたのではなく二中・裾野中の教頭時代に学区の小学校と地域を巻きこんだ育成協議会を立ち上げてきた経験から進んで手を上げたことを知り、灯台もと暗しであったことの不明を恥じたことがあっただけに、まさに相馬中でも取り組まなければならないと考えている、これからの教育の地域経営にはうってつけの方だと思います。
また、市内の中学校を知る立場だけに、昨年来のいじめ裁判事件にも現場感覚で向き合うことができる強みも求められての人選であるのは、言うまでもありません。

こうしてみれば、3代の教育長とも立派な方ばかりであり、ご縁をいただいてきた立場として、お二方には感謝、佐々木新教育長には期待をお伝えしておきたいと思います。