この3連休は、さまざまなミッションの連続と酒席が重なっていましたので、思いきって筆を休ませていましたが、その最後の休みは国民の祝日・敬老の日でした。
兵庫県の山村での「としよりの日」からはじまった祝日ですが、現在では祝ってもらう側の65歳以上の方が国民の4人に一人を超える状況だけに隔世の感がありますが、全国各地で開催されている敬老会に介護を必要として入所されている人や住宅型有料老人ホームいわゆる「有料」に住んでいる人はどれだけ参加されていたでしょうか。
敬老の日にあたって、改めて「有料」のことを論じたいと思います。
弘前市内でも増え続けている「有料」は、ここ数年で隣の湯口町会にも2ヶ所建設されていますが、町会長さんの話ではその経営先から町会に加入させてほしいという話も来ないので町会とは無縁の存在だということでした。
最初の方は20室を超える規模ですから、20人以上の高齢者が敬老会の声もかからず市の広報も届かない場でただただ介護だけを受けて生活しているわけですが、皆さんの周りの「有料」もこれと同様の状況なのではないでしょうか。
ハッキリ言って、「有料」は現代における姥捨て山で、昔は親の命を奪うという負い目があり、今は入居費用を負担するという、背負うものの違いがあるだけです。
住み慣れた自宅や地域から、介護が必要になったというだけで追い出される人がこれだけ増えれば、当然ながら老人クラブ参加者も減るでしょうし、こういう形で命長らえる人が増えて短命県返上となっても何が喜ばしいのでしょう?
私自身は、福祉介護にかかわる人間として家族介護には反対の立場ですので、ここまで在宅以外の介護を希望する風潮がはびこり「有料」が増えていくという悪循環を絶つためにも、市として「有料」の今後一切の建設を止めるとともに、在宅サービスでの自宅介護を選択しやすいように介護休業などが取りやすくするために取得率に応じて企業にインセンティブを与えたり、在宅介護を推進する方向への意識づけを図るといった政策展開を提言します。
現在、市では介護保険財政の支出抑制のためにケアプラン点検などというバカげた対策に走っていますが、「有料」においてはサービスの囲い込み利用という問題だけでなく、施設入所者同様に24時間の見守りや介護が必要であるのに受けるサービスは在宅サービスでのケアプランという矛盾を、そんな小手先では支出抑制にも本来あるべき介護サービスにもつながるはずはありません。
本当に、介護とはどうあるべきか、住み慣れた地域で暮らし続けることの意義をどう実現していくか、真剣に考え、市として毅然とした根本策を打ち出す時期に来ていると思います。
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