2014年10月27日月曜日

政治が認められる水準とは

昨日は青森市議会議員選挙があり、新しい35人の顔ぶれが決まりましたが、定員削減にもかかわらず投票率は前回より下がって45.63%でした。投票権を持つ市民の過半数が投票しないという選択肢が一番大きかったというのは、政治を志す者にとって非常に考えさせられる結果です。
市民が直接政治にかかわるチャンスである選挙に半分未満しか参加していないということは、簡単に言えば総会の定足数に達していないということですので、結果そのものを無効とされてもおかしくないでしょう。
これは、立候補した候補者の政策・人物などによるところが大きいのは確かですが、首長選挙と違って数十人の中から一人を推すという選択肢が広い議員選挙なのですから、これに投票しない市民の側の責任も大きいと思います。

それだけに、投票率50%未満の場合は選挙を無効とし、1週間後に法定得票数を超えた候補者に絞っての再選挙というくらいの改正を行って投票する義務を果たすように仕向けるか、もしくは議員選挙と同時に議会という存在が必要かどうかの市民投票を同時に行って、議会が必要と認める人が有権者の過半数に満たなければ議会廃止とするくらいの過激な改革が必要だと思います。
後者の場合は、当然憲法改正まで踏みこむような改革ですし、議会不在となった場合に首長の暴走を止める機関や方法をどうするのかという大きな問題が生じてしまいますが、あの大事な舵取りを任すリーダーを選ぶ福島県知事選挙ですら45%という投票率では、選挙によって首長・議員を選ぶ民主主義制度そのものに市民・国民は飽き飽きしているというか嫌悪感があるのだろうと思ってしまいます。
どこかの時点で、この国はそこまでの選択をすることになるかも知れませんが、逆に言えばそこまでの決断をする機運も高まらない時代状況ですので、今可能な方法とすれば再投票つきの選挙に変えることです。
これであれば、立候補する側も市民の側も投票への意識や働きかけが強くなると思いますが、それが観劇会やウチワといった前時代的な集票方法に流れないように、公職選挙法を厳格にするとともにネットでの呼びかけはさらに規制緩和を進めるといった、時代に合った選挙制度改革を改正すべきだと思います。

さらに言えば、相川俊英氏が提唱するように、得票が少なくても定数までは当選させるというのではなく一定の得票数がなければ当選としない当選基準の変更というのも、検討に値する問題だと思います。
これは、昔の通信簿が5は何人4は何人と相対基準で振り分けられていたのが、今は何点以上の子は5という絶対基準に変えられている時代なのですから、一定数の市民の支持を受けた人間で議会を構成し、その人数に応じた組織構成をするあり方も一考の余地はあるように思えてきました。
例えば、有権者の1%以上の得票数を当選としてみると、前回の弘前市議選では28人が当選ラインに達していて、今回の削減した定数と同じ結果だったのですが、今回の青森市議選は23人しか当選ラインに達していないことになり、市民としてはこれだけの人数で十分だと判断した結果だとされる時代が来るかも知れませんが、其の足元にも及ばない結果だった私には、これもまた高い壁です。

それでも、私としては政治にできることがある、市民のために役に立つことができると信じ、そして皆さんにも信じて推してもらえるように、これからの半年で主張行動していくつもりです。