昨日8/11は、真夏の11日に被災地をつないでできることを考えた若者の提案ではじまったLIGHT UP NIPPON の4回目の開催日でしたので、家族ともども野田村での花火を見に足を伸ばしました。
今回は台風が過ぎで無事に開催することができ、テーマソングを歌う福原美穂さんをはじめとするミュージシャンのライブ、それに野田中学校吹奏楽部との共演もあり、弘大や阪大のボランティアも集って多くの人たちで被災地14ヶ所をつなぐ花火を見上げました。
北三陸最大の被災地である野田村には、弘前市から2011.3.25から官民協働での支援がはじまり、一つの自治体が被災地1ヶ所に集中して支援を行う中国四川大地震で行われた「対口支援」の日本版の好例として評価をいただいてきたのですが、4年目に入って弘大ボランティアセンターを事務局とする月1回のバスは続いているものの、桜まつりなどへの招待は打ち切られ、最初に動いた民間側の動きは私たちの活動を除いて見る影もなくなっているのが実情です。
一方、弘前市内にはピーク時で200名を超える方々が大震災の影響で避難移住してきたのですが、こちらの支援は昨年度になったところでほとんどの就労支援が打ち切りとなり、市としての積極的な対応がないままに終わってしまい、私たちも共同募金会の助成金打ち切りで活動が継続できなくなったのも重なって、本当に申し訳ない形になってしまっています。
私の場合は、市議として最後に出くわした大震災に取り組む覚悟を決めたからには素浪人となっても支援を続けるという思いで野田村に通い続けていましたが、160回も通ううちに支援がどうということではなく、野田村そして北三陸の人々の温かさと自然の豊かさに魅せられてしまい、好きで足を伸ばしているのが本当のところです。この活動は大部分を民間団体からの助成金で対応していますが、弘大ボランティアセンターのバスや弘前市への招待、さらには職員派遣は市の予算で実施しているものです。
それにもかかわらず、一般質問や予算決算特別委員会での質疑で震災支援についてふれる議員は少ないばかりでなく、実際に野田村への支援は成果につながっているのか村民の方々にきちんと届いているのか実際に足を運んで見分した議員も数名しかいないのが実情ですし、何よりいち早く被災地支援を打ち出し桜まつり開催と被災者招待で名を上げた葛西市長ご本人が一度も足を運んでいないのは納得がいきません。
市からすれば震災支援も多くの施策の一つに過ぎないかも知れませんが、そこから生まれる交流や防災についての学びといった幅広い効果があることですし、足を運べば今だからこそ必要な支援があることに必ずや気づくはずです。
弘前市にとって震災支援とはどうあるべきか、改めて考える必要があると思います。
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