偕行社とは、師団本部が置かれた各地に建設された社交場で、弘前偕行社は1907年に竣工していますので、実際は雪中行軍遭難事件の際にはまだなかったということになります。
今回の見学会にあわせて同じ第八師団の建築物である師団長官舎の移設資料パネルも展示していましたが、規模を縮小しながら2度の移設をしているのであれば、この偕行社と一体で保存し軍都弘前を見学できるようにすることを考えるべきだと、改めて思いました。
ちなみに、午後から十和田市での用件があり、いつもの城ヶ倉から酸ヶ湯・笠松峠を抜けるコースが冬期閉鎖となっていたので、あと3日で閉鎖となる前の田代平を抜けるコースを通りました。
この地こそ5連隊199名の命を奪った場所であり、下っていった道は今でこそ県道が通っていますが当時は道亡き雪原を31連隊が上ってきたルートだと思うと感慨深いものがありますし、城ヶ倉大橋開通のおかげで第八師団の足跡をめぐるツアーコース設定もできると確信しました。
戦争についての見方は人それぞれですが、それを頭の中だけではなく実際に見ながら考えることができるものを大事にしていくのは、立場を超えて了解していただけると思いますし、私自身は軍都弘前の保存活用の先頭に立ちたいと思います。
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