13日に投開票が行われた弘前市長選は、38%という低い投票率に終わりましたが、大方の予想どおり葛西憲之市長の再選となりました。
岩木川市民ゴルフ場問題では市民ネットワークに加わって批判のお先棒を担ぐ立場ではありますが、それ以外の政策については失敗や工夫の必要なものがあることも含めて評価できる市政へと改革を進めてきたのですから、私も葛西候補に一票を投じました。
市政のことにつきましては、これから個別に論じることになると思いますが、今回の市長選における市議の立ち位置について考えたことを伝えておきたいと思います。
前回の市長選では、現職の市議それも前市長に対抗する形で「市政を変えるマニフェスト」策定に取り組んでいたのですが、最終的には葛西候補を支持する若手経済人で組織する「政経フォーラム」とマニフェストで意見交換を行い、それをふまえて会として私個人としても葛西候補を支持することにしました。
ただし、他の市議諸侯とは一線を画して選対にかかわったり街頭での陣笠に並ぶことはしないと宣言し、実際にそれを貫きました。
これは、政策で共同戦線を張ることはあっても、首長と議員は地方自治においては二元代表制を取る以上、それぞれの選挙などで応援するようなことでは緊張感を保てないという判断からです。
これがまっとうな考えだと思うのですが、山形県酒田市議であった佐藤丈晴さんが自民党籍があっても自民系の市長選立候補者に応援しなかったことで会派と自民党から除名されたという一件があったように、同じく地方政治にかかわる人でも理解してもらえない態度のようです。
ひるがえって今回の市議諸侯の行動をみますと、党が候補を擁立した共産党3名と無所属の4名以外の27名が葛西市長を支援する議員団を組織しました。
報道によると、27名全員が雁首そろえて街頭に集まったことがないというように一枚岩ではなかったようで、日頃の市政批判からすれば加わったのが疑問に思える方や、逆に政治とは無関係な場面でも市長支持のあいさつをする方までありましたが、どちらにしても二元代表制の立場を捨てた行動をいわざるを得ません。
現在の私の立場であれば、一市民として応援に加わっても問題はないのでしょうが、次の選挙への思いがある以上してはならないと思い自重しました。
それよりも、前回は市民との対話を重ねてマニフェストを掲げたので今回ならば加わりたいと思っていたのですが、現職としてアクションプランをふまえる立場であるのもあってか陣営内でのマニフェスト策定に終わったのが残念です。
それだけに、今回のマニフェストそして今年度に策定される総合経営計画をよく分析して、現在の市政に成果をもたらすものなのか、市民生活を向上させるものなのかを見極めていきたいと思います。
その活動の際には、皆さんにも参加してもらいたいと思っていますので、なるべく早く開催できるよう準備を進めるつもりです。
2014年4月18日金曜日
2014年4月15日火曜日
素浪人からの思い
三上なおきです。弘前市議という地位を失って、早いもので3年となりました。
その前年に社会福祉法人長慶会の本部長という職位も奪われていましたので、まさに素浪人という立場でしたが、住んでいる昴町会の町会長、弘前中央高校のPTA会長、母校・弘前高校創立130年の総会実行委員長といった役割をいただき、また続けている陸上クラブのコーチとして子どもたちから元気をもらい、そして震災支援団体「動こう津軽!」の先頭に立って岩手県野田村や弘前市への避難移住者の支援に取り組むことで、稼ぎはなくともやるべき仕事はあることを頼りに生きてきました。
その立場立場で、これまでどおり、これまで以上に接してくださった方、新たな出会いの中で励ましてくださった方には、ただただ感謝の言葉以外ありません。本当にありがとうございます。
この生活の中で、気づいたことがあります。
一つは、弘前の市民力の高さです。「動こう津軽!」では野田村生活支援プロジェクトと銘打って、津軽の一芸を持つ人に野田村を訪問していただき生活にうるおいをもたらす活動をしてきましたが、伝統芸能、創作活動、音楽そして食文化と幅広い分野から賛同協力してくださる方々があり、非常に喜んでいただくことができました。
そのおかげで、私自身が今までご縁のなかった方々の活動を知ることになり、このような活動ができる文化レベルと少しでも支援したいという思いにふれることで、弘前津軽の底力を見ることができました。
一方、震災支援や町会活動を通じて、議場で向き合ってきた幹部クラスではない現場の市職員と接する機会が多くなり、その実直な仕事ぶりに感心することもしばしばあり、逆に職員の側でも市政のことを一番理解している一市民という形で私を使ってくれることもあり、市議として感じていた壁がなくなったことで市民として市政にかかわることができたと思っています。
また、町会長という立場から市政にかかわってみると、道路や融雪溝などさまざまなことで要望する機会もあり、そのための仕組みが確立されているのを知ったり個別に回答をいただいたことで、以前から感じていたとおり議員の仕事として「口利き」はまったく無用であることを改めて実感することもできました。
このような経験から市議時代を振り返ってみると、当時は市議という政治家としてやるべきことはやっていたかもしれないものの、市民として市政に参画することがなく、それだけ市民や市職員とは距離のある存在だったと思います。
それは、当時のBlogが「議会を変える、弘前が変わる」というタイトルだったこと、落選した選挙でも議会改革一本のマニフェストを掲げたことでもわかるとおり、議会の中でアクションをおこすことだけに目がいってしまって、それが市民のためになるのか市政に寄与することなのかを見失っていたのだと思います。
実際に、今期の市議会では特別委員会が組織され、インターネット中継や一問一答式の導入といった改善や質問時間の制限といった改悪が行われましたが、手段であるはずの改革そのものが目的になっているせいで、市政にどんな成果をもたらすのか見えてきません。
このことに気づくことができただけでも、議員バッジを失った意味はあったと思っています。
ところで、市民主権を自らのマニフェストに掲げる葛西憲之市長のもと、多くの審議会懇談会がもうけられ、学識経験者や団体代表以外に公募市民が参画する人数が増えていますが、この流れは再選を経て控えている次期総合計画や自治基本条例によってさらに強まっていくことでしょう。
このことは、政策実現には市民との議論や評価を先に済ませてしまい、議会には議論ではなく最終的議決のみを求めるという、議会不要の進め方がより鮮明になることを意味しています。
それだけに、これからの弘前市議に求められるのは、その政策について市より先に市民との意見交換をして提言を公表し、実際の審議の場でどのような議論が進んでいるのかを傍聴して情報公開するスタイルです。
その上で、施策として実施されたものを市民生活向上という観点を持って成果を測り、継続すべきかみ直すべきかを明らかにする「仕分け」を行う必要があります。
本来の議会改革とは、このようなことを仕組みとして構築することにあると思いますが、それを待っているわけにはいきませんので、議員一人でも市民との対話の場を作り各課に嫌がられても成果検証の聞き取りを行うことではじめて、市民主権でも必要とされる議員になり得ると考えています。
そして、会議室で政策を話し合うだけでなく、ご来賓ではなく市民という立場で行われる事業やイベントの現場に参画して、身をもって評価できる立場に立つことが、市民感覚での提言をするために最優先であり不可欠です。
このBlogのタイトルに掲げたとおり、市民の立場に立ちながら市政とのつなぎ役=ハブとなること、これが今考える、市議としてのあるべき姿です。
そして、ハブにはもう一つ、見直すべきことがあれば沖縄のハブのように噛みつく、厳しい目を持って市政をチェックする意味もこめています。
これからの1年、自らの思いを市民の皆さんに伝え、もう一度市議として活動できるようにがんばってまいります。何とぞよろしくお願いいたします。
その前年に社会福祉法人長慶会の本部長という職位も奪われていましたので、まさに素浪人という立場でしたが、住んでいる昴町会の町会長、弘前中央高校のPTA会長、母校・弘前高校創立130年の総会実行委員長といった役割をいただき、また続けている陸上クラブのコーチとして子どもたちから元気をもらい、そして震災支援団体「動こう津軽!」の先頭に立って岩手県野田村や弘前市への避難移住者の支援に取り組むことで、稼ぎはなくともやるべき仕事はあることを頼りに生きてきました。
その立場立場で、これまでどおり、これまで以上に接してくださった方、新たな出会いの中で励ましてくださった方には、ただただ感謝の言葉以外ありません。本当にありがとうございます。
この生活の中で、気づいたことがあります。
一つは、弘前の市民力の高さです。「動こう津軽!」では野田村生活支援プロジェクトと銘打って、津軽の一芸を持つ人に野田村を訪問していただき生活にうるおいをもたらす活動をしてきましたが、伝統芸能、創作活動、音楽そして食文化と幅広い分野から賛同協力してくださる方々があり、非常に喜んでいただくことができました。
そのおかげで、私自身が今までご縁のなかった方々の活動を知ることになり、このような活動ができる文化レベルと少しでも支援したいという思いにふれることで、弘前津軽の底力を見ることができました。
一方、震災支援や町会活動を通じて、議場で向き合ってきた幹部クラスではない現場の市職員と接する機会が多くなり、その実直な仕事ぶりに感心することもしばしばあり、逆に職員の側でも市政のことを一番理解している一市民という形で私を使ってくれることもあり、市議として感じていた壁がなくなったことで市民として市政にかかわることができたと思っています。
また、町会長という立場から市政にかかわってみると、道路や融雪溝などさまざまなことで要望する機会もあり、そのための仕組みが確立されているのを知ったり個別に回答をいただいたことで、以前から感じていたとおり議員の仕事として「口利き」はまったく無用であることを改めて実感することもできました。
このような経験から市議時代を振り返ってみると、当時は市議という政治家としてやるべきことはやっていたかもしれないものの、市民として市政に参画することがなく、それだけ市民や市職員とは距離のある存在だったと思います。
それは、当時のBlogが「議会を変える、弘前が変わる」というタイトルだったこと、落選した選挙でも議会改革一本のマニフェストを掲げたことでもわかるとおり、議会の中でアクションをおこすことだけに目がいってしまって、それが市民のためになるのか市政に寄与することなのかを見失っていたのだと思います。
実際に、今期の市議会では特別委員会が組織され、インターネット中継や一問一答式の導入といった改善や質問時間の制限といった改悪が行われましたが、手段であるはずの改革そのものが目的になっているせいで、市政にどんな成果をもたらすのか見えてきません。
このことに気づくことができただけでも、議員バッジを失った意味はあったと思っています。
ところで、市民主権を自らのマニフェストに掲げる葛西憲之市長のもと、多くの審議会懇談会がもうけられ、学識経験者や団体代表以外に公募市民が参画する人数が増えていますが、この流れは再選を経て控えている次期総合計画や自治基本条例によってさらに強まっていくことでしょう。
このことは、政策実現には市民との議論や評価を先に済ませてしまい、議会には議論ではなく最終的議決のみを求めるという、議会不要の進め方がより鮮明になることを意味しています。
それだけに、これからの弘前市議に求められるのは、その政策について市より先に市民との意見交換をして提言を公表し、実際の審議の場でどのような議論が進んでいるのかを傍聴して情報公開するスタイルです。
その上で、施策として実施されたものを市民生活向上という観点を持って成果を測り、継続すべきかみ直すべきかを明らかにする「仕分け」を行う必要があります。
本来の議会改革とは、このようなことを仕組みとして構築することにあると思いますが、それを待っているわけにはいきませんので、議員一人でも市民との対話の場を作り各課に嫌がられても成果検証の聞き取りを行うことではじめて、市民主権でも必要とされる議員になり得ると考えています。
そして、会議室で政策を話し合うだけでなく、ご来賓ではなく市民という立場で行われる事業やイベントの現場に参画して、身をもって評価できる立場に立つことが、市民感覚での提言をするために最優先であり不可欠です。
このBlogのタイトルに掲げたとおり、市民の立場に立ちながら市政とのつなぎ役=ハブとなること、これが今考える、市議としてのあるべき姿です。
そして、ハブにはもう一つ、見直すべきことがあれば沖縄のハブのように噛みつく、厳しい目を持って市政をチェックする意味もこめています。
これからの1年、自らの思いを市民の皆さんに伝え、もう一度市議として活動できるようにがんばってまいります。何とぞよろしくお願いいたします。
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