2015年1月17日土曜日

大震災に弘前は何ができるか

1995年1月17日の阪神・淡路大震災から20年がたちました。6,000名を超える犠牲者の方々に改めてご冥福をお祈りいたします。
東日本大震災や市としての防災について何度か述べてきましたが、この日にあわせて支援する側としての備えのことを論じてみたいと思います。

阪神大震災の際、私は介護福祉士を養成する専門学校の教員でしたが、福祉施設や行事に学生をボランティアとして送り出す立場であったものの震災にボランティアという発想もなく、学内での募金の取りまとめをするので終わってしまいました。
5月に京都でのスクーリングの際に尼ヶ崎の先進的な施設見学とあわせて神戸まで足を伸ばしましたが、神戸に向かって進んでいくほどにブルーシートが屋根がわりにかけられている数が増えていき、神戸のど真ん中が崩れ去っているのを見て愕然としたのを覚えています。
続く2004年の中越地震の際は、勉強させていただいていた施設が長岡市にあり、孤立した山古志村と同じ状況になる可能性のある集落を村内に抱えているだけに人ごととは思えず、直後に職員を派遣しましたが、自分で足を運ぶことはなく終わりました。
これは個人的な振り返りですが、当時の相馬村でも弘前市でも震災支援で動いたということはなかったと思います。

そして2011年の東日本大震災では、当初は動きが悪かったものの市と弘大と市社協が協働してボランティアを集める体制が4月にはできあがり、弘前方式とまで賞賛された野田村への集中的な支援を8月まで行い、現在でも月1回ペースでの交流を続けていることで、村の皆さんから感謝されています。
これがきっかけとなって、弘大にはボランティアセンターが設置されてイベントや雪かきにも出動していますし、市のボランティア支援センターでも台風18号などで市民が市民を助ける活動を展開しています。

阪神大震災から20年、東日本大震災からもうすぐ4年となりますが、こうしてみると市としての支援力は格段に高まったといえますが、取り組むべきことが二つあると思います。
一つは、防災マイスターまでの日数をかけないまでもボランティアとして活動するための基本を身につけられる養成講座を一人でも多くの市民に受講してもらう体制づくりです。弘大では公開講座を開催していますが、より幅広く伝わるような機会を市としてつくっていくべきだと思います。
もう一つは、東日本大震災では野田村に行った対口支援を、次に起こるであろう首都圏や南海大地震に備えて、広域支援連携する自治体を決めておくことです。関東には群馬県太田市という姉妹都市がありますが、内陸に位置しているだけに沿岸部ほどの被害にはならないと思いますので、新たに考えることになります。
私見では、奥羽越列藩同盟から脱して新政府側に寝返った津軽藩救援のために最後の藩主・承昭公の実家である熊本藩兵を乗せたハーマン号が遭難した千葉県勝浦市で慰霊や引き揚げの取り組みがあるそうですので、これをご縁に交流と広域支援の連携を進めるのがよいと思っています。

この4年、震災支援に取り組んできた者として、弘前市としてできることには積極的に意見していくつもりです。