前回でBlogを閉じるとしましたが、どうしても市民の皆様に市政のこと議員という存在について、そして今の思いでお伝えしておきたいことがあふれてしまい、あどはだり(もう一回)の投稿です。
今回の弘前市議選は、定数が34から28と8議席減ったところに36人が立候補するという「激戦」と言われたわりには投票率は最低を更新し、47.88%と半分以上の有権者が投票に行かず、現職以外では元職2名が返り咲き新人2名は党や支持基盤を引き継いだ形ですので、ほとんど変わりばえのしない顔ぶれとなりました。
これは、投票しなかった人はもとより議会には期待していない関心がないということですし、投票の結果も議会は変わらなくてよいということですから、市民のほとんどは議会が変わることで市政が変わることを望んでいないと見るのが妥当なところだと思います。
その意味では、議会で時間を取られるくらいなら、震災支援や町会活動、陸上クラブなどなど、まちづくりにかかわる活動をもっとやりなさいという審判を下されたのだと思えば、この結果をいいように解釈して受けとめることもできます。
ところで、私自身は議会を変える必要は重々承知していますが、それは市政に議会がどのように貢献できるかの手段でしかなく、それをうたい文句にして選挙に臨む失敗を前回しているだけに、今回は議会改革に取り組むのは自分だけでもできることにとどめておきましたし、演説で訴えることもしませんでした。
実際に町会長という立場で市政に向き合ってみると、市民の不満の9割は町会長として動くことで解決できたり道筋をつけることができることだと思えますし、地元から議員を出して何とかしてもらおうという発想そのものが意味を失っていると思います。
それに対して、全事業を仕分けして翌年度の予算に反映させる仕組みづくりといった、市政内部に踏みこむことは議員でなければできない仕事ですし、そのための議会改革こそ進めなければならないのですが、これを市民の皆様に理解してもらうのは大変なことだけに、そのためにはどういった取り組みをすればいいのか、今回もミニミニ集会をやろうと思っても実現できなかったことからしても、議員の仕事内容に関心を持ってもらう難しさを痛感します。
そこでつくづく思うのは、「信頼」ということです。
選挙公報を見ていただければわかりますが、新人はさておき現職諸侯で公報に掲げたことを前期4年間できちんと質問したり活動できている人は、どれくらいいるでしょうか?中には、損得ではなく善悪で行動するといいながら、やらないと広言した選挙カーでの連呼を臆面もなく繰り返し、当選という得のためには悪としていたことも平気でする人までいるのですから、言葉もありません。
それでも、投票した多くの人は、政策や主張とは関係なく、「○○から頼まれたから」「地元なので頼りになると思うから」という理由で名前を書いたのだと思いますし、それが当落を結果を生むのが選挙というシステムなのですから、何とかしなければとは思いますが受け入れなければならない現実です。
これに対して、支援してくださった方や選挙前後の反応からすると、私の場合は活動に接したりネットでの主張を理解してくださった上で私を信じて投票してくださったと多くの顔や名前が浮かぶほど、賴ではなく信のレベルでの支持をいただいたと、つくづく感謝しています。
ただ、それがパーソナルなところにとどまっていたのは私の影響力の足りないところであり、そうなのであればもっと多くの人に信じてもらえるよう動いていなければならなかったのに足りなかったのを、最大の反省点と受けとめています。
信といえば、『論語』に「政治とは食を足らし兵を足らし民に信じてもらうことであり、このうち最も大事なことは信であって、これなくしては政治とは言えない」という文章の最後に、「民無信不立(民、信なくば立たず)」とあります。
地方政治には兵の心配はありませんが、食を言い換えれば損得ということであり、信とは政治家が持つべき信義となりますから、選挙の損得よりも信義を重んじ、そして信をいただいた私のやり方は間違っていなかったと今でも思っています。
それにもかかわらず、当選につなげられなかった戦術の誤りを受けとめて、まずは修身斉家のために自ら仕事をするところからやり直しますが、それができた暁に市民の皆様からぜひとも市政を変えてほしいと推し立ててもらえるよう、これからの一日一日を大事に生きていきたいと思います。
本当に、皆さんのご支援ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします。
弘前市民と市政のハブをめざして
2015年4月30日木曜日
2015年4月27日月曜日
完敗して雌伏
2度目の落選が決まってから一日、朝からおわびのあいさつ行脚でしたが、夕方には町会長としての回覧物配布をして、普通の生活に戻りながら、今回の選挙のことを考えていました。
最初の市議選が1,668票、前回は1,092票、そして今回は905票と、投票率が下がる以上に自分の得票は減り続けていまして、前回は施設や実家との騒動があったとはいえ事情を知らない人は投票してくれたのでしょうが、今回は施設の経営者でもなく落選しても親とも仲直りもしないような者に投票する所以はないと見透かした人が多かったのが、何といっても響いたと思います。
それは見こんだ上で、この4年間の活動で新たに得たご縁やネットでの情報発信に共鳴する人たちに期待し、選挙期間中は自転車での遊説が届くことを願っていたのですが、自分なりの得票予測どころか当選ラインと読んでいたところにも遠く及ばなかったのが現実でした。
これは、地盤を失ったのに、それを補うだけのものを築けなかった私の責任ですが、それを一人でやりきろうとしたところに難しさがあり、他候補が地盤となる地域や団体・政党を持ち、自分の仕事をさておいても動いてくれる参謀がいるのを凌ぐことができなかったということです。
これまで綴ってきたように、市政にある数々の問題点が見えていて、それをただしていく目標があるのであれば、何はともあれ当選に近づく方法なら何でもありというのが政治家らしいやり方なのでしょうが、自分の活動を知ってもらい何に取り組もうとしているのか理解してもらえるようなアプローチをした上で支援してほしいと思っている私には、ただ票を集めればいいというやり方を採るわけにはいきませんでした。
ちょうど昨日の大河ドラマ「花燃ゆ」では、我が師と仰ぐ吉田松陰の最後が描かれていましたが、松陰も自分の信念を貫いて老中を諫めようとしたと言わなくてもいいことを言ったことで遠島が死罪になったとされていて、みすみす命を落とすことになる発言をしなければよいものをと思った方も多いことでしょう。
しかし、命よりも信念を重んじる松陰からすれば曲げるわけにはいかないからこその発言であり、この日にこの場面が流れたのは、おまえも信念を貫いて死ねと伝えてくれたように、今にして思っています。
そもそも前回当選していれば、この選挙には出ないつもりでしたので、50歳にして引退するつもりだったのが、2回の落選という形で突きつけられたのだと思うこともできますし、選挙のやり方もできない者が政治にかかわることが間違っているのだと烙印を押された気もします。
何といっても、この4年間も震災支援や町会などの仕事はしても生活していくだけの報酬を得ていたわけでなく、さらに続けるのは家族に対して無責任が過ぎます。一旦は政治にかかわる活動に明け暮れるより、仕事に就いて生活を立て直し、妻や子どもたちを安心させるのが先決だと思います。
もう一つ、昴の皆さんには役割をいただいたことを感謝したのに、選挙に出るのは自分の思いを優先させたものでしたので、「出たい人より出したい人」という原則から外れた行動だったのも、反省しなければなりません。
今回の結果は市民から議会には必要のない人間と評価されたわけですから、生活を立て直したところで是非とも出馬してほしいという働きかけがない限り、再び自ら立つことはすべきでないと思っています。
それでも、おわびに回った先で「次こそ、がんばって」と声をかけていただいたのに一筋の光明を覚えましたし、今回の顔ぶれで市政や議会が変わるとは思えないだけに、これで政治の舞台から去ると断言することはしないでおきますし、したくはありません。
この4年間は、出なくてもいいところまで顔を出してましたが、このたびはひとまず完全に雌伏して、来るのかどうか見えないその日を待ちたいと思います。
本当に徒然なるままに乱れた思いを綴りましたが、私の活動に関心を持ち支援してくださった皆さんに、心からの感謝をお伝えして、このBlogを閉じたいと思います。
最初の市議選が1,668票、前回は1,092票、そして今回は905票と、投票率が下がる以上に自分の得票は減り続けていまして、前回は施設や実家との騒動があったとはいえ事情を知らない人は投票してくれたのでしょうが、今回は施設の経営者でもなく落選しても親とも仲直りもしないような者に投票する所以はないと見透かした人が多かったのが、何といっても響いたと思います。
それは見こんだ上で、この4年間の活動で新たに得たご縁やネットでの情報発信に共鳴する人たちに期待し、選挙期間中は自転車での遊説が届くことを願っていたのですが、自分なりの得票予測どころか当選ラインと読んでいたところにも遠く及ばなかったのが現実でした。
これは、地盤を失ったのに、それを補うだけのものを築けなかった私の責任ですが、それを一人でやりきろうとしたところに難しさがあり、他候補が地盤となる地域や団体・政党を持ち、自分の仕事をさておいても動いてくれる参謀がいるのを凌ぐことができなかったということです。
これまで綴ってきたように、市政にある数々の問題点が見えていて、それをただしていく目標があるのであれば、何はともあれ当選に近づく方法なら何でもありというのが政治家らしいやり方なのでしょうが、自分の活動を知ってもらい何に取り組もうとしているのか理解してもらえるようなアプローチをした上で支援してほしいと思っている私には、ただ票を集めればいいというやり方を採るわけにはいきませんでした。
ちょうど昨日の大河ドラマ「花燃ゆ」では、我が師と仰ぐ吉田松陰の最後が描かれていましたが、松陰も自分の信念を貫いて老中を諫めようとしたと言わなくてもいいことを言ったことで遠島が死罪になったとされていて、みすみす命を落とすことになる発言をしなければよいものをと思った方も多いことでしょう。
しかし、命よりも信念を重んじる松陰からすれば曲げるわけにはいかないからこその発言であり、この日にこの場面が流れたのは、おまえも信念を貫いて死ねと伝えてくれたように、今にして思っています。
そもそも前回当選していれば、この選挙には出ないつもりでしたので、50歳にして引退するつもりだったのが、2回の落選という形で突きつけられたのだと思うこともできますし、選挙のやり方もできない者が政治にかかわることが間違っているのだと烙印を押された気もします。
何といっても、この4年間も震災支援や町会などの仕事はしても生活していくだけの報酬を得ていたわけでなく、さらに続けるのは家族に対して無責任が過ぎます。一旦は政治にかかわる活動に明け暮れるより、仕事に就いて生活を立て直し、妻や子どもたちを安心させるのが先決だと思います。
もう一つ、昴の皆さんには役割をいただいたことを感謝したのに、選挙に出るのは自分の思いを優先させたものでしたので、「出たい人より出したい人」という原則から外れた行動だったのも、反省しなければなりません。
今回の結果は市民から議会には必要のない人間と評価されたわけですから、生活を立て直したところで是非とも出馬してほしいという働きかけがない限り、再び自ら立つことはすべきでないと思っています。
それでも、おわびに回った先で「次こそ、がんばって」と声をかけていただいたのに一筋の光明を覚えましたし、今回の顔ぶれで市政や議会が変わるとは思えないだけに、これで政治の舞台から去ると断言することはしないでおきますし、したくはありません。
この4年間は、出なくてもいいところまで顔を出してましたが、このたびはひとまず完全に雌伏して、来るのかどうか見えないその日を待ちたいと思います。
本当に徒然なるままに乱れた思いを綴りましたが、私の活動に関心を持ち支援してくださった皆さんに、心からの感謝をお伝えして、このBlogを閉じたいと思います。
2015年4月25日土曜日
昴で伝えたかったこと
最終日の7日目、とにかく少しでも多くの人に思いを届けたいと気力体力を振り絞って、何と回りも回ったり89ヶ所、通算でも513ヶ所と選挙戦マニフェストの500ヶ所を超すことができました。
藍内→桐の木沢→相馬→前相馬→水木在家×2→五所×2→黒滝→安田団地→湯口→下湯口×2→悪戸×2→常盤坂×3→茂森新町×4→休憩
樹木×4→旭ヶ丘→清富町→稔町→西が丘→富士見町×3→寒沢町×2→紙漉町×2→川端町→銅屋町→富田×2→上土手角→松森町角→昼食
表町→大町×2→ヒロロ角→ローソン角→ヨーカドー角→植田町→東和徳→俵元→松ヶ枝×2→和泉→堅田→休憩
青山→宮園団地→青山→宮園×2→田町×2→祢宜町→城北→仲町→春日町→栄町×3→浜の町×4→休憩
藤代×4→駒越→熊嶋→高屋→一町田×2→賀田→五代→坂市→紙漉沢→五所→黒滝→湯口→昴=89
本日は途中途中で友人知人に会う回数も多く、それが次へ向かうカンフル剤になったのもありますし、たくさんのメッセージやコメントが励みになって完走できた7日間だったと思います。本当にありがとうございます。
旧岩木町を回るところまでは通常の演説で、岩木バイパス一町田地区でのものが今回一番力が入った出来だったと思いますが、相馬村に戻ってからは7日間の感謝とこれからの相馬これからの弘前を託せる政治家は誰なのか考えてほしいと、最後のお願いをしました。
そして、最終演説となった昴集会所前では、集まってくださった町会の方々を前に、演説というよりお礼のあいさつをさせていただきました。
今回の選挙では、ポスター張りの主力だったばかりでなく、二日目以降の出発地点への送り役を代わり代わり務めてくれたことへの感謝も伝えましたが、何といっても3年前に町会長に選任してくださったのは、私にとっては初めて頼まれて役割を果たす経験であり、これが人生の転機になったことを伝えました。
町会へのご恩返しも、皆さんへのお礼も、すべては当選するところからはじまります。
皆さん、何とぞよろしくお願いします。
藍内→桐の木沢→相馬→前相馬→水木在家×2→五所×2→黒滝→安田団地→湯口→下湯口×2→悪戸×2→常盤坂×3→茂森新町×4→休憩
樹木×4→旭ヶ丘→清富町→稔町→西が丘→富士見町×3→寒沢町×2→紙漉町×2→川端町→銅屋町→富田×2→上土手角→松森町角→昼食
表町→大町×2→ヒロロ角→ローソン角→ヨーカドー角→植田町→東和徳→俵元→松ヶ枝×2→和泉→堅田→休憩
青山→宮園団地→青山→宮園×2→田町×2→祢宜町→城北→仲町→春日町→栄町×3→浜の町×4→休憩
藤代×4→駒越→熊嶋→高屋→一町田×2→賀田→五代→坂市→紙漉沢→五所→黒滝→湯口→昴=89
本日は途中途中で友人知人に会う回数も多く、それが次へ向かうカンフル剤になったのもありますし、たくさんのメッセージやコメントが励みになって完走できた7日間だったと思います。本当にありがとうございます。
旧岩木町を回るところまでは通常の演説で、岩木バイパス一町田地区でのものが今回一番力が入った出来だったと思いますが、相馬村に戻ってからは7日間の感謝とこれからの相馬これからの弘前を託せる政治家は誰なのか考えてほしいと、最後のお願いをしました。
そして、最終演説となった昴集会所前では、集まってくださった町会の方々を前に、演説というよりお礼のあいさつをさせていただきました。
今回の選挙では、ポスター張りの主力だったばかりでなく、二日目以降の出発地点への送り役を代わり代わり務めてくれたことへの感謝も伝えましたが、何といっても3年前に町会長に選任してくださったのは、私にとっては初めて頼まれて役割を果たす経験であり、これが人生の転機になったことを伝えました。
町会へのご恩返しも、皆さんへのお礼も、すべては当選するところからはじまります。
皆さん、何とぞよろしくお願いします。
2015年4月24日金曜日
市役所で伝えたかったこと
6日目は、午前中の強風と午後の雨にたたられたこと、一通り全エリア回ったので、再訪の場所で前回と違う場所を選ぶという手間がかかる状況になったこともあり、一日分の目標である70回を下回る遊説回数となりました。
高岡→弥生→宮舘→折笠→富栄→細越→愛宕×2→八幡→賀田→鼻和→小島→三森→独狐→休憩
石渡→元薬師堂→土堂→横町→近名→イオンタウン→城西×2→鷹匠町×2→市役所→昼食
新寺町→桔梗野→旭ヶ丘×2→緑ヶ丘×2→清水→大原×2→桜ヶ丘×8→原ヶ平→千年→休憩
泉野→門外×4→堀越×3→門外→大清水角→小比内×2→佐藤長角→城東中央→休憩
高田×2→田園→早稲田×4→福村→福田→境関→神田=68
ところで、遊説の内容は、少しずつ変わっているとはいえ大筋では4年間の活動と立候補への思い、救急と介護への問題提起、それに自転車遊説と決意表明という3本立てなのは同じなのですが、本日の午前中最後の市役所だけはまったく違う内容を語ってきました。
それは、決意表明のチラシに書いたように、落選して一市民という立場でかかわったことで見えるようになった市職員の勤勉な働きぶりのことで、議員という立場では決して見えなかったもので、それを知るためにこの4年間はあったという感謝の思い、そしてその上で市政をよくするためにもう一度議員という立場でかかわるようになりたいという決意を伝えたかったからでした。
職員からすれば、よけいなおせっかいかも知れませんが、面と向かって言えることではないだけに、マイクを持ったこの機会だからこそ伝えておきたかったことですし、桜まつりが本開幕して選挙カーを止めての演説はできない状況の中、自転車で拡声器の私だからこそできる芸当ですので、ご寛恕いただきたいと思います。
何はともあれ、選挙活動できるのも明日1日、最終日は初日の沢田地区と並ぶ相馬の最奥地区・藍内からスタートし、最終街頭演説をホームタウン昴の集会所前で行う予定です。
それ以外は、市内を遊撃するつもりですので、演説を聞いてみたい方はぜひ気軽にお知らせください。
高岡→弥生→宮舘→折笠→富栄→細越→愛宕×2→八幡→賀田→鼻和→小島→三森→独狐→休憩
石渡→元薬師堂→土堂→横町→近名→イオンタウン→城西×2→鷹匠町×2→市役所→昼食
新寺町→桔梗野→旭ヶ丘×2→緑ヶ丘×2→清水→大原×2→桜ヶ丘×8→原ヶ平→千年→休憩
泉野→門外×4→堀越×3→門外→大清水角→小比内×2→佐藤長角→城東中央→休憩
高田×2→田園→早稲田×4→福村→福田→境関→神田=68
ところで、遊説の内容は、少しずつ変わっているとはいえ大筋では4年間の活動と立候補への思い、救急と介護への問題提起、それに自転車遊説と決意表明という3本立てなのは同じなのですが、本日の午前中最後の市役所だけはまったく違う内容を語ってきました。
それは、決意表明のチラシに書いたように、落選して一市民という立場でかかわったことで見えるようになった市職員の勤勉な働きぶりのことで、議員という立場では決して見えなかったもので、それを知るためにこの4年間はあったという感謝の思い、そしてその上で市政をよくするためにもう一度議員という立場でかかわるようになりたいという決意を伝えたかったからでした。
職員からすれば、よけいなおせっかいかも知れませんが、面と向かって言えることではないだけに、マイクを持ったこの機会だからこそ伝えておきたかったことですし、桜まつりが本開幕して選挙カーを止めての演説はできない状況の中、自転車で拡声器の私だからこそできる芸当ですので、ご寛恕いただきたいと思います。
何はともあれ、選挙活動できるのも明日1日、最終日は初日の沢田地区と並ぶ相馬の最奥地区・藍内からスタートし、最終街頭演説をホームタウン昴の集会所前で行う予定です。
それ以外は、市内を遊撃するつもりですので、演説を聞いてみたい方はぜひ気軽にお知らせください。
2015年4月23日木曜日
もう一押しの5日目
5日目は、板柳町より遠い鶴田町との境・笹舘からスタートという長い距離の移動だったこともあり、街頭演説は77ヶ所でした。
笹舘→三和→小友→中畑→種市→種市角→新和角→青女子×2→大川×2→三世寺→中崎→町田角→町田→藤内町→八代町→船水→休憩
岩賀→清野袋→津賀野角→百田角→百田→津賀野→大久保→大久保ニュータウン×2→撫牛子×2→宮川→堅田角→昼食
青山×5→向外瀬→宮園×5→宮川→休憩
堅田バイパス→野田角→野田→和徳角→和徳→萱町→中土手町→冨田大通り→南富田×3→枡形→休憩
ベニーマート→松原×5→広野×3→松原×5→中野×2→富士見台→山崎×2→城南×4→舘野=77
距離ばかりでなく、すでに回ったエリアを抜けて未済の地区に回っていくので間延びしてしまうこともありましたが、昨日から比べると、もう一押しほしかった感じです。
それでも、すでに期日前投票を終えた方から「行ってきたよ」と声をかけてもらえることもあり、トータルでももう一押しのところだと心して、残り二日間駆けめぐりたいと思います。
笹舘→三和→小友→中畑→種市→種市角→新和角→青女子×2→大川×2→三世寺→中崎→町田角→町田→藤内町→八代町→船水→休憩
岩賀→清野袋→津賀野角→百田角→百田→津賀野→大久保→大久保ニュータウン×2→撫牛子×2→宮川→堅田角→昼食
青山×5→向外瀬→宮園×5→宮川→休憩
堅田バイパス→野田角→野田→和徳角→和徳→萱町→中土手町→冨田大通り→南富田×3→枡形→休憩
ベニーマート→松原×5→広野×3→松原×5→中野×2→富士見台→山崎×2→城南×4→舘野=77
距離ばかりでなく、すでに回ったエリアを抜けて未済の地区に回っていくので間延びしてしまうこともありましたが、昨日から比べると、もう一押しほしかった感じです。
それでも、すでに期日前投票を終えた方から「行ってきたよ」と声をかけてもらえることもあり、トータルでももう一押しのところだと心して、残り二日間駆けめぐりたいと思います。
2015年4月22日水曜日
助っ人パワーで、80ヶ所!
4日目は、座頭石からスタートして千年・石川地区へと回り、午後からこの選挙初めて同行してくれる助っ人が参上し、午後ばかりか最終街頭演説のところまで自転車で追走し、元気なあいさつとチラシ配布を手伝ってくれました。
ルートや場所選択のミスも何度かあったのですが、それにもかかわらず80ヶ所というパーソナルベストが達成できたのは、彼の笑顔の励ましのおかげだと感謝しています。
ちなみに、こちらが昨日のルートと街頭演説の場所です。
座頭石一の渡×2→大和沢→アップル角→狼森→原ヶ平→千年×4→清水森→小栗山→松木平×2→大沢×3→石川×4→乳井×2→薬師堂→川合→新里→福田子→昼食
高田→豊田→高田×2→外崎×3→城東×4→城東角→小比内→豊田×2→小比内×3→休憩
小比内→川先×2→城東→東高校駅前→ユニバース前→南大町×2→取上角→品川町×2→大富町→北園→富野町→御幸町×2→品川町→休憩
取上×2→清原→大清水×4→休憩
泉野×3→安原×3→清原→北園→中野角→三岳町→ユニバース前→西弘
私ばかりでなく、彼のおかげで話を聞いてくださる方もあり、周りの支援があっての選挙だと感じさせる出会いもあり、本当に満足の4日目となりました。
5日目は、板柳より遠い笹舘からスタート、新和・三省地区を通って市内を駆け回ります。
ルートや場所選択のミスも何度かあったのですが、それにもかかわらず80ヶ所というパーソナルベストが達成できたのは、彼の笑顔の励ましのおかげだと感謝しています。
ちなみに、こちらが昨日のルートと街頭演説の場所です。
座頭石一の渡×2→大和沢→アップル角→狼森→原ヶ平→千年×4→清水森→小栗山→松木平×2→大沢×3→石川×4→乳井×2→薬師堂→川合→新里→福田子→昼食
高田→豊田→高田×2→外崎×3→城東×4→城東角→小比内→豊田×2→小比内×3→休憩
小比内→川先×2→城東→東高校駅前→ユニバース前→南大町×2→取上角→品川町×2→大富町→北園→富野町→御幸町×2→品川町→休憩
取上×2→清原→大清水×4→休憩
泉野×3→安原×3→清原→北園→中野角→三岳町→ユニバース前→西弘
私ばかりでなく、彼のおかげで話を聞いてくださる方もあり、周りの支援があっての選挙だと感じさせる出会いもあり、本当に満足の4日目となりました。
5日目は、板柳より遠い笹舘からスタート、新和・三省地区を通って市内を駆け回ります。
2015年4月21日火曜日
回数は伸びず、出会いは重なる
スタート時点の十腰内では雨よりも強い陰がこたえる3日目でしたが、昼が近づくにつれて晴れ間が広がるどころか動けば汗ばむほどの晴れ空となったわりには街頭演説の回数は伸びず、下記のとおり75回にとどまりました。
十腰内→十面沢→大森→貝沢→貝沢角→堂ヶ沢→鬼沢→住吉→天崎→高杉→佐藤長前→前坂→独狐×2→休憩
石渡×4→浜の町×4→浜団→外瀬×2→藤野→昼食
城北大橋→向外瀬×3→城北×3→栄町×4→春日町×2→仲町→休憩
城北×3→田茂木町→田町→北横町×2→山王町×2→笹森町→在府町→南塘町×2→北新寺町→茂森新町×3→休憩
樹木×3→桔梗野団地→桜林町×2→銅屋町→紙漉町×2→富士見町×3→西が丘→寒沢町×2→桔梗野×4→樹木角=75
これは、気温が上がるに従って水分補給の回数が増えたり、夕方あたりには他候補の選挙カーに行く手をさえぎられて待ったり場所を変えたりせざるを得なかったタイムロスも響いたと思いますが、天気がよかった分通りがかる人にあいさつする回数も多く、時には相馬出身だと知って御所温泉のことを話しに来てくださる方まであって、その分滞留時間が延びたことが要因でもありました。
何人もの方が出てきてまで聴き入ってくださったうれしい出会いもありましたし、懐かしい福祉の先輩との再会や見かけて車中から手を振ってくださった恩師に新人候補2人との遭遇まで、今日は出会いが重なった一日でした。
何はともあれ、足腰もへばらずのどもつぶれず、至って元気に遊説を続けていますので、より多くの人に出会い思いが届くように、4日目は座頭石からスタートです。
十腰内→十面沢→大森→貝沢→貝沢角→堂ヶ沢→鬼沢→住吉→天崎→高杉→佐藤長前→前坂→独狐×2→休憩
石渡×4→浜の町×4→浜団→外瀬×2→藤野→昼食
城北大橋→向外瀬×3→城北×3→栄町×4→春日町×2→仲町→休憩
城北×3→田茂木町→田町→北横町×2→山王町×2→笹森町→在府町→南塘町×2→北新寺町→茂森新町×3→休憩
樹木×3→桔梗野団地→桜林町×2→銅屋町→紙漉町×2→富士見町×3→西が丘→寒沢町×2→桔梗野×4→樹木角=75
これは、気温が上がるに従って水分補給の回数が増えたり、夕方あたりには他候補の選挙カーに行く手をさえぎられて待ったり場所を変えたりせざるを得なかったタイムロスも響いたと思いますが、天気がよかった分通りがかる人にあいさつする回数も多く、時には相馬出身だと知って御所温泉のことを話しに来てくださる方まであって、その分滞留時間が延びたことが要因でもありました。
何人もの方が出てきてまで聴き入ってくださったうれしい出会いもありましたし、懐かしい福祉の先輩との再会や見かけて車中から手を振ってくださった恩師に新人候補2人との遭遇まで、今日は出会いが重なった一日でした。
何はともあれ、足腰もへばらずのどもつぶれず、至って元気に遊説を続けていますので、より多くの人に出会い思いが届くように、4日目は座頭石からスタートです。
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