2014年8月10日日曜日

大森勝山じょうもん祭りに行こう

本来であれば修故創新塾その一の報告が先なのですが、ちょうどこの二日間で大森勝山じょうもん祭りが開催されていますので、そのPRのために大森勝山遺跡のことをまとめておきたいと思います。

大学では日本史それも古代史を専攻し、研究者への道は社会人生活を経験してからと先送りした私でしたので、市議時代に一番しつこく質問したのは、当時縄文晩期では最大級の環状列石=ストーンサークルが発見され国史跡そして世界文化遺産への登録をめざすことになった大森勝山遺跡についてでした。
環状列石が発掘されて特別公開された際には、当然だと思って見学に足を運んだところ対応にあたっていた当時の教育部長や文化財保護課長に市議がわざわざ来るとはと驚かれてしまったように、江戸時代以降の文化財ならまだしも有史以前の遺跡に関心を持つ議員は稀有の存在でしたし、さらにそのことを一般質問ばかりでなく予算決算特別委員会で半年ごとに史跡指定や世界文化遺産登録への進捗状況を確認されるとはあり得ないことだっただけに、課員も質問に備えつつ自分たちの仕事を披瀝できることに張り合いを感じていたと聞かせていただいたこともあり、北海道・北東北の縄文遺跡群の一つとして世界文化遺産候補になったことは私にとってもうれしいことでした。
それから4年、暫定リストには加えてもらったものの国内での推薦でも先送りされて、なかなか本登録に至るのは険しい状況ですが、それだけに地元での盛り上がりは大切ですし、弘前市にとっては唯一無二の世界文化遺産となりうる史跡なのですから、もっと市民に知ってもらう取り組みが必要なだけに、短い時間でもと思って足を運んだのです。

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現地には遺跡を見渡せる櫓が建てられ、出土した列席の位置がわかるように再現されています。また、市職員ばかりでなく発掘にかかわっている市民や地元町会の方々もボランティアで手伝っていました。
この遺跡の大事なところは、環状列石という祭祀にかかわる遺構があるばかりでなく、ここから大石神社から岩木山の三つの峰の一つである赤倉山頂へと一直線に結ぶラインには原初岩木山信仰にとっての重要なラインがあると思われるのですが、そこに縄文早期から平安時代までの住居跡が出てくるように非常に長い期間にわたって人が住んでいたというのは、縄文時代の津軽の人々にとっては北から南の方向に見える岩木山の姿が正面だと言えるのもかも知れません。

それが本当かどうか確かめるためにも、今日は大森勝山遺跡に出かけましょう!

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