2015年3月11日水曜日

野田村から見る東日本大震災

あの東日本大震災から4年になりました。
死者・行方不明者に震災関連死を加えれば2万名を超える方々の尊い命を奪い、豊かな自然あるふれる東北の海岸の街並みを根こそぎにし、そして福島第一原発の事故によって帰るめどの立たない生活を強いている震災は、まだまだ終わるものではありません。
国立劇場の追悼式で、安倍総理は復興を加速させると大見得を切りましたが、天皇陛下は国民の苦労を励ますお言葉に終始され、そこにこそ被災者の心に寄りそう姿を感じたのは、私だけではないと思います。

私は時ならぬ猛吹雪で東北道が通行止めとなったので、青森市・八戸市回りで野田村での「東日本大震災津波 岩手県・野田村合同追悼式」に5時間かけてたどりつきました。
県との合同追悼式というのは、各被災地を持ち回りで行っているもののようで、達増知事や県議会議員諸侯ばかりでなく、小泉進次郎復興政務官や小沢一郎代議士の姿もあり、さらには来賓ではなく一般参列者の中に二年連続のさかなクンのいつものコスチュームもありました。
その来賓による献花の際に、自治体の最初に案内に弘前市長・葛西憲之の呼名がありました。震災直後から今までの支援を一番してくれた自治体への感謝を形に表していることに、参列した市民の立場で誇らしく思いました。

ひるがえって、当の弘前市では野田村からの感謝の思いはどれだけ伝わっているでしょうか?はたまた、市役所や支所ばかりでなく防災無線の届く範囲には14:46を期してサイレンを鳴らし黙祷を捧げるというアクションはあったのでしょうか?
実際に被災したり周りの人の中に犠牲者がいる立場である野田村の皆さんは、いつも心優しく私たちを迎えてくれますが、その笑顔の陰には悲しみと思うように進まない復興へのいらだちがあることを、折にふれて教えていただく機会があります。
そこまでの関係を築くのは一朝一夕にはいきませんが、せめてこの日この時間だけは震災の記憶を振り返り防災の思いを新たにする時として大事にしていくべきだと思います。
追悼式の後に行われたシンポジウムの基調講演に立たれた内藤廣・東大名誉教授が最後にお話になったのは、「人心は劣化する、そのために記憶を100年後に受け渡す工夫と努力が必要だ」ということでしたが、4年ですら風化しつつあると感じるだけに、非常に重い言葉として受けとめました。

被災しなかった弘前市だからこそ、震災を忘れない努力が必要だと改めて思います。