先日の通夜でも耳に障っていたのですが、昨日読了した相川俊英『トンデモ地方議員の問題』でも指摘されていましたので、今回は葬儀の際の弔電のことを論じたいと思います。
地元の皆さんならご存じのとおり、通夜で弔電となると国会議員・県議会議員からの無味乾燥な文面が続き、果てには前や元の肩書で次への意欲を示す人ので終わるのが通例となっていまして、場合によっては政治家からの弔電で終わることまであります。
さすがに年も改まったことで、先日は次は県議をめざす市議や地元で参列していない市議からも届いていましたが、今まで耳にしなかった人まで参戦するのは、いかにも選挙活動だというのが見え透いてしまいます。
婚礼の場合は招かれない限り席がありませんが、葬儀に関しては誰でも参列できるばかりでなく弔電という方法もあるだけに、名前を売るには格好の場だと思ってのことなのでしょうが、本当にそれが効果を上げているとは思えませんし、場合によっては悪名を高めているだけではないかとすら思ってしまいます。
それだけに、私自身は今まで弔電を打ったことも花輪をあげたこともありませんし、生前ご縁のあった方かご縁のある方の肉親に限って通夜葬式に参列することにしています。
公職選挙法でも、政治家が香典を預けて届けるのは寄附行為にあたるとして違反になりますが、弔電は該当しないことになっているだけに後を絶たないわけですが、誰から見ても選挙活動の一つでしかない行為なのですから、政治家自身が自制すべきことだと思いますし、違反ではないにしてもこんな手前勝手なことを続けて「政治は金がかかる」などと言ってほしくありません。
ただ、仮に市議会で申し合わせができたとしても新人や元職までは縛れるものではないだけに、逆に市民の側で政治家の弔電は読み上げないのをルール化して徹底すれば、葬儀時間の短縮となって参列者は喜ぶでしょうし、出す側もあきらめると思います。
政治家が襟を正すのが先決ですが、市民住民の側で変えていくことも、政治をよくする一歩だと思います。
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