2014年11月30日日曜日

脱原発に正面から向き合う

呼びかけ人に名を連ねながら過去2回は参加できずにいた「AFTER311脱原発弘前映画祭」に、3回目にして2日目にようやく上映会に足を運びました。
動植物に異常が発現してきていることを記録した映画「福島生きものの記録」と、「福島を忘れない」と題した避難者4名のトークを聴くところまでの参加でしたが、約2年間市内や近隣市町村に批難されてきていた方々の支援にかかわり、先日も南相馬市に1年ぶりに訪問するご縁のある自分としては、他人ごととは思えない現実から離れてしまっていることへの懺悔を感じる時間となりました。
避難者のことも、市として取り組むべきことがありますが、今回は映画祭そのもののテーマである脱原発のことで市が考えなければならないことを取り上げたいと思います。

一つは、トークの発言者の一人・佐久間博秀さんが自ら調べたデータを紹介していましたが、避難して暮らしている平川市の畑の線量を測ったところ、農産物に影響があるといわれる数値を超えていたので耕作していないのだそうですが、その土は弘前市内から運ばれてきたものだそうです。
映画で紹介された福島の数値からすれば「ただちに影響があるとは言えない」レベルかも知れませんが、目に見えない形で放射能汚染の影響は広がっているようですし、精確な調査と納得のいく形での情報提供が必要だと痛感しました。
発言者には二本松市から避難している方もいましたが、その二本松市には浪江町の仮役場や仮設住宅があることで二度訪問したことがありますが、仮設暮らしの方から住宅の位置から少ししか離れていない傾斜のところでは線量が二倍にもなると教えていただいたこともあり、避難先が安心できる状況でないことに愕然としたことがありましたが、津軽なら安全という思い込みでは済まない見えない現実が目の前にあると考えて対応する必要があると思います。

もう一つは、市として脱原発に舵を切るのかどうか、ハッキリと意志表示することです。
大震災発災当時、八戸市の小林市長は脱原発を公言しましたが、葛西市長は明確に語ることはなく、自民党政権に戻ってからの再稼働方針に対しても意思表示をしてこなかったと記憶しています。
再稼働は国の方針、意思表示するのは立地自治体の問題としておけば楽かも知れませんが、先に述べたように一旦原発事故が起きてしまえば想定以上の範囲での被害が広がりますし、六ヶ所再処理工場、東通・大間原発という身近なところに危険があるだけに、住民の生命健康や農産物の安全を守るためには、函館市が大間原発建設差し止めの訴訟を起こしたのと並ぶくらいの厳しい態度で臨むべきだと思います。
地方分権のためには、国政と地方政治は分けて考えたいところですが、脱原発はこの地で生きていくという生活の基本を根底から奪うものだけに、政治家としてどの方向をめざすのか明らかにし、自治体の進む方向を議論していくことが求められていると思います。

もちろん私は脱原発、このことを葛西市長に問いただしたいと思っています。

2014年11月29日土曜日

北川先生と葛西市長の違い

青森中央学院大学地方自治特別フォーラムに参加しました。
佐藤淳専任講師のコーディネートで、早大マニフェスト研究所長である北川正恭元三重県知事による基調講演、地方議会の先進事例としてともに岩手県の久慈市議会・八重櫻議長と滝沢市議会・黒沢議長からの報告、最後に葛西憲之弘前市長と宮下宗一郎むつ市長によるパネルディスカッションと、盛りだくさんの内容と北川先生の講演時間オーバーと長めのコメントで休憩時間を削っても10分オーバーという、非常に濃い時間でした。
久慈市・滝沢市の両議長の報告からも学ぶところが多く、就任半年の宮下市長のやる気も感じましたが、北川先生がサラリと語ったことと葛西市長が進めている機構改革で大きな違いがあることに気になりましたので、今回はそのことを明らかにしておきたいと思います。

ところで現在、弘前市には肩書としては課長ながら部長級である方が二人いまして、それは政策推進課長と人材育成課長です。
お二人とも部長級にふさわしい力量を持っていますので、部長級に序すること自体は問題とは思いませんが、北川先生が三重県知事に就任してすぐに財政課と人事課を廃止して部長より下位であるはずの課長に絶大な権限があるのを崩し、予算配分にあたっては査定という密室ではなく部長級の会議でオープンに意見をぶつけ合って決めるようにしたという改革からは真逆のことだというのに気づいたからです。
つまり、北川県政では全体最適を進めるためになくした課に対して、葛西市政ではそれに該当する課にさらに強い権限を与えているわけです。
今回はふれませんでしたが、北川先生は従来であれば力量のある職員が配属される財政・人事課を廃止しただけでなく、そのような職員を議会事務局に回して自分の権限やリーダーシップに対抗しうる議会を形成する土台を作らせたことも有名な話で、それを契機に三重県議会は議会改革のトップランナーであり続けていますが、葛西市長は力量のある職員にさらに権限を与えるという形になっていて、それが議会とのバランスをさらに悪くすることにつながっていると思いました。

もう一つ、北川先生は元知事だけに当時のことは時効として間違っていたこともあけすけに語って、そこからどのように政治改革を進めてきたのか、なぜそれが必要だったかを示してくださいますが、今日の葛西市長は県庁時代の取り組みからはじめて自らの成功事例をまくし立てるのに終始し、まるで弘前市には問題がないかのような態度だったのには、さまざまな課題が見えてもそれらのことでは市民とは対話もしないのを直接知っているだけに、聞くほどに白けた思いになってしまいました。
近年、自らの誤りを認めず逃げたり他に転嫁したりする政治家ばかりだけに、本来は北川先生のような態度こそ政治家としてあるべき姿ですし、マニフェスト以外の問題での政治判断で間違いが目につく葛西市長はやはり政治家というよりスーパー行政マンと見るのが適当な気がします。
それだけに、議会改革度全国最下位から脱却するよう、追認するだけの議会から二元代表制のカウンターパートとして政策提言機関の役割を果たす議会に変わっていく必要がありますし、とりわけ市長・行政側の力を強めている弘前市ではなおさらのことだと改めて思いました。

帰り際に、北川先生にあいさつしたところ「がんばれよ」と声をかけていただきましたが、それは私が感じたことを見抜いての叱咤だと思って、葛西市長に対峙する立場に戻る決意を強くしました。

2014年11月28日金曜日

議論なきスタバ出店とは

地元紙既報のとおり、市役所前の旧第八師団長官舎にスターバックスが入り、来年4月の桜まつり開幕前に開店することが正式に決まりました。

これまで私論を述べたように、文化財としての価値を減じることになること、とりわけ高倉健さんが亡くなられて映画「八甲田山」ゆかりの建物として改めて注目を集めることになる矢先に、議会での議論も経ない形で協定というのは、拙速どころか暴走としかいいようがないやり口です。
外部の力を借りての誘客と歴史的建造物や珈琲文化を守ることのどちらを優先すべきかということもありますが、これほどの問題を市民にきちんとした説明もせず、あまつさえ議会でも具体の議論を避ける形であっという間に進めてしまうというのは、市民ゴルフ場問題や我が昴町会の融雪溝問題でも対話に臨まずに済ませてしまった葛西市長の政治姿勢の悪弊の最たるものと言わざるを得ません。
全員に百点満点の満足となる説明はできないにしても、異論はあってもここまでていねいに説明するのであればという納得を与えることを「対話と創造」というモットーに掲げていたはずだけに、この変質は見過ごすわけにはいきません。

12月議会でどのような議論となるのか注視したいと思いますが、私が不満に思ったほどには現職諸侯が問題を感じているとは思えないだけに、やはり自ら議場に戻って問いただすしかないと思っています。
この件に納得いかない方、議論や情報公開のあり方に問題を感じる方、ぜひともお力を貸してください。

2014年11月27日木曜日

相馬地区の過疎指定を生かすには

昨夜、「弘前市旧相馬村区域過疎地域自立促進計画相馬地区意見交換会」という長ったらしい会議に町会長として出席しました。簡単に言うと、過疎指定を受けていた相馬村の地域には今後も過疎地域としての優遇措置があり、それを活用してどのような事業を進めていくのかの説明と意見交換をするというわけです。
ちなみに、旧相馬村は過疎であると同時に特別豪雪地域の指定も継続していまして、車庫証明不要といった恩典も受けられます。

現在は来年度までの5ヶ年計画の4年目にあたっており、葛西市長ご臨席のもと佐藤支所長以下の説明では、全体の65事業のうち今年度までに完了するのが26、来年度には完了するのが4、次期の5ヶ年計画に移行・継続するのが35事業と、過疎地域として計画は立てられても実際には半分近くの事業が5年間棚ざらしで進捗していないということになります。
説明後は町会長や各団体などなからの出席者との意見交換となりましたが、役場などを改築したやすらぎ館に続いて奥にあるふれあい館の改修もはじまっていることもあって、嫁不足や空き家対策といった市が取り組んでいることを質問の形で紹介するかのような段取りのやりとりがほとんどで、過疎の状況でも地域を維持していくためにはどういう事業が必要かという突っこんだ議論もなく、1時間の予定どおりに終了となりました。
私も事前の打ち合わせどおり、町会の街灯を防犯灯に切り替えること、陸上クラブのコーチとして小学校体育館の雨漏りとグラウンドの改修という要望をしておきましたが、これらすべての質問に市長自ら回答するのは責任ある立場として当然の態度ではありますが、市政懇談会とは違って担当部局で陪席していないだけにキチンと伝わるのかという心配もあります。

それはさておき、行政経験のある町会長がはじまる前に話していたのですが、以前は5ヶ年で総額いくらの計画というのが示されていたのでその中で事業を組み立てていたのだそうですが、現在の時限立法ではそのあたりがあいまいでハード・ソフトどちらでも過疎にかかわるものであれば計画に盛ることができるのですが、実際には半分前後の実施なのですから、何でもかんでも実現できる魔法の計画ではありません。
それだけに、今の相馬地区において優先して取り組まなくてはならない事業を絞りこんでいく必要がありますが、それが今期最終年であり次期計画の準備年度となる来年度の課題となるだけに、しっかりとした話し合いができる場を作るのが何より肝心です。
加えて、弘前市の一地区に過疎指定での特区があるという認識に立って、相馬地区を指定すれば財政的にも地理的にもメリットが生まれるようなものがないのか検討するというのも必要なことですし、人口減少対策として新規住宅団地を造成するのであれば一番有利な条件がそろっている相馬地区に第2昴団地をといったことなど、市全体に効果が波及するものがあると思います。

その意味では、相馬に住んでいるという立場でなく、市から見て必要なものを盛りこむ意識で臨みたいと思いますし、それにふさわしい市議という地位でなければならないと改めて思ったところです。

2014年11月26日水曜日

叱られるのは、いいことだ

先日、「ゆるキャラグランプリ」の結果をふまえて、たか丸くんのことを心配したばかりのところに、地方再生のプロである若き畏友・木下斉君「ゆるキャラは地方創生に役立っているのか」という刺激的な一文を東洋経済の連載のしょっぱなにぶちかましてくれました。要旨としては、ゆるキャラで地方活性化や経済効果といってもプラスの陰にはマイナスもあるのに、それを見極めることもなく税金を投入してムダな争いをして次なる活性化に取り組むような不毛なことはやめようという、至極もっともな提言です。
ただ、たか丸くんをデザインしたせのおさんたち関係者の思いを知っているだけに、市民が推そうという一体感を生むところに意義が生まれるのではというコメントをつけてシェアしたところ、10分もたたないうちに木下君本人から「いや押してはいけないことを押す材料になるので悪質です」と厳しい反応が返ってきました。まさに畏るべしです。

このたか丸くんの件では、一番外の世界を知る農業者・水木たける君からも「本当にそれは必要ですか?」と先に指摘されましたし、昨日の「津軽百年食堂」条例の件でも「居酒屋はどうなるんだ、自分の保険業も守ってください」と福士祐一君から突っこまれましたし、それだけ思い至らず提言することで若い友人たちからお叱りをいただく形になっています。そのことで腹が立つなどということは少しもなく、もしかすれば呆れかえって離れていった人もあるかも知れないだけにわざわざ意見してくれる縁があることをありがたく思って、キチンと受けとめるようにしています。
提言することで、そこに問題があることに気づいてもらえたらというのが一番の思いですが、そこに隙があることで反応が引き出されて違った角度からの見方もできるようになるのであれば、それはそれで提言している甲斐があると思っています。
私が言うことは正しいので皆さんついてきてください(という態度に見られがちですが)というのではなく、こういう問題がありますから皆さん一緒に考えましょうという姿勢で臨みたいと思っていますし、それこそが市民と市政をつなぐ役割としての議員のあり方だと思っていますので、これからも賛否両論ぶつけていただきたいと思います。

叱られてナンボと心得て、叱ってもらえる関係でいられる市議をめざします。

2014年11月25日火曜日

「津軽百年食堂」条例を制定しよう

先日、旧弘前偕行社修理工事見学会から田代平越えに向かう際に城東から黒石へと向かったのですが、トヨタカローラ城東展の向かいにとんかつのチェーン店がオープンに向けて準備しているのを発見しました。
城東店は我が家のディーラーだけに足を運ぶ機会も多いのですが、今までは何かわからない形で工事していたので気づかずにいたのだと思いますが、何と弘前ではとんかつの名店として知られる喜多八さんの至近距離に店を構えるとはいい度胸です。
商売ごとだけに、誰がどこに進出するのも自由なのかも知れませんが、建築確認申請が上がってきた時点で建築指導課では何とも思わずに建物としての基準を満たしているからと通してしまっているのだとすれば、あまりに無頓着すぎると思ってしまいます。

ところで、その偕行社は近年では映画「津軽百年食堂」で弘前駅として使われていましたが、モデルとなった三忠食堂だけでなく津軽には10軒を超える百年前後続いている食堂があることも、観光資源の一つとなっています。
一方では、最近閉店となった大和家さんばかりでなく、福住・新よし・中三といった割烹が相次いで店をたたんでいますし、津軽の食文化を守る上でも長らく商売を続けてこられたお店が続けやすい環境をつくるのは、市としての責任にかかることでもありますし、市民としても納得してもらえるのではないでしょうか。

そこで提案したいのは、「津軽百年食堂」条例です。
市内である一定の年数、たとえば50年以上の飲食店がある場合には、一定の距離以内には同じ系統のチェーン店が進出するのを市として規制するというものです。
それ以外の場所であれば進出はかまいませんし、該当するお店が自らの判断で商売をやめるのもまた自由ですが、むやみに競争の波風を立てるというのは弘前らしさを失わせる要因にもなりかねませんので、このくらいの規制をかけることがあってもいいのではないでしょうか。
お気づきの方があると思いますが、これを思い立ったのは師団長官舎スタバ問題で近隣の喫茶室に与える影響を考えていたところに、今度は食べ親しんできたとんかつ屋さんのそばにチェーン店という展開だったので、さすがにこういうあり方はいかがなものかと思ったからです。

競争もさせず補助金づけですべてを守れとは思いませんが、今まであるものが続けていける環境づくりをするのは、これから弘前を維持していく上で必要なことだと思っています。

2014年11月23日日曜日

急患診療所の薬剤問題で思ったこと

3連休の中日、久々に家人が急患診療所のお世話になりました。
30分ほどして出てきましたが、薬は市立病院裏の薬局からだというので車を回しましたが、隣に止まっていた車は先に出た子ども連れでしたので、体調が悪くて受診しているのにこれでは大変だと思わずにはいられませんでした。
以前、子どもたちが小さかった頃にお世話になった際には院内処方でしたし、その後外科や小児科の夜間診療まで手を広げてくれてさらに助かるようになったと思っていただけに、これは意外なことでした。
確かに、医薬分離が進んで院外処方への流れになっているとはいえ、急患で受診した上に距離のある薬局まで回らなければならないというのは大変ですし、車で乗せてきてもらったのならば何とかなっても、自力で来たり徒歩などの場合はとてもでないだろうと思ってしまいます。
縁がなくなっていただけでなく、縁がないことで変更のお知らせにも目が止まらずにいたのでしょうが、これだけ影響のあることが議会で話題にされたこともないように思いますし、自分がどうにかできたことではないものの、市民の皆さんに申し訳ない気がしてしまいます。

こういう言い方は引き受けてくださっている医師会の医師の皆さんに失礼とは思いますが、医療も患者というお客様を相手にするサービス業ですから、お客様の便利を最優先にするのが第一だと思いますし、何といっても弱っている人が相手のサービスなだけに、以前のような院内処方に戻してもらいたいものです。
ここまで言うのは、弘前においては医師は単なる職業ではなく「医者サマ」と呼ばれるほど尊敬を集め威厳を持って市を引っぱってきた存在でしたし、戦後においても市長を務めた福祉文知さん、市民自治を築き上げた鳴海修さんや鳴海病院の康文・吾郞先生、直接知己をいただいた方でも石戸谷忻一先生や鳴海康安先生など、そうそうたる顔ぶれが思い浮かびます。
それだけに、今の医師の方々にも期待をしてしまいますので、ついつい要望が強くなってしまいますが、ご寛恕いただきたいと思います。

皆さんも、医療のことで気がかりなこと改善してほしいことがありましたら、お知らせください。

「弁当の日」講演会を弘前でも!

十和田市の用件というのは、上十三歯科医師会主催の地域歯科フォーラムの講演会の講師が「弁当の日」をはじめた竹下和男先生だというので、初冬の八甲田を越えてきたのでした。
200人を予定していた会場はほぼ満席で、先生に引率された小学生やその年代を子育て中に見えるママさんたちも多く、 今回の講演を企画するだけでなく次の成功まで見すえた働きかけをした歯科医師会には頭の下がる思いでした。

はじめてお目にかかった竹下先生は、思っていたのとは違って堅そうな雰囲気で、いきなり今度は映画化もされるという「はなちゃんのみそ汁」の話から入ったので、安武さんはご自身のことを語らず「弁当の日」のことだけ話したのと違うという違和感を覚えましたが、それは子どもの成長にとって味覚や家事を手伝うこと、そしてほめられることの大切さを知ってもらうためだとわかり、反省しながら正しい育てられ方をしていない世代が次々と虐待や育児放棄を起こしてしまう社会を変えるために、一人でも多くの人に講演を聴いてほしいと思って飛び回っているという先生の話に聴き入りました。
前半の暗い社会の現実や難しい脳の発達の話から打って変わって、後半は2001年にはじめて「弁当の日」に取り組んだ滝宮小学校の様子を中心に、これを実施するとどんなことが起きるのかをスライドで見てわかるように伝えてくれました。
最初は米をとぐくらいでも自慢できていたのが、2回目には全部つくったことが自慢になり、その次には巻き寿司弁当を作ってきた子まで出るといういい意味での競争、それを縦割り班で食べるので下級生がうらやましそうにのぞきこんでいる写真、のぞきこんでいた子がのぞきこまれる方になって笑顔で写っているのが4周期している継続、その陰では子どもたちが料理の質問をするようになって本気で台所に立つようになったママさんたちの振り返り、子どもたちが取り組むことで親も地域も変わるというすばらしいストーリーが展開されてきたことを知り、それを伝える講演を聴いてすぐに入院中のお父さんとお祖母さんに弁当を作った子のエピソードなど、涙があふれてくる話ばかりでした。

ところで、竹下先生は滝宮小学区に住んでいて、校長一人の責任で実施を決めたものの、指を落としたとか出火してしまったといった事故が起きたら住んでいられなくなるので行方不明になろうという覚悟で臨んだそうですが、この14年間で1400校の実践となって一度も事故の報告はないのだそうで、その解決策は見つからないけれどもまずはやってみることだと話していました。
対象とするのは小学生がいいのだそうですが、すでに末の坊主も中3の私には小学校に直接働きかけて責任を持って動かす立場にないだけに、そういう気持ちで動いてくれる先生やPTAのリーダーを見つけるために、ぜひ竹下先生の講演会を弘前市で実現させたいと思います。
この件は、弘大生協も2年前に先生を招いてのシンポジウムを開催していますし、市内での「弁当の日」実現に意欲を持っていますので、きっと形にできると信じています。

弘前での「弁当の日」、その第一歩として竹下和男先生の講演会、皆さんも聴いてみたいと思いませんか?

2014年11月22日土曜日

これが旧弘前偕行社だ!

IMG_2904-2014-11-23-09-00.JPG高倉健さんの死去で私の軍都熱は盛り上がる一方ですが、ちょうどそれを見透かしたように第八師団の社交場として建設され現在は弘前厚生学院記念講堂となっている旧弘前偕行社の修理工事現場見学会が行われるのを知って、矢も盾もたまらず当日参加しました。
偕行社とは、師団本部が置かれた各地に建設された社交場で、弘前偕行社は1907年に竣工していますので、実際は雪中行軍遭難事件の際にはまだなかったということになります。

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陸軍技手による設計をもとに、名工・堀江佐吉が工事請負を引き受けたこの建物は軍都弘前を象徴する洋風建築ですが、暖炉に神戸異人館でも同じものが使われている英国ミントン社製のタイルが用いられているといった格調高さがあるのは以前から知っていましたが、いざ修理して壁をはいでみると和風建築そのもののよしずが出てくるのを見ると、洋への憧れを和の技術で実現させた堀江佐吉のすごさを見せつけられた思いでした。
今回の見学会にあわせて同じ第八師団の建築物である師団長官舎の移設資料パネルも展示していましたが、規模を縮小しながら2度の移設をしているのであれば、この偕行社と一体で保存し軍都弘前を見学できるようにすることを考えるべきだと、改めて思いました。

IMG_2928-2014-11-23-09-00.JPGちなみに、午後から十和田市での用件があり、いつもの城ヶ倉から酸ヶ湯・笠松峠を抜けるコースが冬期閉鎖となっていたので、あと3日で閉鎖となる前の田代平を抜けるコースを通りました。
この地こそ5連隊199名の命を奪った場所であり、下っていった道は今でこそ県道が通っていますが当時は道亡き雪原を31連隊が上ってきたルートだと思うと感慨深いものがありますし、城ヶ倉大橋開通のおかげで第八師団の足跡をめぐるツアーコース設定もできると確信しました。

戦争についての見方は人それぞれですが、それを頭の中だけではなく実際に見ながら考えることができるものを大事にしていくのは、立場を超えて了解していただけると思いますし、私自身は軍都弘前の保存活用の先頭に立ちたいと思います。

2014年11月21日金曜日

健さんのためにも官舎を守ろう


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戦後を代表する名優・高倉健さんが亡くなられて、自分のこづかいで映画館に行くようになって最初の頃に観た「野生の証明」、代表作の「幸せの黄色いハンカチ」、そして当時の青森県民は全員観たとまでいわれる「八甲田山」の3本を立て続けに見直して、日本の男を演じきった姿に感動を新たにし、涙に暮れているところです。
とりわけ、「八甲田山」は健さんや北大路欣也さんの名演ばかりでなく、冬の八甲田山の厳しさを撮りきった場面と津軽の春夏秋の美しさが対比される映像だけでも感動を与える、真の名作であることを確認できました。

ご存じとは思いますが、「八甲田山」は日露戦争直前の1902年に当時弘前に本部が置かれていた第八師団の青森5連隊と弘前31連隊が競うように冬期の八甲田山踏破をめざした雪中行軍を行い、少数精鋭で臨んだ31連隊は弘前から十和田湖から八甲田に回る長行軍を成功させたのに対し、210人の大部隊で臨んだ5連隊は猛吹雪と指揮系統の乱れが重なり199名の犠牲者を出すという明暗の分かれた事件を映画化したものです。
ここで描かれている第八師団の師団長官舎や社交場であった弘前偕行社などの建物が現存しており、それが撮影でも使われていただけに、北海道ほどではなくても健さんゆかりの撮影地として観光に活用できるチャンスが訪れたというのに、その当時とは似ても似つかないスタバにしようというのはいかがなものかと改めて思います。
スタバ問題では市民の賛否が分かれているというより、判断をするにも情報が少なく説明を足りないままに拙速に進めているのが現実なのですから、来年は宮沢賢治第八師団来訪90年という節目の年でもありますので、来年いっぱいは現状のままで軍都・弘前を伝えるために保存しておいて、その間に市民にもわかる納得できる形に収まるように話し合うべきです。
今回久しぶりに見直して思い出したのは、第八師団では追悼のために弔い行軍を実施していたそうで、第1回全日本スキー選手権に出場したという祖父がスキーを履いてしんがりで落伍者を助ける役をしたという自慢の思い出を語ってくれたことでしたが、それだけ地元ならではの思い出をお持ちの方もあることでしょうし、戦後70年で振り返っておくためにも、来年は大事に慎重に臨むべきだと思うのです。

その思いを理解してもらうためにも、そして健さんを偲んでもらうためにも、ぜひ「八甲田山」観てください。

2014年11月20日木曜日

イベントはサンセット方式に

昨日は母校・弘前高校の大先輩である一休会70周年記念講演会に同窓会理事の末席に連なっているご縁でお招きをいただき、御年83歳とは思えないお元気さに圧倒されてきましたが、同じ立場で出席していた櫻田宏政策推進課長にお礼を伝えることができました。
お礼の内容というのは、武蔵野市議・川名ゆうじさんからたずねられたイルミネーションの費用のことで、これをボランティアの先頭に立って取り組んできた櫻田先輩が一番詳しいと思って質問したところ、懇切丁寧に教えていただいたことに対してですが、以前は補助金なしで協賛金を集めて実施してきたのが、現在は市民の認知もされてきたこととスケールアップを図るために市から800万円の補助金が支出されてほとんどまかなっているとのことでした。観光館の「光の家」はやり過ぎという感はありますが、冬を彩る不可欠の取り組みですので、市が費用負担する形になったというのはほとんどの人が納得できると思います。
これだけでなく、以前は補助金が出されていなかったのが変更されたものには、6月の市民花火の集い、よさこい津軽もありますが、観光にもつながる大きなイベントをメンバーの方々が築き上げてきた土台があるからこそ市が補助して継続させていくというのは大事なことですし、市主導で立ち上げた卍フェスティバルがあっという間に消えたのと比べると違いは歴然としています。

ただ、菊と紅葉まつりの開幕のことでふれたように、四大まつりといえどもイベントのあり方を見直す必要はありますので、そのタイミングや方法について定めておくべきだと思いますし、とりわけ補助金の交付期間とあり方を一致させて、最終年度の実施完了した時点で継続/改善/廃止を仕分けるサンセット方式を取り入れるべきだと思います。
施設においては指定管理制度が導入されており、5年もしくは10年で業務仕様書を見直した上で改めて公募する流れになっているわけですが、イベントやソフト事業に関しては契約そのものは単年度であってもほとんどの場合は次年度も内容も委託先も変更されないままに継続されているというのは、ハードとソフトで違いが大きすぎます。
たとえば3年の期間とすれば、受託する側でも初年度はうまくいかなくても3年がかりで成果を生み出すという形で安心して腰をすえて取り組むことができますし、事業の評価に当日のアンケートなどを利用すれば市民からの反応を取り入れることもできます。
一方、何でもかんでも市が予算づけできるわけではありませんから、3年後は自主財源で実施するように移行することを条件に契約するといった財政面でのサンセットも必要だと思いますし、市がイベントを生み出し市民が育てていくような流れをつくるのも考えていくべきだと思います。

この分野でも、やはり仕分けが重要な意味を持ってきますので、これをPDCAサイクルに組みこみ、議会がチェックの最前線に立つ仕組みを実現させたい思いがますます強くなりました。

2014年11月18日火曜日

ご当地ナンバー、なぜ手を上げない

昨日から新たな「ご当地ナンバー」の交付がはじまったそうで、中には「世田谷」のように住民から反対の裁判がおこされたところもありますが、「平泉」「奄美」など地域のPRにつながると前向きに進めているようです。
この制度は、2006年からスタートし、最初は19地域、今回は10地域が対象となったそうで、東北でいえば「仙台」「会津」が先行し、今回は「盛岡」「平泉」そして「郡山」と、5地域で実施されています。

これこそ、シティプロモーションの最たる取り組みと思うのですが、今回に関しては2013年2月に公募開始だったというのに、弘前市では手を上げるそぶりも議会で提案されることもなく好機を逸してしまっています。
多くの市民そして近隣市町村においても、「青森」「八戸」があるのに「弘前」がないのはおかしいと思っている人の方が多いと思いますし、東北で対象となっている地域も人口規模以上に地域としてのまとまりや観光での有効活用をねらっているのがわかるところばかりだけに、手を上げなかったことへの疑問は募ります。
初回の登録では、「富士山」「奄美」が外れたものの、「富士山」は県をまたいでの特区申請で追加登録、「奄美」は離島という条件を勘案して今回承認されたように、今回は涙をのんだ「飛鳥」が改めて登録への巻き返しを図ることでしょうし、このたびの報道を受けて我が方でもという地域も当然出てくるでしょうから、弘前も近隣市町村とすぐにでも話し合いをはじめるとともに、第3次登録を国に対して働きかけるべきだと思います。

シティプロモーションといえば、同じく昨日桜守の制服が決まったという報道もありましたが、弘前公園に来てもらわなければ見てもらえない上に3人しか着ない制服より、「弘前」ナンバーをつけた自動車が他地域で走る方が目につく機会が多いのは当然ですし、コストパフォーマンスの面から見ても効果が上回るものになると思います。
ただ、桜守制服やたか丸くんのように自腹ではじめたことはタイミングを選ばず動かすことができますが、国の制度に乗っかっていかなくてはならないご当地ナンバーは国しだいになってしまうという難点があるのは事実だけに、そこでこそ市の政治力・交渉力が試されることになります。

この件は、ぜひ早急に実現させるように動きたいと思いますので、皆さんからもご意見を聞かせていただきたいと思います。

2014年11月17日月曜日

マニフェストという絆

このBlogでも何度かふれていますが、村議時代の2005年に設立されたローカルマニフェスト推進地方議員連盟に設立当初からかかわり、在籍中は運営委員として全国の仲間たちと活動してきました。
これは、2003年に退任するにあたって日本ではじめてマニフェストを提唱された北川正恭三重県知事が、母校・早大にマニフェスト研究所を設立して、最初は首長連盟、続いて民間の推進ネットワーク、そして最後に設立されたのが地方議員連盟でしたが、継続して活動しマニフェスト大賞のエンジン役を務めています。
私が加わったのは、田舎の議会そのものだった相馬村議会を何とか変えていきたいというまじめな思いと、全国から議員が集まってもさすがに村から加わろうというのはいないだろうから目立つだろうという下心からでしたが、参加してみると各地でどれだけ努力しているかどんな活動をしているのか刮目させられることばかりで、それが自分の市政改革の意欲に火をつけてくれることになりました。
それにこだわりすぎていたという反省はありますが、議員そして政治家たる者しっかりと政策を提言して実際に動かし成果を見極めた上で次への手だてをさぐるというPDCAサイクルに立脚するのは基本中の基本だと思っていますので、それだけにせっかくのグランプリ受賞者である葛西市長が道筋を外れたと見える時には厳しく批判したくなるわけです。

ちょうど、先週金曜日は第9回のマニフェスト大賞授賞式でまた新たな取り組みが登場し、日曜日には同志だった大西一史さんが熊本市長に、山中啓之君は松戸市議にトップ当選とうれしいニュースが立て続けに飛びこんできたばかりでなく、ドリプラがはけてからは三沢市議で運営委員を務めている太田博之さんとバラ焼きを食いながら情報交換し、今日は武蔵野市の川名ゆうじさんから景観にかかわる支出への問い合わせという形を借りての新しい情報発信収集方法の紹介と、マニフェストの仲間たちから刺激を受けることばかりでした。
私が素浪人であっても筋を曲げずに進もうとしているのは、こういう仲間たちががんばっている姿が道しるべになっているからですし、逆にこんな私に機会を見つけては声をかけてくれる仲間との絆が生きているからこそ、再起してまた一緒に活動したいという思いになるのです。

市民のためにがんばるのが最優先ですが、全国の仲間と切磋琢磨するためにも、必ず再起を果たしたいと改めて思う今日この頃です。

2014年11月16日日曜日

男の居場所づくりは政策として必要か

昨年はプレゼンターを務めたドリームプランプレゼンテーション青森が今年は三沢市で開催され、今年は聴衆の一人として足を運びました。
弘前市からのプレゼンターは木村拓也君ただ一人でしたが、彼が語った夢は「おタク屋」という子育て世代の父親の居場所づくりでした。昨年の私が40・50代の再起をめざすオヤジの拠点「梁山泊!」をぶち上げたのに続いて父親をテーマにしたプレゼンに共通項を感じてしまいましたが、逆に言えば男女共同参画といわれながらも男性向けの取り組みが欠けているという現れと見ることもできます。

考えてみると、市政にかかわりのある男性の顔ぶれもある程度固まっており、各種団体で中心メンバーにならない限りは市の会議に参画することはもちろんイベント運営に加わることもなく、生活の面でも町会活動やPTAに顔を出すのも少数派ですので、どうしても仕事以外のつきあいが少ないわけですし、そこに解決すべき課題があるという問題提起が2年続いたというのも偶然ではないと思います。
私の場合は、縁あって町会活動やPTA、陸上クラブのコーチに震災支援と、仕事にしばられていない分さまざまな活動を通じて横のつながりがあるだけにありがたい限りですが、そういうつながりを持っているという男性は少ないのが現実ですから、今の自分の立場では動かせないでいる梁山泊!にしても、中高年の就労支援という限定されたプログラムだけでも公的に取り組んでほしいと思うことがあります。
これまでも、行政でやることではないと思われていた婚活にしてもセンターを立ち上げるようになったわけですし、市民ニーズがあって採算ベースに合わないことに関しては行政で取り組むことを検討する必要はあるでしょう。
ただし、それでなくても財政難の時代に何でもかんでも政策化できるわけではありませんから、最少の予算で最大の成果を生むように工夫して一つでも多くの政策を実現していく必要がありますし、さもなくばどの政策を実現させるかを選択と集中をしていくことが求められます。
考えてみれば、まちづくり1%システムは市民側がやりたい事業をプレゼンするわけですし、市として取り組もうという事業に関して内部での査定だけでなく市民向けにプレゼンして評価の高かったものは実現させるといった選択も検討すべきかも知れません。

木村君のプレゼンから政策の取捨選択に話が転がってしまいましたが、市にためになるのはどんなことか考えていれば、どんなできごとどんなニュースにでもヒントがあります。
これは、福祉の世界で「24時間ケアの視点で考えなさい」ということを教わったのを政治に置き換えてのことですが、やるからには24時間政治家でいる覚悟で臨みたいと思っています。

2014年11月15日土曜日

原告団に加わらなかった理由

地元紙などでも既報のとおり、「岩木川市民ゴルフ場問題を考える市民ネットワーク」が呼びかけた行政訴訟は、昨日59人の原告団という陣容で青森地裁に提訴しましたが、幹事の一人としてかかわってきた私は加わっていません。
もちろん、この問題から手を引こうということではありませんが、幹事の一人である葛西聡弁護士によれば、地裁での判決までに約1年、これまでの先例であれば高裁への控訴という長い時間がかかる見こみであり、その期間中に来春の市議選が行われることになりますので、外れたわけです。

ネットワークには数名の市議がかかわっていますが、その方たちには住民監査請求の時点で請求人から外れていただいていて、請求に名を連ねた者だけで組織される原告団には当然加わっていません。
これは、議員はその立場において先に議論できる権限があり、住民監査請求した特別清算補助金に関しても反対という立場であったにしても議決に加わっていたのですから、監査請求するわけにはいかないということで外れてもらった経緯によるものです。
現在の議会の会派構成からすれば、多勢に無勢で勝ち目のない問題提起となってしまいますが、それをしてもらわないことにはネットワークとしては監査請求・行政訴訟という市民側からのアクションを起こすことができないだけに、いわば「玉砕なくして訴訟なし」なのです。
その玉砕する側に来年の選挙で返り咲こうとしているのですから、ここはその時点まで原告団に加わっておこうという安易な立ち位置は捨てて、当選しないことには自らの意見をぶつけられない立場に身を置くのが当然だと判断したのです。

この問題は、多くの市民が疑問を持っていることであり、それが弥生リゾート問題を大きく上回る59人の原告団という形に表れているのですから、私としても市議再起の際には葛西市政の問題点の象徴として追及していかなくてはならないことだと思っています。
そのチャンスを、ぜひ私に与えていただきたいと思います。

2014年11月14日金曜日

庁内シンクタンクというからには

時間をおかないと冷静な判断にならないと思って寝かしておきましたが、シンクタンクの報道からすると期待を裏切る形になりそうです。
それによれば、名称は「ひろさき未来戦略研究センター(H・I・F)」、所長は経営戦略部長が務め、副署長に課長級と政策研究員とという形で職員を配置し、学識研究者を政策研究アドバイザーに迎え、必要に応じて大学などの専門研究員や公募による市民研究員を置く体制で来年1月には設置するということのようです。

これで一番問題だと思うのは、経営戦略部長が所長という組織構成はよしとしても、その経営戦略部長を県庁から出向している山本昇氏が務めていることです。
以前、怪文書が出回っていることをお知らせしましたが、当然そのこととは関係なく、そしてご本人の能力にも関係なく、市の未来戦略の責任者は市の人間であるべきだと思うからです。
前市長時代は、県の退職者を副市長に招くということはありましたが、実務に携わる部課長に出向してもらうということはありませんでした。それが、県出身の葛西市長になってからは、最初は副市長と新設した政策推進監に現職の県職員を呼び、続いてご自身のホームグラウンドである都市環境部長と懐刀となる政策推進課長、現在は経営戦略部長に都市計画課長と、市の政策の中核となる部課を県職員が占め続け、市長の態度と合わせて「青森県庁弘前出張所」とまで揶揄されているのが現実です。
1期目でマニフェストを総合計画に落としこみPDCAサイクルを確立するためには必要な人材招へいだったのは理解していますが、そのアクションプランで職員の能力向上に取り組んできたはずなのですから、2期目ともなれば出向をやめる形にならなければならないはずなのに、逆の形になっているのですから市長は市職員は能力が低くて任せられないと広言しているようなものです。
外から見ている私ですらそう感じるくらいなのですから、中にいる職員からすればたまったものではないと思っていてもおかしくありませんし、それに猫の目組織変更がついてくるのですから、自分たちはどこに向かって仕事をすればいいのか見えなくなってしまう懸念を覚えます。
市長が本当に未来戦略を考えるシンクタンクとするというのであれば、12月で山本氏の出向をとき、1月からは生え抜きの職員でシンクタンクを構成するようにしてほしいと思います。

もう一つは、職員からの情報発信が欠けていることです。
シンクタンクそれも未来戦略とまで看板を掲げるのであれば、行政マンらしく言われたことをこなすでは不可なのは当然として、市長のマニフェストや市としての総合計画を超えた発想での提言をしなければならないわけですから、考えるだけでなく主張する能力が必要となります。
先行事例である埼玉県戸田市には、旧知の市議がいる関係で情報をいただいていますが、所長・研究員と議員とで意見交換をしたり、主任研究員が個人のBlogで活動や考えを公表しているのを見ると、市の職員がここまでできるようになってほしいと思いますが、一方では今すぐでは難しいと感じるだけに、まずは研究員となった職員がシンクタンクのBlogもしくはFacebookページで活動を公開したり考えを明らかにすることからでもはじめてほしいと思います。
ただ、これも市長は自分たちに任せてくれているんだという安心感がなければできないことでしょうから、その意味でも所長に県職員が座る形では何ごとも進みません。

皆さんにも、シンクタンクにかかわる1月の人事、最悪でも4月の定期異動で経営戦略部長=シンクタンク所長が誰になるのか、注目していただきたいと思います。

2014年11月12日水曜日

議長選挙立候補制という「改革」

今日の朝刊では、弘前市関連で雪対策・シンクタンクと紙面をにぎわしていましたが、私の気を引いたのは先日改選された青森市議会で、議長選出にあたり立候補を届け出て所信表明を行うことが決まったことでした。

そもそも、議会でどのようにして議長をはじめとする役職が決まるかというと、自薦もしくは他議員からの推薦を受けた者が立候補して投票するという生徒会でも当然なルールではなく、議員がこれはという思う者を記名して最多の票を集めた者が任ぜられる形になっており、同じ会派内ならまだしも違う会派でもある議員の名前をまとまって書くような根回しが行われるものの、その候補がなぜ議長になろうと思っているのか議長となった暁にはどのような所信で臨むのか、まったく知る機会もないというもので、いわば生徒会以下の決め方なのです。
私自身も、このことに疑問を持たず大学の先輩であるという縁だけである会派の候補を推して暗躍したものですが、それがおかしいと気づいたのはローカルマニフェスト推進地方議員連盟での研修会で神奈川県議会を学んだ際に第100代議長である松田良昭さんが、自民党会派内で議長候補となるにあたって当時の松沢成文知事がマニフェストを掲げて圧倒的な支持で当選しているのに対峙するには議会側にもマニフェストが必要だと主張、実際に初めてマニフェストを提示したところ全会一致で議長となり1年間で大胆な議会改革を進めることができたということを教えてくださったからでした。
つまり、生徒会選挙でも行われる立候補者がポスターを作り主張公約を演説会で訴えるという当然のことをするだけで、議長というリーダーが何をするつもりなのか明確に伝わり議会改革が進むということでして、これは議員がつい先日まで自分の選挙で行っていたことなのに、なぜか当選したとたん合従連衡のダークサイドに落ちてしまうのが、議会という伏魔殿の現実なのです。

それでも神奈川県議会のような先進事例が広まって、現在では約2割の議会で立候補・所信表明が行われるようになっているのだそうで、県内での先鞭を青森市議会がつけることになるわけですので、これは本当に意義あることだと評価したいと思います。
ひるがえって、弘前市議会では検討されたものの導入には至らず、次期改選後の議員で話し合えばよいということになったと仄聞していますが、今の議員に枠を決められるより次期のメンバーで4年間の議論の第一歩として議題とするべきことだと思いますし、形式ばかりの議会基本条例よりも議長のリーダーシップを確立してマニフェストに沿って改革へと動く形を作ることの方が重要なのは、松田議長の例が雄弁に物語っています。

これを実現するためにも、何としても自分が当選して道筋をつけたいと思っています。

2014年11月11日火曜日

立体駐車場で見える市民協働の問題点

市役所本庁舎の立体駐車場がオープンしたことをお知らせする広告記事が陸奥新報に載っていましたが、もう一つの地元紙・東奥日報には通常の記事とともに裏手に住む市民から景観の面で不満が出ている記事も掲載されていました。発行部数と範囲からすれば、問題があるのだと認識した市民県民の方が多かったことでしょう。
町会向けに説明会はあったはずですが、参加していない方や参加しても理解につながっていないこともあり得ることですが、これからの防災棟建設や財源に合併特例債を充てるために見切り発車してしまったことで生じた問題だと思います。

これと比べると、我が昴町会での雪対策問題は7月上旬の説明会に対して下旬に要望書を提出して今月に部長課長出席しての話し合いで方向性が固まるという流れで、慎重で遅かったという部分はあるにしても、市民と話し合って納得してもらえなければ動けないという筋は通っていましたので、大きな違いがあると思います。
確かに、町会の雪対策は対象者と受益する内容が共通しているのに対し、立体駐車場は来庁する市民や関係者にとってのメリットと住んでいる市民とではギャップがあるだけでなく、対象となる人数も大きく違うだけに、公共の福祉という観点で我慢してもらうことも必要かもしれません。
ただ、問題の大小があり、担当する部課が違うとはいえ、`市民の理解納得を得ながら事業を進めるのが市民協働の基本ですし、問題が大きければ大きいほど基本を守ることが大切なはずだけに、立体駐車場問題こそ手順をしっかり踏んで進めていくべきだったと思います。
また、報道によれば有識者会議などの手順を踏んだことで適法であると市側は主張しているのだそうですが、市民すべてにかかわる問題であるのに全体向けの説明会を開催しなかったと思いますし、市民の血税を使って事業を行っているという大前提を忘れているのではないでしょうか。

それにしても、昨日も市役所のことを取り上げたばかりでしたし、その前の師団長官舎スタバ問題もこの一手目として移転されたところから派生してきたことですし、どうも今回の計画は全体として拙速で禍根を残すものになりつつあるように思います。
市や議会で話が通ればよいというのではなく、市民の多くが納得できるようになるまで、一旦凍結して改めて話し合うべきだと思います。

2014年11月10日月曜日

市役所を博物館に

博物館で開催されている「名画の花束」展にあわせた町会の老人クラブ月曜会の公園周辺散策ツアーに同行させていただいています。
今回は、会長さんの段取りよろしく解説つきでの見学でしたので理解が深めることができましたし、休み明けの月曜日というのに他の見学者も三々五々と続き、企画のよさがつたわっているようで何よりでした。
ただ、この特別企画展と並んで「津軽の歴史」展もあるように、本来の博物館機能と今回のような美術館としての役割を果たすには、少々手狭であるのが実情です。
高照神社のところに資料館が建設されますが、これは江戸時代津軽藩の文化財に焦点が絞られたものになりますので、大森勝山遺跡に代表される縄文文化の出土品や庶民農家の文化、近代以後の生活などを保管展示する場所がないといっていい状況です。

これを打開するには、現在の博物館は美術館としての機能に集中させるとともに、思い切って市役所を博物館に転用することです。
前川建築としてできる限りの保存活用が求められる市役所ですが、本館は各フロアに区切りのないオープンスペースですから展示物を自由に配置できますし、新館は形状からすれば資料の保管や研究室として使いやすいように見えますので、博物館として活用できると思います。
実際の市役所としての機能を現在地で果たすよりも広域行政の点からもいずれは移転するべきだと私は思っていますし、これで税務署の移転ができれば、一帯が観光文化に機能集約することでよりメリハリのきいた活用ができると思っています。
こういう発想もアリだとは思うのですが、現実には立体駐車場が供用開始となり、現在の駐車場には防災棟が建設されるというのでは、機能転換をするわけにもいかないだけにもったいないと思ってしまいます。

この件、今すぐとはいかないことですが、皆さんにもこのエリア全体と前川建築の保存活用をどうすべきか、一度考えていただきたいと思います。

2014年11月9日日曜日

ケアの周知と負担への理解のバランス

野田村でティータイムコンサートの調べの中での更新ですが、内容はそれとは全然関係のない医療・介護のことです。

昨日、中三のスペースアストロで医師会主催の在宅医療公開講座があり、旧知のメンバーが登壇することもあって足を運びました。
一番の趣旨は、医師会で4月に開設した在宅医療支援センター「そよかぜ」の周知だったのですが、訪問看護ステーション・介護施設・在宅医の立場からの報告とパネルディスカッションは非常に具体的でわかりやすい内容で、買い物ついでに来場できるようなロケーションだったこともあってか会場いっぱいにつめかけた市民の方々にも理解いただけたことと思います。
それだけ、市民にとっても医療や介護のことに関心が高いのが改めてわかりますし、こういった形ですぐに入院、施設探しでなくても十分なケアを受けることができることを理解してもらう機会を作ったのは、いい試みです。
ただ、登壇した方々のような良質なケアを提供する事業所だけならいいのですが、以前ふれたように医療や福祉とはまったく無縁の会社が次々と有料老人ホームを建てている現実があり、いざ入所してみたら全然違っていたと後悔する場合も多いと思います。
それだけであれば選んだ側にも責任があるということで終わりますが、サービスを使う量が増えるということは次の報酬改定ひいては皆さんが負担する保険料にはね返ってくることですので、他人事ではないのです。

私は、福祉施設を経営していた立場ですから、介護報酬が上がってそこで働く職員の給料アップにつながってほしいと思いますが、それが良質なケア提供のモチベーションになったとしても、市民とりわけ介護保険の適用を受けない側からすれば自己負担や保険料アップは納得いかないという両方の立場がわかるだけに、ジレンマがあります。
それだけに、どんなケアがあるのかということだけでなく、サービスを使うということは負担が増えることでもあるというのを、市の側で市民に伝えて理解を促したり、無用なサービス利用を控えてもらう働きかけが重要になります。
ところが、市が実際に行っているのはケアマネージャーが作成するケアプランの重箱の隅をつつくような点検作業で、これで雇われ人であるケアマネが雇い主の法人の意に反したプランを立てるようになるはずもないのですから、本当に何とかする気なら市民に対して働きかけるべきなのです。

このような現実に即した議論を経て、市民としても市としても納得できる介護・医療の仕組みにしていくのも、専門家としての自分の仕事だと思っています。
皆さんにも、よりよいケアシステムを構築できるのは誰なのか、考えていただけるとうれしいです。

2014年11月8日土曜日

大丈夫?たか丸くん

banner1-2-2014-11-8-10-00.gif弘前城築城400年のキャラクターとして登場したたか丸くんですが、すっかり定着はしたものの一方ではみんなで推そうという盛り上がりは冷めて、今年の「ゆるキャラグランプリ」では130位(県内トップ、東北では5位)という結果で、残念ながらだんだん順位を下げています。
ゆるキャラといえば、ひこにゃん・くまモンから、しゃべって跳ねる非公式キャラクター・ふなっしーへと人気が移り、その強烈なキャラクターによる影響は大きいものの、たか丸くんはこれに合わせて変えていけるタイプではないだけに、今後どうしていくべきか考えるところにきているように思います。

ところで、デザインをしてくれたせのおしょうごさんとはお会いしたこともありますが、たか丸くんへの愛情あふれる方で、このたびはラインスタンプを作成してくれました。本当にありがたい限りです。
こんな応援団がついていながら結果がふるわないというのは、市民の関心の低さが一番の原因ですし今回は投票しそびれた私も反省しきりではありますが、自分たちから盛り上げていこうという気概が市の側にも欠けているように思います。
そこでがんばってもらいたいのは、今年度設置された「ひろさき魅力プロデュース室」ですし、とりわけ民間登用で責任者となった盛和春さんは電通というプロモーションの最大手から来られたのですから、今後の展開についてアッと言うしかけを考えてほしいものです。
それをふまえて、できるだけ若い世代を巻きこんで、どうしたらたか丸くんを盛り上げていけるか、それをシティプロモーションにつなげるにはどうしたらいいかを話し合い、そして形にして一緒に動いてもらう流れが必要だと思います。
このあたり、桜守制服の件といいスタバ問題といい、外との連携は強化されていても市民の声を聞きプロジェクトに巻きこんでいくという方向性が欠けているからこそ、市民の関心を呼ばず疑念を持たれることにもつながっていると思いますので、外に向かってのプロモーションの前に市民への周知が肝心だと釘を刺しておきます。

何はともあれ、たか丸くんにはもっと出番と露出があってほしいですし、それによってもっと愛されるキャラクターとしてがんばってほしいものです。

2014年11月7日金曜日

話し合いで生まれたもの、失われたもの

もうすぐ雪という時期になって、ようやく昴町会と市との間で雪対策についての話し合いの席を持つことができました。
今回は、建設部長と道路維持課長・課長補佐、立ち会い役として相馬総合支所長・総務課長と、前回からは2ランクアップの陣容で臨んでばかりでなく、今冬からの昴・湯口町会を直営除雪隊で対応するという大きなおみやげを持ってきてくれました。
ただし、もう一つの問題である融雪溝に関しては、相変わらず水源を川に切り替えるためにまずは井戸水と両方使っての検証を行いたいという提案だったため、町会側からは前回の試行の際のデータは取っているのか、今回の検証のために出された問題提起をどれだけクリアできるのか検討したのか、雪対策日本一を掲げながら交代するような対策でいいのか、などなど至極まっとうで厳しい意見が相次ぎ、建設部長も認識不足だったことを認めざるを得ないところに追いこまれてタジタジの体でした。
そこで、私から冬本番までにできるだけの点検を子なった上で今冬は従来どおりの融雪と直営除雪隊の奮闘で乗り切ることとし、春から話し合いができるように具体的なプランをいくつか提示できるように準備して、それをたたき台に来年の冬に間に合うように検討するという提案をして収めておきました。
ただ、雰囲気としては前回のように殺伐とした形にはならずに済んだのは、やはり実務のトップである部長級が二人来ていたことで責任ある対応をしてくれるという安心感があったからだと思いますし、最後に課長の恩師が居住していることが話題となって笑って終わることができましたので、これからはしっかりと向き合いながら進めていける信頼関係を持つことができたと思っていますし、これが市と町会との協働の新しい形になれば何よりです。

ところで、町会からの要望書には3項目あって、最後の一つは葛西市長が自ら話し合いの席に臨んでモットーである「対話と創造」を実践することを期待していたのですが、それはまったくの空振りに終わりました。
土木の専門課でもあり最高責任者として決断を下す権限を持つからこその要望でしたし、話がこじれたのを解決する陣頭に立ってほしかったのですが、部長・課長の間で日程調整が済まされたとおり最初から出てくる気はなかったようです。
マニフェストそのものは進化してきているのかも知れませんが、その根本である姿勢が失われては、砂上の楼閣のように簡単に崩れてしまう懸念が強まるばかりです。

その意味では、次へのつながりが生まれ、その陰で葛西市長への信頼が失われた場でした。

2014年11月6日木曜日

伊勢谷友介さんからのメッセージ

桜守制服デザイン投票の件は、これでいいのかという思いが強く、一方では今をときめく伊勢谷友介さんがかかわっているだけに名声に傷がつく形になってはという思いで、思いきってご本人に意見を申し上げてみました。
これに対して、ご本人からていねいで立場をわきまえた形で、なおかつ今回のプロジェクトにかかわる熱い思いがわかるお返事をいただきました。「リバース・プロジェクト」を片手間でやっていない思いが伝わり感服しましたので、そのうち公表できる部分に関して私の文責で紹介したいと思います。

今回のプロジェクトにあたって、リバース側では2回にわたって桜守の方々から声を聞き、桜守の仕事をしていることをもっと知ってほしいという思いがあることを確認し、このデザイン投票そして制作される制服のできばえで桜守の認知度を高めてブランディングすることが第一歩で、これで終わりということではなく市民を巻きこんでのアクションにしていきたいということでした。
また、これが市民の税金でのプロジェクトであることも重々承知して取り組んでいるだけに、投票の方法や承知の仕方については今後の同様な取り組みのためにも再考していきたいという謙虚な言葉もありました。
そして、このプロジェクトが最終的にめざしているものまで語ってくださっていて、これにつながれば弘前市にとってのメリットは非常に大きいものになるのですが、そこは今後の展開の楽しみにしていただきたいと思いますし、ひるがえって考えなければならない問題とかかってきますので、伏せておきます。

その考えなければならない問題とは、やはり情報公開ということです。
今回、伊勢谷さんから返信をいただくまでは誤解していた部分が大きかったわけですが、市のサイトや広報などを見る限りではそこまでの意図がわかりませんし、受託した側以上に委託をしている市がていねいな情報発信をして、市民の関心を呼び理解を図る努力をしなくてはなりません。
例えば、伊勢谷さんのメッセージではおおよそ目標の投票数をクリアできそうだということもありましたが、この数字を大々的に掲げて呼びかけることもあっていいと思いますし、そのためにはどんなメディアを使えば市民が投票しやすいのか、逆に直接投票する場合にはどれだけの箇所で行うのかといった地元としての意見が足りなかったと思います。
外部の力を借りるのは必要なことですし積極的に取り組むべきだと思いますが、そこで任せっきりにするのではなく最終的な責任は自分たちにあるのだという思いで、市職員も市民もプロジェクトに向き合うべきなのは、言うまでもありません。

それにしても、社会をよくしようという熱い思いが本物であるのを今回のやりとりで改めて知っただけに、伊勢谷さんが弘前に縁があり私にとっての心の師である吉田松陰を来年の大河ドラマ「花燃ゆ」で演じるのはうれしい限りです。
桜守の件だけでなく、弘前と吉田松陰というご縁でもつながりを深めることができれば、弘前市にとっては何よりのシティプロモーションになりますので、ぜひともデザイン発表などで来弘の機会ができればと思います。
伊勢谷さん、待ってますよ!

2014年11月5日水曜日

改めて、「珈琲の街」派宣言

今日は2回目の昴集会所開放事業で、弘前コーヒースクール代表である成田専蔵さんにおこしいただいて珈琲教室を行いました。
大人の方でも隣の町会から参加してくださった方があり、子どもたちも初めての大人の苦さに驚いたり飲みほして自慢したりと、楽しいひとときとなりました。IMG_2819-2014-11-5-17-00.JPG

専蔵先生とは情報学園以来ですから20年のご縁があり、最近では野田村にも3度も訪問していただいたり、桜まつりの出店を手伝う機会をいただいたりと、非常に親しくさせていただいていますが、それにしても忙しい中でも気軽に引き受けてくださったことには、感謝の一言です。
先生が代表となり開放事業と同じく1%システムに採択された、来月の「珈琲法要」公演の実行委員会にも加えていただいていますが、これには藤田記念庭園の大正浪漫喫茶室、市民会館の喫茶室batonもメンバーとなっており、経営ばかりでなく珈琲文化と歴史を伝える活動に取り組んでいます。

こういうまちづくりへの取り組みをともにできるというのは、やはり地元でのご縁があればこそですし、この土台があってこそ商業も観光も成り立っていくものだと信じていますので、外からの力を借りて一時的に集客や話題づくりとなっても長続きはしないと思っています。
また、喫茶店が多いコーヒー消費量が多いといった今の文化だけでなく、北方警備の津軽藩士が薬として服用したのが一般の民が珈琲を口にした最初という歴史には、そこでの殉難をひた隠しにした津軽藩のアキレス腱が隠れているだけに、語り継いでいくためにも地元の珈琲文化を根絶やしにするわけにはいきません。

その思いを今日の珈琲教室で強くしましたので、改めて「珈琲の街」派宣言をしまして、その立場から主張行動していくつもりです。

2014年11月4日火曜日

桜守制服デザインという空回り

少し報告が遅れましたが、1日から9日までの期間で桜守制服デザイン投票が行われているのですが、直接投票できるのは弘前公園内とヒロロスクウェアのみ、ネットではFacebookページのみとなっていて、随分と閉ざされたやり方になっていて驚いています。
せっかく、伊勢谷友介さんの「リバースプロジェクト」が事業を統括し、デザインは菊池武夫氏という豪勢な顔ぶれなのに、市役所でも弘前駅でも投票できず、ネットではFacebookユーザーにならないと投票できないというのは、本当にこれで桜守の認知度を高めるつもりがあるのか、疑問を感じてしまいます。

そもそも、桜守は弘前方式の桜剪定技術を伝承している樹木医・小林勝さんを再任用するのにあたって、30代の男女1名ずつを後継者として配属して結成された3人のチームです。
リーダーの小林さんは、地道な仕事を朴訥とした話しぶりそのままにコツコツと進めていく無言実行型のプロフェッショナルだけに、ご本人から文句は出ないでしょうが、私には一番不釣り合いなプロジェクトに巻きこまれてしまって迷惑を受けているように思います。
6月にごあいさつする機会がありましたので、報道されていた野田村での桜植樹支援のことを話題にしたところ、まだそこまで話は進んでいませんという回答でしたので、まずは後進に技術を伝えて土台を固めた上で着実に弘前方式で全国の桜を守る取り組みを一歩ずつ進めていこうとされているのだと得心しましたが、この一番地道なチームに一番派手なプロジェクトをかぶせようという発想に無理があると思います。
それも、プロジェクト業務委託料に180万円、選定された制服購入費に288万円という少なくない補正予算が、9月定例会でぎろんもそこそこに通過してのことだけに、拙速の感がぬぐえませんが、受託したリバース・プロジェクトの側でも桜守チームの存在意義や雰囲気について考えてのスタートだったのかも疑わしいところですし、サイトからたどってみると、このプロジェクトには伊藤忠商事がかかわっており、民間登用からの人脈によるものなのは明らかですが、それが市にとってのプラスになるのか気がかりです。

この件にしろ、スタバ問題にしろ、民間登用で進められているプロジェクトを注視する必要を感じています。

2014年11月3日月曜日

議員報酬と議員の仕事

得票数での当選という奇抜な提言を目にして以来、相川俊英さんのBlogを注目していますが、今回は全国唯一の日当制を導入している福島県矢祭町のレポートでした。
それによれば、「合併しない宣言」で知られる矢祭町で議員日当制が導入されたのは2008年、議会に出席した日に限り日当3万円が支給され、年間では40~45日前後の日数=120~140万円程度の報酬で議員活動をするのは、財政支出削減を狙ったのではなく議員はボランティアであり報酬は生活給ではないという考えによるものだそうです。
これは、議員側からの発議というより宣言や住基ネット離脱で知られる根本前村長の意向に逆らえずに選択したのが真相とレポートでもふれられていますが、現在では答辞の賛成議員は2名残っているだけで10名の議員間では月額制に戻すかどうかで意見が真っ二つでも、次の選挙のことを考えると自分の身を肥やす主張はしづらい状況で、議論が進まないという現実のようです。
実は、2002年8月に相馬村の合併の参考にするために矢祭町を視察したことがありますが、自信満々の根本町長の陰で県境をまたいで生活圏をともにしている茨城県太子町との合併が望ましいという町民の声も聞きましたので、カリスマ町長の下ですべてが決まる町政の実情を垣間見ただけに納得の内容でした。

私も、村議時代は議会の拘束日数も少なく村の行事にも議員というより一村民として参加協力して状況も把握していましたので、日当制でも問題はなかったと思っていますが、市議となってからはさまざまな分野、いろいろな行事や会議への出席によって知っておくべきことが多い現実に直面し、さらには全事務事業の仕分けというしっかりしたチェック機能を果たすためには開会日以外に活動する時間量を考えても、市民活動にかかわる以外は議員としての立場に専念することが必要であり、それを保障する報酬や政務活動費は認められるべきだと思っています。
市民の方からも、議員はボランティアで十分だ、北欧などで実例もあるという意見も聞きますが、先にのべた活動や佐藤丈晴さんのように外出しての活動がない限りは控え室に「出勤」して市民の声を聴くといったことをするとすればボランティアでは済まないのが議員の仕事だと思いますし、北欧ではボランティア的な議員と専任して執務にあたる議員とに分かれているという知られていない事実もありますので、私としてはボランティアとしての議員には賛成できません。
矢祭町のレポートでも最後に議会力の向上が課題と指摘しているように、報酬削減を迫るよりも一定の報酬を支給するからにはこれだけの仕事をしてほしい、こういった成果を上げてほしいという市民からの基準設定や、それが実現できているかのチェックを継続的に行っていく活動があってこそ、給料泥棒の議員を絶滅できると思います。

皆さんは、議員に報酬に見合った仕事をしてもらうのと、ボランティア・名誉職でいいから報酬を削減するのと、どちらが市政そして市民のためになると思いますか?

2014年11月2日日曜日

弘前市に市立高校を

昨年度は縁あって弘前中央高校全日制のPTA会長を務めさせていただきましたが、その中で感動を覚えたのは卒業式での定時制の生徒の答辞でした。
さまざまな事情があって定時制を選択し、そこでどのような体験をして立ち直ったのかをあふれる思いで語る姿は、順風満帆で高校卒業を迎えた全日制の生徒たちの心にも響くものでしただけに、今年度での閉課程は定時制だけでなく中央高校全体さらには津軽の高校教育のあり方にも大きな影響があると思います。
もう一つ、岩木高校が今年度から募集停止となるばかりか、弘前高校でも7クラスから6クラスに減じられるという唐突な決定が公表され、葛西市長も怒りをあらわにしたと報じられていました。
これらの流れを見ていますと、弘前市や津軽で求めている高校教育と県が考えているものとの間には大きな開きがあり、このままでは私立高校が4校あることを楯にして公立教育が壊滅させられてしまう気さえしてくるだけに、市が呼びかけて津軽としての高校教育を提言さらには実現させていく必要があると思います。

一つは、市立での定時制もしくは単位制高校を設立することです。
津軽には、単位制高校の尾上総合高校があり、これが三部制の定時制高校に再編されることになっていますが、以前見学させていただいてわかったのは、通常の進学ができなかった生徒たちの大事な受け皿であり、2008年という就職難の時期にあっても地元の商工会と連携してほぼ100%の就職を実現させていたほどの努力が無に帰してしまう懸念があることです。
さらに、尾上地区の田園地帯に位置しているだけに、夜間の定時制となると通学に非常な困難が生じてしまうことも指摘されており、この地元感覚のない再編は早晩間違っていたという結論になることでしょう。
それだけに、市としては定時制もしくは単位制で柔軟な受け入れのできる高校を、周辺市町村との協力で設立することを検討すべきだと思います。中央高校定時制の復活でもかまいませんし、富山県高岡市の駅前にある県立志貴野高校の存在を考えると、ヒロロを思いきって高校として活用するという手もあります。

もう一つは、市として中高一貫校を設立することです。
市内には弘大附属中に中高一貫教育の聖愛中もあるだけに位置づけが難しいところですが、来年3月の受験では120人分の普通科の枠がなくなり残った3校がすべて進学校という状況を考えると、受験ではない形の選抜で6年間で伸び伸びと勉強できるような位置づけの学校をつくることは、全体のバランスからも意味を持つと思います。
確かに財政難の状況に加えて少子化が進む中では時代に逆行する考えかも知れませんが、このくらいの提言を県にぶつけていかなければ危機感が伝わらないでしょうし、弘前実業は市立弘前商業、岩木高校は町立津軽高校だった歴史を振り返れば、県で足りないものは市で取り組む気概が必要だと思うのです。

現在、市では小中教育改革の意見交換会を地区ごとに開催していますが、この機会に高校教育も含めて皆さんにも考えていただきたいと思います。

2014年11月1日土曜日

菊と紅葉まつりで有料は必要か

先日、「食と産業まつり」との同日開会を懸念した弘前最大の秋のイベント・菊と紅葉まつりに足を運びました。IMG_2023-2014-11-1-11-30.JPG
有料となっている植物園内に用事があったのですが、せっかくの渋谷和生さんの演奏も告知が足りず、偶然居合わせた人たちが喜んでくださっているだけというのが残念でした。
その後、杉の大橋~本丸~四の丸~亀甲門というど真ん中を回ってきましたが、一番の見どころの3連休初日にもかかわらず、カメラを構えてもじゃまになるようなことのない閑散とした人出でした。

桜まつりであれば、三味線・民謡は護国神社脇のステージで毎日無料で楽しめるのですが、少ない人出である分こちらこそ無料で楽しんでもらえるようにするべきだと思いますし、本丸にしても来年の今頃は天守閣が曳家されているわけですから、今回わざわざ来てくださった人には無料で観覧できるようにしてでも集客に努める工夫があっていいと思います。
例年、菊と紅葉まつりが終わって勤労感謝の日で有料規制が終わりますが、それであれば春夏の利用に感謝してまつり開会とともに無料化するくらいの思い切りがなければ秋の集客は見こめません。

いずれにしても、秋のイベントは見直しが必要だと改めて感じたところです。