2011年の選挙で市民の皆さんからの厳しい審判をいただき、市議の立場を失ってもうすぐ4年となります。
その選挙直前、東日本大震災がおきました。東北の皆さんのために津軽からできることはないかと思い、民間支援団体「動こう津軽!」を立ち上げ動き出したところで落選の憂き目にあいました。
これが売名行為でなかったと証明する意味もこめて、岩手県野田村への160回を超える訪問や市内への避難移住者への支援などを続けてきました。とりわけ、野田村の皆さんの温かさと北三陸の豊かな自然が私を元気づけてくれ、支援するのではなく交流するために足を運ぶようになってきました。
そこで喜んでもらえる活動ができる一芸を持った方々を津軽から案内し、その方々には被災地の現実を知ってもらうことで震災を風化させないことに微力を尽くしてきました。
また、住んでいる昴町会の皆さんからは町会長という仕事をいただき、町会での雪対策やまちづくり1%システムなどで行政と向き合う立場に立つことができ、市のさまざまな施策にかかわる機会が格段に増えました。
こういった活動を通じた出会い、それを支える行政の後押しを知ることで、市民力の高さに気づくことができました。これこそが、私が4年間で得た最大の気づきだったと、この試練に感謝しています。
一方、弘前中央高PTA会長や弘前高同窓会実行委員長などの役割、週3回の陸上クラブのコーチを通じて、子育て・教育ばかりでなくスポーツを取り巻く現状を知ることができ、「子どもの笑顔あふれるまち弘前」の実現のためにどんな手だてが必要なのか、実感の中から考えることができました。
こういった市民と一緒に動くことの大切さに気づいたわけですから、市議に復帰できたとしても、あくまで市民の一員という立場で主張行動していきたいと思っています。
そのために、昨年4月からほぼ毎日更新してきたBlogで提言したものの中から、4月までに改善してほしい項目を皆さんの意見を受けて抽出し、その問題を解決することに全力を注ぐとともに、より多くの声を聴くために市役所にいる時間をできる限りつくり、市民のために全力を尽くすことに徹します。
この4年間が無駄でなかったことを証明し、この人を市議に返り咲かせてよかったと言っていただけるよう、粉骨砕身がんばるつもりです。
この思いで、2015年そして4月の市議選に臨む所存です。
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