2015年4月30日木曜日

市民の皆様に、あどはだり

前回でBlogを閉じるとしましたが、どうしても市民の皆様に市政のこと議員という存在について、そして今の思いでお伝えしておきたいことがあふれてしまい、あどはだり(もう一回)の投稿です。

今回の弘前市議選は、定数が34から28と8議席減ったところに36人が立候補するという「激戦」と言われたわりには投票率は最低を更新し、47.88%と半分以上の有権者が投票に行かず、現職以外では元職2名が返り咲き新人2名は党や支持基盤を引き継いだ形ですので、ほとんど変わりばえのしない顔ぶれとなりました。
これは、投票しなかった人はもとより議会には期待していない関心がないということですし、投票の結果も議会は変わらなくてよいということですから、市民のほとんどは議会が変わることで市政が変わることを望んでいないと見るのが妥当なところだと思います。
その意味では、議会で時間を取られるくらいなら、震災支援や町会活動、陸上クラブなどなど、まちづくりにかかわる活動をもっとやりなさいという審判を下されたのだと思えば、この結果をいいように解釈して受けとめることもできます。

ところで、私自身は議会を変える必要は重々承知していますが、それは市政に議会がどのように貢献できるかの手段でしかなく、それをうたい文句にして選挙に臨む失敗を前回しているだけに、今回は議会改革に取り組むのは自分だけでもできることにとどめておきましたし、演説で訴えることもしませんでした。
実際に町会長という立場で市政に向き合ってみると、市民の不満の9割は町会長として動くことで解決できたり道筋をつけることができることだと思えますし、地元から議員を出して何とかしてもらおうという発想そのものが意味を失っていると思います。
それに対して、全事業を仕分けして翌年度の予算に反映させる仕組みづくりといった、市政内部に踏みこむことは議員でなければできない仕事ですし、そのための議会改革こそ進めなければならないのですが、これを市民の皆様に理解してもらうのは大変なことだけに、そのためにはどういった取り組みをすればいいのか、今回もミニミニ集会をやろうと思っても実現できなかったことからしても、議員の仕事内容に関心を持ってもらう難しさを痛感します。

そこでつくづく思うのは、「信頼」ということです。
選挙公報を見ていただければわかりますが、新人はさておき現職諸侯で公報に掲げたことを前期4年間できちんと質問したり活動できている人は、どれくらいいるでしょうか?中には、損得ではなく善悪で行動するといいながら、やらないと広言した選挙カーでの連呼を臆面もなく繰り返し、当選という得のためには悪としていたことも平気でする人までいるのですから、言葉もありません。
それでも、投票した多くの人は、政策や主張とは関係なく、「○○から頼まれたから」「地元なので頼りになると思うから」という理由で名前を書いたのだと思いますし、それが当落を結果を生むのが選挙というシステムなのですから、何とかしなければとは思いますが受け入れなければならない現実です。
これに対して、支援してくださった方や選挙前後の反応からすると、私の場合は活動に接したりネットでの主張を理解してくださった上で私を信じて投票してくださったと多くの顔や名前が浮かぶほど、賴ではなく信のレベルでの支持をいただいたと、つくづく感謝しています。
ただ、それがパーソナルなところにとどまっていたのは私の影響力の足りないところであり、そうなのであればもっと多くの人に信じてもらえるよう動いていなければならなかったのに足りなかったのを、最大の反省点と受けとめています。

信といえば、『論語』に「政治とは食を足らし兵を足らし民に信じてもらうことであり、このうち最も大事なことは信であって、これなくしては政治とは言えない」という文章の最後に、「民無信不立(民、信なくば立たず)」とあります。
地方政治には兵の心配はありませんが、食を言い換えれば損得ということであり、信とは政治家が持つべき信義となりますから、選挙の損得よりも信義を重んじ、そして信をいただいた私のやり方は間違っていなかったと今でも思っています。
それにもかかわらず、当選につなげられなかった戦術の誤りを受けとめて、まずは修身斉家のために自ら仕事をするところからやり直しますが、それができた暁に市民の皆様からぜひとも市政を変えてほしいと推し立ててもらえるよう、これからの一日一日を大事に生きていきたいと思います。

本当に、皆さんのご支援ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします。

2015年4月27日月曜日

完敗して雌伏

2度目の落選が決まってから一日、朝からおわびのあいさつ行脚でしたが、夕方には町会長としての回覧物配布をして、普通の生活に戻りながら、今回の選挙のことを考えていました。

最初の市議選が1,668票、前回は1,092票、そして今回は905票と、投票率が下がる以上に自分の得票は減り続けていまして、前回は施設や実家との騒動があったとはいえ事情を知らない人は投票してくれたのでしょうが、今回は施設の経営者でもなく落選しても親とも仲直りもしないような者に投票する所以はないと見透かした人が多かったのが、何といっても響いたと思います。
それは見こんだ上で、この4年間の活動で新たに得たご縁やネットでの情報発信に共鳴する人たちに期待し、選挙期間中は自転車での遊説が届くことを願っていたのですが、自分なりの得票予測どころか当選ラインと読んでいたところにも遠く及ばなかったのが現実でした。
これは、地盤を失ったのに、それを補うだけのものを築けなかった私の責任ですが、それを一人でやりきろうとしたところに難しさがあり、他候補が地盤となる地域や団体・政党を持ち、自分の仕事をさておいても動いてくれる参謀がいるのを凌ぐことができなかったということです。

これまで綴ってきたように、市政にある数々の問題点が見えていて、それをただしていく目標があるのであれば、何はともあれ当選に近づく方法なら何でもありというのが政治家らしいやり方なのでしょうが、自分の活動を知ってもらい何に取り組もうとしているのか理解してもらえるようなアプローチをした上で支援してほしいと思っている私には、ただ票を集めればいいというやり方を採るわけにはいきませんでした。
ちょうど昨日の大河ドラマ「花燃ゆ」では、我が師と仰ぐ吉田松陰の最後が描かれていましたが、松陰も自分の信念を貫いて老中を諫めようとしたと言わなくてもいいことを言ったことで遠島が死罪になったとされていて、みすみす命を落とすことになる発言をしなければよいものをと思った方も多いことでしょう。
しかし、命よりも信念を重んじる松陰からすれば曲げるわけにはいかないからこその発言であり、この日にこの場面が流れたのは、おまえも信念を貫いて死ねと伝えてくれたように、今にして思っています。

そもそも前回当選していれば、この選挙には出ないつもりでしたので、50歳にして引退するつもりだったのが、2回の落選という形で突きつけられたのだと思うこともできますし、選挙のやり方もできない者が政治にかかわることが間違っているのだと烙印を押された気もします。
何といっても、この4年間も震災支援や町会などの仕事はしても生活していくだけの報酬を得ていたわけでなく、さらに続けるのは家族に対して無責任が過ぎます。一旦は政治にかかわる活動に明け暮れるより、仕事に就いて生活を立て直し、妻や子どもたちを安心させるのが先決だと思います。

もう一つ、昴の皆さんには役割をいただいたことを感謝したのに、選挙に出るのは自分の思いを優先させたものでしたので、「出たい人より出したい人」という原則から外れた行動だったのも、反省しなければなりません。
今回の結果は市民から議会には必要のない人間と評価されたわけですから、生活を立て直したところで是非とも出馬してほしいという働きかけがない限り、再び自ら立つことはすべきでないと思っています。
それでも、おわびに回った先で「次こそ、がんばって」と声をかけていただいたのに一筋の光明を覚えましたし、今回の顔ぶれで市政や議会が変わるとは思えないだけに、これで政治の舞台から去ると断言することはしないでおきますし、したくはありません。
この4年間は、出なくてもいいところまで顔を出してましたが、このたびはひとまず完全に雌伏して、来るのかどうか見えないその日を待ちたいと思います。

本当に徒然なるままに乱れた思いを綴りましたが、私の活動に関心を持ち支援してくださった皆さんに、心からの感謝をお伝えして、このBlogを閉じたいと思います。

2015年4月25日土曜日

昴で伝えたかったこと

最終日の7日目、とにかく少しでも多くの人に思いを届けたいと気力体力を振り絞って、何と回りも回ったり89ヶ所、通算でも513ヶ所と選挙戦マニフェストの500ヶ所を超すことができました。

藍内→桐の木沢→相馬→前相馬→水木在家×2→五所×2→黒滝→安田団地→湯口→下湯口×2→悪戸×2→常盤坂×3→茂森新町×4→休憩
樹木×4→旭ヶ丘→清富町→稔町→西が丘→富士見町×3→寒沢町×2→紙漉町×2→川端町→銅屋町→富田×2→上土手角→松森町角→昼食
表町→大町×2→ヒロロ角→ローソン角→ヨーカドー角→植田町→東和徳→俵元→松ヶ枝×2→和泉→堅田→休憩
青山→宮園団地→青山→宮園×2→田町×2→祢宜町→城北→仲町→春日町→栄町×3→浜の町×4→休憩
藤代×4→駒越→熊嶋→高屋→一町田×2→賀田→五代→坂市→紙漉沢→五所→黒滝→湯口→昴=89

本日は途中途中で友人知人に会う回数も多く、それが次へ向かうカンフル剤になったのもありますし、たくさんのメッセージやコメントが励みになって完走できた7日間だったと思います。本当にありがとうございます。
旧岩木町を回るところまでは通常の演説で、岩木バイパス一町田地区でのものが今回一番力が入った出来だったと思いますが、相馬村に戻ってからは7日間の感謝とこれからの相馬これからの弘前を託せる政治家は誰なのか考えてほしいと、最後のお願いをしました。

そして、最終演説となった昴集会所前では、集まってくださった町会の方々を前に、演説というよりお礼のあいさつをさせていただきました。
今回の選挙では、ポスター張りの主力だったばかりでなく、二日目以降の出発地点への送り役を代わり代わり務めてくれたことへの感謝も伝えましたが、何といっても3年前に町会長に選任してくださったのは、私にとっては初めて頼まれて役割を果たす経験であり、これが人生の転機になったことを伝えました。

町会へのご恩返しも、皆さんへのお礼も、すべては当選するところからはじまります。
皆さん、何とぞよろしくお願いします。

2015年4月24日金曜日

市役所で伝えたかったこと

6日目は、午前中の強風と午後の雨にたたられたこと、一通り全エリア回ったので、再訪の場所で前回と違う場所を選ぶという手間がかかる状況になったこともあり、一日分の目標である70回を下回る遊説回数となりました。

高岡→弥生→宮舘→折笠→富栄→細越→愛宕×2→八幡→賀田→鼻和→小島→三森→独狐→休憩
石渡→元薬師堂→土堂→横町→近名→イオンタウン→城西×2→鷹匠町×2→市役所→昼食
新寺町→桔梗野→旭ヶ丘×2→緑ヶ丘×2→清水→大原×2→桜ヶ丘×8→原ヶ平→千年→休憩
泉野→門外×4→堀越×3→門外→大清水角→小比内×2→佐藤長角→城東中央→休憩
高田×2→田園→早稲田×4→福村→福田→境関→神田=68

ところで、遊説の内容は、少しずつ変わっているとはいえ大筋では4年間の活動と立候補への思い、救急と介護への問題提起、それに自転車遊説と決意表明という3本立てなのは同じなのですが、本日の午前中最後の市役所だけはまったく違う内容を語ってきました。
それは、決意表明のチラシに書いたように、落選して一市民という立場でかかわったことで見えるようになった市職員の勤勉な働きぶりのことで、議員という立場では決して見えなかったもので、それを知るためにこの4年間はあったという感謝の思い、そしてその上で市政をよくするためにもう一度議員という立場でかかわるようになりたいという決意を伝えたかったからでした。
職員からすれば、よけいなおせっかいかも知れませんが、面と向かって言えることではないだけに、マイクを持ったこの機会だからこそ伝えておきたかったことですし、桜まつりが本開幕して選挙カーを止めての演説はできない状況の中、自転車で拡声器の私だからこそできる芸当ですので、ご寛恕いただきたいと思います。

何はともあれ、選挙活動できるのも明日1日、最終日は初日の沢田地区と並ぶ相馬の最奥地区・藍内からスタートし、最終街頭演説をホームタウン昴の集会所前で行う予定です。
それ以外は、市内を遊撃するつもりですので、演説を聞いてみたい方はぜひ気軽にお知らせください。

2015年4月23日木曜日

もう一押しの5日目

5日目は、板柳町より遠い鶴田町との境・笹舘からスタートという長い距離の移動だったこともあり、街頭演説は77ヶ所でした。

笹舘→三和→小友→中畑→種市→種市角→新和角→青女子×2→大川×2→三世寺→中崎→町田角→町田→藤内町→八代町→船水→休憩
岩賀→清野袋→津賀野角→百田角→百田→津賀野→大久保→大久保ニュータウン×2→撫牛子×2→宮川→堅田角→昼食
青山×5→向外瀬→宮園×5→宮川→休憩
堅田バイパス→野田角→野田→和徳角→和徳→萱町→中土手町→冨田大通り→南富田×3→枡形→休憩
ベニーマート→松原×5→広野×3→松原×5→中野×2→富士見台→山崎×2→城南×4→舘野=77

距離ばかりでなく、すでに回ったエリアを抜けて未済の地区に回っていくので間延びしてしまうこともありましたが、昨日から比べると、もう一押しほしかった感じです。
それでも、すでに期日前投票を終えた方から「行ってきたよ」と声をかけてもらえることもあり、トータルでももう一押しのところだと心して、残り二日間駆けめぐりたいと思います。

2015年4月22日水曜日

助っ人パワーで、80ヶ所!

4日目は、座頭石からスタートして千年・石川地区へと回り、午後からこの選挙初めて同行してくれる助っ人が参上し、午後ばかりか最終街頭演説のところまで自転車で追走し、元気なあいさつとチラシ配布を手伝ってくれました。
ルートや場所選択のミスも何度かあったのですが、それにもかかわらず80ヶ所というパーソナルベストが達成できたのは、彼の笑顔の励ましのおかげだと感謝しています。
ちなみに、こちらが昨日のルートと街頭演説の場所です。

座頭石一の渡×2→大和沢→アップル角→狼森→原ヶ平→千年×4→清水森→小栗山→松木平×2→大沢×3→石川×4→乳井×2→薬師堂→川合→新里→福田子→昼食
高田→豊田→高田×2→外崎×3→城東×4→城東角→小比内→豊田×2→小比内×3→休憩
小比内→川先×2→城東→東高校駅前→ユニバース前→南大町×2→取上角→品川町×2→大富町→北園→富野町→御幸町×2→品川町→休憩
取上×2→清原→大清水×4→休憩
泉野×3→安原×3→清原→北園→中野角→三岳町→ユニバース前→西弘

私ばかりでなく、彼のおかげで話を聞いてくださる方もあり、周りの支援があっての選挙だと感じさせる出会いもあり、本当に満足の4日目となりました。
5日目は、板柳より遠い笹舘からスタート、新和・三省地区を通って市内を駆け回ります。

2015年4月21日火曜日

回数は伸びず、出会いは重なる

スタート時点の十腰内では雨よりも強い陰がこたえる3日目でしたが、昼が近づくにつれて晴れ間が広がるどころか動けば汗ばむほどの晴れ空となったわりには街頭演説の回数は伸びず、下記のとおり75回にとどまりました。

十腰内→十面沢→大森→貝沢→貝沢角→堂ヶ沢→鬼沢→住吉→天崎→高杉→佐藤長前→前坂→独狐×2→休憩
石渡×4→浜の町×4→浜団→外瀬×2→藤野→昼食
城北大橋→向外瀬×3→城北×3→栄町×4→春日町×2→仲町→休憩
城北×3→田茂木町→田町→北横町×2→山王町×2→笹森町→在府町→南塘町×2→北新寺町→茂森新町×3→休憩
樹木×3→桔梗野団地→桜林町×2→銅屋町→紙漉町×2→富士見町×3→西が丘→寒沢町×2→桔梗野×4→樹木角=75

これは、気温が上がるに従って水分補給の回数が増えたり、夕方あたりには他候補の選挙カーに行く手をさえぎられて待ったり場所を変えたりせざるを得なかったタイムロスも響いたと思いますが、天気がよかった分通りがかる人にあいさつする回数も多く、時には相馬出身だと知って御所温泉のことを話しに来てくださる方まであって、その分滞留時間が延びたことが要因でもありました。
何人もの方が出てきてまで聴き入ってくださったうれしい出会いもありましたし、懐かしい福祉の先輩との再会や見かけて車中から手を振ってくださった恩師に新人候補2人との遭遇まで、今日は出会いが重なった一日でした。

何はともあれ、足腰もへばらずのどもつぶれず、至って元気に遊説を続けていますので、より多くの人に出会い思いが届くように、4日目は座頭石からスタートです。

2015年4月20日月曜日

雨の中、何とか70ヶ所

雨の中でしたが、何とか70ヶ所で遊説してきました。

8:00:枯木平→嶽温泉→百沢→三本柳→坂本→高野→休憩
吉川→桜庭→平山→大久保→如来瀬→鳥井野→兼平→五代→馬子橋→川添→宮地→四季彩館前→賀田→一町田→昼食
熊嶋→熊嶋角→向駒越→駒越角→藤代×3→田中→浜の町×3→富士見橋→紺屋町→袋町→新町×3→駒越→城西×3→休憩
県営住宅→城西×3→南城西×2→休憩
茂森→茂森角→山観→茂森新町×3→茂森団地→樹木×2→童子森→樹木角→若葉×2→南高角→自由ヶ丘×2→金属団地→青樹町×2→大開×2→小沢→帰宅

ほとんど住宅地の中での街頭演説でしたが、雨にもかかわらず窓を開けたり出てきてくださる方までいて、納得の二日目を終えることができました。
明日3日目は、十腰内赤らスタートです。

2015年4月19日日曜日

初日は54ヶ所

市役所前の外濠の桜が咲き誇る中、いよいよ市議選がはじまりました。自転車での初日の遊説は、回数を重ねるうちにようやくマイク勘が戻り語る内容も固まってきて、このような行程と遊説箇所となりました。
11:00:沢田→大助→相馬→藤沢→坂市→紙漉沢→五所→黒滝→昴→湯口→林檎の森→鳥井野→龍ノ口→真土→茜町→城西→茂森→覚仙町→本町→昼食
東長町→北横町→田茂木町→田町→八幡町→サンデー角→宮川→堅田→さくら団地→マルエス団地→城東北→さくら野横→味喜屋前→末広→境関→福田→福村→第五城東→早稲田→高田サークルK前→学習センター角→城東中央→休憩
稲田→サンクス角→和徳ローソン角→代官町角→上土手町角→銀座街角→モーモー角→富士見町→桔梗野→樹木→常盤坂→悪戸→下湯口→帰宅:19:30=54ヶ所

スタート時間が遅くなったのは、届出順がくじ引きで決まってからの書類確認に想定外の時間がかかり、おあげで26番目となった私はとばっちりを食った形です。
事前審査があったにもかかわらず、改めて書類の不備が指摘されたり、締切のはずの公報原稿に写真が足りなかったりというドタバタな状況で、これは本人や書類作成者ではないクビ運の疎さを買われて託されたような運動員をよこす陣営にも問題がありますし、3人の職員が確認役をしている後ろに書類受け渡し役の女性職員を突っ立たせておくくらいなら確認役を増員してほしかったと感じさせた選管事務局の段取りの悪さもありました。
先日、開票事務でほめたばかりなのですが、告示受付事務にはまだまだ改善の余地がありますし、一方ではその場で不備が見つかった場合には一旦確認順の最後に回ってもらうくらいのペナルティがあっても当然だと思いました。
何といっても、届出を受理してもらって選挙の七つ道具を受け取らない限り、候補者も選挙カーも動けないわけで、少しでも早く現場に出て市民に訴えるのを遅らせるのは、市民が選挙に関心を持つ機会を奪うのと同義ですので、これには厳しくあたるべきだと思います。

何はともあれ、あっという間に一日が終わりました。明日は岩木山嶽温泉の奥・枯木平からスタートです。

これが遊説行程だ!

すでに日付も変わって、告示日当日になりました。ここで、今回予定している自転車での遊説行程を公表します。

19(日):届け出→出陣式→沢田:必勝祈願・第一声→大助→相馬→藤沢→坂市→紙漉沢→五所→黒滝→昴→湯口:林檎の森→龍ノ口→真土→城西イオンタウン→市内:中心部
20(月):枯木平→嶽温泉→百沢→東目屋→大久保→如来瀬→鳥井野→兼平→五代→宮地→賀田→熊嶋→駒越→藤代→亀甲町→栄町→城北→和徳町→弘前駅前→市内:城東方面
21(火):十腰内→十面沢→大森→貝沢→鬼沢→高杉→独狐→石渡→浜の町→紺屋町→新町→市役所前→市内:朝陽・桔梗野・清水方面
22(水):座頭石→大和沢→狼森→千年→清水森→小栗山→松木平→大沢→石川→乳井→新里→福村→高田→小比内→川先→松森町→取上→門外→安原→清原→松原→城南→文京町→西弘
23(木):笹館→三和→小友→種市→青女子→三世寺→中崎→町田→藤野→向外瀬→津賀野→大久保→撫牛子→境関→高崎→神田→青山→宮園→堅田→市内
24(金):高照神社⇒弥生→中別所→蒔苗→高屋→元薬師堂→石渡→浜の町→藤代→駒越→城西→茂森町→市内
25(土):藍内→桐の木沢→相馬→山田→前相馬→水木在家→五所→安田→湯口→下湯口→悪戸→常盤坂→茂森新町→樹木→桔梗野→新寺町→市内→昴集会所:最終街頭→事務所

これを基本としながら、天候にあわせて変更したり重点的に回りたいエリアになるべく入るようにしたり、さらには皆さんからの声にも応えながら、今回は個人演説会も組みませんので目標の500回を超えるよう、ニューマシーンで駆けめぐりたいと思います。
見かけましたら、激励の声援よろしくお願いします。

2015年4月18日土曜日

選挙戦で訴えること

いよいよ明日に告示が迫り、最後の準備に追われてなかなか更新できずにいましたが、
自転車での市内一円遊説で訴えることをお知らせしておきたいと思います。

まず第一に、この4年間で市民の皆さんとさまざまな活動をさせていただき、そこで得たご縁をこれからも大事にし、その中で受けとめた皆さんの思いや気がかりを市政にフィードバックすることです。
振り返ってみれば170回も足を運んだ岩手県野田村への支援に一緒していただいた一芸を持つ津軽衆の皆さん、町会長という立場をいただいてより深まった地元・昴町会のみなさん、子どものおかげで出会い親交を深めた中央高校PTAの皆さん、代替わりするたびに増殖して元気度がアップしていく陸上クラブの子どもたちと保護者とのご縁、こんな立場になっても見捨てずに叱咤激励してくださる方々、そして議員時代では考えられないほど同じ目線でやりとりや仕事ができるようになった市職員の皆さん、本当に落選したからこそ気づき、また得ることができたご縁こそ本物だと思ってがんばることができますし、だからこそ皆さんから聞く思いを、再び議場に戻って形あるものへとつなげていくのが私の使命だと思っています。

もう一つは、具体的に取り上げて改善を求めていく施策分野として、1年以内の救急輪番の再構築と3年以内の適正な介護サービスと市民に納得してもらえる介護保険料引き上げのための説明責任を果たすことを、市民の皆さんに説いて回るつもりです。
もちろん一般質問では毎回登壇し、その時取り上げるべきテーマ2つと皆さんが取り上げて欲しいと思っている問題から2つという形で組み立てるつもりですので、市政全般にわたる質問とするのが基本ですが、何と言っても危機的状況にある2つの分野、それも自分のバックボーンをほったらかして置くわけにはいきません。
救急の問題には、先日提言したように至急専任職員を配置して打開の手だてを大胆に実行することを求めていきますし、介護の問題では3年後には今期3年のサービス状況にかかわらず大幅なアップが避けられない保険料の仕組みを早いうちに市民に説明するとともに、上がっても納得してもらえる介護の質実現のためにこそケアプランチェック要員を機能させるようにすることを提言します。
前回の際は、自らが施設経営者という立場でしたので、どうしても突っこんだ議論を避けてしまいましたが、今は市民サイドの立場ですので、市職員とも議場だけでなく膝を交えた話し合いをして、変えていく道筋をつけたいと思います。

何と言っても、自転車に拡声器での遊説は小回りが効いて回数を重ねることができるメリットもありますが、裏を返せば狭い範囲にしか届かないハンデを抱えているわけですので、短い時間でより多くの場所で声を届ける必要があります。
それだけ内容はコンパクトにしなければなりませんが、今回の私の立場からはすれば、この二つを徹底的に訴えていくのが何よりだと思っています。
本日再度の更新で遊説ルートを公表するつもりですが、この日はここにいるので回ってほしいというご要望は大歓迎ですので、夕方までにメッセージくださるとうれしいです。

2015年4月15日水曜日

隆司さん、残念です

県議選の振り返りとともに、紙上を統一地方選後半戦の市町村長・議員選挙を展望する記事がにぎわせていますが、何といっても驚いたのは藤田隆司議員の出馬見送りです。
旧弘前市時代から6期のベテランで、近年体調を崩したとは聞いてはいたものの、3月定例会でも独特の声高な口調で質問していただけに思ってもみませんでしたが、この機会に隆司さんから学んだことや議員としてのあり方を記しておきます。

隆司さんとは、当選直後は支持した議長候補も違うほど離れた立場でしたが、私が最初の会派から離脱せざるを得なくなって二人会派を結成したことで議会運営委員会に所属することになってからやりとりする回数が増え、視察研修で一緒に回った際に腹を割って語る機会もあり、任期最後の頃には親しく指導してもらうことも多くなりました。
一般質問では、市職員出身らしく幅広い分野での質問をたたみかけていたのを思い出しますが、今季は副議長ということで登壇の機会がない分を予算決算特別委員会での質問で大所高所からの質問をぶつける形で補うほど、問い質すことに全力をかけていた姿からは、学ぶものがたくさんありました。
何といっても思い出すのは、東日本大震災の翌日に私は市民向けに情報発信するために停電がいち早く復旧した市役所に朝から詰めていましたが、運転免許のない隆司さんは歩いて登庁し、近助の高齢者が情報がなくて不安がっているので確認に来たことを教えてくれましたが、それだけ市民のために動くからこそ5期連続でトップ当選を果たしてきたのだと得心したものです。
前回は町田藤一郎・工藤栄弥両氏が引退し、それが議場にピリピリとした緊張感を失わせることにつながっていると感じていましたが、今回は隆司さんがいなくなるとなると何かあった際には叱りつけるような存在が絶滅するようなもので、世代交代がもてはやされる中ではあっても、重鎮と呼ばれるベテランがしっかりいてこそバランスが保たれるのだと思っています。

何だかすっかり引退を惜しむような書きぶりになってしまいましたが、今回は出馬を見送っても一休みということですので、次の次の選挙を経て「お帰りなさい」と言える立場になれるよう、隆司さんの分までがんばらなければと思っています。

2015年4月14日火曜日

自転車で遊説するということ

今回の県議選で改めて違和感を覚えたことは、候補者本人が乗っていない選挙カーが非常に多かったこと、もう一つは当選した中に自転車作戦と称して本人は自転車に乗り後ろを選挙カーがついて回るという戦術を取った人がいたことです。
年頭のマニフェストでも自転車で回る約束をしましたが、改めて選挙カーを使わず自転車で遊説することへの思いを伝えておきたいと思います。

そもそも、選挙カーでの連呼は選挙にプラスになるでしょうか?
自分自身の選挙では極力抑えめに使っていましたが、市長選や総選挙さらには代議士の新春遊説で回った際に自分でマイクを持っていると、手を振ってくれる人がいると返礼したり手を振り返したりしているうちに気持ちが高揚してきて力が入る経験をしてきただけに、当事者関係者としての自己満足になるのは重々承知しています。
ただ、政策を訴えながら回るのは法で制限されているだけに、それが支持や理解につながるのか怪しいものですし、すでに支持を決めている人やこういう方法を好まない人からすれば単なる騒音に過ぎないことを、元代議士で今は一市民である山内康一さんが自省をこめて記しています。
それからすれば、本人は自転車で選挙カーが随行するスタイルは、騒音ばかりでなく交通の妨げを倍増させるやり方だけに、より害悪としか思えません。

これだけなら、選挙におけるプラスマイナスを候補者が判断して自己責任でやる/やらないを決めればいいことですが、選挙カーのレンタル料やガソリン代さらにはウグイス嬢の人件費まで公費つまり税金でまかなわれることなっており、せめて自転車や別動している時間分を差し引いて公費負担請求できればよいのですが、積算が一日単位になっているだけに、当然のように使った側は満額請求しています。
本来は、タクシー借り上げが認められているように移動のための交通費と選挙用拡声器は別立てなのですが、そこに移動中の連呼を認めていることによって、ウグイス嬢が必要になり本人は別の交通手段で支援者回りをするという今のスタイルがまかり通ってしまうわけですから、一番有効なのは連呼を禁止することだと思います。

そして、4年前の東日本大震災後の状況をふまえて、ムダなガソリンを使わない税金は少しでも復興に回してほしいという思いで自転車での遊説を決めた私は、その後誰よりも震災支援に取り組んできた経験と自負があるだけに、今なお復興への道遠しの現実を考えれば、今回はのうのうと選挙カーで遊説しようとは思えないのです。
ただ、さすがに寄る年波には勝てず、前回の6段変速のシティサイクルから24段変速のクロスバイクにグレードアップして体力の衰えをカバーしたいと思いますし、選挙後にはこのマシーンでサイクルツーリズムの活動にも参加したいと思っています。(カゴつきなのが、選挙仕様です)
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何といっても、前回は自転車遊説をした二人だけが落選となり、今回はもう一人の方が立候補しないだけに、今回はたった一人でのリベンジでもあります。皆さんにも、選挙カーの仕組みと私の思いをご理解いただきたいともいます。

2015年4月13日月曜日

歴史を語れる職員は市にとって必要です

市議選告示まで1週間を切りましたが、今夜は中央公民館相馬館のやすらぎ館セミナーで、いよいよ桜まつり後に本格化する弘前城石垣修理をテーマに今井二三夫さんと3月まで公園緑地課の担当として石垣のプロと化していた高校陸上部の同期・石川竜明が講師として来村するのですから、馳せ参じないわけにはいきません。
開会前に控え室に顔を出すと、先に今井さんが津軽統一から大正時代の石垣修理までお話しになるというので、昨秋の出前講座に続いて同期にプレッシャーをかけるのも嫌がらせでもありますし、前半終了のところで中座しました。

今井さんのお話は相変わらず面白く興味を引くことばかりで、
  • 近年の研究によって、藩祖・為信公は久慈城主・治義の妾腹の子・久慈十郎として生まれ、種里城の大浦為則を頼って逃れて後を継ぐ形になったのが1973年以降の定説である
  • 津軽では為信公は石川城責めからはじまって戦を続けて津軽を統一したと信じられているが、南部側では戦はしないで裏切って乗っ取ったと正反対の説が信じられている
  • 最初の居城・大浦城は現在の津軽中学校であるが、付近の直売所・四季彩館からは堀跡や元の長勝寺の墓石などが見える
  • 発掘整備が続いている堀越城の大手門は、従来考えられていた岩木山側ではなく平賀側にあったことがわかってきた
  • 焼失した天守閣を再建する際に、幕府には櫓の新築と偽り、検視役の役人には行きと帰りで天守様の側を見せないようにした
  • 明治時代に石垣修理した堀江佐吉率いる堀江組は、当時700人の社員がいる東北随一のゼネコンだった
などなど、もっと聴きたくなるような話ばかりでした。
実は、今井さんは学生時代に地震でズレが生じた天守閣や五重塔を調査したことがあり、その時点でも石垣のふくらみは見つかっていたのだそうで、その時の学びや経験が在職中にも現在までも生きているのですから、まさに弘前市の歴史の生き字引のような存在です。
その後輩にあたる宮川慎一郎さんも、3月で定年のところを再任用で残っていただいていますし、このような学者以上の存在が連なっているのは、弘前市の歴史教育ひいては観光にまで大きなプラスになっていると思うのですが、その後を継いでいけるような職員はいるのか気がかりです。

ちなみに、石垣のプロとして昨年度は20回前後の講演の機会があったという石川ですが、さあ本番というところで異動となってしまい、せっかくの経験が水泡に帰した感じですし、こんな人事をしていては歴史を語れる職員は育つはずもないと残念に思います。
歴史ある文化観光都市として弘前市が光っていくためにも、歴史力のある職員を育てていくのは大事なことだと思いますので、ゼネラリストではなくスペシャリストを育てる職員のキャリアパスも考えるべきテーマです。

県議選投開票に市選管の努力を感じる

統一地方選挙の前半戦、県議会議員選挙が行われました。
定数6に対して9人が立候補した弘前市区でしたが、最高齢の候補以外の8人とはご縁のある方ばかりですので、うれしくもあり残念でもある結果でしたが、当選されたからには県全体を見すえながら津軽弘前のためにもなる政策実現にむけて働いていただきたいと思います。
それにしても、全体としては自民と共産で1議席プラスマイナスしただけの結果で、原発再稼働やTPP・農協改革といった地元に大きくかかわる問題が差し迫っているのに、勢力も変わらず投票率も伸びないという政治への不信感に最大の危機感を覚えます。

ところで、今回の投票率は51.08%と史上最低を更新してしまいましたが、弘前市区においては激戦の構図とヒロロや弘大への期日前投票所設置が功を奏して、50.23%と前回をわずかながらも上回る結果となりました。
冷静に見れば、県平均を下回っているのだからほめられたものではないのも事実ですが、手だてを打たなかった青森市・八戸市を上回っていますので、これはやった甲斐があったと認めるべきだと思います。
もう一つは、開票速報を見ていての感想ですので正確とは言えませんが、3市の中で弘前市だけが開票が進んでいって他2市はまったく動かないという展開だったのからすると、開票事務の効率化も成果を上げてきているように思います。
選挙管理委員会にとっては、投票率の向上と開票事務のスピードアップというのは市民レベルでも目に見える事業成果だけに、まだまだ改善の余地はあるにしても、一定の評価できるのは指摘してきた者としてもうれしいことです。

ただし、何と言っても選挙そして政治に関心を持ってもらう一番の特効薬は候補者が政策を堂々と掲げ、それを一人でも多くの市民県民に伝えていく行動や主張なのですから、市議会選挙が投票率50%割れという不名誉なことにならないよう、私もこの2週間できる限り動いていきたいと思います。

2015年4月10日金曜日

今こそ救急問題に専任職員を

先日取り上げたばかりの救急輪番問題ですが、さらに弘愛会病院も外科輪番から今年度いっぱいで離脱と事態はあっという間に深刻化してしまいました。
別の記事では葛西市長も危機感を募らせているということですが、この問題こそスピード感を持って大胆な手を打つべきことだけに、今こそ救急問題にエース級職員を専任させることを提言します。

何を唐突にと思われる提言だと思いますが、これには先例がありまして、全国的に医療崩壊が叫ばれた2010年前後に岩手県遠野市では市内に産科医不在という事態になり、この問題に対応するために2000年の介護保険制度導入、その後はケーブルTV設立と、いくつもの難題に取り組んできた職員を専任で配置し、それが市立での助産院設立とモバイル遠隔健診の組み合わせによる「ねっと・ゆりかご」という形になり、総務省からも先進事例として紹介されるほどの成果を上げています。
この方とは、1998年1月に八戸市で開催された地域福祉シンポジウムで同じシンポジストという立場だったことで知己をいただき、そのご縁で何度も遠野市の福祉の取り組みを施設職員や家族会と一緒に見学に行ったり、家族旅行でジンギスカンをごちそうになるほどのご縁になっていますが、元々は教育委員会で最後は遠野のサッカーのために役に立ちたいと願うスーパー公務員から教えていただいたことは数えきれません。
他にも、滋賀県大津市から厚生労働省に出向して2006年の地域包括支援センター設置にかかわった方も、市職員という枠を飛びこえて県内外の自治体の支援に飛び回っていますし、もっと有名な方では小樽市から飛び出して全国を公演して回っている木村俊昭さんと、スーパー公務員は思った以上に存在しています。

話を元に戻しますと、弘前市の救急問題は上半期のうちに対策を打ち出して下半期には実現に向けてシステム変更や人選をするといった具体的なアクションに入らないと、来年度には外科輪番が崩壊することになってしまいますから、それこそ一気に打開できるアイデアを打ち出して実行できる人材に専任させる必要があります。
それができるのは、先に紹介したスーパー公務員になれるようなエース級職員だと思いますし、これが成功できればそう呼ばれるのがふさわしい存在になりますが、弘前市の場合はそれに近い力量の人材はいるにしても健康福祉畑を経験していないのが心もとない気がします。
それでも、時ここに至っては最後のチャンスにかけるしかありませんので、今月中にはこれに準じた人事発令をしてほしいと思いますし、その動きがないなら6月定例会の一般質問で一番最初にぶつけたいと思っています。

この問題は、葛西市長が医療法下に真剣に向き合う気持ちがあるのかどうか、そして市職員を本当に信頼して育成しようと思っているのかの試金石です。
私は、市職員の底力に賭けたいと思っています。

2015年4月8日水曜日

介護保険料据え置きのしわ寄せは市民に

介護保険料据え置きは葛西市政最大の失政だと何度か指摘してきましたが、最近お会いした方から二つ気になることを聞きました。

一つは、障がいを持ちながら生活している方からで、これまで24枚支給されていた無料タクシーチケットが今年度は12枚にされ来年度には制度が廃止になるというのです。
その方は介護保険の第2号被保険者として要介護認定されているため、市からは介護タクシーの利用ができるのだからという理屈の通らない説明をされているのだそうですが、それを利用するには基本としてあらかじめ介護サービス計画に盛られて予定どおりに利用する形となり、急な用件ができて利用するというのは台数や開業時間の問題で対応してもらえるのが困難ですし、予定が遅れて帰宅する際などのためにタクシーチケットを伝家の宝刀のごとく使ってきたのが、これからはどんどん大変になっていくし、外出の自由がなくなってしまうと嘆いていました。
このことだけでも問題なのですが、こういう福祉サービスを実施するための財源が地域福祉基金であり、今回の介護保険料据え置きのためという想定外の流用されたのが縮小廃止の要因となっているとしたら、多くの市民を一時的に安堵させるために障がいを持つ人たちに大きな迷惑をかけることになっているわけです。
最大多数の幸福を求めるのが政治の使命ではありますが、そのために弱者をいじめるようなやり方ではおかしいと思います。

もう一つは、この地域福祉基金による据え置きという違法行為が県でも問題とされているのだそうで、場合によっては国レベルでの指導が行われて据え置きそのものを撤回して本来算定されている6603円にせざるを得なくなる可能性すら出てくるという話です。
3年後の大幅アップよりは、前期3年間の利用状況をふまえた痛みを市民全体で受けとめるべきだとする私の立場からすれば、適切な指導改善が早く行われるべきだと思うのですが、実際にこういう事態となれば全国で初の汚名となりますし、自らの軽はずみな約束を強行させた葛西市長の責任はもちろん、法的に問題があるのを食い止められない法務監や健康福祉部長・介護福祉課長などの行政スタッフ、そしてまったくまともな質疑もせずに承認の議決をした市議会には大きな責任があるはずです。
このまま進めば3年後に大幅アップ、据え置き撤回となれば汚名ばかりでなく一から徴収をやり直すという行政的な大混乱も生じるという、まさに進むも地獄引くも地獄という状況だというのを、市民の皆さんには心していただきたいと思います。

何といっても、この問題をしっかり議論できる議員の不在が招いたことだと思いますので、何としても復帰しなければとの思いを改めて強くしています。

2015年4月5日日曜日

ヒロロに投票に行こう

町会やボランティア活動など公益的な活動における保険契約を市が一手に引き受ける市民活動保険制度の説明会がヒロロで開催されるのにあわせて、せっかくの機会と思い急きょ開設された期日前投票所で投票を済ませました。
市民活動保険も重要ですが、県議選への関心を呼び起こすのも政治に関わる者の責任ですので、先に投票所のことをお知らせします。

これは、12月定例会ではけんもほろろだった選挙管理委員会が、同月に行われた総選挙で全国最下位の青森県の中でも低い投票率であったことに危機感を覚え、3月定例会で弘大とともに設置を約束したもので、来年の参議院議員選挙ではという悠長な答弁をいい意味で豹変させたのは、このBlogで主張した立場としてもうれしかったものです。
実際に3Fヒロロスクウェアに設置された投票所に行ってみると、先に数名の方が待っておられ、私が呼ばれた後からも次々と来場者があり、来たついでに投票しておこうという呼び水になっているようで、何よりでした。
弘大の場合は、在学していても住民票は出身地に置いたままという場合もあるでしょうし、近隣の市民が気軽に足を運べるか実績を見ないとわかりませんが、商業施設については太鼓判を押せる状況ですので、地理的に考えれば城東のさくら野・城西のイオンタウンでも実施するのは検討すべきだと感じました。

ところで、その県議選弘前市区は、無投票が県下でも5選挙区、全国では21%もの無投票率という中で、6人の定員に9人が立候補する激戦区だけに、前回より投票率が上がるとは思いますが、行政ができるのは投票しやすい環境を作り投票を呼びかけるところまでです。
そこで投票するかどうか、誰に投票するかは皆さんに委ねられた大事な権利ですが、政治に意思表示する貴重な機会ですので、個人的なご縁ではなくどんな政策を前面に出しているのか、政党の主張と候補者の政策に食い違いはないかといった人物よりも政策本位の選択をしていただきたいと思っていますし、私もその基準で名前を書いてきました。

ぜひ、ヒロロに行く際でも、12日の投票日に地元の投票所でもいいですから、必ず投票に行きましょう。

2015年4月4日土曜日

派遣社員にこそ婚活サポート

これも先日の報道ですが、農業委員会による農業者対象の婚活事業「独身農業者縁結び事業」でゴールイン第1号が誕生したのだそうで、まずはこの新婚夫婦におめでとうございますと祝福したいと思います。

ところで、この農業委員会による婚活事業は別の名称・内容で私の在職した2007年以前からあり、何度か質問した記憶ではカップル誕生から結婚に至った事例もあると答弁されていたので、今回は縁結び事業としての第1号と受けとめています。
その際には、農業者以外にも婚活を支援する考えはないかとつけ加えて質していましたが、近年では縁結び事業以外に弘前めぐりあいサポーター出愛(であい)創出事業・若者魅力アップセミナー事業・ひろさき男子お弘芽(おひろめ)会事業・恋人の聖地プロジェクト推進事業と、5つもの事業が展開されるようになったのは隔日の館があります。
ただし、出愛創出事業の実際をFacebookへの投稿で見る限り、講師も受講者もJCやYEGメンバーが多く、どちらかというと余裕のある立場の人間がかかわっているように思いますし、農業者についても嫁不足の現実は身近に知ってはいるものの、20代の農業後継者は腹をすえてがんばろうという魅力と家の後を継ぐという経済的な保障があることで結婚している率が高いように思えるだけに、本当に婚活そして生活支援を必要としている若者が対象となっていないと思うのです。

それは、工場に勤務する派遣社員や工事現場で働く非正規雇用である若者です。
市内の工場の中にはiPhoneのパーツを組み立てているところもあると聞くほど業績好調な業種もあり、交替の時間帯に通りかかると勤務している人数の多さに圧倒されることがありますが、その多くは派遣という立場だけに、いつ雇い止めの日が来るかも知れない不安定な立場で、正社員とは比較にならない賃金で生活しています。
それでも物価が安く自宅で生活している分には食うには困らないにしても、労働の不規則さと将来の見通しが立たないことで結婚して家庭を持つという未来図を描くのが困難な状況にあるのは、若手経営者はもちろん農業者と比べても大変ですし、前2者が行政や商工会議所・農協など関係団体との関係が強いのに対してほとんどバックアップしてくれるものがない立場でもあります。
それだけに、婚活以前に正規就業へのサポートからはじめる必要があるほど息の長い支援が必要ですし、そのためには縦割り行政の枠を超えた取り組みとしなければなりませんので、それこそ子育て支援課と同じように若者支援課を設置してトータルでサポートするくらいの思い切った対策を打つべきだと思います。

実際のところ、私自身も派遣で働く若者の声を聴く機会がありませんので、もしご自身でも家族としての立場でもお話しくださる方がいましたら、ぜひご一報いただきたいと思います。

2015年4月2日木曜日

自主防災会の連絡組織を

先日の地元紙の記事によると、八戸市で自主防災会の連絡組織である「自主防災会連絡協議会」が設立され、加入した81の防災会で人口の8割以上をカバーする形なのだそうです。
これにひきかえ、弘前市では約300の町会がありますが、そのうち自主防災会を組織しているのは100にも満たない状況ですし、ましてや連絡組織を立ち上げようというような機運はまったくありませんが、相馬地区では2年前に全16町会で会が組織されています。
今回は、自主防災会のあり方を考えてみたいと思います。

相馬地区では、3年前にろうそくまつりの沢田、峰越林道で秋田県までつながっている藍内の最措く部にある最奥部の2町会で結成され、翌年には残り14町会でも組織化が進められましたが、当時の構想では全16町会をつないでの連絡協議会をつくることをもくろんでいただけに、八戸市に先を越されたのは残念でした。
これは、当時の種沢相馬総合支所長の構想で、村出身だけあって本当に機能するための規模としては町会レベルではなく中学校区単位での連携が’必要と考えてのことでしたが、全町会で結成されたものの当の支所長が退職となったことで、構想は棚ざらしになって今日に至ります。
結成時には備品購入のための補助金が支給されることも結成を早くした理由の一つですが、実際には自家発電機以外は緊急よりも日常の町会活動で活用できるものを買いこんだようなものでしたし、集会所の避難訓練は行っても自主防災会が動くような訓練も行われておらず、開店休業といわれても仕方のない状況です。
これは、いざとなったら消防団が活動するから大丈夫という思いがあるからだとは思うのですが、消火や救助では先頭に立ってもらうにしても要援護者は誰々であって現在の避難状況はどうなのかを把握して消防団に動いてもらうのが自主防災会のめざす姿ですし、さらには消防が分団単位で動くことを考えれば、自主防災会も町会単位でなく分団が管轄する数町会で連絡組織を結成するのが必要です。

ところで、八戸市の81防災会が8割以上のエリアをカバーしているというのも、人口規模とカバー率からすれば分団規模で組織されているように推察されますので、相馬地区でも全町会で連絡協議会というよりも分団単位で4協議会を立ち上げた上で全市的な組織化を検討すべきだと思います。
八戸市に先を越されたのであれば、そこから早く学んでより機能する体制をつくる努力が市には求められていますし、それを尻を叩いてでも進めるのが議員の役割です。

2015年4月1日水曜日

エイプリルフールのマニフェスト

いよいよ選挙の4月になりました。26日が投開票日とはいえ19日には告示なのですから、もはや20日も切ったわけですので、一人でも多くの人に支持を訴えなければならない剣が峰を進んでいます。
とはいえ、このまま張りつめ続けるのでは身が持ちませんし、本日はエイプリルフールにつき、大風呂敷なマニフェストを発表したいと思います。

それは、ロマントピアスキー場にモーグル専用コースをつくり、ワールドカップなどの国際大会の誘致とナショナルチームの拠点となる合宿施設を建設することです。
これまで、相馬中スキー部はアルペン3人複合1人ノルディック1人の計5人の五輪選手を輩出しましたが、1998長野五輪の石岡拓也から20年近くも途絶えているどころか、スキー部員すらいないのが実情ですし、スキーの相馬の看板を下ろさざるを得ない状況です。
これは、ナイター練習が毎日できない劣悪な環境、金がかかるという半分当たっている噂によるスキー離れ、さらには全日本レベルになっても層の厚い欧米勢には太刀打ちできない実力の差といった要因が組み合わさって、スキー人口の激減を招いているのですが、それならばまだまだ層が厚いわけではないフリースタイルの種目で世界にチャレンジするという方向転換は検討すべきことだと思うのです。
スノーボードまで切り替えてもいいのですが、その昔相馬のわらはんどはスキーの前にはプラスチックでできたミニスキーをはいて頂上から直滑降したり、けやぐと競争したり、細かいターンをしながらコブを見つけてはジャンプしたりして遊ぶところから雪とスピードに親しみ、そこで目を引いたのがスキーに誘われるというじだいがあっただけに、決まったコースでタイムを競うアルペン以上にモーグルやスキークロスに向いたDNAを持っているのです。
もっと夢を広げると、ここにトレセン用の合宿施設を整備すれば、夏のラグビー合宿に活用できる距離でもありますし、五輪合宿候補地に名乗りを上げている運動公園までも30分はかからないのですから、スキーにとどまらない効果も見こめます。

こんな時季外れの話を持ち出したのは、スノーリゾートとしての津軽を世界に向けて発信している方と午後に語らってインスパイアされたこともあったからですが、シーズンがはじまる前ではなく終わったばかりの今だからこそ考えておかなければならないことがあるのは嘘どこらか必要なことだと思っています。
それに、政治は生活に根ざしたものでなければなりませんが、一方では市民に夢を見せるものであるべきですから、この夢想がまっとうなマニフェストになるよう考えていきたいと思います。