2014年9月17日水曜日

介護を政治の立場から考える

昨日の「有料」の件で言葉足らずの部分と語りきっていない部分がありましたので、改めて介護について政治家という立場から述べておきたいと思います。

福祉にかかわる立場として、私が一番影響を受けたのは新潟県長岡市の複合施設こぶし園の小山剛園長です。
こぶし園本体は定数100床の特養ですが、小山さんはその指導員時代に二人暮らしの妻が末期ガンで入院することになった夫をショートステイで受け入れるために迎えに行ったら首をつっていたという経験から、入りたくないと思われるような施設なら解体すべきだと過激ながらも至極まっとうな視点で従来の定数を20床程度のサテライトに分けて住み慣れた地域で住み替える形態を次々と提唱して制度化させた福祉の世界のリーダーです。
その後の東京進出など疑問に思うところもありますが、相馬村という狭い地域で30床の小規模特養を経営していた立場としては、できるだけ在宅サービスで支えて忍耐の限界となった場合に住み慣れた村の中で地域とともにある施設で暮らすことが選択できるのを理想に掲げて取り組んでいただけに、施設ではなく在宅そして地域という思想には大いに共鳴したものです。
小山さんの取り組みは、社会福祉法人という社会的使命を担う立場からの発想だけに、サテライト型特養も小規模多機能型施設そして「有料」も地域とのつながりを組み入れたものですので注文はありませんが、それが制度化されたり形態だけマネして作られたものにはその本旨がまったく伝わっていないだけに、ただただ受け入れ先が増えればいい稼げればいいというやり方だらけなので、根本的に認めるわけにいかないのです。

もう一つ、私は城東学園で2年間介護福祉士養成にかかわった経験があるだけに、介護人材の確保と育成にも強い関心があります。
私が務めていた1995年前後には定員の800人を上回る受験者で高卒の福祉の世界に夢を持った若者がほとんどでしたが、今では70人の定員の半分にも満たず多くはハローワークから給付金をもらって学ぶ社会人経験者で、その人たちが家賃を低く抑えた「有料」の安い給料で働くというブラックな環境になってしまっています。
特に弘前市内には看護学部を持つ大学が増え、病院でも配置基準を満たすために大量の看護師を必要としているだけに、同じケアの世界なら介護よりも看護の資格を取った方がよいという状況であるので、進路として介護をめざす人が少なくなっている現実の中で、職を変えるにあたって給付金があるなら介護でもといった人材しか集まらないのに次々と「有料」が増えていくというのでは、地域とのかかわりに問題があるだけでなく、そこで行われているケアの質そのものにも問題を抱えているといわざるを得ません。
これは簡単に解決できることではなく時間もかかる問題ですが、市としても介護をめざす新卒者を増やすために職場体験や総合学習で優良な施設や職員とふれる機会を増やしたり、進学の際のインセンティブを検討するなどの息の長い対策が求められていると思います。

これは、弘前市ばかりでなく国レベルで解決を図らなければならない問題ですが、そこであきらめるのではなく市としてあるべき介護の理想像を掲げて、そこで市としてできることを徹底的に考えるのが、政治家として求められることだと思います。
今の葛西市長は、介護保険料をアップさせないというお題目を唱えるだけで、具体的な対策も介護の理想も見えない中では、来年4月からの改定や次期介護保険計画でも市民の皆さんの期待に添うものは出てこないと思います。
それだけに、介護の世界を知り政治の立場そして市民の立場から物申すことには、次期出番をいただいた際には力点を置きたいと思っています。

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