桜とりんごの街であり、学都ととも呼ばれる弘前ですが、戦前の第八師団本部が置かれた軍都としての歴史は薄れてしまっています。
昨日の敗戦に日にちなんで「かく語りき」では石原完爾と宮沢賢治のことを書きましたが、弘前・津軽における宮沢賢治の足跡を知ることは軍都・弘前の歴史をたどることにもなります。
宮沢賢治は弘前の連隊に所属していた弟を訪ねて何度か来弘し、そのうち一度は岩木山麓にあった山田野演習場にまで足を伸ばして再会を喜んだ記録があり、その時代の敞舎が残っているのを5月のツアーで知ることができました。
戦後には中学校として使われ、現在では農家の倉庫として残っているのですが、先日知人から市内の民有地に同時代の建物が残っているらしいという情報もいただいていますし、市役所には師団長官舎、厚生学院には旧偕行社という保存状態のよい建築物もあります。
これだけでなく、市内には弘前公園内や弘前大学近隣に師団所有地だったところが数多くあり、現存する建物と跡地をめぐるだけでも立派にツアーが成立すると思います。
ちょうど、来年が宮沢賢治来弘90年の記念の年になるそうで、有志で何か企画するとは聞いていますが、これに足跡をたどるツアーが組みこまれるといいのではないかと思っています。
当然、これは宮沢賢治を通じて軍都としての弘前の歴史を知るルートでもありますので、観光だけでなく市内の小中学生に戦争と平和を考えてもらうヒントを与えることもできると思います。
軍都でありながら空襲を免れたからこそできる平和教育と観光、これは弘前にしかできないことだけに、ぜひ実現したいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿