2015年2月24日火曜日

地域おこし協力隊の対極としてのフルサト

伊藤洋志Phaというタイプの違う30代二人が共著した『フルサトをつくる』を読了しました。
普段は東京に暮らす二人が、生まれ故郷ではない熊野というフルサトに通い暮らしをするようになり、そのために必要な準備やそのことで得られることなどを、その行動力と同じくらいの軽さで書きまとめた内容ですが、二地域居住のよさばかりでなくこれからの日本社会に必要なことまでサラリと切りこんでいて、非常に勉強になりました。
フルサトの軽いながらも自己責任での取り組みを知ってみると、何度か取り上げてきた地域おこし協力隊が対極にあると痛感しますので、またしても論じておきたいと思います。

世界文化遺産として知られる熊野ですが、無縁の二人が何もないところに飛びこんだのではなく、フルサトづくりの先駆けとして共育学舎をはじめた三枝孝之さんという方がいて、そこで行われた懸賞論文に応募した若者たちが現地で新たな取り組みをはじめるという土台があり、非常に活性化しているのがわかりました。
そこに二人が飛びこんで空き家を借り、仲間を呼びこんでさらに輪を広げていくというアクションが語られているのですが、「熊野の土になる」という堅い覚悟で住みつくというのではなく、あくまでも今は熊野をフルサトとして住んでみるという姿勢が、自分でできる範囲のかかわり方を保ちながらも、だからこそ自分の責任ですべて取り組んでいくというところに、行政からの募集があって月給が支給されるから移住するという地域おこし協力隊とは決定的な違いがあります。
来月中には、相馬地区への隊員が決定すると思いますが、本当に相馬村や弘前が好きでかかわりたいと思っているなら、このフルサトの二人のようにいきなり住みつかなくてもよいのでまずは遊びに来てみて、なじそうかとか仲間ができそうかどうか確かめたりといったことを自腹でやってみるべきで、これを国が推進拡大しようとし自治体が補助金を当てにして安易に乗っかる仕組みはやはりおかしいと思います。

こういうことを言いたくなるのは、長崎県で任期切れとなる隊員の方の振り返りをみても付け焼き刃で取り組むべき活動ではないことがわかりますし、秋田県では住民が契約延長を望まなかったことで1年で打ち切りにされる人まで出てきており、光の面ばかりでなく陰の部分が見えるようになってきているからで、こういう状況を受けて失敗する若者が続出しそうな件という論考も目につくようになってきたからです。
その論考も、例によって木下斉君からの情報だったのですが、この件について、
そもそも「地域おこし協力隊」なのに外の人間に地域をおこさらようとしている時点で、まぁ疑問を抱いた方がいいですよね。すぐにヨソモノ・ワカモノ・バカモノとか言い出すけど、ヨソモノとワカモノに物事押し付けて、自分はバカモノとは言われたくない人たちばかりだからね。
と喝破しているとおり、その地域をおこす必要があると思うなら、まず自分たちが取り組むべきだというのは当然のことですし、相馬村の場合はその気の人間がいるというのにわざわざヨソモノ頼みをする必要はないと思うのです。

この議論の土台にもなっていますので、皆さんにも『フルサトをつくる』をぜひ一読していただきたいと思います。