2014年10月30日木曜日

ゴルフ場問題の原点を振り返る

先日意見陳述が行われた岩木川市民ゴルフ場特別清算補助金に対する住民監査請求ですが、予想どおり棄却されたことを受けて、今後の対応を意見交換する集会を開催し、こちらも予定どおり行政訴訟へと手続きを進めることになりました。
利用料金制で行きづまっていた第3セクター・弘前ウォーターフロント開発株式会社=WF社に指定管理料が出されることになったことから端を発したゴルフ場問題ですが、WF社が特別清算による解散を決め、指定管理者がリベロ津軽へと移行するにあたって、WF社に対して管理棟などを市が取得するとともに特別清算を円滑に進めることが社会体育施設として存続させるために必要だという名目で補助金が支出されることになったわけですが、その流れにつられるように市民ネットワークの側でも対応を切り替えてきました。
ここで、ゴルフ場問題の何が問題で、これから考えなければならないものは何かを振り返っておきたいと思います。

この問題は、この一帯を岩木川リゾートとしてレジャー施設などを整備する一環としてゴルフ場が計画され、WF社を設立して造成されたものを市が寄贈を受けて開設されたところから出発していますが、その流れの中で市がWF社の筆頭株主になるとともに役員の過半数を部長級が占める形になったにもかかわらず、利用者が伸びずに赤字がかさんでいても市としては何の手だても打たず責任はないと逃げ続けてきたことに最大の問題があります。
これは、役員となった際には職務専念義務免除という形を取って個人として就任していることにしてきたからですが、それであればアニータ事件の住宅公社のように今回の債務に応じた負担を任期に応じて求めるべきだと思うのですが、そうはなっていないところに責任逃れが象徴されています。
市としても、出資した以上の責任があったことを認めることからはじめないと、また同じことを繰り返すことになりますので、このことは訴訟と関係なく追及されるべきことだと思っています。

また、ゴルフ場は当初から現在まで都市公園の一つとして位置づけられてはいても、社会体育施設とはされてなく、形としては特定の用途でしか使用できない有料の公園ということになります。
それにもかかわらず、市が社会体育施設と言いつのるのであれば、きちんと社会教育審議会に諮るといった手続きが必要なはずですが、「あり方懇談会」といった非公式な協議しか行っておらず、市内部での第3セクターに関する会議も行われてこなかったのが明らかになっており、位置づけの不透明さが責任の所在をさらに見えなくしています。
昨夜の集会では、この件で不正はあったのかという質問がありましたが、誰かが意図的にもうけたということはないにしても、誰もが責任を感じずに流してきたことで無意味な支出が繰り返されて最後には特別清算補助金にまで至ってしまったことには、未必の不正があったといわざるを得ません。

このような流れで、今回の行政訴訟としては補助金862万円の支出差し止めを求めるということになり、問題の大きさに比べて求めるものが小さくなった感はありますが、弥生リゾート問題にもかかわっていた高松事務局長によれば前回の原告団はここまでの人数ではなかったということですので、市民の怒りは今回の方が大きいことを市には重く受けとめてほしいと思います。
これから1年以上はかかる訴訟になりそうですが、幹事の一人としてできることをしていくつもりです。

2014年10月29日水曜日

FAよりドラフト、それよりも

今朝の地元紙2紙とも、弘前市で来年度から職員のFA=フリーエージェント制を導入することが報じられていました。
経営型を標榜する葛西市長らしい発想だと思いますが、その前にやるべきことがあるだろうと思います。

そもそも、FA制とはプロ野球で一定の試合数などの条件をクリアした選手が次期の契約に際して宣言をし、これまでの球団と交渉した後に他球団と交渉をする権利のことですが、市で検討しているのはこれまでの異動希望を出したものを内々で調整するものから、ある年数になったら大っぴらに異動したいと宣言できるという変更だろうと思います。
これが成り立たないだろうと思うわけは、プロ野球の場合はFA宣言できるまでのキャリアと実績を積むには実力が必要ですが、市職員はよっぽどのことがない限り免職になることもなく、実績を測る人事考課も取り組んだ事務事業評価も確固たるものにはなっていないために、入職してある年数になればほとんどの職員が宣言できることになります。

これが成り立たないもう一つの理由は、プロ野球ではFAする向こう側には球団という存在があり、この選手ならほしい、あの選手はいらないといった冷徹な判断で、場合によってはFAしたものの声がかからず自由契約=クビという結果になることさえあります。
これを市に置き換えてみると、数十もある課が受け入れる側として機能するのも課長が獲得するかを選択する権限を持つのも難しいと思いますし、部という単位ではFAした側の希望をかなえることにはならないでしょうし、誰がどんな形で採否を判断するのかという問題があります。
以前、部長実行宣言が行われなくなったことを指摘しましたが、それだけ部長が責任を持って部を引っぱっていくという仕組みすらなくなっているのに、部下は勝手に異動したり入ってくるのでは、思ったとおりの仕事などできるものではありません。

それならば、次年度の部長を1月に公表し、その部長が取り組む事業政策をふまえて2月末までにドラフトを実施して陣容を固める方式の方が、部長には采配をふるう権限とともに責任が伴いますし、組織上も安定するのではないかと思います。
つけ加えれば、FA制は入団する際にドラフトという選択権がないのを補償する制度でもありますので、職員の場合は自ら志望して入職しているのですから、次に来るのはドラフトであっても帳尻が合うことになります。
それよりも、毎年のように部課の見直しがあり、自分が何課でどんな仕事をするのかクルクルしているような状況が続いているのを、一旦立ち止まって課名の変更よりも業務内容の棚卸しをするとともに、FAでもドラフトでも対応できるような人事制度や事務事業評価の足固めをするべきだと思います。

何よりも、職員が市民の立場を理解して実直に働くことが一番大事なことなのですから、そのために必要なことはさらなる変革なのか、それとも足固めなのか、葛西市長にも市民の皆さんにも考えてもらいたいと思います。

2014年10月28日火曜日

弘大との医療連携の強化を

昨夕からエボラ出血熱疑いの入国者のニュースが走り、いよいよ日本にもと思われましたが、今回は陰性とのことでホッとしているところです。
ただし気になったのが、これに対応できる指定病院が青森県・秋田県それに宮城県にもないのだそうで、万が一の場合の不安が逆に高まった気がしながら、情報番組を見ていました。
県内で対応するとすれば、青森市にある県立中央病院、八戸市の八戸市民病院そして弘前大学附属病院のいずれかということになりますが、秋田県もカバーしながら高次医療との連携を考えると、手前味噌ながら大学病院がもっとも望ましいと思いますし、こういった対応ができることで研修医の志望を増やすことにもつなげることにもなります。

ところで、弘前市と弘大医学部との間では、高次救急救命センターに補助金を出している他に、「医都ひろさき円卓会議」という場で連携を図る仕組みがありますが、今のところは成果につながるような位置づけにはなっていません。
今回のようなことがあれば、市としては正確な情報を早く収集する必要がありますし、大学側でもすぐに対応はできなくても将来を見すえて市や県と協議しながら体制を整えていくためにも、もっと緊密で機動的な連携体制を作るべきだと思います。
会議の名称に「医都」と掲げるとおり、弘前市は弘大医学部があることによって医師の人口比率も高いという恵まれた環境にあるのですが、そのことが市政やシティプロモーションで生かされているかといえば、宝の持ち腐れになっているような状況でもありますし、そのためにも弘大からもっと知恵を借りる必要もあります。
さらに、大学院にはスポーツ医学を学ぶために柔道の古賀稔彦、アーチェリーの山本博といったメダリストが在籍してきた実績がありますが、山本さんに健康プロジェクトの測定をやってもらうようなもったいない使い方はしても、トップアスリートとしてのスキルやノウハウを伝授してもらう場を作ることもしないで終わっていますので、ここでももっと活用できるものがあるはずです。

このように、市政と医療が連携することでの相乗効果は大きいと思いますが、以前「市政を変えるマニフェスト」では、医療について「広域医療マネジメントに医師会から特別職」と提唱していました。
これを見直すとすれば、今であれば弘大医学部から特別職を民間登用する方が望ましいと思いますが、個人的には医学部出身で宮古市長を務められ、先日の福島県知事選に出馬された熊坂義裕さんをお招きできないものかと思っています。
医師・市長としての実績ばかりでなく、震災支援では「よりそいホットライン」を開設して声を聞き届ける機能を生み出した熊坂さんを招へいすれば、弘前市としての方向性を示し内外に強いアピールになると思いますが、さすがにこの点では葛西市長とは思いが違っていることでしょう。

いずれにしても、大学病院の機能強化に弘前市として協力したり、市政に弘大の情報や研究を取り入れていくのは、これからますます必要になっていくことだと思います。

2014年10月27日月曜日

政治が認められる水準とは

昨日は青森市議会議員選挙があり、新しい35人の顔ぶれが決まりましたが、定員削減にもかかわらず投票率は前回より下がって45.63%でした。投票権を持つ市民の過半数が投票しないという選択肢が一番大きかったというのは、政治を志す者にとって非常に考えさせられる結果です。
市民が直接政治にかかわるチャンスである選挙に半分未満しか参加していないということは、簡単に言えば総会の定足数に達していないということですので、結果そのものを無効とされてもおかしくないでしょう。
これは、立候補した候補者の政策・人物などによるところが大きいのは確かですが、首長選挙と違って数十人の中から一人を推すという選択肢が広い議員選挙なのですから、これに投票しない市民の側の責任も大きいと思います。

それだけに、投票率50%未満の場合は選挙を無効とし、1週間後に法定得票数を超えた候補者に絞っての再選挙というくらいの改正を行って投票する義務を果たすように仕向けるか、もしくは議員選挙と同時に議会という存在が必要かどうかの市民投票を同時に行って、議会が必要と認める人が有権者の過半数に満たなければ議会廃止とするくらいの過激な改革が必要だと思います。
後者の場合は、当然憲法改正まで踏みこむような改革ですし、議会不在となった場合に首長の暴走を止める機関や方法をどうするのかという大きな問題が生じてしまいますが、あの大事な舵取りを任すリーダーを選ぶ福島県知事選挙ですら45%という投票率では、選挙によって首長・議員を選ぶ民主主義制度そのものに市民・国民は飽き飽きしているというか嫌悪感があるのだろうと思ってしまいます。
どこかの時点で、この国はそこまでの選択をすることになるかも知れませんが、逆に言えばそこまでの決断をする機運も高まらない時代状況ですので、今可能な方法とすれば再投票つきの選挙に変えることです。
これであれば、立候補する側も市民の側も投票への意識や働きかけが強くなると思いますが、それが観劇会やウチワといった前時代的な集票方法に流れないように、公職選挙法を厳格にするとともにネットでの呼びかけはさらに規制緩和を進めるといった、時代に合った選挙制度改革を改正すべきだと思います。

さらに言えば、相川俊英氏が提唱するように、得票が少なくても定数までは当選させるというのではなく一定の得票数がなければ当選としない当選基準の変更というのも、検討に値する問題だと思います。
これは、昔の通信簿が5は何人4は何人と相対基準で振り分けられていたのが、今は何点以上の子は5という絶対基準に変えられている時代なのですから、一定数の市民の支持を受けた人間で議会を構成し、その人数に応じた組織構成をするあり方も一考の余地はあるように思えてきました。
例えば、有権者の1%以上の得票数を当選としてみると、前回の弘前市議選では28人が当選ラインに達していて、今回の削減した定数と同じ結果だったのですが、今回の青森市議選は23人しか当選ラインに達していないことになり、市民としてはこれだけの人数で十分だと判断した結果だとされる時代が来るかも知れませんが、其の足元にも及ばない結果だった私には、これもまた高い壁です。

それでも、私としては政治にできることがある、市民のために役に立つことができると信じ、そして皆さんにも信じて推してもらえるように、これからの半年で主張行動していくつもりです。

2014年10月26日日曜日

伝統芸能を学ぶ機会を

先週の南相馬市に続いて、今回は北三陸の野田村文化祭そして廃校を活用した「あーとびる麦生」での渋谷和生一行のコンサートをプロデュースする形で一緒させていただきましたが、こんなありがたい日に東京で津軽三味線合奏ギネス記録の新聞記事を読むはめになりました。
趣旨としては東京五輪への盛り上げのためだそうですが、これまでの記録のように弘前市(当時は岩木町)や青森県がかかわるのでもなく秋田の方が代表で挑むというのに違和感を感じ、そこに当代一の三味線奏者がかかわっていないことに安堵するという複雑な気持ちでした。

ギネス記録が気になるのは、私自身が2011年7月のねぷた囃子合奏の横笛ギネス実行委員会の一員として参画し記録更新にかかわったからでもありますが、この時はギネス記録更新そのものが目的ではなく、この取り組みを通じて小中校生にねぷた囃子に興味を持ってもらえるように塩ビ管での横笛を学校に寄贈し、次世代が伝統芸能を継承していくきっかけを作ろうというのが本旨でした。
それもあって、イベントや記録更新だけに関心があった人たちが去ったところで、ギネス実行委員会は「津軽笛の会」と看板を変え、笛博覧会や各団体・町会での囃子講習会、さらには学校に出向いての出前授業などを通じてねぷた囃子・登山囃子の普及にコツコツと取り組んでいます。
これは代表である佐藤ぶん太、の情熱あってこそですが、管工組合の善意によって無償で塩ビ笛を各校に寄贈できたことで後は講師役が足を運ぶだけという環境ができたことは大きく、それからすると津軽を代表するもう一方の音色である三味線を出前授業して生徒たちに体験してもらうのは道具の準備からしても大変なことです。
市内では、学校単位で取り組んでいる例としては先日亡くなった女流三味線奏者・まんじ愛華さんがかかわっていた二中くらいしか聞いたことがありませんし、そもそも三味線そのものにふれてみる機会すらなく育ってしまえば、私のように弾くものではなく聴くものという人間に終わってしまうだけに、何とかならないものかと思っています。

そんな私が伝統芸能や三味線民謡にひかれたり大事に思うきっかけだったと思うのは、中学校時代の恩師が「東京で津軽出身だといえば民謡歌えるでしょと言われるから、一曲くらいは覚えなさい」と、確か弥三郎節や嘉瀬の奴踊りといった、そんなに節回しの難しくない民謡を学活の時間に歌わせたことだったと思い出されます。
教員本人にそんなことまでは求めませんが、やはり中学校までの時期に津軽の伝統芸能にふれる機会そしてねぷた囃子のメロディリズムならわかるとか民謡一節なら歌えるというくらいまでは学ぶ機会を必修で取り組むべきだと思います。
何といっても、ねぷた囃子も津軽三味線も心の底から「じゃわめぐ」ものですし、こういうエモーショナルな感覚を体感しておくことは、情熱を持って物事に取り組む人間を育てる上でも大事なことだと思います。

皆さんの周りの小中学校では囃子や三味線にふれる機会はありますか?あるといいと思いませんか?

2014年10月24日金曜日

これが旧第八師団長官舎だ!

IMG_2734-2014-10-24-13-00.JPG市役所に用事があったので、旧第八師団長官舎の開館日時を確かめておこうと思いましたら、菊と紅葉まつり期間中ということで公開されていましたので、善は急げと調査してきました。
官舎は一昨年敷地の奥から移築されて、市役所とは駐車場進入路をはさんで並ぶ位置にあり、新聞社の先には喫茶室もある市民会館、藤田記念庭園がすぐあります。

平家建156㎡のこぢんまりとした建物ですが、1958年に市役所新築の際に約2/3が取り壊されていて、現在残っているのは公務で使った部分ということになります。
%25255BUNSET%25255D.png玄関には2段のポーチ、中にも上がりかまちがあり、部屋ごとに敷居がある古い様式で、約24畳の会議室・各8畳の執務室・控え室と奥の8畳二間の和室をつなぐ廊下も狭いながらも、これは動線の確保やバリアフリー化のために改変するわけにはいかないところでしょうから、使い勝手にしろ広さにしろ不十分だと改めて思いました。

IMG_2005-2014-10-24-13-00.JPGこの写真は執務室から撮りましたが、カーテンが見えている会議室の奥にはもうすぐ立体駐車場が完成し、もう一方の窓からは市役所と、建物に囲まれた景色しか見えないロケーションでもあり、今会議テーブルが並べられているように、ゆったりとした雰囲気で行う会議・ワークショップなどで活用する方が合っていると思います。
同じく第八師団の遺構である旧弘前偕行社には、弘前厚生学院の特別講義で何度かおじゃましましたが、両方とも軍のものとはいえ公務そして社交のための建物であり、用途によれば現状のままでも使えるものをわざわざ台無しにする意義はありません。

ところで、この建物は市の「趣のある建物」そして国登録有形文化財に指定されているわけですが、先日来の情報交換で紹介された神戸北野物語館も同じ指定を受けており、現在はスターバックスが入っています。
それなら官舎でもスタバをという話になりそうですが、この異人館はもともと朝のTV小説「風見鶏」のモデルになったパン職人が所有していた建物で、もともと1階はカフェとして使っていたのを阪神大震災で全壊認定を受けたのをきっかけに神戸市が所有することになって再建したところにスタバが2009年から入ったわけですので、指定後に大きな変更を加えたわけではないという経緯があります。

そして、何といっても弘前は津軽藩士殉難の歴史を今に伝えて珈琲の街を標榜してきたのですから、市が所有する文化財それも市役所敷地内というど真ん中に舶来のカフェを導入するというのは、市内でコツコツとやってきた珈琲店の皆様に無礼千万なやり方だと思います。
スタバが民間企業として進出してくるのは大いに歓迎すべきことですが、市が引きこむというのは道理に合わないと思いますし、珈琲の街としてのステータスを失うことの方が長期的には市にとってマイナスだと思います。
これ以外にも、公募から候補選定までの経過が不透明であること、市民にも議会にも説明がないままで動いて決めようとしていることなど、行政手続きや説明責任の面からも納得がいかないことが多いだけに、湯布院の例にならって断固反対で動こうと思います。

皆さんにも、このような建物の現状や珈琲の街という文化を理解していただいた上で、また意見をいただきたいと思いますし、これからのアクションにも注目していただきたいと思います。

2014年10月23日木曜日

空き家の実態把握を包括に

先ほど東北大学大学院の学生が自宅に回ってきて、「空き家の将来予測と共同管理の基礎研究を目的としたアンケート調査」ということでしたので、簡単なアンケートに協力しておきました。
相馬地区でも空き家が増えてきているのを実感しますし、市全体でも増えてきていることをふまえて、9月定例会で「弘前市空き家・危険家屋の活用・適正管理等に関する条例」いわゆる空き家条例が制定されたように、これからの人口減少とともに生じる問題として真剣に取り組まなくてはならないテーマです。

ところで、その内容を見ますと、空き家にかかわる所有者以外の各主体として上がっているのは、責務あるものとして市と市民、役割があるものとして自治組織・大学・市民活動団体などが列挙されていますが、これで実際に条例が効力を生むようになるのかは疑問ですし、そもそも役割があるとされている自治組織の長たる町会長に何の説明も依頼もないあたりに、やる気のなさを感じます。
空き家条例に先鞭をつけたのは、2009年第4回マニフェスト大賞で最優秀政策賞を受賞した室蘭市・青山剛市議(現市長)の議員提案でしたが、それから5年も経過して各地で制定されるようになると形だけをまねて魂が入ってなくなる悪弊に、この問題も陥っている感があります。
私が空き家問題に関心を持ったのは、青山さんのアクションの前でして、滋賀県余呉町(現長浜市)で空き家を活用したデイサービスセンターを見学し、他にも活用できるところがないか空き家リストを作成しているという先進事例を知ってからのことでした。
これを町の地域包括支援センター(包括)が取り組んでいまして、同時に一人暮らしの高齢者が入院・転居また死去するといった状況把握にもつながっている活動であったため、さっそく包括のブランチである在宅介護支援センターの職員に村内の調査にあたらせたのを思い出します。

このことから提案したいのは、空き家の実態把握に地域包括支援センターを活用してほしいということです。
前述の関係主体には「等」と付記してありますので、必要に応じて主体を加えることは可能だと思いますし、包括には社会福祉士が配属されていて近年では成年後見への取り組みなどを通じて財産問題や遠方の家族との連絡にもかかわっているだけに、エリアを回って気になる物件にあたってもらうには適任です。
こんなことを言うと、現場からは介護予防プランで手一杯だし来年度からの介護保険法改正でもっと大変になりますと悲鳴が聞こえそうですが、包括は介護保険料を財源としているのではなく市からの委託契約で運営することになっていますので、市としての喫緊の課題に取り組んでもらうオプションを契約に盛りこめばよいのです。
当然、業務量が増える分の増額はあってしかるべきですし、空き家条例の主管が建築指導課ですので、この部分だけ別契約とする方がいいのかも知れません。

葛西市長は何ごとにも「オール弘前」という枠組みを強調しますが、空き家条例はまさに建設部も健康福祉部も、さらには町会との連携を考えれば市民文化スポーツ部もかかわって実効をあげなければならない問題ですので、さまざまなことに福祉の力を活用するのを考えていただきたいと思います。

2014年10月22日水曜日

統一した情報公開を

昨日はすっかり師団長舎スタバ問題に隠れてしまってましたが、もう一方の地元紙・陸奥新報には小中一貫教育実施の方針という、これまた寝耳に水の記事が載っていました。
これは、石川中学校区で実施された「弘前市立小・中学校の教育改革に関する基本方針」の策定に係る地域意見交換会でのことだそうで、会終了後の取材で石川中・船沢中・東目屋中そして相馬中学区で時期未定ながら実施を検討するという発言が教育委員会からあったのだそうです。
先日の意見交換会の際には、これからの教育課題として提示はされたものの相馬で実施を考えているということは一つも出ていなかったので驚いていたのですが、これは中学校からしても同じだったそうで、校長が教育委員会に確認の電話をしたことを昨夕のPTA運営委員会で報告していました。
結論としては、検討課題ではあるのは間違いないが具体的に4学区に絞って検討しているというようなことはないと回答されたのだそうで、フライングな発言ということにされたようですが、4学区は小中1校ずつで9年間同じ顔ぶれで学ぶ実態がある以上、具体化する場合もこのうちのどこかからということになると見ていいでしょう。
個人的には、コミュニティスクールもしくは学校地域支援本部制度を導入しての小中一貫教育は願ってもない話ですので、ぜひ具体化してほしいと思っています。

ただ、ここで考えなくてはならないのは、師団長舎スタバ問題に関しては情報を漏らさず隠密裏に進めていて、一方小中教育改革では決まっていない(としている)ものを不用意に広めてしまうという、情報公開のあり方の落差です。
どんな事情があるにせよ、手順が異なるというのは避けるべきだと思いますし、小中一貫教育に関しては具体化したいというのであれば一番最初の意見交換会から明らかにすべきでしたし、スタバ問題に関しては公募する前に市民と活用について話し合う機会があってしかるべきことですし、候補先としてスタバが浮上した今の時点でも遅くはないので経緯の説明かたがた話し合ってほしいというのが、私の思いです。
師団長舎問題は、スタバ導入には「ひろさき魅力プロデュース」室、入札など契約問題は財産管理課、市指定の「趣のある建物」としては都市計画課、そして国の登録有形文化財としては文化財保護課と、さまざまな部局がかかわっている問題であり、それぞれの立場からの問題提起を市民も聞いた上でないと判断つきかねることだと思いますし、市民の間でも賛否が分かれることでしょうから、自分が呼びかけての話し合いの場を持ちたいと思っています。

いずれにしても、情報公開がしっかり行われない限りは市民には理解ができないばかりでなく、市政に対するあらぬ疑念すら呼び起こしかねないことにつながってしまいますので、きちんとしてほしいと思います。

2014年10月21日火曜日

師団長官舎にスタバ、反対!


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今朝の東奥日報に、市役所前に移築した旧第八師団長官舎にスターバックスを入れることが検討されているという報道がありました。スタバが市内に進出してくることには賛成ですが、あの建物に入るのは反対です。

師団長官舎は偕行社と並ぶ軍都・弘前の歴史を伝える建造物で、市長公邸として市役所敷地内の奥まったところにあったものを、保存活用のために道路沿いまで移築してきたものですが、これが何の建物であるかはあまり知られていないように思います。
これから軍都・弘前の歴史を振り返ったり観光資源として活用する上でも、中に入ってみたらスタバというのではおかしなことになりますし、まかり間違ってこれに緑色の看板がかけられたりするのでは景観の点でも大問題だと思います。

報道によれば、9月からの公募に応じたのがスタバだけだったということですが、観光館にシェ・アンジェ、藤田庭園に大正浪漫喫茶室、そして市民会館には改装したばかりの喫茶室batonと、市内でも良質な珈琲を楽しめる店が並んでいるところに市内の業者が出ていこうという気をおこすはずもないですし、それをしないのが同業者のよしみだと思いますので、そもそもカフェを作るという発想そのものが間違っていると思います。
この事業は、新設されたひろさき魅力プロデュース室の所管のようですが、電通から里帰りした盛和春先輩にはこのあたりの事情が飲みこめていないのだろうと思いますし、文化財の価値とともに珈琲の街・弘前の文化についても思いをめぐらしていただきたいものです。

この件は議会でも議論がされていないと言ってもいいことですので、多くの市民に知ってもらった上で意見交換し、場合によってはスタバ反対の請願陳情まで考えたいと思います。
まずは、コメントの形で賛否両論お聞かせください。

2014年10月20日月曜日

イベント同日開催するならば

渋谷和生さんに同行しての南相馬市へのツアーは楽しく得るものの多い旅でしたが、その3日間は「食と産業まつり」にぶつかっていることもあり、そこに出店している飲食店の経営者としての立場で状況を確認している場面も何度か目にして、和生さんが本当に精力的に動いていることに感銘を受けました。
それはさておき、そのイベントと日を同じくして秋の最大のイベントである「弘前城菊と紅葉まつり」も開会となっていまして、どちらに行こうか迷われた方もあったろうと思います。
このことからイベントのことを改めて考えてみたいと思います。

同じ時期とはいえ、同日に開会式というのはなかったように記憶していましたが、二つとも市が大きくかかわるイベントなのですから何とか調整できなかったものなのかと思いましたし、逆に同日開催なのであれば「食と産業まつり」を運動公園で開催するのではなく弘前公園四の丸グラウンドを使うようにして、それでなくても集客に苦戦している「菊と紅葉まつり」のスタートダッシュの役割を果たすようにするべきだと思います。
弘前市には四季ごとに大きなイベントがありますが、春の桜まつり夏のねぷたまつりは多くの観光客が訪れるだけでなく、足を運んで宴会をしたり運行にかかわったりと地元の人間もたくさん楽しんでいますが、秋の菊と紅葉まつり冬の雪灯籠まつりには最近行ったことがないという人も少なくないと思います。
これは開催する季節の天候からすれば仕方のない部分はありますが、雪灯籠まつりは近年雪明かりと組み合わせることによって持ち直している感はあるものの、菊と紅葉まつりは無策のままで来ているように思いますし、それでなくても他のイベントや学校行事も多い秋の季節では注目が集まらない弱さを感じます。
それだけに、秋のイベントとしては最大の集客力を持つ「食と産業まつり」の会場を移すことで「菊と紅葉まつり」も楽しんでもらう流れを作るのは考えてみるべきだと思いますし、関係者も所管する部局にしても東奔西走する負担が減りますので助かるだろうと思います。

それにしても、10・11月にかけては「りんご博覧会」と位置づけられて、先週はりんごハローウィンが行われてもいますし、あれもこれもの虻蜂取らずの姿勢よりはどれか一つに集中した方が観光で売り出すのにもインパクトを持たせやすいでしょうし、市民が参加して楽しみやすいことも考え合わせた見直しが、この時期については特に必要だと思います。

2014年10月18日土曜日

県外での活動を情報発信

昨日から2泊3日の日程で、津軽三味線・渋谷和生さんを座長とする一行にお供させていただいて、南相馬市に来ています。

これは、南相馬市から弘前市に一時避難されていた方と和生さんとのご縁で、2012年5月に開催されて1000人の会場が満員になるほど好評だったのを受けて2回目のステージなのですが、私も市内の避難者支援や南相馬市からの小中学生招待に取り組んでいましたので、同じ思いを持っているのだからと誘われて一緒させていただいているのです。

和生さんは今月前半は台湾、出発する前日まで東京と相変わらず東奔西走の活躍ですし、一緒している五十嵐清勇さんは例年参加している江東区民まつりを見送ってこちらに加わっているように、伝統芸能や特産品販売で県外での活動をしているのは枚挙に暇がありません。

それぞれの活動は、市が関係しているもの個人的なつながりで動いているものさまざまだとは思いますが、それによって直接弘前津軽の魅力を知ってもらう絶好の機会なのですから、シティプロモーションの一環としてこういった活動を情報発信すべきだと思います。

そうすれば、弘前に関係するイベントがいつどこで行われるのかわかるだけでなく、市民からしてもどれだけの活動が展開されているのかわかるだけでなく、自分の縁ある人に紹介することもしやすくなります。

そのためには、情報を受け取ったり集めたものを発信する必要がありますが、一番簡単なのはシティプロモーションのFacebookページでイベント情報をシェアするという方法もあるわけですし、そんなに手間のかかることではないと思います。

弘前の魅力を知ってもらう機会を増やすこと、そしてその情報を広めること、両方ともさらに力を入れていくべきことだと思います。

2014年10月16日木曜日

農業と農村の両立は可能か

昨日、農業でのワークシェアリングを提言したところ、農業で勝負している友人から
「兼業の維持温存は国際産業競争力弱体化への道です。農業従事者が多い地域ですから尚更専業への集約、農業の産業化、兼業廃止を国策として徹底して行くよう求めるべきです。」という、思いのつまったコメントをいただきました。
これは、農業を集約して産業化を図ることと、農村ひいては弘前市を雇用の面から人口維持していくこととが背反していることの表れだと思い、ヒントになればと思って塩見直紀『半農半Xという生き方【決定版】』を一晩で読了しました。
これをふまえて、農業と農村の両立は可能かどうか、そのためにはどんな方策が必要かを考えてみたいと思います。

塩見さんは、神戸市での大手企業生活を33歳でやめ、「半農半X」を標榜して故郷の京都府綾部市に戻って「里山ねっと・あやべ」を通じてのまちづくりや移住支援に取り組んでこられた方です。著書の中には、実際に移住された方や綾部に住んでこられた方にX=天与の仕事を見つけるお手伝いをした例が満載で、こういう生活ができたらいいなと思わせる暮らしが描かれていますし、「『里山自然主義』に先立つこと10年。「半農半X」は世界の共通語。」と推薦文を寄せた藻谷浩介さんの主張と相通じるものがありますので、弘前市にとっても示唆に富む内容です。
ただ、前述した友人のコメントと引きくらべて読んでいましたので、天与の仕事を持った人が移住してくることでの人口維持や経済的なプラスも見こめるにしても、その人たちがわずかとはいっても田畑を耕していることで農業の補助対象となっているのかといった状況や、成功できずに去っていった例はあるのかという疑問、さらにはこういった形の兼業が増えることで専業で勝負しようとする農家にとっての政策的な足かせとならないかといった不安も感じますので、機会があれば塩見さんご本人と綾部市からお話を聞きたいものだと思います。

確かに、雲行きが怪しくなってきたとはいえTPPに見られるような国際競争の時代に、自分の食い扶持程度を作る農家まで保護する政策を続けているわけにはいかないという主張はもっともですが、収入は兼業の方から得るのが大きくても家や田畑があるからこそ農村で暮らし続けている農家が、支えがなくなって減ってしまえば農村そのものが消滅していくことになりかねませんし、難しいところです。
具体的には提言できるところではありませんが、農業政策としては専業による産業化、これとは切り離して農村維持につながる対策を打つという区別をしなければ、どちらも成り立たないという意識での立案が必要なのだと思います。

それにしても、ブラック企業のことからワークシェアリングに話が進み、それが農業と農村の両立ということにかかわってくるのですから、政治とは目の前の問題解決にあたりながらも大所高所からの視点を忘れてはならないことを思い知らされますし、そのことを気づかせてくれる友人がいることに感謝したいと思います。
今回の件でも、ぜひ多くの異論反論をお待ちしています。

2014年10月15日水曜日

弘前型の雇用を模索する

最近ネット上の情報で気になるのは、地方政治に関するものは当然として、もう一つはブラック企業や介護現場の低賃金といった雇用や賃金にかかわるものです。
こういう問題をシェアしていましたら、「年間総労働時間もしくは年間総労働日数が何時間、何日だと違法だとお考えでしょうか?」という問いかけがありましたので、この機会に私の雇用・賃金についての考え方を明らかにしておこうと思います。

私自身は、東京で民間企業に4年、帰ってきてからは特養で1年半、専門学校で2年という勤め人期間がありますが、このうち企業時代の最後の1年半はファーストフードの2人社員店舗でしたので、一人が休みの日は開店準備を任せられるアルバイトがいても12時間勤務いない場合は当然16時間勤務という環境で、さらにはバイトが集まらない店でしたので残業時間が積み重なって月132時間ということまでありました。
それでも、バイトを集められない自分たちの問題だと思っていましたので、長時間勤務に音を上げることはありませんでしたし、20代の若さで乗り切っていた気がしますが、今から考えればブラックな企業の論理に乗せられていたのだと思います。
その経験からすれば、企業側で週休2日8時間勤務を超えるような労働環境を整えている、また整っていないのであれば改善に努めて負担を労働者側に負わせないといった姿勢がなければ、ブラックと言われても仕方がないと思っていますので、これが上記の問いへの回答になると思います。

1996年からは労働者でなく施設の経営者という立場でしたし、さらに1999年からは議員と兼務していましたので、夜中に呼び出されることもあれば休みがもう一つの役割に費やされる環境でしたが、これは自ら選んだことですし、これが問題と思ったことはありません。
兼務といえば、弘前だけでなく農業地域では兼業農家が多いのですが、公務員のように兼職禁止がうたわれていても土日は実家の仕事に精を出す人もあるように、兼業農家という存在は労働時間の面から見れば年間労働時間をさらに伸ばす元凶にも思えますが、これもまた自らの選択ですし、これで農村としての地域が維持されている部分も大きいだけに否定できるものではありません。
逆に、兼業農家である職員の負担を減らす意味でもワークシェアリングを市役所ばかりでなく企業でも導入して、農繁期には農業に専念してもらうことがあってもよいと思いますし、これと市民による農業支援と組み合わせれば、より多様な働き方が作り出せるのではないかと思います。

いずれにしても、弘前における雇用で大事なことは、人口減少を食い止めるためにも一人でも多くの人に地元での仕事があり、ここでみんなで助け合いながら暮らしていくという気持ちを共有することにつなげていくことだと思いますので、それにつながる具体的な施策をさらに考えていきたいと思っています。

2014年10月14日火曜日

人材データベースの構築を


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紀伊國屋書店に足を伸ばしましたら、高校同期で仲のよかった中屋敷均君の著書がPOPつきで並んでおり、矢も楯もなく買い求めました。
ちなみに、隣に並んでいる鎌倉幸子さんともTwitterからはじまるご縁があり、今度の22日にある「人にやさしい社会推進セミナー」での再会を楽しみにしています。
この二人のように、新書や文庫といった手に取りやすい形態での著作は書店でも目に止まりやすく新聞紙上に書評が載ることもありますし、一方スポーツであれば活躍している記事に弘前市出身とか○○高校卒といった括弧書きが必ずと言っていいほど添えられますので、地元出身者の活躍が伝わりやすいのですが、そういうパターンにはまらない場合はなかなか見えないのが残念です。
市では、こういった人材に関して一定の情報を持っているでしょうし、市職員の人脈も生かしながら市政に活用しているとは思いますが、これらの人材情報をデータベース化して市民もアクセスできるようにしてはどうかというのが今回の提言です。

ところで先日、小中学校教育の意見交換会に参加しましたが、今後力を入れてほしい教育として一番多かったのがキャリア教育でした。現在行われているキャリア教育として思い浮かぶのは職業体験実習ですが、これだと中学校から一定距離の半径内にある事業所に限られてしまいますが、以前ベストセラーとなった『13歳のハローワーク』のように世の中には地元にはない仕事があふれていますし、そのような仕事に関心を持っている生徒もいることだろうと思います。
私の同級生でもレーサーになりたかった奴がいましたが、30年以上も前のことで憧れて上京してもツテもなく、生活することに流されて入口にも立てなかったと話していたように、その仕事に就くにはどうしたらいいのか、どんなことが大変でどんなところにやりがいがあるのか、その道の先達となっている出身者にコンタクトが取れる仕組みがあれば、子どもたちの未来をひらく助けにもなります。
当然、市で取り組む事業や施策に力を借りたり、庁内シンクタンクに協力してもらうといったことが最優先になりますが、出身者にとっても故郷や自分たちの後輩のためになるのであればと快く引き受けてくれる人の方がほとんどだろうと思いますし、市の招きで来ることになればまさに「故郷に錦を飾る」ことになるだけでなく、市にとっても外で得た力を還流させることになるわけですから、大事な取り組みになると思います。

皆さんの友人や親戚から、こんな仕事をしているというので市から声がかかって帰省することになったという話が出てくるようになれば、皆さんも誇らしくないですか?

2014年10月13日月曜日

津軽の歴史を日本史とつなぐ

幼少のみぎりには毎回欠かさずだった大河ドラマを、昨年の「八重の桜」から再び見るようになった勢いで今年の「軍師官兵衛」も見ていますが、ちょうど小田原征伐から朝鮮出兵そして関ヶ原の戦いと豊臣秀吉の天下統一から徳川幕府へと進んでいく時代に舞台が移ってきて、ドラマそのもののクライマックスでもあり日本の歴史にとっても一大転換点であるだけに目が離せないところです。
そればかりでなく、この時期は津軽氏がはじめて中央の歴史に登場してくるということからして津軽にとっても重要なところなのですが、このことを知っている人は津軽にどれだけいるのでしょうか?
今回は、津軽の歴史と教育のことを考えてみたいと思います。

お門違いなところから話をはじめますが、今回の「官兵衛」でも例によって石田三成は秀吉をダークサイドに引きこんでいく悪役として描かれていますが、大河ドラマでこの時代に接した一番の最初が城山三郎原作「黄金の日々」でして、そこでは主人公・呂宋助左衛門の友人であり堺奉行として交易にも千利休にも理解のある「治部殿(じぶどの)」として活躍していた第一印象が強いだけに、どうも違和感を感じてしまいます。
それは、津軽の歴史にとっては石田三成は欠くことのできない存在だからというひいき目があるからでして、公式に認められている関係でいえば、藩祖・為信公の長子・信建の烏帽子親を務めた事実があるばかりでなく、元服後に大坂城に小姓として務めた信建は関ヶ原の戦いでは三成方の西軍に加わったばかりでなく、敗北して落ちのびることになった三成の子を津軽にかくまい、次子は杉山源吾と名乗り源吾の子は津軽藩の家老を務め、次女・辰姫は二代藩主・信枚公の側室・大館御前として後継ぎ・信義公を生んだとされています。
ちなみに、信枚公の正室は徳川家康の養女・満天姫ですので、関ヶ原では勝った家康も津軽の血筋争いでは三成に敗れたという衝撃の事実があるばかりでなく、秀吉の小田原征伐に南部氏よりもいち早く参陣したおかげで所領安堵してもらったご恩を忘れず、源吾が伝えたという秀吉座像を幕府滅亡まで弘前城北の郭に建神として秘匿して祀っていたほど、津軽家にとっては秀吉そして三成との関係は深かったのです。この座像が今は為信公の墓所である革秀寺に安置されているといえば、どれだけ大切なものかご理解いただけると思います。

これらの事実は、一般的には理解が乏しいにしても津軽の歴史としては定説のように扱われており、それが『津軽太平記』といった小説や漫画歴史書『卍の城物語』などで広まってもいますが、杉山源吾の末裔である佐賀郁朗氏の労作である『石田三成と津軽の末裔』によれば、この事実は現在でも中央の史学界では俗説扱いであり、津軽側の記録や伝承ではなく他地にある資料で実証するのに非常に苦労したことがわかりますが、同じく末裔である白取亨氏の著作ともども定説を覆すところには至っていないようです。
逆に、新書という手に入りやすい形で出版されている滝沢弘康氏の『豊臣家臣団の内幕』では、惣無事令が出された後の下克上であり相手方の南部氏には秀吉の盟友・前田利家がついていただけに、為信公の小田原参陣には三成の取次があったからこそ成功したことをわざわざ特筆するほど全国史的にも稀有のことと紹介していますが、津軽では為信公の行動力や近衛家とのご縁という視点では語られても、この場面で三成との関係についてふれているものはないように思います。
こうした津軽の認識と中央とのギャップがそのままでは、津軽の歴史を子どもたちに伝えようという声を上げるのもはばかられますので、ここはこの分野の専門課であり民間登用で博物館館長となられた長谷川成一先生に事実の精査と史学界への働きかけをしていただきたいと思います。

蛇足ですが、わが相馬地区には鎌倉幕府の残党が最後の戦をした持寄城跡、南北朝合一にあがなって逃れてきた長慶天皇伝説があるように、中央の歴史の最後が津軽につながるものがあり、この三成とのご縁もそれに連なるものと思えますが、そこには地理的に最果ての地であるばかりでなく、どこか権力に従わない気質があるからこそ呼びよせてくるものがあるように、私は自分の性格に我田引水しながら思ってしまいます。
そこまで極端でなくとも、津軽には津軽の歴史があることを、学校教育においても生涯学習の場においても伝えていくのは必要で大事なことだと思います。

2014年10月11日土曜日

議員になる目的

昨日はひねもす東奔西走で午前様での帰宅だったのと、非常に重い問いを突きつけられていましたので、更新ができませんでした。その問いとは、人生の先輩からいただいたもので、「議員になる目的は何か」ということでした。
一晩考えたことを明らかにしますので、皆さんにはこんな私を支援できるか考えていただきたいと思います。

昨日言われたのは、4年の素浪人生活から市議選に挑むことより、まずは生業を見つけて家族の生活を支えることが優先ではないか、元議員だからとか町会長や陸上クラブのコーチがあるからといった言い訳やプライドはじゃまなだけ、そもそもそこまで真剣に生きる姿勢を見せないから支援が広がらないのでは、またすべての人を味方にする努力や、どんな手段を使っても当選することを優先して動くべきではないか、ということでした。
さらに、やろうとしていることで議員でなければできないことは本当にあるのか、そもそも議員になる目的とは何か、それぞれ答えに窮してしまうほど厳しい問いの連続でした。
その場では、市民が市のために動くようになる/動きやすくするために市政を変えるのが目的であり、議員でなくてもできることが多いのは今の立場でよくわかったが、議員という立場がなければ参加できない場があり、そこで起きていることを伝えたり、あり方を変えていくのは議員でなければできないことだと答えましたが、まさに核心を突く問いだっただけに、押しに押されて答えられずに終わった問いもありました。

そこで、一晩考えた答えですが、なぜ議員になるのか、それは利他に徹するためです。
利他とは、言うまでもなく他人のために尽くすことですが、今私が震災支援に取り組み、町会長・コーチといった役割を果たそうとしているのも利他に当てはまることですが、いかんせんそれが収入を生むことではないだけに今までの蓄えを食いつぶしやりくりをしながらの活動となり、生活については妻におんぶに抱っこというのが現実です。
これが、市議に返り咲くことができれば議員報酬を得て、生活を心配することなく堂々とフルタイム市民のために活動することが可能になりますし、議員でなければできない場で動くことができるようになります。これこそ、議員になる目的です。
利他を掲げることは、まず自分そして家族に我慢してもらうことが増えることになりますが、家族からすれば他人のためと言いながら、自分の楽しみのためにいろいろな活動に飛びこんでいるように思えてくることもあるはずです。
それだけの苦労をこれまでもかけてきていますし、これからさらにかけようとするのは本当に申し訳ないことだと思いますが、それだけに政治家を生涯の仕事とするのではなく、一定の任期を重ねた後には一般の生活に戻る任期制限が必要だという主張にもつながりますし、私自身も今後2期以上は務めないことを約束したいと思います。
また、どんな手段でも当選するのが先決だし一人でも多く味方にする努力が必要だというのはもっともなことですが、政治家不信をぬぐい去るためには今までとは違う活動でなければなりませんし、そこで苦しむ形になっても、逆に苦しんでも筋を曲げない真剣さを持って臨むことでしか、私を支援しようという人は集まらないと思っています。
ただし、それだけ厳しい道を進むのですから、わざわざ敵を作って足を引っぱられたり、人が離れていくようなことは避けなければならないというご指導は、肝に銘じておきたいと思います。

一晩考えて、この答えか、と思われるのか、よし支援しよう、となるのかは皆さんしだいですが、私はきっとこの思いが皆さんに通じて支援してくれると信じています。
4/26の投票日まで半年、この思いで突き進み、私の目的を実現させ、そしてやるべきことを実行したいと思います。本当によろしくお願いいたします。

2014年10月10日金曜日

怪文書のない市政に変えよう


Kaibunsho-2014-10-16-17-30.jpg差出人がない封書で、こんな文書が届きました。
まさに怪文書としか言いようのない内容でして、県から出向している山本企画戦略部長とは直接市政でかかわったこともありませんし、プライベートでのご縁もありませんので、この内容の真偽はわかりません。
思いとしては、部長級の中でも重要と思われる企画戦略部長を市の生え抜き職員が務めていない体制に不満はありますが、そのことで山本氏個人への追及も中傷もしようとは思うはずもありませんので、このような手段に訴える人の気が知れませんし、山本氏個人を狙ったものなのか葛西市政そのものへの批判なのかも不透明です。
今回これを公にしたのは、市民の皆さんにも政治を裏で動かそうとしている人物がいることを知っておいていただきたいのと、こういう前時代的な政治を変える姿勢でこれからもやっていくことを示すためです。

こんなことがない弘前市に、みんなで変えていきましょう!

追記:これが市の人材育成課から出されたものでないのは明白ですが、念のため皆さんにも誤解なきよう、お願いしておきます。

2014年10月9日木曜日

「まっぷ」実現で負け惜しみ

Unknown-2014-10-9-15-00.png何度かマップでの「見える」化を提言してきましたが、今日からひろさき便利まっぷが公開されました。
見えるようになった情報は、施設案内・子育て教育・健康福祉・安全安心・雪対策・観光文化・都市計画・道路の8分野ということで、私が要望していた公共事業や災害発生といったテーマはなく、できばえも渡邊英徳さんがかかわっているような雰囲気もしないながらも、この時期に公開できたということは私の提言を横目に着々と準備を進めていたのだろうと拝察します。市役所、やるもんです。
ここで大事なのは、誰の提言を受けて実現したのかということではなく、提言したものが形になってくれると、「便利まっぷ」に前述の分野を追加してほしいという具体的要望や、「便利まっぷ」を見てもらいながら公共事業の情報もあるとわかりやすいといった説明もできますので、非常にありがたいと思っています。

ただ、出し抜かれた悔しさはありますので、負け惜しみで便利にしていくためにいくつか提言しておきたいと思います。
一つは、スマホ版であれば位置情報を取得するようにして市外からの検索であれば観光文化が最初に検索できるようになるとか、表示できる分野が増えてきた場合には分野ごとの表示/非表示を選択できるように選択できるといった機能追加は今から検討していただきたいと思います。
もう一つは、今回のまっぷの所管課が情報システム課だということですので、年に一回は市民と気軽に意見交換する場をもうけて、市民が希望する分野の追加や使いやすさの提言などを聞き届ける場を作ってほしいと思います。
これは、以前提言した各課それぞれ声を聴く場を作ることの一環になりますし、とりわけ情報システム課は市の業務を後方で支える立場だけになかなか市民と直接やりとりする機会がないだけに、この課が動けば他の課でも当然やることになっていくだけに、先陣としてはもってこいの存在です。
まずは、今回の公開に至るまでの経緯や今後の機能拡張といったことをテーマに報告会を開くところからやってもらえると、市がどのような形で施策を発案して実現させていくのかを市民に示すことにもなりますので、ぜひ検討していただきたいと思います。

何はともあれ、せっかく実現した「まっぷ」ですので、皆さんもぜひ活用してください。

2014年10月8日水曜日

意見交換会で言いたい放題

昨年に続いて2回目となる、「弘前市立小・中学校の教育改革に関する基本方針」の策定に係る地域意見交換会の案内が町会長宛にもありましたので、昨年に引き続き参加しました。
これは、2009年に策定された基本方針には「規模適正化」という冠がついていたように小中再編を目的に仕立ていたのを、少子化がさらに進行する時機にあわせて子どもたちのために必要な教育のあり方を中学校区で意見交換をした上で来年度までに考えていくのが目的ですが、昨年度が16学区で165人の参加しかなく今年度改めて開催することになったのです。
会には工藤教育推進監と学校関係の3課長に事務局まで頭数をそろえていたのに対して、地元からは7人(うち2名は小中校長)という申し訳ない参集状況で、統合といったリアルな課題を突きつけられない限り教育を語り合う場に参加もしないのでは、教育に注文をつける権利すらないと言わざるを得ません。
それだけに、参加したからには思っていたことをぶつけておこうと思い、約1時間の意見交換の半分くらいは言いたい放題に語らせていただきましたので、その内容をここで明らかにして皆さんにも考えていただこうと思います。

最初に話題になったのが中学校の部活のことで、野球部の保護者から現在は相馬中・西目屋中で合同チームを作っているのが来年度の東目屋中・西目屋中の統合でどうなるのかという質問があったのを受けて、小学校よりも人数が少なくなる中学校では部活の数が少なくなるばかりでなく、顧問となる先生も専門ではないことが普通になっているだけに、小学校のスポ少のように地域クラブ単位での活動に切り替えるべきだと提案しました。
これに対しては、先に行われた地区でスポ少の勝利至上主義の弊害という問題も出されていることを紹介しながら、部活を通じた教育と希望する活動に参加できる環境づくりのバランスを取りながら考えていきたいとのことでした。
学校の規模・学区の問題では、市としては再編には消極的だというのを前提に、中学校の小規模化が進めば専門科目の先生から教えてもらうのが難しくなるだけに、担任以外の先生は市全体でプールする形にして巡回やITを使っての遠隔授業にあたるような、思い切った対策を検討してほしいと伝えました。
これは、現在の県の仕組みでも複数校兼任は可能なのだそうですし、ITの活用はさらに進んでいくことなので、こういった合わせ技での大胆な改革が求められてくると思います。
さらに、これが実現して一校あたりの専任教員数が減少する可能性が出てくれば、小中一貫教育や地域との連携を深めるためにもコミュニティスクールや学校地域支援本部制度を導入して、コーディネーターが学校運営にかかわったり、多様化する学習障がいや子どもへのアプローチだけでは解決できない問題への対応のためにスクール・ソーシャルワーカーを配置するといった人材活用もお願いしておきました。
他にも、佐藤前教育長が推進したインクルーシブ教育を捨て去らないことや、郷土を愛する教育の中では武道必修化にからめて前田光世を知ってもらうことも述べましたので、これからの小中教育にかかわる提言は言い尽くした感じです。

この中で、皆さんにも考えていただきたい、また意見を聞かせていただきたいのは、
  • 中学校部活動の地域クラブ化
  • 専門科目の先生から学べるよう巡回教員などの工夫
  • 学校運営にコーディネーター配置
の3点です。それぞれの立場で抱えている課題も受けとめ方も違うと思いますので、より多くの声を聴かせていただきたいとお思います。
どのような教育を行うかは市にとっても百年の大計ですので、私も真剣に考えていくつもりです。

2014年10月7日火曜日

本丸御殿「復元」でできること



昨日の白土塀の件が思いのほか反響を呼んでいますので、珍しく同じテーマで連投です。

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これは数年前に行われた弘前公園プレミアムツアーの一コマ、場所としては現在の博物館前周辺の広場ですが、みんなで見ているのは何か、わかりますか?
芝生のところに区切りがあるのが見えると思いますが、これは博物館建設の前にあった野球場のベースラインの位置を伝えるために作られたものです。これは何も知らずに歩いては気づかないと思いますが、この時は当時の観光コンベンション協会・今井二三夫さん直々の案内で知り、野球場があったのも覚えているだけに感慨深く眺めたものです。

では、今さら何でこんな写真を引っ張り出したかというと、史跡指定されている弘前公園であっても、当時なかった建物を建てたりするのはご法度でも造作を工夫すれば何があったのかを示すことができる実例があるのですから、天守閣の移動などで本丸の敷地に手が入るのを機に、本丸御殿の平面図どおりの区画を「復元」させるのを検討してはどうかと思うのです。
実際には、その後に植えられたしだれ桜や八重桜などで完全というのは難しいでしょうが、部屋割りを「復元」できれば歴史を「見える」化するだけでなく、桜まつり期間中に部屋ごとに場所取りの予約販売をすることにすれば、飲み会をする人たちにも「今年は○○の間!」といったノリで、いかにも本丸御殿の場所で飲んでいるという気持ちにさせることになりますし、さらにまつりを楽しんでもらえるのではないかと思います。

私自身は歴史学の徒ですので、史跡としての価値を重んじたいのは山々ですが、弘前公園そして桜まつりのことを考えるとどうしたら弘前公園に足を運んでもらえるか、まつりを楽しんでもらえるかということと天秤にかけてみるべきだと思います。
何といっても、築城時には桜は一本もなかったのですから、このくらいの遊び心はあっていいと思うのです。

2014年10月6日月曜日

石垣修理よりも白土塀修復を考えよう


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台風の折でしたが、町会の老人クラブ・月曜会では市の出前講座を活用して、弘前城の石垣修理を学ぶ日でしたので、一緒させていただきました。
大まかには知ったかぶりをしていた石垣修理の概要もしっかり勉強しましたが、お城のことでは前から気になっていた白土塀のことことがあったので、質疑応答の際に問いただすことができ、天気の前にスッキリした気分になりました。
写真は、プレゼン画面のキャプチャーですが、明治の初めにはこれから修理しようとしている東側と南側に白い土塀があるのがおわかりいただけると思いますが、これも大屋根が写っている本丸御殿より少し遅れて取り壊されたのだそうです。
熊本城などの修復成功につられて本丸御殿再建を言い出した前市長がいましたが、これは平面図はあっても立面図や内容の様子を伝えるものがないために、史跡指定されている弘前城では認められないのですが、白土塀に関しては十分修復できるのだそうです。
説明に来た職員の責任にはしたくないので、これは私の思いと受けとめていただきたいのですが、今回の石垣修理は白土塀修復にとっても絶好の機会ですし、真剣に検討すべきことだと思います。

実は、今回の白土塀のことも広瀬先生からご教示いただいたことなのですが、多くの市民には知られていない事実ですので、まずはこのことを広めて、その上で修復すべきかどうか議論を重ねていくのが大事だと思います。
私としては、白土塀修復は行ってほしいと思いますが、東側はいいとしても南側には今では大事な桜が植わっていますし、そこに江戸時代のままに武者溜門まで修復するのは動線の面からも難しいものがあるといった、いいところどりの修復では史跡としての価値を減じることになりますので、考えなければならないことも多そうです。

さて、皆さんは白土塀の修復、どう思いますか?

2014年10月5日日曜日

Appleと弘前をつなごう

今日はAppleの創業者スティーブ・ジョブズが亡くなられた日です。
1994年にPowerBook520というモノクロ画面のノートからAppleユーザーである私にとって、風前の灯だった会社に復帰してiMac・iPod・iPhone・iPadと革命的な製品を次々と生み出したジョブズには感謝してもしきれない思いと、"Think different""Stay foolish"といった人生の指針となる言葉そのものの生き方を示してくれた尊敬の念があります。
それだけに、日本一のりんごの街である弘前とAppleとつながる取り組みがもっと増えてほしいと思いますし、またしても同じくApple信者である広瀬先生のブログにインスパイアされましたので、今回はその思いをこめての提言です。

弘前とAppleをつなぐものとして一番あるのは、iPhone・iPadなどのケースに津軽塗を使うことです。
これには取り組んでいる若い制作者もいますし、その中でも「普段使いの津軽塗」のケースは一番ピッタリくるプラスチックケースを数十種類も試した上で選んだものを使っているので、非常にできばえがよく、オススメです。早くiPhone6用が出てほしいです。
これには、長く使える津軽塗には買い替えが進まないという反面的なデメリットがあるのを、少なくとも2年に1回のモデルチェンジで買い替えてもらえるというビジネスとしての可能性がありますし、広瀬先生が提案しているように日本だけでなく世界に向けて売り出すという大きな発想で取り組めば、さらなる可能性が広がります。
弘前市では、クラフトコーディネーターという外部人材に新製品開発や販路拡大で協力していただいていますが、若い職人たちとコーディネーターをつないで弘前発の津軽塗ケースをトータルなブランディングをすることも大事です。

もう一つは、以前も書きましたが、iBeaconという新機能を使って商店街のお買い得情報などを発信する方法を全国のどこよりも早く土手町で実現させることです。
これこそ、りんごの街弘前でAppleの最近機能を実現というニュースバリューを生み出しますし、実際に便利になるばかりでなく、先進的な取り組みとして視察を呼びこむことにもつながるでしょうから、さらににぎわいを生み出すことにもなります。
これを地元のアプリ開発者に取り組ませれば、起業や事業拡大のチャンスを作ることもできますし、前述の津軽塗ともども若い人材が弘前でがんばろうという機運を高めることにもつながります。

私にとってAppleとは夢の会社ですが、そのAppleとつながる形で弘前に仕事の夢が生まれてくれたら、これほどうれしいことはありません。

2014年10月4日土曜日

弘前市でも広報紙コンクールを


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今日の地元紙に、八戸市での気になる取り組みが記事になっていました。何と、町会が発行している広報紙のコンクールを実施するのだそうで、471町会のうち100前後といいますから2割以上の町会で発行していること自体が驚きです。
わが昴町会では、町会結成当初から「プレアデス通信」という町会紙を毎月発行しており、今は町会長である私が発行責任者として頭を悩ませながら編集にあたっていますが、相馬地区では他に聞いたことがありませんし、市内を見渡しても多くはないのではないかと思います。
議会でも町会への加入率や低下していることでの弊害が問題とされることがありますが、町会としての活動やニュースを伝える広報紙もないのでは、引っ越してきた人からしても何のメリットがあるのかわからない存在に加入しようと思われなくても仕方がないことだと思います。
以前、町会活動のデータベース化を提言しましたが、その趣旨は市民自治の基礎単位である町会の活動を「見える」化することでしたので、このコンクールという方法ならば募集して表彰展示というシンプルな流れでできることですし、実現可能性は高いだけにぜひ検討してもらいたいものだと思います。

ただ、それを待っているのでは能がないので、この機会ですから皆さんの町会で発行している町会広報紙がありましたら、私宛に画像化したものを送っていただければ、それをこのサイトで公開して見比べられるようにしたいと思います。
当然ながら集まったものを評価するといったことはしませんので安心していただきたいのですが、内容に町会内のプライバシーにかかわるものが含まれていないかだけは確認していただければ助かります。
メールに添付の場合は、n.mikami@nifty.ne.jp まで、Facebookをご覧の場合はコメントにデータをつけてくださるかメッセージで送ってくださるよう、お願いします。

提言するばかりでなく、今自分でできることを形にすることも、こうしてやっていくつもりです。

2014年10月3日金曜日

事務手続きの簡略化を進めるべき

朝イチで市役所に足を運び、毎月実施して町会の財源を生み出している再生資源回収運動推進報奨金の交付申請書を環境管理課に、先日採択をいただいたまちづくり%システム支援補助金の申請書と概算払請求書を市民協働政策課に提出してきました。
再生資源の方は、今年度途中から回収業者側で申請書を作成してくれるようになったので、町会としては日付を記入して押印するだけで済むのですが、原本を提出するために本町もしくは支所に足を運ぶ苦労は変わりません。
1%システムの方は、両方の書類とも日付を入れずに提出する指導に従いましたが、これは形式どおりの手続きとなると補助金交付の申請→交付決定通知の送付→概算払の請求という手順となるため、少しでも簡略化するために書類を預ける形を取っているのです。
この手順は、融雪溝の電気料金半額助成でも同様の流れで手続きを進めるので、書類のひな形もあって作成そのものは難儀ではないのですが、この後計画に変更があれば届け出をし、事業が完了した際には報告書とあわせて決算書を提出し、予算との差額を返還するといった手続きが控えています。
市民の血税での補助金ですからキチンと手続きをする必要があるのは重々承知していますが、市の側でも問題ないところでは現実に簡略化を進めているわけですし、一方では日付なしの書類を預かることで職員が肩代わりして作業することを増やしてしまっているだけでなく、こういう手順を整える例規の加除といった市民には見えない仕事もあるだけに、何とかできないものかと思います。

できることには二つのレベルがあり、一つは規則そのものを簡略化することです。
先ほどの手順でいえば、市で事業採択の通知を出す際に補助金の交付番号を決めていれば補助金を受ける側でも補助金申請書と概算払請求書をまとめた様式1通で済むことになりますし、融雪溝の件でいえば予算としての請求額と最終的な確定額が違うのは当然のことなので、わざわざ補助金変更申請をはさまなくてもよい流れにするといった見直しは可能だと思います。
もう一つは、ネットでの申請手続きを可能にすることで、市のさまざまなシステムをクラウド化していく方向にあるのですから、市民とのやりとりの部分にこそ導入を先行してほしいと思いますし、それがひいては町会側でもデジタル化に対応するために若手の協力登用を図るきっかけづくりにもなるでしょうから、手続きの見直し以上の効果が波及する可能性を生み出します。

それにしても思うのは、こうした実務にかかわる改善提案は議場での議論にはなじまないものですし、逆に議員という立場ではこうした実務でのムダについて身にしみる機会もありませんので、実務改善については一番やりとりのあるレベルの団体や市民と見直しを進める場が必要ではないかと思います。
市民も職員もムダな仕事をせずに、創造的なプロジェクトができるように変えていくことが、市の発展につながるはずです。

2014年10月2日木曜日

岩木山噴火に備える

先月27日に発生した御嶽山の噴火は、戦後最悪の被害であるのは間違いないばかりか、連絡が取れていない人を見積もると死者が100人を超えるのではないかという未曾有の事態となりそうです。
ところで、全国に47ある活火山のうち4つも青森県に存在しているのですが、岩木山・八甲田山・恐山は思いつくとしても、もう一つの活火山であり今では湖としか思っていない十和田山が915年に起こした大噴火は火山灰が東北一帯をおおうほどの有史最大の規模であったことを青森県民でも知っている人は少ないように、噴火による災害は台風や地震・津波に比べて意識してこなかったと言えると思います。
この機会に、今年刊行された『岩木山を科学する』をもとに岩木山噴火の歴史に学び、今後の対応や備えるべきことを考えておきたいと思います。

今では火山活動など無縁に思える岩木山ですが、一番近いところでは1863年に「出火」と書き記された小規模な水蒸気爆発が中腹で起きたことがわかっているとおり、れっきとした活火山です。
これに備えるために、青森県では2002年に岩木山火山ハザードマップを作成公表していますが、私もこの件で調べてみるまで存在すら知らなかっただけに、多くの市民県民の皆さんも知らずにいたのではないかと思います。
これによれば、御嶽山と同じ水蒸気爆発は数百年に一度の確率で起きるとされており、火口から半径13kmといえば岩木・相馬地区をスッポリとおおうエリアに1mmの火山灰が降り、これが数千年に一度のマグマ噴火の場合はほぼ同じ範囲に1cmの火山灰になるほどの被害があるというのです。
岩木山は山頂近くまで車やリフトで近づきやすいだけに、火口付近での人的被害は御嶽山以上に考えられることですから、逃げこめるシェルターの設置なども検討しなければなりません。
また、広範なエリアでの降灰は、農業ばかりでなく観光や交通などにも長期的な影響があるでしょうし、直接の被害以上の対策を考えておかなくてはならなくなると想定しておくべきでしょう。

これが杞憂に終わればよいのですが、前回の噴火までは「死火山」(今では、この語が死語となっているそうです)と思われていた御嶽山でもこれほどの災害となるのですから、明治以前には何度か「出火」してきた岩木山は用心するにこしたことはありませんし、これに備えてこそ防災と言えると思います。
東日本大震災のように至近距離で起きたことでもなく、直接の救助や支援にあたれる事態でもないだけに、岩木山が噴火した場合に何をすべきか学ばせていただくのが、御嶽山での犠牲に私たちが報いることだと思います。

2014年10月1日水曜日

議会にとって成果とは何か

今日は町会の庶務で過ぎてしまいましたが、その中で目に止まった記事がありました。
相川俊英さんの「地方自治”腰砕け”通信記」という地方政治にまつわる連載で、今回は愛知県豊明市議会の定数削減にからめて、定数で当選者を決めるのではなく当選となる得票数を定めるという奇想天外な選挙制度とともに、議員報酬も住民税の増減に連動した成果主義制度にすべきだと提言していました。
相川さんは、「議員報酬を固定部分と変動部分に分け、変動部分をたとえば当該自治体の個人住民税額に連動させるのである。議会・議員の活動が地域の暮らしやすさの向上に寄与したら、個人住民税の増額につながるのでは、と考えてのことだ。」としていますが、議会にとっての成果とは何なのか、この機会に考えてみたいと思います。

議会としての成果というと、まず思い浮かぶのが議会基本条例制定といった議会改革だと思いますが、先進事例と注目されるようになれば視察が増えて経済効果を生むという副次的効果が上がることはありますが、改革そのものは手段であり、改革したことによってどういう成果を生み出せるようになったかが問われることになります。
相川さんの試案では、議会活動が住民税が増えるような暮らしやすさの向上につながったかどうかということですが、これは議会がどのような活動をすればいいのか具体的なものがなく、そもそも議会の活動が暮らしやすさや住民税に反映されるかという疑問がもたげてしまいます。

そこで考えられるのは、一般質問や予算審議などを通じて提言したものがどれだけ政策として形になったかということですが、議員提案での条例制定という最高の形になったとしても、市民生活の向上につながったかどうかは別の視点から見極めないといけません。
例えば、岩手県奥州市では旧江刺市の時代に地産地消条例が制定されましたが、実際に地場産品の消費量がどれだけ増えたかどうかを測定することをしなければ見えませんし、そうやって確認できそうなものであればまだしも、理念を条文化したものであれば何を測るかさえも見えてきません。
さらに、議決を経た条例であれば議会としての成果物と言えますが、議員個人の質問提言であれば、それが本当に施策につながっているのかわかりませんし、そもそも提言であれば一般市民でもアイデアポストへの投稿といった形でできることですから、議会固有の権能だというわけではありません。

こうやって消去法的に考えていくと、手前味噌ながらすべての事務事業を仕分けして、ムダはなかったか、また目標の達成や成果の面から次年度も継続すべきかどうかを洗い出して、不要な支出を毎年5%削減させるといった作業を議会全体で取り組むというのが、活動が形として見えるという意味では一番わかりやすいと思います。
こうして見つけたムダを、議員や市民の提言した事業に振り向けるという議会版1%システムのような形にすれば、議会の活動が市民生活の向上につながりますので、市民の皆さんからも議会不要論や報酬・定数削減を突きつけられなくなるのではないでしょうか。
議会改革の先進地として名をはせている会津若松市議会は、市民との意見交換会から政策形成につなげていくところまで進めていますが、これも議会内部の改革ではなく市民と向き合い一緒に考えるということでは同じ方向を向いていると言えると思います。

皆さんにも、議会は何を実現できたら成果を上げたといえるのか、議会は必要だと思えるのか、考えてみていただきたいと思います。