2014年8月30日土曜日

安武さんに「弁当の日」を誓う

今日から明日にかけて毎年恒例の24時間テレビですが、ちょうど目玉の一つであるドラマを見ているところですが、そのモデルとなった新聞記者・安武信吾さんとお会いしたことがあります。
所属していた福祉の学会で講演した際にごあいさつさせていただいたのですが、その時のテーマはドラマになった奥様と娘さんのことではなく、竹下和男先生がはじめた「弁当の日」の取り組みを紹介しながら食の安全について長期連載を通じて啓発してきたことだっただけに、奥様が亡くなられたことを知った際にはそれだけの苦労を見せずに仕事に打ちこんでいた表の姿とのギャップに驚いたものです。
ドラマの内容にも市政につながるヒントがあると思いますが、この機会に「弁当の日」のことから食育のことを考えてみたいと思います。

「弁当の日」とは、小学生が親の力を借りずに弁当を献立から考え、自分で作り片づけまでするという取り組みで、竹下先生が校長を務めていた2011年からはじまったものです。
この取り組みの大事なところは、子どもが初めて弁当に向き合うことでどれだけ親が自分のために大変な玄人工夫をしているのか気づくことができ、また周りの友だちの弁当と比べることで次はもっとがんばろうという気持ちを持つといった、感謝の気持ちや自発性を身につけるきっかけになるということで、食育としても最大の効果を持つ取り組みの一つだと思います。
これを学んだ頃は、相馬は小中学校とも自校式給食でしたので逆の意味で取り組む機会を作るところまでいかなかったのですが、その後新西部給食センターが稼働して市内の中学校まで給食が行き渡るようになり、一方で相馬では自校式からセンター方式に切り替えられて、ほとんどの小中学校が同じ給食感興になった今こそ、「弁当に日」に取りくむべきだと思うのです。
今は滅多なことがない限り親に弁当を作ってもらう機会がなくなっていますし、そのかわりに出される給食は工場のようなセンターで作られたものをトラックが運んでくるという無味乾燥なものだけに、食のありがたみを感じる機会が失われています。
それだけに、自分で弁当を作って食べるという機会は非常に得がたい経験となるはずですし、そのために家庭科や総合の時間を有効に組み立ててる工夫や過程との連携も必要となりますので、教育の場にもさまざまな波及効果を生むと思うのです。

当時は、九州の安武さん四国の竹下先生の取り組みで西日本では広がっている取り組みを弘前市に持ちこむ工夫が足りずに終わってしまいましたが、ドラマで思いをよみがえらせることができましたので、ぜひとも取り組んでいきたいと思います。

2014年8月29日金曜日

ヒロロ、次の手を先に考える

ここ数ヶ月iPhoneのバッテリーの減り方が異常だったのですが、案の定バッテリー交換プログラムの該当機種だったので、交換を行ってくれるヒロロのビックカメラに開店早々足を運びました。
さっそく交換となったので、その前後で店内をブラブラしていたのですが、夏休み明けの午前中ということもあってか客数が少なく、11:00になってもフードコートには誰も座っていなかったので、久々に食べようと思っていた長崎ちゃんぽんに並ぶ気も失せて、早々に退散しました。
今日は、開業1年を過ぎたヒロロのことを考えてみたいと思います。

市も出資した駅前再開発ビルにメーンテナントとしてダイエーが入る形でスタートしたものの、ダイエーが撤退してジョッパルとなり、それが前市長時代に経営破綻して突然の閉鎖となったことで市長選の争点として浮上、これを緊急に取り組む3つの問題の一つとして積極的に取り上げた葛西市長が当選したことで急展開を見せ、弘果を中心とした商工会議所主力メンバーが出資して「マイタウンひろさき」が設立されて、市も取得のための補助金獲得に全面協力して外資系ファンドからの買収が成立し、当初のシネコンから計画は変更されたもののヒロロとして昨年7月に開業したのでした。
これと並行して、元々市民課分室や駅前市民ホールもあったことを拡大させて、ある意味では安定した経営につながるように3Fフロアを市が買い取る形でヒロロスクウェアとして行政窓口や自由に使えるスペース、大成小学校の学童保育などを組み入れる形になり、こちらは想定の倍以上の利用人数であるとされています。
それにもかかわらず、ヒロロ本体は経営目標を達成していないようで、マイタウンとしてもテコ入れを図っているそうですが、どうも同じように補助金を入れてリニューアルしたルネスアベニューが一向に上向かずにまた違う補助金を入れることになったのと同じ轍を踏むのではないかと心配になります。

これにからんで、5月補正予算にヒロロスクウェアCM制作費が盛られたことで一企業を救済しようとするものとの批判から修正案が出される事態となりましたが、今はまだそこまでの事態ではないとしてもマイタウンの延命のために底なし沼に足を取られるような先の見えない公金投入をさせないためにも、次の手を考えておかなくてはなりません。
BFのスーパーや100円ショップ・書店、4Fのフードコートは一定の需要があるでしょうが、ヒロロスクウェアには足を運ぶ人があるのを考えると、1・2Fも公共施設に切り替えることを早めに検討すべきだと思います。
当然、市としても検討すべき必要もありますが、一番うってつけだと思うのは弘前税務署の移転です。現在の施設が老朽化しており駐車場も少ないために確定申告の際はごった返してしまっているのを解決できますし、国の施設ですので市が負担しなくてもよいのが何よりプラスです。
先日、青森市庁舎問題で講演した藻谷浩介さんがアウガを市庁舎にすることをデパートをリユースしている石巻市役所を引き合いに提案していましたが、土手町と城東にはさまれて商圏としては弱い駅前地区で商業施設として存続させる無理を続けるよりは、思い切った活用に切り替えるべきだと思います。

旧ジョッパルにしろ市民ゴルフ場にしろ、もはやての打ちようがないところで問題が発覚し、そこに一部支援者とのかかわりがあることで市民からすれば疑問となる解決を図ることになってきたわけですから、市民の側から先手の提案をする必要があると思います。
今日は、幻となったジョッパル再建案を打ち出した人に再会しただけに、市民の声を形にする重さを改めて考えずにはいられませんでした。

2014年8月28日木曜日

陳情政治は必要か?

弘前市議会には、現在三つの特別委員会があり、一つは議会制度等調査特別委員会であり、こちらは議員定数や報酬などを話し合ってきたことが報じられる機会も多く、皆さんでも知っている方が多いと思います。
また、議会だよりをリニューアルするために、ひろさき市議会だより編集特別委員会が組織されたのですが、もう一つの産業振興対策等調査特別委員会についてはわからない人の方が多いと思います。
その産業特別委員会が、岩木川中流域の治水事業の促進を求めて国土交通省に陳情するために上京したという地元紙報道がありましたが、今回はこの陳情について考えてみたいと思います。

旧弘前市時代にはいくつかあった特別委員会が、合併後の前期4年間には組織されませんでしたが、それは前市長が陳情はムダという考えだったそうで、会派代表者会議で旧市時代を懐かしんで提案されることもありましたが、何のために必要なんだというダメ出しが市長室から返ってきて沙汰止みになったのを記憶しています。
それを提案した先輩議員の目論見も陳情だっただけに、この拒絶だけは前市長唯一の善政と思っていましたが、多くの人が納得しやすい議会改革を進めるために必要な議会特別委員会を半数の16名で組織された影で、陳情につながりやすい産業分野でもう一つの員会ができるあたりが議会の伏魔殿たる所以です。

案の定、今回の陳情となったわけですが、それでは本当に陳情で事業が促進されたり補助金が増えるものなのでしょうか?
その効果が目に見える形になるわけではありませんから測ることもできませんが、この岩木川中流域の件にしても少しでも予算づけされれば「俺が陳情してきたから動いた」という言い方をする議員が出てきても不思議ではありません。
しかし、国民の立場から考えてみても、陳情に来たところは優先されて足を運ばないところは先延ばしにされるというのでは公正な行政判断とは言えませんし、これこそ中央集権の最たるものですから、地方の側からやめるべきことだと思います。
その上、こんなことのために無用な交通費や宿泊費さらには日当まで支出されてしまうわけですから、これで事業が進まなかったとしたらまさしくムダでしかありません。

この陳情ばかりでなく、常任委員会や会派の視察でも市民向けの報告会が行われないために、何をどこでやったのかが見えないことを免罪符にしているだけに、これこそ議会改革の一丁目一番地で取り組むべきことだと改めて思います。

2014年8月27日水曜日

事業マップで「見える」化を

すったもんだのあった安全・安心協働活動実践事業ですが、仕切り直しの会議を経て、本日初めての実動となる班に分かれてのまちあるき点検に出かけました。
これについては続報する機会もあると思いますが、先日担当課に確認したところ、県からの補助事業で2ヶ年の2年目にあたる今年度は東小・豊田小と相馬の3地区なのだそうですが、相馬地区では昨年度も都市計画マスタープランのための地域別懇談会でまち育てのための点検作業が行われたばかりですし、公共交通再編でもいの一番に実験台にされていますので、合併の一翼を担った旧村とはいえ「また相馬か」という気持ちになります。

これは、自分の地区で町会長としての立場があるからこそ知り得ている情報ですが、皆さんは自分の地区でハード・ソフトひっくるめてどれだけの事業が行われているか、わかるでしょうか?
市議の時代を振り返ってみても、市全体での目玉事業はわかっても個別の事業がどこでどれだけ行われているかまでは把握できるものではありませんでしたし、相馬地区のことでも町会長の今よりも見えていなかったと思いますので、微視的に連合町会単位では町会長が一番見えていると思いますし、市職員においても自分の課のことはわかっても隣の課のことまでは知らないのが普通ですし、全体を俯瞰する立場の葛西市長におかれても全事業を把握されているとは思えません。
逆に、それだけ見えていないからこそ政治家の常套句である「○○は俺が動いたからできた」というまやかしが通用してしまうわけで、全体の事業が見える形になっていれば、本当に議員の力で他地区よりも事業を持ってきているかどうかがわかるわけです。(そういう口利き自体を撲滅すべきなのはいうまでもありません)

そこで提案したいのは、市民全員が確認できる事業マップの公開です。
施設整備や道路補修などのハード事業は赤、今回の安全・安心事業のようなソフト事業は青、災害復旧など緊急に必要になった事業は黄色といった区分をし、それを予算規模で円の大小を違えて点を打ったマップを、市のサイトや庁舎の入口での掲示、さらには簡易版を広報と一緒に配布するといったことをすれば、市民の誰もがどこでどれだけの事業が行われているのか確認でき、自分のところと他地区との比較も簡単にできるようになります。
ちょうど、これから開会となる9月定例会は決算が主な議題となるわけですが、無味乾燥な数字の並んだ表や、大まかに区切られても意味の見えない円グラフより、こうしたマップを公開して、どこでどれだけの事業を行ったのかを「見える」化する方が、市の実績を市民も理解しやすいだろうと思うのです。
こういうことに取り組むのが政策推進課の本来業務だと思うのですが、元々は秘書課であったのに昴町会と市長との話し合いの機会も調整できずにいる体たらくでは、期待するのがムダでしょう。

おっと、無回答の腹立ちで脱線してしまいましたが、事業マップは我ながら妙案だと思いますので、実現できるように動きたいと思います。

2014年8月26日火曜日

砂沢文化でいこう!

昨夜は中央公民館相馬館主催のやすらぎ館セミナーで、相馬ふるさと歴史研究会の中澤孝明さんと澤田健雄さんによる「土器から見た相馬の歴史」の講演を聴きました。
中澤さんは、相馬の地名と伝説をテーマに郷土史家として高名だった父・秀義さんの編さんした「相馬村誌」にもとづいたお話でしたが、メインのテーマを語られた澤田さんは地元の遺跡発掘にかかわる立場として土器なども持参して縄文土器の用途による製法の違いや縄文晩期には縄目の紋様のない土器が村から出土して五所式土器と名づけられて弘大に保管されていることなど、興味深い内容で勉強になりました。

それから一夜明けてみると、朝日新聞に利根川以北は弥生文化が広がらなかったという記事が出ていました。
これは、現在国立歴史民俗博物館で行われている「弥生ってなに?!」展を企画した藤尾慎一郎副館長の説によるもので、一部には水田耕作が伝わっても青銅器文化が伝わらず土偶祭祀が続いていたこの地域を、当時の代表的な遺跡の一つで現在では溜池となっている砂沢遺跡から「砂沢文化」と命名する提言がされているのだそうです。
この遺跡は、縄文晩期から「砂沢文化」期の遺跡で、水没して確認できないものの北限の水田遺跡として知られる田舎館村の垂柳遺跡以上の規模を誇るものであるそうですが、場所としては大森勝山遺跡から平野部に下りてきた位置にあり、生活や信仰の面でも連続性が感じられる重要な遺跡であると言えます。
西日本では縄文から弥生そして土師器・須恵器へと土器分化は進んでいくのですが、北日本では弥生の水田文化はほどなく消えて擦文式土器の文化へと「退行」したかのように説明されてきましたが、この縄文~「砂沢」~擦文という流れの方がスッキリしていますし、それだけ青銅器祭祀から大和朝廷を生み出した文化系列とは別世界であったことの証明にもなります。

歴史の流れを下っても、中世の博多と並び称された十三湊に栄えた安東氏は、蝦夷千島国王と名乗って当時の李氏朝鮮に使いを出したことが正史である「李朝実録」に記録が残っており、幕府朝廷からの官位は受けていても別の国であるという気位を持っていたことがわかるだけに、正史とは違う流れにある津軽そして北海道を含めた北日本の歴史を地元の子どもたちにどう教えていくべきかは重く深遠なテーマでもあるのですが、今回の「砂沢文化」は国として歴史を研究する立場からの説であるだけに、大手を振って教えることができるはずですから、ぜひ積極的に取り組むべきだと思います。
これまでは、縄文中期といえば三内丸山、晩期といえば亀ヶ岡と、青森県ではあっても他地域の遺跡が冠せられていたのが、今度は堂々と弘前市の遺跡が紀元前後の北日本文化を象徴することになるですから、これを推さないわけはありません。

まずは、弘前から砂沢文化でいきましょう!

2014年8月25日月曜日

葛西市長、「対話と創造」の看板は外しましょう

以前、我が昴町会の融雪溝問題で道路維持課との話し合いが決裂したことはお知らせしましたが、これを理事会で話し合って要望書を提出することが決まり、7/22に町会のほぼ総数となる署名簿を添付して相馬支所を通じて提出しました。その要望項目は下記のとおりです。
  • 昴町会の融雪溝の機能が維持されるよう井戸の改修を早急に行うとともに、不備が生じないよう業者による定期点検を行う体制にしてください。
  • 融雪溝だけでは処理できない雪環境ですので、相馬地区直営除雪隊による手厚い除排雪体制に組みこんでください。
  • 町会の切実な声を受けとめる機会として、今後の話し合いに葛西市長のご臨席を求めます。これについては、8/8(金)までに文書での回答を求めます。
この3点ですぐに検討対応できるのは、言うまでもなく最後の話し合いの場を作ることですが、8/8どころか1ヶ月たった今日も何の音沙汰もありません。葛西市長は、「対話と創造」の看板を外すべきです。

そこまで厳しく言うのは、町会として要望書を提出したのが初めてではなく三度目なのですが、最初の署名簿つきで除雪業者変更を求めたのと次の街灯のLED化を求めたものに関しては、文書での回答を求めたにもかかわらず大幅に期限を過ぎてから口頭での課長からの回答にとどまり、町会としての思いを踏みにじられた経験があるからです。
今回は雪対策について二度目の署名つき要望でもあり、この地を「プレアデスのまち」として整備した際の大事な約束を守っていくかどうかという重要な問題だけに、まずは町会の思いを受けとめる場に市長か道路部門のエキスパートである副市長にお出ましいただいて胸襟を開いて話し合うところから仕切り直しをしてもらいたいという思いで要望しただけに、失望は大きいです。
すでに9月定例会に補正予算がかかるのは明らかになっていますが、今の時点で話し合いをしないということは井戸の改修も農業用水からの取水も行われないままに冬を迎えるのが確定したわけで、もし来たる冬に故障が起きた場合は市の責任は重いと言わざるを得ませんし、このことで不安を増幅させてしまう対応そのものに問題があるのは皆さんにもご理解いただけると思います。
また、これは市長の方針と真っ向対立する問題だけに致し方ないこととあきらめていますが、ゴルフ場問題でも期限までに回答がないことが多く、話し合いの機会をという要望も無視されており、自分と意見を異にする立場の団体・市民とは対話しないという姿勢を見てきただけに、昴町会も同じ色眼鏡で市長から見られているかと思えば残念でなりません。

この間も、ねぷたの際など何度か葛西市長と顔を合わせる機会がありましたが、そのたびに笑顔で声をかけていただいておりますので、私個人に対する悪意からくるものではないと信じていますが、さすがにこの状況では「対話と創造」の看板に偽りありと言わざるを得ません。
市職員にも市長後援会の方々の中にもこのBlogをウォッチしている人があると思いますので、ぜひ葛西市長にご注進していただきたいと思います。

2014年8月24日日曜日

ファッション甲子園からハイカラ復活を

毎年8月開催で注目しているにもかかわらず、例年であれば相馬地区体育祭、1週ずれた今年は偶然にもお山参詣とかち合うという運のなさで一度も見たことがないのがファッション甲子園です。
今年は3年ぶりに地元・弘前実業チームが優勝したそうでうれしい限りですが、全国的にも知られている松山市の俳句甲子園が昨年度83校であったのに対して、3年遅れの2001年からはじまったこちらは151校3547点の作品となっていて、実は参加校も多く毎年作品数なども増加していて、もっと注目されるべき大会なのです。

当初は、かつて東北初のデパート・かくは宮川があり「流行は東京から仙台を通り越して弘前に先に届く」ともいわれたハイカラな街・弘前をよく知る当時の県知事の肝いりではじまったと記憶していますが、今ではアパレルやファッションの産業振興につなげることを目的にしており、それにからめたセミナーや商店街でのファッションショーなどが行われています。
昔は青森市からも大館からも弘前のブティックに買い物に来る方があったわけですが、今では津軽の若者が買い物に行くというのは五所川原市・エルムの街であり、ファッションリーダーとしての地位を譲る形になって久しく、ルネスアベニューのリニューアル、ヒロロ開業もこの点では効果が上がっていないのが実情です。
これには、エルムを凌駕する魅力あるショッピングモールが不可欠ですので簡単にはいかないことですが、ファッション甲子園が高校生のための場であるからには、もっと長い目で取り組む必要があると思います。
確か3年前の弘実優勝の際には、パリへの研修旅行が副賞として贈られたと思いますが、彼女たちや歴代受賞者はその後ファッションデザイナーとなったり魅力あるアパレルショップを開業したりカリスマ店員となったりしているのでしょうか?
ファッションやアパレルでの振興をめざすというのであれば、他県はともかく県としては県内受賞者、市では市内高校の受賞者が申し出たならばファッション特待生として開業資金提供や進学の奨学金提供をする制度をつくって、受賞者が活躍するきっかけを作り後押しをすべきだと思うのです。
その中から弘前市出身のデザイナーが生まれたり、市内に魅力あるショップが増えれば、巨大ショッピングモールがなくてもハイカラな街・弘前を復活させることへの近道となりますので、市としても毎年の大会を盛り上げるだけでなく、その後の進路での支援をして、目的が達成できるような工夫をしてもらいたいと思います。

このテーマにハイカラを持ち出すような私よりもっと魅力ある提案があると思いますので、皆さんからのご意見や大会にかかわる立場からの情報提供などをお待ちしております。

2014年8月23日土曜日

お山参詣を市の休日に

今日は岩木山お山参詣にとっては向山、明日は各団体の集団登拝や登山囃子大会が行われる宵山、そして25日は旧暦八月一日の朔日山ですが、私は相馬有志会の一員として集団登拝に加わり明日の今頃は10kmの行程を歩いてからの参拝、その後の温泉を浴びてからのビールでへべれけになっていることでしょうから、今のうちにお山参詣への思いをまとめておきたいと思います。

相馬有志会がお山参詣集団登拝を復活させてから数年は、施設の経営者そして村民の一人として支援する側だったのですが、2007年から会員に加えていただいて参拝する醍醐味から離れられなくなり、日程的に不可能な場合のみ朔日山参拝をするということにしています。
朔日山参拝を行った2年も、天候に恵まれてすばらしいご来光と影富士を見ることができ、これはこれで価値ある経験ができましたが、やはりサイギサイギのかけ声をそろえて登山囃子に乗って岩木山神社をめざして歩くのは地域で団体を持っているか、よっぽどのご縁がなければ加われませんので、私の場合は相馬に生まれてよかった相馬の皆さんと今年も一緒に参拝できたという喜びを感じる方が大事なのです。
ところで、市では岩木山観光協会主催で明日「レッツウォークお山参詣」というイベントが行われ、岩木高校を中心に市民がお山参詣を経験できるのですが、実は市が予算を出すことで政教分離の原則から神社前駐車場がゴールで、鳥居をくぐって参拝するかどうかは参加者個人の自由ということになっています。
参拝するのは確かに宗教行為ではありますが、岩木山神社は元来百澤寺(ひゃくたくじ)という神仏習合のお寺であった時代が長く、それ以前に大森勝山遺跡が示すように縄文の太古から津軽に住む人々の信仰の対象であったわけですから、特定の宗教を推すわけではないとして、しっかり参拝まで行う形にすべきだと思っています。

そんなイベントだけにとどめるのではなく、津軽そして弘前にとって一番大事なシンボルである岩木山に感謝し、五穀豊穣や安全祈願といった祈りを捧げる日として、明日の宵山は市としての休日とし、朔日山参拝が生活の支障にならないように午前中を半休とするくらい、検討してほしいものだと思います。
今は素浪人の身ですので、何とか都合を合わせやすいのですが、市議時代に定例会の会期とお山参詣がぶつかってしまい、そんなものは関係ないとばかりに粛々と議事が進められたので悔しかった思い出があるだけに、津軽にとって一番大事な日として弘前市が周辺自治体に飛びかけて一斉に休むくらいのリーダーシップを取ってほしいものだと思います。
今の新弘前市にとっては合併の2/27が市としての記念日にしやすい日かも知れませんが、合併特例債に振り回されて決めたような日よりも、津軽の歴史文化にちなんだ日を休みにして観光でもPRするくらいのやり方を考えるべきだと思うのです。

何はともあれ、岩木山神社のにぎわいや屈強な男たちの幟さばきの妙技、そして登山囃子の響きを体感しに足を運んでください。明日はちょうど日曜日、毎年休みだったったらいいなと皆さん思うに違いありません。

2014年8月21日木曜日

意味のある防災訓練を

今日は弘前市総合防災訓練の日でして、運動公園周辺で大がかりな訓練が行われていることと思います。
町会長にも案内はあるのですが、シナリオどおりに進行する訓練では効果がないと指摘してきた身ですので、参加することはない分、緊急対応のことでの経験をまとめて提言につなげたいと思います。

緊急対応のことで一番勉強になったのは、2008年12月に東北電力からいただいたレクチャーでした。
これは、もともと市が停電の際に適切な対応が取れていないことを指摘したのが東北電力弘前支所の幹部の方の目に止まり、電力を預かる立場としての対応やそのための訓練について教えていただき、なかなか入れてはもらえない司令室まで見学させていただくことになったのです。
東北6県に新潟県を加えた7県にまたがる東北電力は、中越地震・中越沖地震の経験もあり、全体レベルの訓練では全域からかけつけた車を弘前運動公園であればどこにどの順番で並ぶのかが明確に決められているといった準備が周到にされているだけでなく、支所レベルでは毎月予告なしに災害発生の一報を流して、そこから可能な方法で連絡を入れた上で交通手段を考えて集合するという訓練を行っていることなどを聞き、感服したことがあります。
それだけの準備ができているからこそ、東日本大震災の際でも停電で機能がマヒした市役所そして近隣にある支所の機能を回復させることを最優先に取り組んでくださったおかげで翌12日の朝には白銀町一帯だけが回復したので、その際に市役所に飛びこんだ私もTwitterで最新の停電や給油の情報を市民向けに発信することができたのです。

ところで、そのレクチャーを受けて一般質問でも市役所の緊急対応について問いただしたのですが、まったく緊迫感のない悠長な回答にあきれたままほうっておいたところに大震災に見舞われてみると、案の定緊急対策本部の最前線に立つ役割の企画課(現在であれば防災安全課)は停電回復後も機能不全のままであり、広報広聴課にも緊急情報を発信する機能がまったく欠けていました。
それが、翌月7日深夜に発生した最大の余震によって8日夕方まで再び停電となった際には、深夜の時間帯にほとんどの幹部職員が顔をそろえ、企画課長はテキパキと指示を伝え、教育委員会では小中学校への連絡について迅速に動いているのを現場で見届けることができ、やはり経験することが最大の学びとなるのを実感しました。
それだけの経験と野田村支援などで学んだものは多かったはずなのに、相貌訓練はいまだに予定調和の世界にとどまっているだけに、ついつい厳しく指摘したくなるのです。

私から提言するとすれば、東北電力ほどの頻度は無理でも年に一回は市役所をあげての抜き打ち緊急対応訓練を行うこと、同じく開庁時間に来庁している市民を巻きこんでの避難訓練を行うこと、さらに5年に一回は1週間以内の実施だけを予告した抜き打ち総合防災訓練を行うこと、こういった実践形式での訓練を組みこむことです。
あわせて、抜き打ちの訓練や現実に起きた際の対応が可能になる緊急連絡網を、市役所だけでなく町会や学校・団体・企業などでも構築することを推進すべきだと思います。
この夏は、各地で思いがけない被害が発生し、そのたびに痛ましい犠牲者が亡くなられているだけに、備えの時点で真剣でなければならないと思うのです。

2014年8月20日水曜日

映画にふれる機会を増やそう

今日は、昨年の「あまちゃん」以来の能年怜奈ファンとして「ホットロード」を観に行ったのですが、行った先は柏のシネコンでした。
夏休みで人気作・大作が多い時期、市内のシネコンはスクリーン数が6しかないとはいえ、最新の興行収入ランキングや今日の客数を見ても逃した魚は大きいと思いますが、今回ばかりでなく見たいと思う映画が見られないことは少なくありません。

さすがに冨田の通りにあった慈善館までは知りませんが、1980年の高校時代の映画館事情を思い出すと、元寺町のファミレスのところには東宝とスカラ座、向かいの歯科とライブハウスはオリオン座が2スクリーン、百石町の信用金庫は東映、駅前の居酒屋は宝塚、ルートインは日活!でしたし、鍛冶町にも成人向けでない映画館がありましたので、子どもから大人まで楽しめるバラエティに富んだ映画を楽しむことができました。
これが現在では城東のシネコンと鍛冶町に成人専用1館が残っているだけですから、30年前からすれば映画という映像文化にふれる場や機会が少なくなっているのは皆さんにも納得していただけると思います。
それをおもんばかってか、旧ジョッパルを運営会社マイタウンひろさきが買い取る際の計画ではシネコンが中核にあったのですが、その後の計画見直しで映画館の話は消えてしまい、市内にスクリーンが増える期待も失われた形になっています。

一方、フィルムコミッション=FCの活動は実を結んできていて、大ヒットした「奇跡のリンゴ」や韓流ドラマ「優しい男」などのロケが行われていますが、秋原正俊監督の「ルパンの奇巌城」のように弘前城や弘前教会などでロケをし翠明荘で記者会見までしたのに柏で舞台あいさつとなった作品もあり、FCが活発になればなるほど地元で見ることができないジレンマを抱えることにもなりかねません。
また、NPOや市民有志で良品や社会的問題作を上映することも行われていますが、こういう機会が増えないことにはシネコンの意向に沿った映画しか見られないわけですから、市民そして市としても後押しする必要があると思います。
FCに関しては市がバックアップしていますが、映画にふれることを増やすためにアクションをおこす一歩目だけでも市が動いてもよいのではないかと思いますし、それが足がかりとなって上映会の回数が増えたり以前あったマリオンのような小館ができるとうれしい気がします。

市内でもっと映画が見られるようになると、いいと思いませんか?

2014年8月19日火曜日

落選というキャリアパス

昨夜のゴルフ場問題の勉強会で感じた議会への危機感ですが、考えてみれば発言した方は賛成した議員に憤慨し出席していた議員に奮起を促すために発言したはずで、今さらながら自意識過剰だと反省しています。
ただ、落選してから3年半の間、自分でも捲土重来を公言してきましたし、次がんばってと励ましてくださる方もあり、市職員のほとんども現職時代以上に立てて接してくださるおかげもあって、議場で発言できない・公式な招待が減った・報酬が得られない以外は、議員時代と変わらない態度で世の中に向き合っているつもりです。
ちょうど今日になって、兵庫県議から代議士となり前回の総選挙で落選した井戸まさえさんのBlogで落選者へのバッシングについて書かれたものにふれて考えるところがありましたので、まとめておきたいと思います。

井戸さんは、ジャーナリストとしてのキャリアやプライベートで無国籍児の問題と向き合ってきた経験もあり、また号泣県議と同じ議会に所属していたこともあって、今もさまざまなメディアで活躍されているのですが、その方ですら落選したことで全否定されたと感じることがしばしばと述べているように、「落選すればタダの人」ならまだしも「落選すればダメな人」というレッテルを貼られてしまうのでは、選挙に出てみようというチャレンジをためらう風潮になるのも無理からぬことです。
考えてみれば、選挙に出るだけでも勤め人の場合は退路を断って臨まなければなりませんし、その上落選したからといって帰る場所がないのであれば、いきおい選挙に出るのは経営者か自営業もしくは党が全面的にバックアップする候補に限られてしまいますし、それが議会と社会の距離を大きくしてしまう要因にもなってしまいます。
一方、従軍慰安婦や集団的自衛権について鋭い論考を重ねている泥憲和さんが指摘していましたが、落選・引退した議員で靖国神社参拝を続けている人がほとんどいないように、現職として主張行動していたのが本物であるかどうかは、その後を見ることで明らかになるというのは的を射た話であると思いますし、私も同類相憐れむ立場になった人がまったく政治について発言しなくなったり、さらには発言すらやめてしまうのを見て寂しく思うことがあります。

それに対して、伊藤ひろたかさんとともにTwitter議員仲間として親しくしてもらった渋谷区議・鈴木けんぽうさんは、都議選にチャレンジして落選、雌伏してから渋谷区議に挑んで現在に至るキャリアの持ち主ですが、私や伊藤さんより若いのにタフさがあふれていたのは、最初の経験があったからだと今さらにして思います。
私にしても落選してから学んだこと見えてきたものが多いだけに、現職の議員に4年間の通信簿が必要なのと同じように、この間の言動を評価してもらって、政治に本気で向き合おうとしてきたかどうかを比べていただきたいと思うのです。

そのためにも、まずは「落選したらダメな人」という見方を、市民の皆さんにも考え直していただきたいと思います。

2014年8月18日月曜日

ゴルフ場問題は氷山の一角

私も幹事に名を連ねている岩木川市民ゴルフ場問題を考える市民ネット-ワークとして住民監査請求するにあたって、今一度市民に経緯を説明し請求に加わってもらうための勉強会が開催され、町会長として外せない会議を終えて遅参しました。
すでに終盤にさしかかっていたので全体の流れはつかめませんでしたが、住民監査請求についての説明と場合によっては行政訴訟まで視野に入れた今後の展開が示され、約40人の参加者が請求人となる書面に署名押印してくださいました。
今週中に署名簿を添えて監査委員事務局に提出すると、60日以内に可否が明らかにされますので、市民の皆さんにもこの問題の推移を見届けていただきたいと思います。

それ以上に、最後の数名の発言しか聴くことができませんでしたが、共通していたのはゴルフ場問題やヒロロのフロア購入などを進めた葛西市長よりも、それを食い止めるどころか唯々諾々と認めてしまう議会への猛烈な批判でしたし、この件に関して賛成した議員に質問状をぶつけて説明責任を問うべきだという発言もありました。
また、青森県の議会改革度が数年連続で47都道府県中で最下位を独走していることにふれ、このような声が届かない議会の存在そのものが問題であり、ゴルフ場問題は氷山の一角だという指摘もありました。
ゴルフ場問題の勉強会やシンポジウムを重ねてきた中でも、今までにはない参加者と顔ぶれでしたが、それだけこの問題が議会不信を増幅させ、想像以上に波紋を拡げている現れだと思います。

今は市民の一人として動く側にたっていますが、これらの発言が自分に向けられたものだと受けとめて臨まなければ、市民の皆さんの信頼を得ることはできないと痛感しました。

2014年8月16日土曜日

軍都・弘前を知るツアーを

桜とりんごの街であり、学都ととも呼ばれる弘前ですが、戦前の第八師団本部が置かれた軍都としての歴史は薄れてしまっています。
昨日の敗戦に日にちなんで「かく語りき」では石原完爾と宮沢賢治のことを書きましたが、弘前・津軽における宮沢賢治の足跡を知ることは軍都・弘前の歴史をたどることにもなります。

宮沢賢治は弘前の連隊に所属していた弟を訪ねて何度か来弘し、そのうち一度は岩木山麓にあった山田野演習場にまで足を伸ばして再会を喜んだ記録があり、その時代の敞舎が残っているのを5月のツアーで知ることができました。

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戦後には中学校として使われ、現在では農家の倉庫として残っているのですが、先日知人から市内の民有地に同時代の建物が残っているらしいという情報もいただいていますし、市役所には師団長官舎、厚生学院には旧偕行社という保存状態のよい建築物もあります。
これだけでなく、市内には弘前公園内や弘前大学近隣に師団所有地だったところが数多くあり、現存する建物と跡地をめぐるだけでも立派にツアーが成立すると思います。
ちょうど、来年が宮沢賢治来弘90年の記念の年になるそうで、有志で何か企画するとは聞いていますが、これに足跡をたどるツアーが組みこまれるといいのではないかと思っています。
当然、これは宮沢賢治を通じて軍都としての弘前の歴史を知るルートでもありますので、観光だけでなく市内の小中学生に戦争と平和を考えてもらうヒントを与えることもできると思います。

軍都でありながら空襲を免れたからこそできる平和教育と観光、これは弘前にしかできないことだけに、ぜひ実現したいと思います。

2014年8月15日金曜日

防災サイレンで不戦を祈ろう

議員のキャリアパスやプール問題と、角度や考え方は違えど同じ問題に反応するのが横浜市議の伊藤ひろたか君ですが、郷里では広島の原爆投下時間にあわせてサイレンが鳴る話を披瀝していたのが気になったので、9日の長崎原爆忌に防災無線のある地元で待っていたのですが、思っていたとおり鳴らずに終わりました。
今日の正午には、高校野球の中継中に試合が中断されてサイレンとともに黙祷を捧げる姿を見た方や戦没者追悼式典をご覧になっていた方はともに黙祷されたことと思いますが、そうでもない限り敗戦の日を意識せずにスゴしてしまった人の方が多いのではないでしょうか。

市では先年、平和都市宣言を議決して記念碑を建立しましたが、具体的な平和教育に取り組んだということも聞いたことがありませんし、師団本部が置かれた軍都でありながら文化財保護のために空襲を免れたこともあり、元々戦争体験を語り継ぐ機運も薄いように感じています。
戦後69年を迎え、戦争を記憶している方々は後期高齢者となってしまった今こそ戦争の悲惨さを語り継ぐ取り組みは喫緊の問題だと思いますが、まずは戦争があったことを忘れないために、広島・長崎の原爆投下時間そして敗戦の日の正午に、防災無線のある岩木・相馬地区だけでも防災無線によるサイレンを鳴らすようにしてはどうかと思います。
岩木地区では正午に津軽三味線の音色が流れますが、敗戦の日だけはサイレンが鳴れば一定の世代には気づいてもらえますし、その意味を知らない子どもたちから問われた大人が教えることもできるはずです。
原子力を暴力に用いれば瞬時にたくさんの人を殺すことができること、8/15は日本が戦争を起こした過ちを認めアジアの人たちを殺すのをやめた日であること、この最低限の事実だけでも忘れないようにする最小限のアクションだけでも続けていくべきだと思います。

来年からは、不戦を祈るサイレンが鳴るようにしたいものです。

2014年8月14日木曜日

資料館より武道の伝承を

朝イチでお互い短い帰省期間ということで高岡地区の友人のところにお泊まりに行っていた娘を迎える前に、高照神社に参拝してきました。

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弘前藩中興の名君・津軽信政公を祀るこの神社には、ゆかりの品々が納められているのですが、神社や町会だけでは保存管理が行き届かないことが旧岩木町時代から懸案とされていて、それがこのたび津軽歴史文化資料館を隣接地に整備することになったのです。
報じられているところでは、資料館だけではなく流鏑馬ができる馬場も整備されるそうなのですが、高岡地区は神社はあるとはいえ、りんご畑が広がる農村地帯であり、武道との縁は薄いところに、あったわけでもない馬場まで作って江戸時代の武道・武具に関するメッカのように仕立てるのは、どうも違和感があります。
先日弘前藩の武道や作法に接した立場とすれば、これこそ次代に伝えて残すべき武家の町・弘前の宝であり、残っているありとあらゆる武具や武家の品々を保存しようというのは無理があるのですから、ある程度の歯止めをかけるべきではないかと思います。
これは伝統芸能のところでもふれましたが、データや残っている武具=ハードを残すことより、武道や芸能そのものやそれにまつわる作法や暮らしを継承していくことの方が難しく、そして意義あることだと思いますので、施策としてもハードからソフトへの方向転換をめざすべきだと思います。

「コンクリートから人へ」の民主党政権は崩壊しましたが、その方向性だけは正しかったと思います。皆さんは、ハードとソフト、優先すべきはどちらだと思いますか?

2014年8月13日水曜日

改めて、1%システムを考える

先月、ラベンダーロード再生事業にからめて市民参加型まちづくり1%システム問題点を指摘しましたが、お盆の入りの本日が第3期の締切でしたので、駐車場も職員の姿もまばらな市役所に足を伸ばしました。
昴町会として、昴地区集会所の開放に市民先生や学生の協働をつなげての事業を申請したわけですが、これで2014年度の状況が見えたところもありますので、改めて1%システムを考えてみたいと思います。

約60億円の個人市民税の1%=6,000万円を市民による提案型まちづくり事業に向けることを2011年度からはじまった1%システム事業ですが、採択の状況は下表のようになっています。

年度
申請
採択
金額(万円)
2011
44
23(辞退5)
786
2012
51
43
1,579
2013
59
50
1,712
2014(2期まで)
-
43
1,403

今年度は先ほどの申請時点で11件の応募ということですから、見こみとしては昨年度を件数・金額とも若干上回る形で収まるのではないかと思います。
改めてまとめてみても、初年度の6割を少し超えただけの無意味に厳しい審査が目につきますし、それがその後の申請数に影響して、実績としては0.3%そして予算も半減して0.5%システムとなっているわけです。
実際に町会の理事会で申請について話し合ってみても、「1%って、何?」という方がほとんどですし、市やまちづくりにかかわりのある人であれば知っていて活用を考えても、一般の市民にとっては何のことやらというのが実態だと思います。

これに関しては、葛西市政となってからはじまった事業の中で一番大事なものであり、市民主権を形にする事業ですので、数年取り組んでも伸び悩んでいるものだからやめるというのではなく、どうしたら市民に浸透していくのかを考えなければならないと思います。
前回も、補助率を事業ごとに変える・事後申請も受けつけるといった提言をしましたが、自治の観点からしても一番積極的に手を上げるべきなのは町会であると思いますので、町会連合会を通じて事例報告会で成果やメリットを知ってもらうというこれまでやってきた方法だけではなく、町会の担当課でもある市民協働政策課が主管している事業なのですから、申請のない町会には町会交付金を支給しない/2件以上採択の場合には交付金に上乗せをするといった、アメとムチの手だてを取ることまで考えるべきだと思います。
それでなくても交付金アップばかりを唱えている町会連合会からは猛反発を食らうと思いますが、動けば今までより交付金額が増えるばかりでなく補助金も入り、町会での活動に新規事業を加えて活性化につなげるという趣旨には反論しづらいものがものがありますし、これが実現しなくても関心の呼び水になるような揺さぶりをしかけることだってあっていいと思うのです。

何はともあれ、大事なまちづくり1%システムを市民の力で育てていきましょう!

2014年8月12日火曜日

被災地を支援するならば

昨日8/11は、真夏の11日に被災地をつないでできることを考えた若者の提案ではじまったLIGHT UP NIPPON の4回目の開催日でしたので、家族ともども野田村での花火を見に足を伸ばしました。
今回は台風が過ぎで無事に開催することができ、テーマソングを歌う福原美穂さんをはじめとするミュージシャンのライブ、それに野田中学校吹奏楽部との共演もあり、弘大や阪大のボランティアも集って多くの人たちで被災地14ヶ所をつなぐ花火を見上げました。

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北三陸最大の被災地である野田村には、弘前市から2011.3.25から官民協働での支援がはじまり、一つの自治体が被災地1ヶ所に集中して支援を行う中国四川大地震で行われた「対口支援」の日本版の好例として評価をいただいてきたのですが、4年目に入って弘大ボランティアセンターを事務局とする月1回のバスは続いているものの、桜まつりなどへの招待は打ち切られ、最初に動いた民間側の動きは私たちの活動を除いて見る影もなくなっているのが実情です。
一方、弘前市内にはピーク時で200名を超える方々が大震災の影響で避難移住してきたのですが、こちらの支援は昨年度になったところでほとんどの就労支援が打ち切りとなり、市としての積極的な対応がないままに終わってしまい、私たちも共同募金会の助成金打ち切りで活動が継続できなくなったのも重なって、本当に申し訳ない形になってしまっています。
私の場合は、市議として最後に出くわした大震災に取り組む覚悟を決めたからには素浪人となっても支援を続けるという思いで野田村に通い続けていましたが、160回も通ううちに支援がどうということではなく、野田村そして北三陸の人々の温かさと自然の豊かさに魅せられてしまい、好きで足を伸ばしているのが本当のところです。この活動は大部分を民間団体からの助成金で対応していますが、弘大ボランティアセンターのバスや弘前市への招待、さらには職員派遣は市の予算で実施しているものです。
それにもかかわらず、一般質問や予算決算特別委員会での質疑で震災支援についてふれる議員は少ないばかりでなく、実際に野田村への支援は成果につながっているのか村民の方々にきちんと届いているのか実際に足を運んで見分した議員も数名しかいないのが実情ですし、何よりいち早く被災地支援を打ち出し桜まつり開催と被災者招待で名を上げた葛西市長ご本人が一度も足を運んでいないのは納得がいきません。
市からすれば震災支援も多くの施策の一つに過ぎないかも知れませんが、そこから生まれる交流や防災についての学びといった幅広い効果があることですし、足を運べば今だからこそ必要な支援があることに必ずや気づくはずです。

弘前市にとって震災支援とはどうあるべきか、改めて考える必要があると思います。

2014年8月11日月曜日

弘前市からコピペあいさつをやめよう

69年目の広島・長崎原爆忌は、集団的自衛権と恒久平和のせめぎ合いよりも安倍総理のあいさつコピペ問題に注目が集まることになり、政治の方向性ばかりでなく政治の形式主義によって被爆者の方々の心を踏みにじることになってしまいました。本当に残念です。
このあいさつのことで心にふるわせるできごとがありましたので、この機会にあいさつというムダを考えてみたいと思います。

安倍総理のあいさつは、昨年のものと字句が少し違うだけでまるで同じだと批判を浴びていますが、これと同じように主催者・来賓として首長があいさつすると、まったく心がこもっていない文章を読み上げる場面に出くわしたことがある人がほとんどだと思います。場合によっては、首長の代理で副市長や部長、果てには課長が代読することがありますが、ここまでくると単なるプログラム消化のための時間つぶしになってしまいますし、聞く側にもありがたみも何もないのが実情です。
これは当日の時間のムダばかりでなく、首長が読むにしろ代読にしろ原稿を書くというムダな仕事を担当課に追わせることになりますし、それを最小限の手間で済ませようとしたのが今回のコピペあいさつ問題にとして露呈してしまったわけです。
弘前市の場合は、最近の葛西市長はあいさつ文を用意してあっても自分の言葉を織り交ぜて語ることが多く、その分時間が長くなってしまっているきらいがありますので、これなら最初からあいさつ文なしの方が好感を持てると思いますし、逆に前市長は東京大田市場の活気あふれる場で原稿を読み上げたことで評判を下げたことがありました。
この自分の言葉というのも難しいところがあって、元青森県副知事だった蛯名さんは途中で必ず自分の言葉をはさんでいて、暗に自分の方が知事より上と示そうとしているように見えて代読の役割を果たしていませんでしたので、代読はなければないほどよいと思ったこともあります。

ところで、昨夜地元で6歳上の先輩の通夜があって参列したのですが、弔辞に地元選出の清野一栄議員が立ちました。
一栄さんからすれば8歳下の後輩になるのですが、一緒に十数年村の除雪隊として同じコース同じ機械で作業した仲だそうで、亡くなる数日前に最後の見舞いとなった際の会話を心をこめて語るために原稿を持たずに臨んだことで、本当の意味で追悼する思いが伝わってきました。安倍総理の棒読みとは雲泥の差でありました。
私も、一般質問でも何かのあいさつの際にも原稿を書いて臨んだことがないだけに、一栄さんの態度に共感を覚えました。
このような善き例を作ることができる政治家もあるわけですし、先ほど述べたようにあいさつ文作成は担当課にムダな仕事をさせるだけなのですから、弘前市から全国に先がけてあいさつ文読み上げと代理あいさつというムダをやめる動きをはじめてはどうかと思っています。
あいさつ文だけでなく、こういうムダな事務作業を減らして創造的な仕事に時間を振り向けるのも、市政改革には大事なことだと思います。

皆さんが気になるムダな仕事はありませんか?

2014年8月10日日曜日

大森勝山じょうもん祭りに行こう

本来であれば修故創新塾その一の報告が先なのですが、ちょうどこの二日間で大森勝山じょうもん祭りが開催されていますので、そのPRのために大森勝山遺跡のことをまとめておきたいと思います。

大学では日本史それも古代史を専攻し、研究者への道は社会人生活を経験してからと先送りした私でしたので、市議時代に一番しつこく質問したのは、当時縄文晩期では最大級の環状列石=ストーンサークルが発見され国史跡そして世界文化遺産への登録をめざすことになった大森勝山遺跡についてでした。
環状列石が発掘されて特別公開された際には、当然だと思って見学に足を運んだところ対応にあたっていた当時の教育部長や文化財保護課長に市議がわざわざ来るとはと驚かれてしまったように、江戸時代以降の文化財ならまだしも有史以前の遺跡に関心を持つ議員は稀有の存在でしたし、さらにそのことを一般質問ばかりでなく予算決算特別委員会で半年ごとに史跡指定や世界文化遺産登録への進捗状況を確認されるとはあり得ないことだっただけに、課員も質問に備えつつ自分たちの仕事を披瀝できることに張り合いを感じていたと聞かせていただいたこともあり、北海道・北東北の縄文遺跡群の一つとして世界文化遺産候補になったことは私にとってもうれしいことでした。
それから4年、暫定リストには加えてもらったものの国内での推薦でも先送りされて、なかなか本登録に至るのは険しい状況ですが、それだけに地元での盛り上がりは大切ですし、弘前市にとっては唯一無二の世界文化遺産となりうる史跡なのですから、もっと市民に知ってもらう取り組みが必要なだけに、短い時間でもと思って足を運んだのです。

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現地には遺跡を見渡せる櫓が建てられ、出土した列席の位置がわかるように再現されています。また、市職員ばかりでなく発掘にかかわっている市民や地元町会の方々もボランティアで手伝っていました。
この遺跡の大事なところは、環状列石という祭祀にかかわる遺構があるばかりでなく、ここから大石神社から岩木山の三つの峰の一つである赤倉山頂へと一直線に結ぶラインには原初岩木山信仰にとっての重要なラインがあると思われるのですが、そこに縄文早期から平安時代までの住居跡が出てくるように非常に長い期間にわたって人が住んでいたというのは、縄文時代の津軽の人々にとっては北から南の方向に見える岩木山の姿が正面だと言えるのもかも知れません。

それが本当かどうか確かめるためにも、今日は大森勝山遺跡に出かけましょう!

2014年8月9日土曜日

失われた「弘前方式」を求めて

「修故創新塾その一~鳴海修に学ぶ~」を開催することができました。
スピーカーお二方に対して、聴く側も二人という少人数でしたが、もともと私が前田みき先生から鳴海修先生のお話を聴くというクローズドなところが出発点でしたし、みき先生のご厚意によって子ども会連合会で初めて子ども側からの会長を務めた古川謙二さんのお話まで聴くことになったのですから、私にとっては満足感二倍のひとときでした。
その中で出てきたのが、弘前市独自の子ども会リーダー養成システムのことで、当時これが「弘前方式」と呼ばれて全国から視察が相次いだものだそうです。
これは、中学校区から子ども会リーダーを出してもらい、高校卒業までの5年がかりで初級から上級までの講習会を開催するだけでなく、上級の中からさらに千月リーダー研修や3泊4日での県外視察まで行っていたのだそうで、市議時代に青少年問題協議会に宛職で参加した際に確か委員の一人であったみき先生がこの「弘前方式」を持ち出して現在の育成レベルを危惧されていても、相馬出身の私には何のことやらサッパリわからずに聴くだけだった謎がようやく解けた思いでした。
全国どこでもできないといわれたという、この方式を支えるために、各中学校の先生から1名が少年教育指導員に任命されて子ども会活動に参画し、子ども会連合会を支える組織として町会連合会・市連P・市社協・市民児協・小中学校校長会・市地婦連などの団体からなる参与会があるという、今では考えられないほどの手厚い体制が構築されていたそうです。
そして、1962年からはじまった子ども会連合会主催の「子どもの祭典」は、第3回から鳴海修先生が子どもたちのためにと建設に尽力した市民会館を全館貸し切りで11/3に開催されるようになり、「子どもの祭典の歌」ばかりでなく子どもが作詞した「津軽っこの歌」まで加えられるほどの盛会な行事だったのだそうです。
古川さんによれば、これが1980年代の校内暴力の時代の波に飲まれて活動が縮小し、徐々に活動そのものも形式化してきたことで今では見る影もなくなっているのだそうですが、ちょうどその時代に高校生になった私には中学校時代の恩師がそのまま教育委員会に配属になったとたんリーダー研修に引きずりこまれた思い出がありますので、その名残をいささかでも知る世代ということができるのでしょう。
「弘前方式」実現には、昭和の大合併を終えて次代を担う大人を子どものうちから育てなければならないという修先生の思いと、それを町会連合会・社会教育協議会・市連Pなど諸団体の陣頭に立っての行動力そして「陰の市長」と呼ばれた政治力があってこそのものだと言えます。

この失われた「弘前方式」ですが、今の時代に復活させようと単なるシュプレヒコールをあげても、意味のないことでしょう。
ただし、「弘前方式」の掲げた子どものうちから地域でリーダーを育てるという理念は今でも、いや今こそ必要なことだと思いますし、それを子ども会育成協議会がやるというのではなく次世代育成に思いを同じくするNPOやJCといった組織団体や有志が手を取り合って取り組むというのでいいのではないかと思います。
とりわけ、現在では中学生になれば子ども会とは離れた関係になってしまい、そこから高校までつながる形でのリーダー研修など考えられない現実がありますが、小中連携が叫ばれている時期だからこそ今は小学校どまりとなっている子ども会やスポーツ少年団に中学生がリーダーとしてかかわる方向性をさぐるところからはじめるべきだと思います。
青少年問題協議会でみき先生が指摘したように友好都市・太田市との交流事業ではリーダー養成になるとは思えませんし、葛西市長になってからはじまった子ども議会も一日限りのセレモニーですので、もっと地域に根づいた継続的な次世代育成を考えていかなくてはなりません。

こうやって、故きを修めて新しきを創造するのが、修故創新の意義ですので、これからもテーマを見つけてふさわしい方にお話をうかがっていこうと思います。

2014年8月8日金曜日

ふるさと納税の矛盾

菅官房長官の控除倍額発言を受けてか、今日のTBS系昼の情報番組「ひるおび」で特集が組まれ、弘前市でも弘前城石垣修理にあてる石垣普請応援コースという特別コースを新たに設定することが公表されました。
ふるさと納税のポータルサイトができたり、番組で紹介されたように長野県阿南町では2億円超と町民税と同額になるほどの寄附が寄せられているそうですし、先日は船橋市で寄附者に非公認キャラクター「ふなっしー」のクリアファイルをプレゼンとすることにしたら1ヶ月で5000万円近い額が集まったそうで、非常に注目される取り組みになっています。
これにひきかえ、弘前市の昨年度実績は313万円だそうで、シティプロモーションとの関連で質問する議員もあって、今回の特別コース設定となったようですが、この機会にふるさと納税を考えてみたいと思います。

「ひるおび」のコメンテーターとして前鳥取県知事であり総務大臣も務めたことのある片山善博さんが出演していたので、いくつか矛盾があることがわかりました。
本来の目的は地方格差で税収が少ない自治体を応援することなのですが、現在では半数近い自治体がプレゼンとをつけることで寄附を呼びこむ流れになっていて、先ほどの船橋市のように首都圏の恵まれた自治体に寄附が集まるのでは本末転倒なのですが、これから東京五輪を控えて入場券や五輪グッズをもらえるとなれば東京に集中してしまうこともあり得る制度設計が問題だと、片山さんは話していました。
また、片山さんは市民税であれば市民税1万円納税額が増えると国からの地方交付税が8000円減額されるのに対し、ふるさと納税は1万円の寄附がまるごと収まるので、自治体にとっては納税者より寄附者の方がありがたいという逆転現象が生じる懸念を語っていましたが、阿南町では米20kgがプレゼントされるのだそうで普通に考えれば1万円でそれ以上の見返りが受けられる寄附と目に見える見返りがない納税のギャップは大きいと思います。
これは弘前市でも言えることで、1万円それ以上の納税をしているからといって一口城主と自動的に認めてくれるはずもなく石垣に名前を刻まれるわけもないのに、ふるさと納税であれば1万円で後代に名を残してもらえるのを考えると、神社仏閣のように寄進額の多少に応じて順番に並べてもらえる方が公平だとさえ言えると思います。

ちなみに、弘前市のこれまでのふるさと納税は、日本一のさくら・四大まつり・子どもたちの笑顔・オール弘前地域づくりの4コースだったのですが、納税している市民は自らの血税の使途を指定できないにもかかわらず、ふるさと納税であれば一口城主を含めて5分野から選択できるというわけです。
これも片山さんが言う寄附者優先の仕組みの一つなのですが、それであればふるさと納税の控除額と同額まで納税の際に指定できるようにでもしないとおかしいと言わざるを得ませんし、市からすれば自由に使える税金を納める納税者こそ優遇すべきであるのは言うまでもありません。
プレゼントも阿南町のように寄付金を上回る見返りとなれば、その産品を支度するところで財源がなくなってしまって、町の経済の活性化にはつながっても町が考えていた分野には予算が回せないという矛盾が生じる懸念もありますし、プレゼントなしで300万円でも新規事業一つに絞って使わせていただくくらいの思い切りがあれば寄附をいただいた意義があるということもできます。

ふるさと納税は、何がもらえるかではなく、何に使ってもらえるかを考えるべきですし、それが納税する立場として市政を見直すきっかけにもできると思います。
あなたは、自分の納める税金そして寄附金を何に使ってほしいですか?

2014年8月7日木曜日

雨の日だからこそ、プール問題

5日から降り続いている雨は今日もやまず、ねぷた死亡事故の涙雨のように思えてなりませんが、雨で中止になっているのは夏休みのプール開放だろうと思います。
「だろう」と書いたのは、地元・相馬小学校では2007年からプールが使えなくなっているためなのですが、この1校1プールに変化が見られているという報道が朝日新聞にありました。
雨の日だからこそ、プール問題を考えたいと思います。

相馬小の場合はロマントピア、岩木地区の2小の場合は海洋センターを授業や夏休みの割引利用の形をとっていて、授業でも当地の指導員ではなく教員による指導のようですから、朝日新聞で報じているような民間委託ということではなく、拠点プールを作らずに民間施設で代用するというものです。
ただし、2007年時点の説明では、今後も老朽化が進んでいけば数校で1プールという形にしていかなくてはならないということでしたが、実際にそういう形になったところがないだけに、岩木・相馬ではだまし討ちにされたという思いが強くあります。
ただ、3月で弥生小が船沢小に統合され、次には修斉小が裾野小に統合されますから、夏休みとはいえ遠距離を子どもたちだけで通わせるわけにはいかないでしょうから、バスの運行などの対応が必要でしょうし、統合が進んだり拠点プールが現実のものとなっていけば、ますます検討すべきことが増えていくと思います。

ところで、朝日新聞の記事は我が友・伊藤大貴さんの紹介で知ったのですが、私がプール問題を取り上げるのは水泳ができるかどうか以前に水に親しみ友だちと遊ぶ場としてプールは必須の施設だと思うからです。
もう40年も昔のことですが、五所小学校時代の夏の楽しみはプールで泳ぐことではなく、村の奥で子どもにとっては未知の領域である旧相馬小学校エリアに踏みこんで、沢田・藍内という再奥部の地区でエメラルド色に輝く川の堰堤や淵で泳いだり魚を捕ることでした。つまり、プールは川という本番に備える基礎訓練と遊びの場だったのです。
運動神経がなく泳ぎが苦手だった私でしたが、何とか一緒に遊びたい一心でついて回って、一度はおぼれて蘇生法で飲んだ水をピューッと吹いた記憶もありますが、それでも川に行くのをやめることはなく気をつけて遊ぶようになったのは、こういう経験でたくましく生きる大切さを学んだと言えると思っています。
それから、時代は下って川遊び禁止が学校から言い渡されると守るようなまじめな子どもばかりになって寂しく思っていたのですが、それでも水に親しむ場としてのプールがあることでよしとしていただけに、最低限の泳力を身につけるとか授業で使える拠点プールがあればよいという発想には納得がいきません。
学校とりわけ小学校は、先生によって教えられることより、友だち同士でグラウンドをかけずり回ったりプールで水をかけ合ったりしている中で身につくことの方が大きいと思うだけに、財政で機能を失っていくことを避ける工夫をするのが政治の仕事だと思います。

皆さんのところのプールはどうなっていますか?統合が進んでも、地域でプールを守っていく取り組みをはじめませんか?

2014年8月6日水曜日

この機会にねぷた運行を考える

昨夜、弘前ねぷたまつりでは初めてと思われる死亡事故が起きたことを受けて、6・7日目の運行と「なぬかびおくり」は中止となりました。私にとっても生まれて初めての事態で、残念でなりません。
事故の原因究明や参加団体による緊急会議などで今後の対応は進んでいくと思いますが、亡くなられた方への追悼の思いをこめて、ねぷた運行について考えてみたいと思います。

今回の事故も以前起きた大けがの事故も、原因は昇降機のトラブルでした。
これは、大型化したねぷたが信号や看板をかわすために必要な装備なのですが、これを稼働させる回数の多い土手町コースで2回運行してからの駅前コースで両方の事故が発生していることを考えると、当初は順調に動いていても回数を重ねることで調子が狂ってくる場合もあるでしょうし、それを参加団体の機械好きだけで点検しているのでは気づかないトラブルも起きる可能性が考えられます。
団体側での点検については必ずや安全対策マニュアルに盛られると思いますが、市として取り組むべきなのは運行コースの信号・看板を極力少なくしたり支障のない位置に移すことだと思います。
五所川原市の立佞武多が電線の地中化などの沿道整備を行ったことで動かすことができるようになった好例がすぐ近くにあるわけですから、これは早急に手をつけるべき課題だと思います。

もう一つは、先着順で出陣の順番を決めるのではなく、抽選にすることです。
初日2日目の審査日にはだいたい半分ずつに振り分けられていますが、現在の80を超す団体の多くが3日目と5日目に重なってしまっていて、3日目もいくつかのトラブルで終了時間をオーバーしての運行となっていたように、参加団体の希望に任せて先着順という方式では、なるべく早く帰りたいという気持ちが働いて早めにねぷた小屋を出ることになりますし、それが今回の事故につながっている可能性もあります。
これを、地区での運行との調整や早めの衆知のために早い時期に審査日・土手町コース・駅前コースの各2日間のどちらになるかと出陣順の抽選を行うことで調整する形にしてはどうかと思います。ただ、現在でも小型ねぷたを先にしているように、子どもの多く参加している団体は早い順番にするシード権を与えたり、7日目の日中運行に参加する団体には5日目の優先権を与えるといった工夫はすべきです。

それから、近年はじめた「なぬかびおくり」は、今回の中止を機にやめるべきだと思います。
青森ねぶた最終日の海上運行の向こうを張れるイベントが必要だという考えから企画されたイベントだと思いますが、わが相馬ねぷた愛好会のようになぬかびは村内運行してから打ち上げと流れのところでは参加できませんし、こちらの方が本来のねぷた運行の形なのですから、無理やりなイベントをくっつけるべきでないと思いますし、こういうイベント重視の姿勢が注意をおろそかにさせる原因になっているかも知れません。
これよりも、2011年の開幕日前日に東日本大震災の追悼の思いをこめたねぷた囃子合奏を行ったことがあり、今年は3日目に約100人での大合奏を行って喝采を浴びたわけですが、今回の事故の追悼と駅前コースに移ったところで気を引き締める意味をこめて、出陣前に黙祷と合奏を行うことにするのはどうでしょう。

以上、つれづれに考えるままに書いてみましたが、何より大事なことは亡くなられた方も私たちもねぷたが大好きなのですから、より多くの人が楽しんで参加できる工夫を重ねて伝統を継承していくことだと思います。
これこそ、オール弘前で取り組まなければならない大テーマです。

2014年8月5日火曜日

ねぷたに福祉招待席を

ねぷたのこと、障がい福祉のことを書いて思い出したのですが、青森ねぶたにあって弘前ねぷたまつりにないものが二つあります。
一つは、障がい者や高齢者が車イスで参加することで、今年は市役所ねぷたに数台参加していたのを見かけましたが、青森ねぶたの場合は平内町の特養・清風荘が中心になって取り組み全国からの参加者がある「ケアつきねぶた」や青森市社協が実施している「ふくしねぶた」があり、数十台のハネト衣装をまとった車イスが隊列をなして参加しています。
私も「ケアつきねぶた」に2回ボランティア参加したことがあり、押しているボランティアがクタクタになっているのと参加した高齢者のらんらんと輝く目の対比が印象に残るほど、ねぶたに参加して沿道の方々から声をかけられる高揚感とはすごいものだと知ることになり、相馬ねぷた愛好会が初出陣した2007年から3年間は施設の高齢者に参加してもらいました。
弘前ねぷたでも、土手町のコースは短いですし市役所ねぷたであれば必ず大型ねぷたの先頭で出発すると決まっていますから、長時間になる心配もしなくて済むだけに、市社協あたりが中心となって車イスでの参加を拡大してもらいたいものだと思います。

参加については、ご本人の体調の問題やサポートするボランティアの確保といったハードルが何台もあるだけにすぐにとは言いませんが、もう一つの提言は来年からでも実現できると思います。それは、福祉施設の利用者に場所を確保して招待することです。
相馬ねぷたが活動する前は見る側専門でしたので、青森市の施設関係者から声をかけていただいて2日開幕日の青森ねぶたを見にいったことがあります。指定の場所は青森市役所前ということでしたが、行ってみると誘ってくださった施設ばかりでなく、高齢者・身体障がい・知的障がいの施設が一堂に会して沿道を埋めているのに驚かされました。つまり、青森市では開幕日に福祉利用者を招待してくれていたのです。
弘前でも各施設が日程を考え場所を確保して見物していますが、今日からはじまる駅前コースであればある程度の場所が確保できるはずですから、来年度からでも検討してほしいと思います。青森市では一日ですが、弘前ねぷたの場合はやはり地元のねぷたを見たい気持ちになりますから、5日目か6日目かの希望をとって対応する工夫もあれば、なおよいです。
その分、観光客には見る場所が減り桟敷席収入が落ちるというデメリットもありますが、青森ねぶた・五所川原立佞武多よりも地域とのつながりが強い弘前ねぷたのよさを際だたせるには、青森市よりも弘前市こそ先んじてやるべきことだと思いますし、観光ばかりを優先するのではない視点も必要だと思います。

さて、その駅前コースを実地見分するために、今日も相馬ねぷたで出陣です!

2014年8月4日月曜日

障がい福祉課がない弊害

現在、私は精神障がいの社会福祉法人で評議員を務めさせていただいているのが唯一の福祉との接点なのですが、身体・知的・精神の三障がいを網羅した制度下にあるせいで、制度の改正があるたびに理解しきれないほど難解だと思うことがしばしばです。
それだけに、この分野を指導監督する行政の体制がしっかりしているのが肝要なのですが、県には障害福祉課があるのに対して市には「障がい福祉課」がなく、福祉全般を分掌する福祉政策課の一つの係単位になっています。
これは合併前の旧弘前市時代からのことなのですが、もう一つの制度である介護保険には介護保険課があり、葛西市長となってから子育てと健康には力点が置かれて、児童家庭課が子育て支援課また健康推進課が健康づくり推進課と機構改編される中で、一番長い期間にわたってさまざまな支援が必要となる障がいに専門課がないことは以前から疑問を感じていました。
ちょうど先週から今日にかけて障がいに関する相談と苦情が持ちかけられましたので、近いうちに福祉政策課に足を運ぶつもりなのですが、問題をはらんだ事案については課長補佐や係長クラスではなく課長判断が必要になることが多く、それが二足のわらじをはいた課長では受けとめ方が半分になってしまうことで、なかなか思い切った判断をするのが難しいばかりでなく、障がいの分野では弘前市独自といえる施策が少ないことにもつながっていると思います。

障がいは、小さい頃であれば特別支援教育など教育とのかかわり、成人を迎える時期には就労の問題、病気からくる場合には医療との連携、40歳を超えてくれば障がいの制度で対応すべきか介護保険でいくべきかという判断、さらには生活を支えるための年金の問題と、長い間さまざまな問題と向き合うことになりますし、担当する側もいくつもの課と連携協力する必要があるだけに、職務範囲も責任も重い仕事だと思います。
その一番幅広い問題を抱える分野に専門課が置かれていないことの弊害は、ご理解いただけると思いますし、提言するのもズバリ障がい福祉課の設置、それだけです。

もし、障がいにかかわることで今まで市に言えずにきたことがあるという方がいましたら、ぜひお知らせください。この機会に一つでも多くの声を届けにいきたいと思います。

2014年8月3日日曜日

武道を広める必要を痛感

先日、前田光世を語ったからには行かねばならぬと心して、仲町伝統的建造物群保存地区いわゆる伝建地区にある旧笹森家住宅で行われた体験イベント「弘前藩の武士の作法と技」午後の部に足を運びました。
八幡宮奉納武道大会にかかわっていたおかげで小山家に伝わる卜伝流の演武は何度か見たことがあるのですが、単なる剣術としてではなく門番からの襲撃を防ぐために刀を背負ったり、襖を閉められて身動き取れなくされないように扇子を置くといった実戦の護身術を伴って見せられると、平時にあっても油断を怠らずに身を処していた武士の生活が感じられて感服しました。
披露された中には、本覚克己流という弘前藩独自の柔術もあり、資料によれば現在再興をめざしているそうで、これには旧知の加川康之さんもかかわっていますので、改めて古武道のことなど教えてもらおうと思っています。

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それにしても、最初のあいさつで小山さんが話していましたが、小山家を含めて仲町の武家では日常的に行われていた生活だと言われると、旧家が数軒しかなく残るは生け垣のみで名ばかり伝建地区と思ってしまう仲町が違って見えるほどのインパクトがあり、週末だけでもこういう説明が武家住宅で行われれば観光にも生かすことができると思います。
それだけではなく、市内の小学校で社会見学や体験学習で武家住宅を見学する際にも、単なる説明だけでなくこんな実技が組みこまれたら武士の生活や心得を知ることができ、お城があるかではなく武士が暮らしていたから城下町なのだと理解できるようになると思います。

私もまだ入口に立ったばかりですが、武道を知ることで弘前のプライドアップにつながる取り組みをはじめたいと思います。

2014年8月2日土曜日

ねぷた審査にネット投票を

いよいよ弘前ねぷたまつりがはじまり、昨日の初日に続いて本日も合同審査、わが相馬ねぷた愛好会も出陣です。
昨夜は観る側に回ってましたが、どうも審査の関係もあってか二日目に有力団体が集中しているのを改めて実感しました。これはフィギュアスケートでも有力選手は後半に滑るのと同じ理屈で致し方のないところですが、この機会ですので以前から考えていた審査への提言をしておきます。

現在は、関係者5人が隊列・囃子などの要素に沿って審査することになっています。これは重要無形文化財としての伝統を守った上で優劣を競うためには必要なことではありますが、一番人気を誇る自衛隊はあの隊列があることで特別参加扱いになっているとおり、事前に審査対象になるかどうかは区別がつけられると思います。
それであれば、YOSAKOIソーランまつりのようにネットで好きなねぷたに投票してもらい、審査の配点に加えるとかネット投票大賞といった特別賞をつくるといった工夫をして、観る側も参加できる部分を作るとよいと思います。
さらに言えば、ネット投票を組みこむことになれば、合同審査日以外の運行での良し悪しも投票してもらえるので、審査日と他の日のギャップが大きい団体には不利となったり駅前運行になれば羽目を外すといったことも避けられるので、多重投票を防ぐセキュリティを施した上で実現してほしいと思います。

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ただ、審査が気になるのは知事賞・市長賞をめざす団体であればこその発想で、多くの団体は出陣して地域や団体の親睦が図れれば何よりというのが弘前ねぷたのよさですし、巨大化・観光化してしまっている青森ねぶた・五所川原立佞武多と違うところです。
昨夜も沸かせていたのは、自衛隊やこひつじ保育園、航空電子の前ねぷたでしたし、ねぷたで目をひいたのは写真のみなみ幼稚園で、伝統からは離れても楽しませてくれるものもあるのが弘前らしい鷹揚さです。

何はともあれ、私も浴衣に着替えなくては!